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㉛ 全部アイカのせい

 繋いだ手が強く握りしめられ、抱き寄せられた一瞬あとに車の破裂音が鳴り響いた。強い衝撃を感じて一瞬思考が停止する。次に気付いたとき、ハルキがアイカの上に覆いかぶさるようにして道路に寝ころんでいた。アイカはそっとハルキの腕の中から抜け出す。


「……ハルキ?」


 ハルキは寝ころんだまま、なんの反応もない。地面に手をつくと、生温かいドロッとしたものを感じた。


 たくさん、たくさんの血が出ている……。


 思考は止まり、ただ茫然と横たえるハルキを見つめていた。


 

 誰かの叫び声とも悲鳴ともいえる声が耳に入り、ハッと我に返る。助けを求めて視線を彷徨わせた。あたりは騒然としている。車から男の人が駆け寄ってきた。


「大丈夫ですか? すいません! 今、救急車を……」


 男の人は震える手でスマホを触り、焦りと混乱の混ざった口調で喋る。


「救急車をお願いします! 人を……人を轢いてしまいました……早く、早く、来てください!」


 電話相手に説明するように、現在地とハルキの状態を伝えた。


「血が……血が出ていて……意識は……ありません。はい。すぐ来てください!」


 目の前で繰り広げられる騒然とした光景に焦りを感じる。


 どうしよう……。どうしたら……。



「こうするとグループに登録されたみんなでビデオ通話することができるんだよ」


 真っ白になった頭の中にハルキの言葉が聞こえた気がした。震える手でポシェットからスマホを取り出す。涙で画面が歪む。腕で涙を拭う。止めどなく溢れてくる涙をまた拭って目を大きく見開く。LIMEのアイコンを押して六人のグループ通話のマークを押した。


 早く出て! 早く!


