⑱ ちょっと浮上
『昨日来なかった。風邪?』愛花のメールに『うん。うつすといけないから』と返してふぅーとため息をつく。そんな俺の頬に温かくて硬いものがトンとあたった。見上げると隆が俺を見てニカッと笑っている。
「奢らされたってうるさいから」
ははっ、と力なく笑う俺に心配そうに眉をひそめて顔を覗き込んでくる。
「どうした?」
「どうしたって?」
「……この前から元気ないから」
「そうかな?」
唇の端を顔の筋肉だけで持ち上げる。
「変な顔」
「ははっ」
人間人と関わるのに、気合いがいる時ってあると思う。今の俺がそうだ。群れる気力はないし、他人の声が耳に入るのもウザい。耳障り、目障りでしかない。正直そっとしといてほしい。空気を読んでほしい。
沈んで地に落ちてしまった俺の気分はとてもじゃないけど人前に出せるようなもんじゃない。ちょっとしたことでイライラしてしまうかもしれないし、泣いてしまうかもしれない。後悔とか自責の念とか、なんとも言えない感情がピンと張っていて、少しつつかれたら気持ちが爆発してしまいそうなんだ。本当に関わらないでほしい。
そんな俺の気持ちはおかまいなしに、隆はわざとらしく何もない足元で空き缶でも蹴るそぶりをして、かまってほしそうにチラチラ俺を見る。
「今日オレ暇なんだよなー」
そんなキャラじゃないのは十分に分かっている。心配してくれているのも、元気を出させようとしてくれているのも分かるが、放っておいてはくれないだろうか。
「俺、今日用事あるから」
放っておいてほしい俺は、空気をあえて読んでいないだろう隆に合わせて、空気を読まないことにした。ばっさりと断るに限る。
それなのに、逃がさないように肩を組まれてグイグイと引っ張られるようにして、バッティングセンターに到着してしまっていた。
「奢ってやるよ」
勝手にコインを入れられた俺は渋々打席に入る。一球目空振り、二球目空振りと続く。
「球をよく見ろ」
「なにやってんだ! やる気あんのかコラ!」
「誰の金だと思ってんだ!」
俺の背後から隆の野次が飛ぶ。
球がバットに当たらないことにイライラしてくる。隆の野次にもイライラしてくる。「スカッ」とバットが空気を切る音を聞くごとにイライラが募ってきて、絶対打ってやる! という気持ちで硬球に集中するが、やっぱり虚しく空を切るだけだった。
バカみたいだ。俺は隆と違って野球部じゃねぇんだよ。そんなに野球がしたきゃ部活サボってんじゃねぇよ。と腹ん中で文句をたれる。結局全ての球を見事空振り10振した俺は、憤怒した表情で打席を出る。
「どうだ! スッキリしたか?」
「……スッキリしたと思うか?」
空振り10振で爽快感を味わえるわけがない。おちょくってくる隆に苛立ちながらも、ヘラヘラと笑う隆のアホ面に毒気が抜かれて行く。
「まぁまぁ。さっき俺奢ってやったから今度はお前な」
「俺コーラな!」と自販機に向かう俺の背中が隆の言葉をキャッチする。絶対熱いのにしてやると心に決めた俺はホットと表示のあるコーンポタージュのボタンを勢いよく押す。俺用にはコーラだ。交換を要求されないように隆が待つベンチに着く前にコーラの入ったペットボトルに口をつけ、「ほらよ」と乱暴にコーンポタージュの缶を投げつけた。
「あちっ。あーあ。やると思ったよ」
苦い顔をしてコーンポタージュを見る隆に内心ほくそ笑む。
「まぁ、いーけど。とりあえず座れ」
二ヒヒッと、してやったりの顔で隆に見せつけるようにコーラを飲む俺に、隆は隣に座るよう促した。俺は訝しく思いながらも隣に座る。
「で? どうした? お兄さんに話してみな?」
「どうもしないし、話すこともねぇよ」
「……知ったかなこと言うのは好きじゃねぇんだけど、たぶんオレ気付いてるよ?」
だろうな。亜紀ちゃんが愛花の訓練うまく行かなかったの知ってるんだから。こういう時、四人の距離が近いってのは面倒だと思う。全部ツーツーだ。
隆の言葉に返事はしない。話すことで心の中の強固にしたものが溶けてしまいそうな気がするからだ。
