③ 不良になるらしい
いつものように学校の帰り道、愛花の部屋に寄る。扉をノックしようとしたそのときだった。
「ケホッ、ケホッ」となにやら咳込んでいる音が聞こえた。
「風邪ひいたのか……?」
俺は扉をノックした。
「はい。コホッ。コホッ。……アイカ」
愛花の返事を受けて扉を開ける。
冷え〇タををおでこに貼って、寝込んでいる愛花を想像する俺の目に飛び込んできたのは、煙草を吸っている愛花だった。
俺は勇み足でずいずい愛花に近付き、指にはさまった煙草を取り上げ、灰皿に煙草を押し付けた。
「何やってんだ! 未成年だろ!」
咳込む愛花は呼吸を整えると何事もなかったかのように平然と答えた。
「未成年だから不良……」
はぁ? またしても意味が分かんねぇ!
「不良ってなんだよ!」
「不良になろうと思って」
「不良になってどうするんだよ!」
「彼氏ができる」
……もうコイツの思考は俺には読めねぇ。ただ一つ分かるのは喫煙がコードKの計画ということだけだ。
「なんで不良になると彼氏ができるんだよ」
「不良が私にだけ優しい。優しいから恋に落ちる。彼氏ができる」
雑な設定だな!
愛花は悲しそうに俯いた。何が悲しかったと言うんだ。煙草を吸っていたことを、もう少し叱ってやりたいくらいなのに……。
「どうした? 愛花」
今叱って愛花の表情をこれ以上曇らせることが、俺にできるわけがなかった……。
「こんなんじゃ立派な不良になれない……」
「立派な不良って?」
「ムセないで煙草を吸う人……」
ムセないで煙草を吸う不良じゃない大人はいっぱいいると思うが。
俺は努めて優しく、慈愛に満ちた微笑を愛花に向けた。
「愛花。おじちゃんも煙草を吸ってるけど不良じゃないだろう?」
愛花は首を横に振る。
「お父さんは未成年じゃない。だから不良じゃない」
お前の不良の定義は未成年の喫煙者だって言うのか。他にもあるだろ。万引きだとか、無免許運転だとか……。俺は口を突いて出そうになった言葉を飲み込む。
そんなことを吹き込んだら今度は行動が犯罪にシフトする。いや、未成年で煙草を吸った時点で違法だが。
くそっ! なんて言って説き伏せたらいいんだ!
考え方を変えてみよう。不良の在り方を説明するんじゃなくて、不良にならないように仕向ける……。
「愛花。この煙草と灰皿はおじさんのを取ってきたのか?」
策を絞り出せなかったため、しれっと話題をすり替えてみる。
「うん」
「おばさんが帰ってきたら怒られるんじゃないか?」
愛花は今気付いたようにハッとした表情になる。
「……怒られると思って、早めに練習始めたんだった」
愛花の顔がどんどん青ざめていく。体はブルブルと震えている。
親に怒られるようなことをしている自覚はあったようだ。
「どうしよう……。ごはんの準備もしていない……」
よし。ビビっている愛花はかわいそうだが、意識が煙草を吸うことから逸れた。
「何を作るつもりだったんだ?」
「シチューとサラダとハンバーグ」
サラダはいいとして、シチューとハンバーグは今からだとおばちゃんが帰って来る時間に間に合わない。
「よし。今日はカレーとサラダだ」
「え?」とブルブル震えている愛花が俺を見つめる。
「俺が作っておくからお前は煙草を元に戻して、シャワー行ってこい。煙草くさいぞ。部屋も換気しないといけないし」
「わかった」
そう言って愛花はシャワーをしに部屋を出た。
俺は、部屋の窓を全開にした。
急がないと。愛花の家を出て、自分の家から電気圧力鍋を持ってきた。野菜と肉を切って、カレールーと水を電気圧力鍋に放り込みスイッチを押した。
サラダを作っていると愛花がシャワーから出てきた。
「シャワー終わった」
腰まである長い髪から雫がポタポタと落ちている。
「もう夕飯はできるから、愛花は髪乾かしてこいよ」
「分かった」
愛花はこくんと頷いた。
「よし。完成! おっといけねぇ」
愛花の家に電気圧力鍋はない。俺が夕飯を作ったことがおばちゃんにバレないように、カレーを鍋に移し替えると、バタバタと自分の家に電位圧力鍋を持ち帰った。
証拠の隠滅を完了して、愛花の部屋に戻った。
とりあえず頭にタオルは乗っているが、愛花の髪は濡れたままだ。
「髪乾かしとけって言っただろ? 風邪ひくぞ」
「乾かした」
椅子に座っている愛花の足元にタオルが敷いてある。そのタオルに向かって毛先から雫が落ちている。絶対乾いてない。絶対濡れている。絶対背中は冷たいはずだ。そして、それが分かっているからタオルを敷いているはずだ。
「どうやって乾かしたんだ?」
「こうやった」
そう言いながら、自分の髪の毛をぞうきん絞りして見せた。絞った髪からはポタポタと雫が落ちている。やっぱり乾いてない。床に敷いたタオルめがけて絞っている。絶対自分でも気づいている。断言できる。全て分かっていてやっている。
「乾いてないじゃないか」
俺は一つため息をついてベッドに座る。
「愛花、こっち来い」
「わかった」
愛花はベッドの前で膝を抱えて座った。
髪にドライヤーをかけてやる。温風に乗ったシャンプーの香りが俺の鼻をかすめる。
こんないい匂いさせて、けしからん。
あぁ、安心して俺に身を預ける愛花は本当にかわいい。これが萌えというものじゃないのか。
愛花のかわいさに思いを馳せていると俺の背中に冷たくて柔らかいものがあたった。枕だった。ベッドに枕が二つある。
うん? 一つは抱き枕にしているのか? 抱き枕を抱きしめて寝る愛花。想像しただけでかわいい。でもなんで……?