「着い……どうしたの?!」


 電話に出た亜紀の横に隆くんの顔が見切れて映る。ギョッとした顔で尋ねる亜紀に震える声で伝える。


「ハルキが……ハルキが……」

「どこにいるの?!」

「交差……点……」

「すぐ行く!」


 亜紀がすぐ来てくれる。アイカは反応のないハルキの体を揺さぶり、叫ぶようにハルキを呼び続けた。


「ハルキ! ハルキ! 何で起きないの? ハルキー!」

「君! 揺さぶったらいかん! 頭を打ってるかもしれん!」


 知らないおじさんが、アイカの手をハルキから振り払った。ハルキに触れることを禁じられたアイカはただ名前を呼び続ける。


「ハルキ!! ハルキ!」


「……いか?! 愛花!!」


 地面に置いたスマホからお母さんの声が遠く聞こえた。スマホを両手で握りしめて縋るようにお母さんに叫ぶ。


「お母さん! ハルキが! アイカのせいで、ハルキが! どうしようどうしようどうしよう」

「どうしたの!? 落ち着いて。何があったの?」


 アイカはスマホを握りしめたまま視線を彷徨わせ、お母さんに必死で説明した。


「ハルキが……車に轢かれて……アイカのせいで……どうしよう、どうしたらいいの?」

「愛花、落ち着いて。春樹くんの意識は? 救急車は呼んだの?」

「起きないの。全然起きないの! 目ぇあけてくんないの……」


 狼狽るアイカを諭すように、お母さんの声が一段低くなる。


「救急車は呼んだの? 一番にしなきゃいけないのは救急車を呼ぶことよ」

「呼んでくれてた……お母さん! 起きないの! 救急車も来ない」

「呼んでから七、八分くらいかかるはずよ。いい? 愛花、よく聞いて。お母さんの言うとおりにするの」

「……うん」


 お母さんに言われたとおりに、ハルキの顔に頬を近づけて呼吸の確認をした。


「息してる!」

「そう、じゃあ次は、心拍の確認よ」


 アイカは言われたとおりに、人差し指と中指と薬指をくっつけて喉仏にあてて、そのまま横に滑らせた。ドクドクと脈を打っているのが分かった。


「脈打ってるよ!」


 お母さんはふぅと安心したように息を吐く。


「愛花、春樹くん怪我はどうなの? どこかから血が出てたりしてない?」

「頭から血がたくさん……たくさん出てるの」

「そう。春樹くんは今、どんな体勢? 頭を打ってるなら吐くかもしれないわ」

「横向きだよ」

「その体勢は吐いたとして喉に逆戻りしない?」


 ハルキの姿勢をもう一度確認する。顔の位置を確認して、吐いた場合の吐物の流れを予想した。たぶん大丈夫だ。


「たぶん大丈夫……」

「そう。じゃあ、血が出てるところにハンカチを充てて押さえてあげて」


 ハルキの髪をかき分けて、じわじわと血が出てくるところにハンカチタイルを充てて手で押さえた。白いハンカチタオルがじわじわと赤く染まっていく。


「お母さん!! 血が止まらない! ハンカチがどんどん赤くなっていく!」

「誰でもいいから、タオルかハンカチかもらいなさい! 自分のせいだと思うなら、しっかりしなさい!」


 お母さんの怒ったような張り上げた声がスマホから漏れた。聞こえただろう近くにいる人たちが、ハンカチを差し出してくれる。集まったハンカチを自分のハンカチの上に更にあてて出血が止まることを祈りながら押さえた。不安で怖くて涙が止まらない。


「お母さん! もらったよ。いっぱいハンカチあてたよ」

「じゃあ、そのまま救急車が来るのを待ちなさい。通話はこのままにしておくのよ」

「わかった」


 ハルキ起きて。止血をしながら必死で祈り続ける。早く救急車着て!


「愛花!」

「春樹!」


 ギョッとした顔で走って亜紀と隆くんが駆け寄ってくる。ハルキの背中側に足を止めた隆くんと目が合う。


「アイカのせいで、ハルキが! 車に轢かれたの!」

「……とにかく落ち着こう……」


 隆くんが呆然としたまま青ざめた顔で、救急車を呼んだのか確認した。亜紀はあまりの惨状に言葉が出ないようだった。アイカは救急車は呼んでくれたこと、お母さんに言われて、呼吸をしていることと心拍の確認は終えたこと、通話中のままにしてあることを告げた。


 隆くんはハッとしたようにジーパンのポケットからスマホを取り出してお母さんに問いかけた。


「おばさん! 隆です。何かできることはないですか?」

「春樹くんの体をそのまま動かさないで、救急車が来るのを待ってちょうだい。救急車が来て、病院が分かったら教えて」

「分かりました!!」


 隆くんはハルキの名前を呼び続けて、亜紀も泣きながらハルキを呼んだ。


 すぐ後に救急車が到着して、救急隊員が止血を変わってくれた。呼吸と心拍の確認をしてそっとハルキを担架に乗せる。ぐったりとしたハルキの手がずるりと担架から落ちた。救急隊員は丁寧にずり落ちた手を担架に乗せて、救急車の中へと運んだ。


 促されるようにアイカと亜紀、隆くんも中へと乗り込む。医療機器の電波障害の可能性があるため電話は切るように言われる。アイカと亜紀は電話を切って、隆くんが通話中にしたまま、救急車から降りた。


 救急車はすぐには発車しなかった。ドアを開けたまま処置が行われた。そのドアのすぐ外に隆くんがいた。ハルキのトレーナーは切り刻まれて心電図モニターを胸につけられ、袖はまくられ点滴が打たれた。もう一人の救急隊員が電話をかけ、ハルキの容態を伝えて病院の受け入れ先を探しているようだった。


 もどかしい。早く病院にハルキを連れて行ってほしい。


「○○病院が受け入れ可能です!」


 その言葉を聞いた隆くんが速攻で病院名をお母さんに告げて電話を切って、乗り込んできた。ドアが閉まり、サイレンが鳴り始める。


 数分後、救急車は病院に到着して、担架から脚が滑り落ち、ストレッチャーへと形を変えた。医者と看護師が病院の前で待っていてくれて、病院内にハルキを運びながら状態の報告をしていた。


