㉜ 退院しました
「びっくりしたぁーーー!!!」
病室で一人になり思わず声を上げてしまう。まさか、この状況であんなこと聞かれるとは思わなかった。隆も亜紀ちゃんも俺の母さんもおばちゃんもいる前で、告白以外の言葉が見つけられない質問をされるなんて誰が予想しただろうか。みんな顔を見合わせて言葉を失っていたじゃないか。
……あの様子から察するに、みんなにバレてる。俺が愛花大好きなこと、みんなにバレてる。母さんにまでだ。恥ずかしすぎる。
記憶を失っていることを考えると愛花は感情面五歳といっても過言ではないのかもしれないけど、それにしても……。
「びっくりしたわねー。お母さんどうしたらいいか分からなくて思わず、愛花ちゃんから目ぇ逸らしちゃったわよ」
「なにが」
気持ちがバレてない可能性を信じて聞き返してみた。母さんはニヤニヤした表情で言う。
「アンタ公開告白の危機だったのよ?」
「だからなにが!!」
「いやぁね。バレてないとでも思ってるの? あんな毎日せっせと愛花ちゃん家通ってんのよ? あの様子からして、ここにいたみんなにバレてるみたいね」
「だからなにが!!」
息子をいたぶって楽しいのか! もう何も言わないでくれ! そっとしておいてくれ! 必死で願うが容赦ない母さんは楽しそうにさらにからかい続ける。
「でも、お母さん嬉しいわ。自分の息子が大好きな子のために命まではろうとするんだもの。まだ高校生の子どもなのに。自慢の息子だわ」
「……そんなふうにからかって楽しいのかよ」
「何言ってるの! 楽しいに決まってるじゃない。……だけど当の愛花ちゃんだけ気付いてないのね。こんなに体張ってんのに……お母さん春樹がかわいそうで胸が痛むわ」
「勝手に哀れむなよ! いいの! このままで。ほっとけよ」
「はいはい。分かりましたよ」
母さんの顔からニヤニヤが消え、すっと真面目な顔になった。
「でも本当に良かったわ。骨折ですんで。小柴さんから連絡もらったとき本当に怖かったのよ。愛花ちゃんをかばったアナタは誇らしいけど、これからは危険なことになる前に先回りできるようにならないとだめよ。愛花ちゃんを守れる自分でいたいんでしょ?」
「結局からかってるじゃないか。……心配かけて悪かったよ。もうこんなことがないように気を付けるから」
「そうしてちょうだい」
自宅から荷物を取ってくると、母さんが帰り、また病室で一人になった。
ずっと愛花を守れる自分になりたいと思っていた。初めて愛花を守れた。その喜びに包まれて幸せな気分で目を閉じる。
スマホが鳴り、オーバーテーブルに手を伸ばす。愛花からだった。「明日から毎日お見舞いに行くから!」とメッセージがあり「無理しなくていいよ」と返信する。「絶対行くんだから」とあかんべーしたスタンプが入った。「一週間で退院できるんだから、退院したら家に来てよ」と入れるが同じあかんべースタンプが来ただけだった。
翌日、愛花はおばちゃんと一緒にやってきた。ノックの音に気付いて返事をして戸口に視線を投げる。おばちゃんが先に入り、俯いていた愛花が顔をあげた。申し訳なさそうな後悔でいっぱいの顔だ。
そんな顔をしてほしくて愛花をかばったわけじゃない。正確には体が勝手に動いていたわけだけど、この俺が本能的にも愛花にこんな表情をさせたいわけがない。愛花を少しでも安心させたくて満面の笑みを見せた。
おばちゃんは、挨拶だけ済ませると、ジュースを買ってくると部屋を出ようとした。冷蔵庫にあると言うが、冷蔵庫の中を確認して、自分が飲みたいものがないと病室を出て行った。二人きりになった愛花はベッドの横に丸椅子を置いて座る。まだ表情はかたいままだ。俺の笑顔はなんの慰めにもならないのか。
「ハルキ、痛いよね? 大丈夫?」
「うん。意外と痛くないもんだな」
本当はさっき痛み止めを飲んだからだけど、言う必要もない。これ以上罪悪感を持たれるのはごめんだ。