「なぁ、なんでこの枕濡れているんだ?」
愛花は振り向いて枕に視線を投げる。
「昨日その枕で寝たから……」
なんで寝ただけで枕が濡れたままなんだ? ……もしかして、いつも髪をぞうきん絞りしただけで寝てしまっているのか?
考えられないことはない。愛花の髪はいつもぼさぼさだ。そんなぼさぼさ頭もかわいいと思ってはいたが……。
「髪乾かさないで寝てるのか?」
「乾かしてから寝てる」
まさか……。あの方法で……?
「……どうやって乾かしてるんだ?」
「こうやって」とまた髪をぞうきん絞りしてみせる。
だから乾いてない。そんな方法じゃ腰まである髪は乾かない。
「それだけじゃ乾かないだろ」
俺はドライヤーを使って乾かすよう促そうとする。
「それだけじゃない。こうもする」と、パジャマの袖を伸ばし掌を袖で覆う。そして髪の毛を両袖で挟むと、シャンプーのCMのように上から下へと撫ではじめた。
「うそだろ」
俺は目を疑った。今日日こんな女子高生がいるとは……
「枕も濡れてるし、そういうの雑菌が繁殖するらしいぞ?」
「対策がある」
「対策?」
「昨日こっちの枕を使ったから、今日はこっちの枕で寝る。こっちの枕はもう乾いてるから問題ない」
いやいや、問題ありまくりだろ。女子として。だが、自信満々に言い切る愛花を見るともう何も言えなかった。
「袖濡れるから冷たいだろ?」
「冷たくない。こうするから」
そう言って、今度は袖の濡れている部分が直接当たらないように腕まくりした。俺は諦めた。
「……そうだな」
「ハルキ……。アイカ臭くない?」
愛花が自分の髪の匂いを嗅ぎながら尋ねてきた。
「臭いって?」
「煙草」
「あぁ。煙草か。全然。部屋の換気もできたし、シャンプーの匂いしかしない」
俺の言葉に安心したようにホッと息をついた。
「良かった。お母さんに怒られないで済む」
「これに懲りたらもう絶対煙草を吸うんじゃないぞ」
「……」
返事がない。
「愛花! 分かったのか?」
「……」
やっぱり返事がない。
「愛花!」と念押ししようとしたその時、スマホの着信音が鳴った。母さんからだ。なにやらすごい剣幕で早く帰るようまくし立ててくる。
ダメ押しで部屋から出る前に強めに声を張り上げる。
「いいか? もう絶対煙草吸うなよ!!」
愛花は視線を合わせず、無言のままひらひらと手を振るだけだった。今度見つけたらおばちゃんに言いつけてやると言えば良かったと後悔しながら家路へと急いだ。
昨日の愛花の様子……。絶対に何か企んでいる。
朝4時に起きて家を出た。電柱に隠れて愛花の家の様子を窺う。
そう。愛花は基本的に家から出ない。家から出るときは毎朝の犬の散歩のときと、テストで学校に行くときだけだ。散歩は誰とも会わないで済むように早朝。だいたい4時25分くらいだ。
出てきた!
