⑲ 彼氏がいた。かもしれない。
「俺はキモくない。キモくない。キモくない。絶対にキモくない。絶対に、絶対に、絶対に、だ!」
俺のルーティンにダメ押しが加わったのは隆のキモい発言が原因だ。何度も言われるとグッとくるものがある。正直辛めだ。ベチコンと両頬を力に任せて叩きつけ、『いつも通り』愛花の部屋の扉をノックする。反応がない。しばらくこういうことがなかったのでハラハラする。ノックして反応がなくてハラハラするのを三回繰り返した。結局反応はない。久しぶりの妙な事の最中だろうか。
「愛花? 入るぞー」
そう声をかけながらガチャリと扉を開ける。窓の前に置いた椅子の上に三角座りをする愛花の後ろ姿が目に入る。頭は空を仰ぐように上向きに傾けられ、ぼーっと外を眺めているように見えた。
「愛花?」
くるりと振り返ると俺に視線を止めた。Tシャツにカーディガンにジーパン、五本指ソックスを身にまとっている。少なくとも、カラスのマネごとはしていないし、お祈りもしていない。目に映る範囲ではおかしな光景はない。ホッと一つ息を吐く。
というか……。五本指ソックスってかわいいと思う。愛花のちっこい足指が五つ、ポコポコと控えめな主張をしているのだ。思わずスマホのシャッターボタンを押したくなる。
記念写真以外で愛花を写真におさめることが許されるのなら、パーツごと、顔だけ、上半身だけ、全体写真を色々な角度から撮りたい。あの浴衣姿の愛花を保存できなかったのは一生の不覚でしかない。あれは、花火をバックに一緒に撮ろうと言えば、違和感なく写真を撮れたシチュエーションだった。静かに心の中で下心を暴走させてしまったせいで、勝手に後ろめたくなったのが敗因だと思う。
「せっかく五本指だし、記念に写真撮っておく?」と言っても構わないだろうか。「せっかく」は魔法の言葉だ。「せっかく一緒にいるんだから、写真撮らない?」と「一緒にいるんだから、写真撮らない?」では響きが違う。「せっかく」と一言文頭につけるだけで、ありきたりな日常が特別感を帯びた感じになる。所謂言葉の錯覚だ。言ってみようか、どうしようか。
頭の中で愛花と自分を入れ替えてみた。「せっかく五本指だし、記念に写真撮っておく?」と愛花に聞かれる俺は満面の笑みで「じゃあ、愛花の足も一緒に撮ろう」と言っていた。胸がホクホクする。
……いや、ダメだ。愛花を俺に置き換えてもなんの参考にもならない。どうしよう……。自問自答の末、愛花を隆に置き換えてみた。「せっかく五本指だし、記念に写真撮っておく?」脳内の俺が間髪入れず言葉を挟む。なんなら最後まで言わせない。
「なんでだよ! キモっ!」
……やめておこう。せめて五本指ソックスの愛花を脳裏に焼き付けよう。すでに釘付けだけど。
「ハルキ……?」
愛花の声に脳内会議を終わらせ、シュンっと幼馴染ハルキを起動させる。
「ぼーっとしてどうしたの?」
「ハルキもボーッとしてた」
「そうかな。ははっ」
慌てて取り繕うように笑ってごまかす。最近思うのだが、すでに、けっこう愛花に色々バレている気がする。ルーティンもバレてたし。たまに探るような目で見つめられると、見透かされているみたいで怖いのだ。自信をなくしていたし、そもそもそんなもん持てるほどの度量もなかったわけだが、一つだけ自信があること。俺の頭の中を覗かれるようなことがあれば、愛花は俺と距離をとるだろう。部屋の扉に鍵をかけられたりしたらいたたまれない。辛すぎる。
「外、なんかあった?」
「なにも」
「じゃあ、なんで外見てたの? 椅子も移動させて」
「お父さんが『ぼーっとする時間も大事なんだよ』って言って、ボーッとしてたから。アイカもボーッとしてみた」
おじちゃんは人の好さが外見から溢れ出ていて、いつも目尻を下げて困ったように笑っているイメージだ。
「おじちゃん、そんな風に言ってたんだ。ぼーっとしてみてどうだった?」
「ふと思った」
「何を?」
「アイカ、彼氏がいるんじゃないかって」
……
あまりの衝撃に思考停止してしまった。
って、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! いつのまに? え? え? え? じゃあ俺もうここ来たらいけないんじゃ……? ドクドクと脈打つ心の臓を感じる。愛花と俺の縁が切れてしまうのではないかと気が気じゃない。
聞きたい、聞きたくない、でも聞きたい。でも……。気持ちの整理がつかまいまま、脊髄反射で口から言葉が飛び出した。
「彼氏できたの?」
「分かんない」
「分かんないってどういうこと?」
「気付かなかっただけで、ずっと彼氏がいたんじゃないかなって」
「気付かなかっただけで……?」
どういうことだ? 彼氏がいるのに気づかないってことが世の中の常識としてあり得るのか? 相手が勝手に彼氏ぶってるだけで、愛花的には付き合ってなかった、みたいな? え? 魔性? 愛花は魔性なのか?