愛花が疑惑に満ちたジト―っとした目を向けてくる。
「痛くないわけないと思う」
「いや、本当に痛くないんだって。折れたばっかりで感覚が麻痺してんのかな」
「それじゃあ、痛い方がいいじゃない」
「……きれいに治るって言われてるんだから、もうそれでいいじゃないか」
言い募る愛花の心配が俺の意図したものと全然違うため、やるせなくなって、思わずはぁーと息を吐いてしまった。そんな強張った顔で心配するくらいなら「ありがとう」と一言言ってくれた方がどんなにいいか。
「俺は自分が怪我したとしても愛花が無傷だったことが嬉しいのに、そんな気に病んだ顔されてると無駄だったみたいじゃないか」
「無駄なんて言ってないよ!」
思わず声を荒げてしまったというように愛花がハッとして口元を手で押さえた。
「自分が怪我したら良かったのにって思ってるだろ?」
正直、そう思ったとしても無理はない。俺が逆の立場だったら絶対にそう思う。でもきっと愛花も俺の立場だったら、自責の念を言い連ねられて嬉しいと思うはずがない。言葉にしてしまう気持ちももちろん分かるけど、本当そんな顔を見せるのはやめてほしい。許してくれとさえ思ってしまう。
「ほら、その顔。顔に書いてある。昨日誰も悪くないってことになっただろ。絶対治るって分かってる怪我なのに、そんな落ち込まれると、いたたまれない」
「ごめんなさい」
「……許す。許したからこれでおしまい」
「そんな……」
「誰も悪くないって言ってんのに、愛花がそんな顔してるから。悪いと思ってる愛花は謝った。俺は許した。これでおしまいだ」
もうそういうことにした。謝りたいなら謝ればいいし、それで少しでも愛花が楽になるならそれでいい。だけど、もう聞きたくない。ずっと愛花を守りたいと思っていた俺が初めて愛花を守ることができたんだ。それが嬉しくて仕方ないのに、そんな顔をしないでほしい。笑っててほしい。
「これ以上は受け付けない。面倒だ」
ピシャリと会話を打ち切って、何事もなかったように話題を変えた。
「今日は何してたんだ?」
「いつも通り」
愛花がいつも通りの言葉を返す。俺はこんな日常が大好きだ。愛花との変わらない毎日を積み重ねることこそが至上の喜びだ。愛花にはぜひお付き合いいただきたい。
それからジュースを買ってきたおばちゃんと三人で他愛もない話をして、二人は帰って行った。
そのあと来た隆が「差し入れだ」とホラー漫画を置いていった。替えの下着付きでエロ漫画にしようかすごく迷って、八割方エロ漫画に決まっていたそうだが、親が身の回りの世話をしているだろうと思い直してとどまってくれたらしい。そこだけは感謝したい。替えの下着を準備しようとする配慮には感心するが、馬鹿じゃないのか。
ホラー漫画なんて病院で読むもんじゃないと思ったが、どうにも暇でつい手に取ってしまった。消灯後の俺は看護師の足音にビビり、トイレに行くのにビビり、怯えた夜を過ごした。ちなみに、ビビって漏らした時用にとオプションとして替えの下着がついていたことは内緒だ。もちろんチビッてなどいない。
次の日、愛花は亜紀ちゃんと一緒に来た。亜紀ちゃんは「花の水切りしてあげる」と言って出て行った。昨日のおばちゃんといい、亜紀ちゃんといい……。
愛花と二人になった俺は、隆のせいで怖い思いをした昨日の夜について話した。本当はビビりな俺を見せたくなかったけど、落ち込む愛花に笑い話としてちょうど良いと思ったのだ。愛花は思った通り笑ってくれた。やっぱり愛花は笑っているのが一番いい。
また次の日、おじちゃんと一緒にお見舞いに来てくれた。おじちゃんは少し話すと、携帯が鳴ったとそそくさと病室を出て行った。出て行ったあとの戸を見つめ愛花と二人顔を見合わせて首を傾げた。携帯の音なんて鳴っただろうか。愛花が「車の中で電源切ってたはずなのに切れてなかったのかな」とボソリと呟いた。