犬のリードを持って歩く愛花。かわゆす! ちっこい愛花がでっかい犬を散歩。愛花が犬に引っ張られているように見える。もうどっちが散歩させているのか分からない。それもまたかわいい。
つばの広い帽子にTシャツにキュロット。足元は真っ赤なクロックス。大きな瞳を隠すゴツイべっ甲メガネ。カワユス。かわいすぎる愛花のせいで俺の言語中枢は崩壊の危機だ。
自分の鼻の下が伸びているのを感じながら、電柱に隠れ、塀に隠れ愛花の後ろを尾けて行く。コンビニに立ち止まった愛花は犬のリードをポールにかけると駐車場の路側帯に座り込んだ。
ん? いつもならコンビニになんか寄らないはずなのに……。
座り込んだ愛花はポケットから煙草と携帯灰皿を取り出した。煙草の煙を肺に入れる愛花。
ん? 煙……? 出ていない! 昨日ムセて辛かったから火はつけないことにしたんだ! セーフか? セーフなのか? いや、ぱっと見だと煙草を吸っているように見える。アウトだ!
もう煙草を未成年が持っている時点でアウトだ。未成年は買うことも許されていない。
しかし、なんか違和感が……。煙草を挟む指がおかしい。俺が見たことあるのは、人差し指と中指の間に挟む手法だ。愛花は中指と薬指の間に煙草を挟んでいる。
なぜだ。なぜなんだ。何かの裏技なのか?
俺の疑問はおかまいなしに路側帯から腰を上げてう〇こ座りする愛花。
「いけませーん!」
気が付いたら愛花の傍に駆け付け、煙草を取り上げていた。俺の本能がはしたない姿の愛花をこれ以上見ていられないと判断したのだろう。
ただでさえ大きい瞳を更に見開き、驚いた表情で俺を見上げる愛花。
「ハルキ……? なんで?」
……とてもじゃないけど、待ち伏せして家から尾行していたなんて言えない。だけど、言い訳が見つからない。俺は本番に弱い。
「……昨日のお前の様子が変だったから心配で……」
なんとか言葉を絞り出す。何かで読んだことがある。相手に対して、後ろめたさを感じる行動をしてしまったとき、『心配で……』と一言付け加えるだけで、相手への警戒心を極限まで下げることができるのだと。
「心配で尾けてたの?」
愛花の表情がいつも通りすぎて、警戒されたのかも読み取れない。だがしかし、もう言い逃れはできない。それだけが現状での真実なのだ。そして、心配していたのも100%の真実だ。
「ああ、そうだよ! そしたら、こんなとこにしゃがみこんで煙草を吸いだして。補導でもされたらどうするんだよ!」
「補導……? 考えてなかった……」
開き直るしかなかった俺の言葉が、愛花の心に響いたようだ。俺は愛花の隣にしゃがみ込む。
「なんで、こんなところで煙草を吸おうと思ったんだ?」
「火はつけてない……。だから問題ない……」
「ぱっと見煙草を吸っているようにしか見えないし、未成年は煙草を買うこともできないの! 問題しかないよ!」
「だって……不良と出会わないとって思った」
不良はこんな早起きはしないと思うが……。
愛花単独での外出許容時間帯は一般的なそれとはだいぶ違う。朝の4時から5時過ぎまでと極端に短い。
人と出会うために外に出ないといけないことは分かっていても、外に出るのには抵抗があり、決まった時間にしか外に出られない。そんなジレンマの中で弾き出した答えが、早朝の犬の散歩のついでにコンビニの前で煙草を吸うことだったんだろう。
俺は愛花の頭を撫でた。
「一生懸命考えたんだな」
「うん。一生懸命考えた……」
「でも補導されるといけないから、これからは煙草はやめておこうな」
「わかった」
よし。今度は返事が返ってきた。俺はポンポンと愛花の頭に優しく触れた。
「じゃあ帰るか」
「うん」
犬のリードを持った俺は、愛花と並んで家へと向かう。早朝の流れが止まったような時間。隣にはかわいい愛花。まるでこの世に俺と愛花しかいないみたいだ。
何だこれ。新婚かよ。
ニマニマと頬が緩む。
静かな空気の中、愛花が口を開く。
「煙草チョコなら……」
まだ野望は諦めていないらしい。
煙草チョコを咥えたコンビニ前で、う〇こ座りした女に不良はたぶん声をかけない。異質すぎる。怖い。そして俺もたぶん愛花じゃなければ声をかけない。
「煙草から離れよう」
俺は笑顔に威圧感をトッピングして微笑んだ。愛花は肩を落として頷いた。
「わかった……」
本当なら不良は悪いことするから不良なのだと。言葉も乱暴で怖いから、自ら近づく一般人は少ないのだと、説明したかったが、頑固に「私には優しい不良」を信じる愛花に今伝えるのは理解を得られないと思い諦めた。
その時が来たら、教えてやろう。それまでも大丈夫だろう。
愛花の傍にはいつだって俺がいるんだから。