 アイカたちは処置のため、と言って処置室から追い出されて待合室で待つよう言われた。震えが止まらない。病院に来ても全然安心できない。ハルキが目を覚まさない。


 亜紀がそっと肩を抱き、体を寄せてくれた。亜紀の温もりに少しだけ落ち着きを取り戻す。


「亜紀、愛花ちゃんをトイレに連れて行ってあげてくれない? 血だらけだ」

「……そうね」


 隆くんの声に自分の手を見下ろす。両手には血がべっとりとこびり付いていた。呆然と血塗られた手を凝視したまま体が固まる。


「愛花、手、洗ってこよ?」

「……アイカのせいで、ハルキが……全部アイカのせい」


 小刻みに体が震えだし、瞳に溜まっていた涙が再びあふれ始めた。そう。全部アイカのせい。


「青信号点滅してたのに、アイカが焦ってハルキの手を引っ張ったから……」

「青信号の点滅で横断歩道渡ったなら、愛花ちゃんのせいじゃない。突っ込んできた運転手の前方不注意だ」

「……でも、ハルキ、アイカをかばって……」

「それは春樹の意思でしたことだろ。愛花ちゃんが気負うことじゃない」

「でも……アイカが」

 

 ボタボタと涙がこぼれる。泣く資格もない。アイカが悪い。そう思って腕で自分の涙を拭うけど、拭いた傍からボロボロと涙が出てくる。


「愛花、顔に血が……洗ってこよ? 春樹くんが目ぇ覚ましたらびっくりするよ?」

「ハルキが……?」

「そうだよ。春樹くんは愛花をかばってくれたんでしょ? 目が覚めて血だらけの愛花見たら、守れなかったのかってショック受けるんじゃないかな?」

「そうかな……?」

「そうだよ! さ、行くよ」


 血だらけの愛花の腕をためらいもせず握って、グイグイと引っ張りトイレへと連れて行ってくれた。鏡を見れば酷い姿だ。頬には擦れた血がこびりつき、手と服の袖、スカートの下の部分は赤黒い血で染まっていた。


 ……確かにハルキが見たらびっくりする。


 血を水で洗い流して、石鹸でまた洗い、ジェットタオルで乾かした。隣で亜紀も同じように洗っているのが見えた。


「愛花、今は春樹くんが目覚めてくれることを祈ろう。自分を責めるのはいつでもできるでしょ?」

「……うん」


 トイレから戻るとお母さんが到着していて、隆くんと話していた。アイカに気付いたお母さんが、ハルキの両親にはお母さんが連絡した、ハルキは今検査中と言った。


 お母さんと亜紀が両側に座り、ハルキが検査から戻るのを待った。処置中一度目を開けて簡単な受け答えをしたと聞いて、少しだけホッとする。


 ハルキのお母さんも合流して、お母さんと一緒に謝った。おばちゃんは「春樹の行動の責任は春樹にあるの」と言ってくれたけど、顔は青ざめていて視線が定まっていない。


 アイカのせいで!


 ガラガラとタイヤ音が聴こえてストレッチャーが処置室に戻ってきた。


 駆け寄ると春樹が笑った。起きていた。起きていてくれた。目が合った。「愛花」と名前を呼んでくれた。


 アイカの頬に手を伸ばしたけど、頬には触れず、手を下ろす。


「ハルキ、手痛いの?」

「……いや、汚れてるから」


 ハルキの手にはアスファルトに擦れた痕ができていた。掌にわずかに砂がついていた。そっとハルキの手を握り自分の頬に充てた。温もりを感じてまた涙が出てきた。目を閉じてハルキの手の温もりに意識をむけた。


「ハルキ、ごめんね。アイカのせいで……」

「愛花のせいじゃない。……愛花はどこも痛くないか? ちゃんと検査してもらうんだよ」

「アイカは大丈夫」


 ハルキの手を頬にあてたまま首をわずかに振った。


「だめ。絶対に検査してもらうんだ。じゃないと許さない」


 そう言い残して、看護師に連れられてまた処置室へと入って行った。その言葉を聞いていた看護師に処置室から出てきて診察を促された。強い衝撃が加わると痛いと感じるのを押さえるホルモンが出て自分では体の異常があることに気付けないことがあるから、と言った。お母さんにも強制されて愛花も検査を受けた。異常なしだった。


 検査の結果、ハルキは左肩の脱臼と左腕の骨折、頭の打撲と聞いた。検査結果を聞いたハルキのお母さんが教えてくれた。頭からあんなに血がでていたのに、と心配すると、頭は出血しやすいから血がいっぱい出てても大丈夫なこともあるみたいと言った。