おじちゃん……やりたいことは分かるが詰めが甘いのではないだろうか。
二人になった愛花はからかうように「昨日の夜は怖くなかった?」と聞いてきた。この分だと怖くなくなるころに退院になるだろうと伝えるとクスクスと笑ってくれた。そうだ、どんどん笑ってくれ。愛花の笑顔がご褒美だ。鎮痛剤よりよほど効果が高い。
随分あとにおじちゃんが戻ってきて、視線を彷徨わせながら「部下がミスをして、長電話になった」と聞いてもいないことをしどろもどろに口にした。おじちゃんは嘘が下手だと思う。
また次の日は隆と亜紀ちゃんが一緒に来てくれた。少し話すと、二人はおばちゃんの白衣姿が見たいと病室を出て行った。おばちゃんは愛花と似ていて美人だから見たくなるのも無理はないだろう。
愛花と二人になって、昨日、学校の先生が見舞いに来たときに置いていった宿題で分からなかったところを教えてもらった。愛花が誇らしそうに笑いながら丁寧に教えてくれた。
「ハルキは宿題してて」
「俺は分からないところすぐ聞けるから助かるけど……愛花退屈にならないか?」
愛花がじゃあ、と言って俺の絵を描きだした。宿題をしながらも、愛花の真剣な眼差しを横から感じて、なんだかくすぐったい。もちろん、宿題に集中なんてできるはずもない。
描き上がった絵を見せてくれた。中学生の時に描いてくれた俺もかっこよかったが、この絵はそれから随分と成長した俺が描かれていた。以前に描いてくれたときは、もう少し目が大きくて顔も丸みを帯びていた。
愛花の目にはこんなに恰好良く俺が映っているのだろうか。そう思うとすごく嬉しい。俺を描きたいと思ってくれたのも嬉しかったけど、愛花から見た俺がこんな優し気な雰囲気だと分かって更に喜びがこみ上げた。これはもう愛し合う夫婦に他ならない。
メッセージのとおり、愛花は毎日見舞いに来てくれた。亜紀と二人だったり、隆もその中にいたり、おじちゃんとだったり、おばちゃん、うちの母さんとだったり。いつも誰かと一緒だったので少し安心できた。
気を遣うように誰が一緒に来ても二人の時間が設けられた。俺は聞いてみる。病院だから見舞いに訪れるサラリーマンもいるだろう。
「毎日来てくれてるけど大丈夫なのか?」
「大丈夫。強い気持ちが大事だって分かったから」
「強い気持ち?」
「うん。絶対にハルキに会いに行くんだって」
嬉しいことを当たり前の顔でキッパリと言い切ってくれる愛花に、ニヤけそうになる。
「それで本当に大丈夫なのか? どこもなんともないのか?」
「……うん!」
視線を逸らす愛花にそれは嘘だと見当をつける。
「嘘だろ。無理はしなくていいって言っただろ? もうすぐ退院なんだし家に来てくれるだけで嬉しいんだけど」
「なに言ってるの。本当は簡易ベッド借りてずっと居座りたいくらいなのに」
それはなんてすばらしいことだろう。もう本当の夫婦じゃないか。……だけど、せっかくうまく行っていた外出訓練が俺の事故で更にトラウマになっていたらと思うと気が気じゃない。
「だけど……」
「ハルキちょっとしつこい」
唇を尖らせて頬を膨らませる愛花の言葉がグサリと俺の胸をさす。
「愛花スーツ姿の男の人見ても大丈夫だったよ」
「うそだ。あんなに根強く残っていたトリガーなのにそんな簡単に打ち消せるわけがない」
真実を見抜こうと、あえて厳しい眼差しを愛花に向ける。
「……大丈夫は言いすぎたけど、視界に入ったらすぐに視線を逸らして、誰かの後ろに隠れるの。今のところそれで、大丈夫」
「大丈夫って……」
「ちょっとは動悸したりするけど、意識なくなることはない。お医者さんも少しずつ改善してるみたいだから、様子を見ながら何でもやってみましょうって言ってくれた」
「本当に?」
「うん。付き添いは絶対付けることって」
「そうか」
安心した。事情はどうあれトラウマ回避の術は身に付けつつあるみたいだ。怪我の功名ってやつだろうか。あの事故が愛花にとってマイナスにならなくて良かった。