畜生。彼女いない歴=年齢の俺には分からねぇ。
愛花の一日についてフル回転で頭を回して、男の影を探る。
4時起床。
4時25分頃、俺とナイトの散歩。
5時、一旦帰宅のち早めの朝食。俺と図書館の往復。
6時帰宅。
8時半から15時までオンライン授業。
16時頃、俺、愛花の部屋に出現のち居座り。19時頃、俺、帰宅。
ん? 無意識に俺の頭が傾く。
ちょっと愛花の一日、休日編を……。
4時起床。
4時25分頃、俺とナイトの散歩。
5時、愛花、俺、それぞれの家に帰宅。
午前中、俺と勉強。あるいは亜紀ちゃんと遊ぶ
昼、愛花の作ってくれた昼食を愛花の部屋で一緒に食べる
午後、俺と遊ぶ、あるいは各々好きなことをする。愛花の部屋で。あるいは亜紀ちゃんと遊ぶ。
夕飯前に俺帰宅。亜紀ちゃんと午後まで遊んだ日は愛花の部屋で夕食を食べる。
ん?
俺か亜紀ちゃんしかいなくね? そんで男俺しかいなくね? 俺、彼氏になってた? 気付かなかったけど彼氏になってた? そうか。愛花は俺たちのことを言っていたのか。じゃあ、五本指写メっていいんじゃね?
いや、俺は一度フラレている。早合点は危険だ。「俺、愛花の彼氏なの?」なんて聞いてしまったら、本格的にキモがられてしまうかもしれない。
スッと一つの可能性が頭をよぎる。もしかしたら学校に彼氏がいるのかもしれない。俺が気付かなかっただけで、メールのやりとりをして親交を深めている誰かがいるのかもしれない。
思考の深みにはまって固まっていた俺の目の前に、ヒラヒラと振った手が映る。
「ハルキ? どうしたの……?」
「いや、なんでもない。……愛花、彼氏いるかもしれないって話だけどさ」
「うん」
「この人かな? って思い当たる人はいるの?」
首を傾げて視線を彷徨わせたあと、何も言わず椅子に戻って三角座りをした。愛花の隣に行って、愛花の視線の先を辿る。網戸越しに見えるのは電線と夕日でオレンジ色に染まる空だけだ。
横に向き愛花の顔を覗き込む。ギュッと膝を抱え、遠くを見つめている。一度俺に視線を向けたが、すぐにまたオレンジがかった空に愛花の視線は吸い込まれていった。やっぱり何も言わない。
「愛花……?」
いるのか、いないのか。どっちなんだ?
「ハルキ……。女の秘密は追及しちゃダメ」
「……そうか」
モヤモヤする。すごくモヤモヤする。こんな宙ぶらりんなのは嫌だ。それに、すごく嫌だけど、彼氏がいるなら、俺がこう毎日愛花と部屋で二人きりというのはマズくないか?
俺は愛花の傍にいたいけど愛花を不幸にしたいわけじゃない。愛花を幸せにしたいという気持ちから、陰ながら愛花の幸せを見守るという気持ちにシフトしなければいけない。
「女の秘密だから追及しちゃいけないことは分かったけど、彼氏いるんなら俺こんな毎日来ちゃダメだと思う。誤解されたらよくないし……」
「えっ?」
衝撃をうけたように目を見開いて、俺を見た。俺のシャツの裾を愛花がギュッと握っている。俺を見上げては視線を落として、じっと考え込み、また視線を上げては落とす。数回繰り返したあと、眉を寄せて言いにくそうに口を開いた。
「……思い当たる人はいない」
ん? どういうことだ?
「ん?」
「……こんなにコードK頑張ってるのにできないのはおかしいと思って」
「思って?」
「頑張れば報われる世の中だと、アイカは信じてる」
「何を?」
「この日本を」
……スケールでかくね?
コードKを頑張っているが結果がでない。でも日本を信じているから彼氏ができていないはずがない。そう思ったときに、気付いていないだけで自分には彼氏がいるのではないかと察したと愛花は言う。
だけど、俺に思い当たる人がいるのかと聞かれて、誰も思い至らないことに気付く。ということは、自分に彼氏はいない。もうイヤになって思考を停止することにした結果、ただ空を見つめるという行動に出たらしい。
女の秘密だから追及するなと言ったのは、彼氏がいると思い込むことで、少なくとも自分の中では彼氏がいる状態になると判断したからだと。
彼氏かと思い至る男がいなかったことに安堵する。さすがにエア彼を作り出されるとついて行ける自信がない。と同時に、自分が愛花の彼氏かも候補に挙がらなかったことが、ちょっとした俺の傷になった。
「愛花、亜紀ちゃんが一緒に図書館行かないかって話聞いてる?」
亜紀ちゃんネタに愛花が顔をほころばせる。
「うん。亜紀とハルキと隆くんで行くことになった」
知らない間に当たり前にエントリーされていたことに自尊心がくすぐられる。愛花の当たり前の中に俺はいるってことだから。
次話は「⑳ 図書館に行く」です。