 骨折の治療のため一週間くらいは入院することになるらしい。


 ハルキは目を合わせて笑ってくれた。「愛花」と名前を呼んでくれた。頬に触れた手は温かかった。


 怖かった。ハルキともう目が合わないんじゃないか。ハルキの声が聴けないんじゃないか。ハルキの温もりを感じることがもうできないんじゃないか。


 ハルキの温もりをずっと感じていたい。



 ハルキの病室にお母さんと亜紀、隆くんと一緒に行った。おばちゃんに付き添われ、ベッドにもたれて座っているハルキが、ドアを開けたアイカと視線が合うと、ふんわりといつもの笑顔で笑ってくれた。


「ハルキ……ごめんなさい。おばちゃんもごめんなさい。アイカが横断歩道渡ろうとしたから、アイカのせいなの」

「もう、愛花のせいじゃないって言ってるだろ。俺も一緒に渡ったんだから」

「そうよ。男の子なんだから愛花ちゃんの手を引っ張って止めることもできたのよ。それをしなかったんだから、むしろ春樹のせいよ。ごめんね? 怖い思いしたでしょ」


 そう言って、おばちゃんはハルキの頭を軽くはたいた。


「いてっ。さっき車に轢かれた息子の頭を叩くなんてなに考えてんだよ」

「なに言ってるの。こんなに愛花ちゃんを思い悩ませて。ちゃんと謝んなさい」

「……そうだけど……愛花、ごめん、気に病ませたな。おばちゃんも心配かけてごめんなさい」

「なに言ってるの、愛花が焦って横断歩道渡ろうとしたって聞いてるわ。愛花が悪いの。渋谷さん、すいません。うちの子が。いつもお世話になっているのに、大事な息子さんをこんな目に合わせて……」

「いやいや、うちの子が悪いのよ。それに言うほど大事でもないから大丈夫よ」

「おいっ。そこは大事にしろよ」


 おばちゃんが、「ちょっと奥さん」みたいな感じで手首をしならせてケラケラと笑った。「ちょっとすいません」と隆くんが手を上げる。


「部外者なのにこんなこと言うのもなんですが、春樹も愛花ちゃんも自分が悪いって言うなら、もうどっちも悪いってことでいいんじゃないすか? それで差し引きゼロってことで」


 どんな計算をして差し引きゼロになったのかは分からなかったが、ハルキがアイカの顔をじっと見つめて言った。


「じゃあ、そういうことで。結果的にどっちも悪くないってことだな。どっちも悪いんならそう言うことになる」


 やはり、どんな計算式でそんなことになったのかは分からない。愛花が口を開こうとすると言葉でハルキが制した。


「いいな! こんな押し問答無意味だ。どっちも反省してんだからそれでいいじゃないか」


 ケガをして入院することになったハルキが声をあげたことで、どっちも悪くないと言うことになった。ずっとハルキの時間を奪ってきた愛花に命の危険までさらされたというのに、ハルキはなんでこんなにも……。


「なんで……そんなに優しいの……?」


 ハルキを注視して返事を待つと、遠くを見つめ、まるで最初からここにいなかったように気配を消した。

 しーんと病室内は静まり返り、生温かい空気が流れた気がした。その異様な空気にキョロキョロと視線を彷徨わせて、亜紀のところで止めた。視線に気づいた亜紀が困ったように首を傾げたので、隆くんに視線を移す。隆くんは半笑いで首を横に振った。愛花は首を傾げてお母さんを見た。お母さんはポカンと口をあけたまま固まっていた。最後の頼みの綱におばちゃんを見ると、ハルキを一瞥したあと愛花に視線を移して、そっと逸らした。


 愛花の声が小さくて聞こえなかったのかもしれない。


「ハル……」

「愛花」

「愛花ちゃん、春樹そろそろ休んだ方がいいと思うから俺らは帰ろう」

「そうね。あんまり長居しちゃ、春樹くんがゆっくり休めないわ」

「えぇ、良かったらまた改めて見舞いに来てやってちょうだい」

「ごめんな、愛花。ちょっと休むわ」

「……そう」

「春樹、お母さんそこまで送って来るわ」


 みんなが口々に帰ると言い出し、ハルキは眠いと言って、後ろ髪をひかれチラチラとハルキを振り返る愛花はおばちゃんに押し出されるように病室から出て帰ることになった。


次は「㉜ 退院しました」です。

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