「おっ。話す気ないな? こんなにお膳立てしたのに。俺の優しさをお前は……。くぅー」
わざとらしく腕を目にあてて嘘泣きをする隆を横目に、素知らぬ顔でコーラを飲むことに集中する。
「だがオレは言おう。お前が何も言わなくても、だ。」
嘘泣きで同情を引く作戦を諦めた隆がキッと俺を睨む。思わず身構えてしまう。何を言おうというのだろうか。
「あのな、お前が罪悪感を感じることは何もない。愛花ちゃんのお母さんは訓練の報告させてんだろ? 実行するのはお前でも、判断した自分の責任ってことじゃないのか?」
「……ちょっと待て。おばちゃんに報告してるなんて言ってないぞ」
「亜紀の話とお前に図書館の話聞いたときの反応でなんとなく分かるだろ」
いや、勘が良すぎだろ。怖いわ。俺の重たい口が更に重たくなる。下手になんでも言えない。何を察せられるか分かったもんじゃない。
「……なんていうか……心配してくれてるのはありがとう。まだちょっと……」
言い淀む俺の顔を覗き込む隆と目が合う。何か話そうと口を開くが、諦めたように目を逸らして前に向き直り、遠くを見つめた。俺たちの間の空気が重くなる。
カーンとバットがボールに当たる音がして一瞬あとにバァンと金属にボールを叩きつけたような音が響いた。誰とも知らない同年代くらいの男子の歓声が聞こえ、誰かがホームランを打ったんだなと気付く。
ベンチに横並びに座ったまま、遠くを見つめる。目の前に広がるいくつもの打席、グラウンド、ネット。そのまた奥の奥へ視線を固定する。つまりは何も見ていない。
チラリと隆を盗み見すると、コーンポタージュの缶を持ったまま首を垂れている。そして、そのまま沈黙を破った。
「お前が落ち込んでるのは分かる。だけど、やっぱり理解はできていないと思う。俺はお前じゃないし、愛花ちゃんみたいな幼馴染がいるわけでもないから……。お前の気持ちも愛花ちゃんの気持ちもちゃんとは分かんねぇけど、今も愛花ちゃんが変わらずお前と訓練しているのが全てなんじゃないか……?」
隆の優しい気遣いがピンと張った感情の糸を刺激して、目の奥が熱くなる。力いっぱい奥歯を噛み締めて耐えた。うまく立ち回れないもどかしさとか、支えてやれない不甲斐なさとか、いつも通り愛花の部屋に寄れない意気地のなさとか、安心して外に連れ出してやれない悔しさとか。駅での愛花の真っ青な顔と一緒に、自己嫌悪が次々と脳裏によみがえる。
「……もう自信がないんだ」
努めて軽快な口調で言ってみる。涙こそ流れないように根性で食い止めたが、確実に俺の目には涙が溜まって潤んでいるだろう。それを悟られないよう眉を下げて、目は閉じたまま、口角を上げて首を傾げてみる。
これは母さんからの受け売りだ。辛くて悲しくて泣きそうでも、笑って対応しないといけない時が人生には何度もある。そういうときはこうするんだよ。と昔教えてくれたのだ。職場で泣きそうなくらいの仕打ちにあったとき、よほどの馬鹿じゃない限り、周りの人もその空気を察しているから、「これ以上何もいってくれるな」という牽制にもなるし、こういう表情になっている人に、それ以上つっこんだことを言ってくる人はそうはいないと言っていたのだ。
「自信って、どんな自信?」
いたよ! それ以上つっこんだことを言ってくる人、めっちゃ近くにいたよ。隣にいたよ。俺を泣かせたいのか。サディスティックな奴だ。
なんかもう隆から逃げられる気がしなくなった俺は、花粉症を装ってみることにした。秋だけど。花粉症じゃないからよく分からないけど、一年中なにかしらの花粉が飛んでいるとワイドショーで見たことがある。俺はこのバッティングセンターを囲むようにして生えている名もない木の花粉を浴びて、つい今しがた花粉症になったのだ。学校を出るときは花粉容量ギリギリだったのだ。
「ハックシュン」
くしゃみをして鼻を啜って人差し指で鼻の下を擦る。隆から見えないように俯いて、目をギュッと力いっぱい閉じてまた開ける。これで目に溜まった涙は瞼の圧力により眼球の奥へと引っ込んでいったはずだ。万が一、ウルルン瞳になっていたとしても花粉症だから仕方がない。