入院生活は退屈だったけど、愛花が毎日来てくれて甲斐甲斐しく世話をやいてくれるのがくすぐったくも幸せな日々だった。
隆には「結果的にお得だったな」と言われた。なんなら「もっと早く入院しておけば良かったんじゃないか」とさえ言われた。少しムカついたがそれもアリかもと思う。
毎日様子を見に来る母さんからは毎日のようにからかわれる。事故のとき、愛花が呼吸と心拍の確認をしてくれたらしい。「呼吸がなかったら人工呼吸してもらえたかもしれないから、おしかったわね」などと宣う。入院初日に見せた、あの心配そうに目に涙を溜めて俺を見た母さんは幻だったのかもしれない。
退院の日、母さんが迎えに来てくれて家に帰ると、パタパタとスリッパの音を鳴らして愛花が出迎えてくれた。キッチンに向かうと隆と亜紀ちゃんもいた。サプライズパーティらしい。愛花と亜紀ちゃんが料理の準備をしてくれて、隆が味見役をかってでたと誇らしげに言った。隆が。なんだかんだでおいしいところを持っていかれてる感は心にずっと染みついている。
テーブルいっぱいに並ぶごちそうに隆と我先にと競い合うように食べる。唐揚げもグラタンもスープもサラダも全部おいしかった。ごはんは食べやすいようにと愛花がおにぎりにしてくれた。衛生面を考えて、ラップで作ってくれたが、そんなの必要ないと思った。物理的なエッセンスもたまには良いと思う。
「春樹。お前手使えねぇんだから、愛花ちゃんにあーんってしてもらえば?」
俺が骨折してギプス固定しているのは左腕であって、利き手の右ではない。余裕で食えるがその提案には乗っかりたい。なんと言って自然にあーんしてもらおうかと思案していると、愛花が箸でつまんだ唐揚げを口の前にさしだしてきた。食べこぼしてもいいように左手も添えてくれる。
「ハルキ、あーん」
俺は思わず目の前に出された唐揚げをパクリと口に入れた。さっき食べたヤツよりおいしい気がする。ハッとして周りを見渡すとみんな生温かい目でこちらを見ていた。少し離れたソファーの方で食事している母さんと弟がニヤニヤしている。
「春樹、さっき箸使ってたじゃん」
隆が俺を指さしながらカラカラ笑う。その横で「ちょっと隆……」と亜紀ちゃんが諫める。完全に隆の罠だったらしい。数分前まで普通に箸を使って食べていた俺はなぜ数秒前、自然な形であーんしてもらえると思ったのだろうか。
「お箸は使えても片手使えないのは不便だよ」
そう愛花が心配してくれ、次にスプーンでグラタンをすくってくれようとする。愛花は気付いていないだろうけど、俺はこの生温い空気に耐えられなかった。
「ありがとう。大丈夫だよ」
「おい、春樹。愛花ちゃんが気ぃ使ってくれてんだから甘えておけよ」
隆はたぶんすごく性格悪いと思う。自分の親と弟にニヤニヤと観察される気持ちが分からないのだろうか。分かってほしい。この今の瞬間だけでいいから。
「いやいや、できることは自分でしないとあとで困るのも自分だから。……ということだから、愛花ありがとう」
「……そう」
視線を落としてしょんぼり俯く愛花を見ると、なにか報いたいと感じているように思えた。だけど、今はいい。残念だけど。本当に残念だけど!
食後のお茶に愛花が工芸茶があれば飲みたいとかわいく強請り、俺は目尻を下げて頷く。紅茶ポットの中で開く花に、はしゃぐ愛花を見て頬が緩む。複数の視線に気付いて視線を辿れば、隆、母さん、弟がニヤニヤと意味ありげに笑っていて、顔が熱くなった。
隆にからかわれながらも、なんだかんだ楽しく過ごした。
本当は分かってる。事故にあった俺を心から心配してくれたことも、キツイ言葉のエールも、行き過ぎたからかいも。天邪鬼な隆の俺への思いやりだということ。TPOを考えてくれるともっと嬉しいのは否めないが。
俺は今日を思い返し、満足感たっぷりで眠りにつくことができた。
次は「㉝ アイカは愛花」です。