俺には自覚がある。愛花のこととなると女々しくて弱々しくなってしまう自覚が。だが、いくら友達とはいえ、DKとして人前で涙を見せることはできない。男の沽券に関わる問題だ。
「花粉が……」
さりげなく花粉と言ったことで、花粉症認定ミッションはコンプリートした。
よし、と心の中で拳を握っていると目を丸くした隆と目が合った。「はぁ? 何言ってんの?」と顔に書いてあるような気がしたが、気のせいだろう。
「いや、……自信ていうのは、愛花を支える自信というか」
「はぁ? そんな自信あったの?」
ひどい言い草だ。お前にそんな自信もてるわけないだろ、とでも言いたげだ。だけど確実に琴線に触れた。そうだ。自信なんてあったもなかったもない。考えたこともない。ただウキウキで愛花と一緒にいただけだ。
「そう言えば、考えたことすらなかった」
「だろ? 俺だってないよ。そんな自信。一緒にいたいから一緒にいるだけ。それだけじゃダメなん?」
隆との会話に、暴露療法のためにおばちゃんと話していたことを思い出した。おばちゃんも訓練相手が誰であっても不安だと言っていた。みんな自信なんてないんだ。愛花を育てた親でさえ自信なげにホロホロと涙し苦しんでいるのに、俺みたいなガキんちょが自信を持てるはずがない。持てたとしたら、それは思い上がりだ。
「そうだな……。最初思いのほかうまく行って、思いあがってたみたいだ」
「そうだよ! 思い上がりだよ」
組んだ手に頭をのせて、ふーっと一息ついた。かと思うと、ジトーっと俺の頭のてっぺんからつま先まで視線を移す。
「だいたいさー。お前いったい何様のつもりなんだ? お前の立ち位置は幼馴染だろうが。彼氏でもないのに、なにを背負おうとしてんの? 俺は亜紀の彼氏様だけど、お前みたいな背負い方はできないし、絶対亜紀も望まない。自信を持って上から引き揚げてやれたらそれで満足なのか? たとえお前が満足だとしても愛花ちゃんは満足なのか? 俺だったら、そんな上から目線な関係感じ悪ぃわ」
……けちょんけちょんだ。俺、いま、けちょんけちょんに口撃されている。
愛花に対して上から目線で感じ悪いと言いながらも、半眼で見下すように俺を見下ろしている隆は感じ悪くないのだろうか。俺のガラスのハートにピキピキとヒビが入っていく。隆の発する一言一句が吹き矢のようにあらゆる角度からガラスのハートを仕留めて行く。
それなのに、隆は暗い沈黙から這い出ることができたことへの喜びをぶつけるようにマシンガントークをやめない。
もうやめてくれ。そのマシンガンは毒入りだ。狙いは確実で、打たれた銃弾は抜けない。手術不可だ。偽花粉症による涙はとっくに引っ込んだ。耳をふさぎながら首を垂れる。聞きたくない。もうボロボロだ。おかしい。さっきまでは心配してくれていたはずなのに。
「いいか、春樹。よく聞け」
……聞きたくない。
耳をふさいだまま前傾姿勢で、ブンブンと頭を振る俺の片手を取り上げて、意気揚々と声高らかに喋り続ける隆は悪魔だ。こいつは前世も現世も来世も絶対悪魔だ。嫌でも塞がれてない方の耳から隆の声が入って来る。
「他人と自分の間には関係性ってもんが必ずある。今は異性間に限っての話だ。その距離感ごとに関係性に名前をつけるとしよう。俺的には男女の友情もあると思ってるからそれを前提としてだけど、他人、知人、友人、親友、彼氏、夫婦と親密度があがっていく。さて、お前にとっての愛花ちゃんの立ち位置はどこだ?」
「どこだ?」
耳に顔を近づけて、凄みのある声で繰り返し問うてきた。
これ以上、俺を追い詰めないでくれ。この場から逃げられない恐怖と対峙しながら考えを巡らせる。
「親友? 以上、彼氏未満……?」
ハンッと鼻で笑って蔑む顔で俺を見下ろして口を開く。凶悪な面構えだ。悪人面でしかない。
「彼氏まではお前ほどの責任を負う必要はない。持論だけど」
持論かよ……。
「人によるけど」
人によるのかよ……。偉そうに言いながら確信も自信もないのかよ。
「とにかく、お前が感じているほどの責任感を親友以上彼氏未満の立ち位置で抱えるなんて、重荷だろ。俺だったら重いし、がんじがらめにされている気分になって息苦しくなる」
コホンと咳ばらいをしてまだしゃべり続ける。
「さっき俺らの間に重たい沈黙が流れたわけだが、なぜか分かるか?」
「……」
「お前が重苦しかったからだ!」
ビシッと人差し指で俺を指して隆が言い切る。
そういうのは口に出さないでひっそりと飲み込んで、時間が解決してくれるのを待つものなんじゃないか。
「お前が重苦しいと俺の口も重くなる。お前が沈んでいると俺も明るく陽気に過ごしていられない。そういうことだ!」
キリっとした表情で人差し指を突き付けたまま、気が済むまで喋ったみたいだけど……。「きまった!」と顔にかいてあるけれど……。
「さっきまでの気まずい時間は俺のせいってことか?」
「そうじゃない! いや! そうだけど! ポイントはそこじゃなくて、人は自分を映す鏡ってことだ。お前が気楽でいれない以上、愛花ちゃんもお前と気楽にいれないと思うし、自分がお前の負担になっているんじゃないかって気に病んでいるかもしれないだろ。そういうことだ!」
ハッとした。確かに行き過ぎた気づかいは負担になる。さっき無理やりバッティングセンターに引っ張ってこられたときは隆を負担だと思った。
「確かにさっきまでの隆は負担だった。放っておいてほしいのにグイグイ引っ張るし、無理やりバット振らせられるし、野次飛ばされるし、毒舌浴びるし」
「だろ?」
そう言って爽やかないい笑顔を向けた。
「だろ?」じゃねぇよ。俺を傷つけた反省をしてくれよ。
いろんな感情がまざって「うわぁーーーーー」と叫びたくなる衝動を抑えて、頭をガシガシと掻く。
「……昨日、愛花の家に行けなかったんだ。お前の話聞いてなんとなく、俺が愛花の負担になっているかもしれないと思ったけど、だからと言ってこういう風に接してきた期間が長すぎてすぐには切り替えられないと思う。だけど、俺は、俺と愛花の『いつも通り』を壊さないように頑張ろうと思う」
「おう。それでいいんじゃね? お互いに負担にならない程度に、対等でいられる関係性。変に気負って居心地悪くなったら、一緒にいられなくなることもあるかもしれないし」
「たしかに……」
俺は何があっても愛花の傍にいるけど、嫌々俺と一緒の時間を過ごす愛花を想像しただけで苦しくて吐きそうになる。そして確実に俺のメンタルではそんな愛花と一緒にはいられない。
会話の終わりを見計らったかのようにメールの着信が鳴った。おばちゃんから図書館への許可がでた。
「おばちゃんから。『愛花も行きたいって言ってるし、ぜひ誘ってあげてください』だって」
「そっか。亜紀に伝えとくわ」
隆と並んで土手沿いを歩きながら考える。なんだかんだで心持ち助かったな。自分の中で勝手に愛花像を作って四苦八苦していたのかもしれないと気付かされたのだ。
「隆、なんだかんだでサンキュー」
「おぅ。俺は彼氏様だからな」
「……おう」
なんか釈然としない。彼氏様が引っかかる。上から目線じゃね?
「お前、さっきまで対等対等って言ってたくせに、お前こそが上から目線じゃね?」
「上から目線じゃなくて、上だから。俺は彼氏様だからな。お前はただの幼馴染だけど。それと、さっきは流したけど、親友以上彼氏未満じゃねぇから。なんで愛花ちゃんの意思も確認せずに彼氏に片足つっこんでる気になってんだよ。そこマジキモいから」
「……」
さっきまでの感謝の念は消え失せて、代わりに気が遠くなった。救い上げて浮上させたくせに、なんで自分の手でまた沈めようとするのか。「キモい」は地味に傷付くからホントやめてほしい。
「それと、クシャミ1回してちょっと鼻啜っただけで花粉症って何アレ? 馬鹿かと思った」
「……はい」
なんだろ。バッティングセンターに行く前より心が重い。こいつは一体何がしたいのか。
そんなことは考えるだけ無駄だから、もういい。
隆と別れて腕時計を見る。時計の針は6時をさしている。ちょっとだけ顔出せるかな?
俺は愛花の家へと勢いよく地面を蹴った。
次話は「19 彼氏がいた。かもしれない。」です。




