⑰ 嫌になった
学校の帰り道、まだ浮上できていない俺はとぼとぼと足元を見つめながら歩いていた。あれからも俺は変わらず愛花の家に通っている。
おばちゃんは「本当なら私たち親がしないといけないことなのに、巻き込んでるのはこっちのほうなの。気にしないで。愛花も『ラッシュは無理』って言ってたし。頼んだのは私たちなんだから。気にさせてごめんなさい。それに結果的には愛花の暴走を事前に食い止められたんだから」と言ってくれた。愛花からも「人ごみは無理なのかも」と聞いた。あの件についての愛花からの言葉はそれだけで、変わらず亜紀ちゃんの話を楽しそうにしてくれている。
そして、これまた変わらず愛花の希望で訓練を続けている。俺も愛花も学校があるから平日は7時までには帰宅する感じで、休日は時間を少しずつ後ろにスライドさせていっている。
「なぁ、亜紀に相談されたんだけど」
隆の言葉で、隆が一緒に帰っていたことに気付く。
「いたのか……」
「えぇぇぇぇ? オレずっといたよ? え? 何? じゃあここまでオレずっと独り言だったの? だせぇー」
ふざけたように隆が頭を抱えて見せる。
「あぁ……。はいはい」
腑抜けた表情でしらーっと隆を見る。
「いやさ、だから亜紀から相談されたの!」
俺は隆の顔の前に手のひらをかざす。
「ごめん。今そういう惚気聞けない」
「はぁー? 惚気じゃないっての!」
「じゃあ、なんなの?」
「だから、亜紀が『愛花平日の訓練はダメだったって落ち込んでたんだけど、じゃあ、休日に図書館誘うって言うのはどうかな? せっかく練習してくれたんだし。でも、それで何かあってまた落ち込むようなことになったら悪いしなー』って相談されたの!」
俺はジト目で隆を見る。ずっと感じていたことだ。亜紀ちゃんに対しては感謝も尊敬も感じていたけど疑惑もあった。自分の不甲斐なさに憤っているせいもあってイライラする。
「あのさ、俺聞きたかったんだけど、亜紀ちゃんて何? 裏があるんじゃないかと思うくらい良い子なんだけど」
「裏? ないと思うけど、アイツ基本バカだから」
「俺は愛花が大事だからこんなこと聞きたくないし、口に出すのも嫌なんだけど……」
「なんだよ……?」
おちゃらけていた隆が真顔になる。
「……戸惑う人もいるんじゃないかって。俺だって愛花じゃなかったら……。愛花だから……」
「何が」
隆が怪訝な顔つきになる。
「だって、自分と図書館まで行くために練習してんだぜ? 正直……愛花が練習してること亜紀ちゃんに話してるとは思わなかった……」
隆が唸りながら、人差し指を顎にあてて眉を下げ、言いにくそうに首を傾げた。
「んー正直……びっくりした……」
「俺だって愛花以外だったらそうなるよ。俺の真心と献身さは愛花限定だからな。愛花が健気に頑張ってるの見てるから、俺にできることならなんだってしてやりたいって思ってるよ。なのになんなの亜紀ちゃんは! 逆に引く!」
「いやいや、それを引くのは失礼すぎね? ま、お前の言うことも分かるよ。良い子過ぎて嘘っぽいと思うんだろ? 俺だって最初はそう思ってたからな」
「そうなのか……?」
「おぅ。誰だって理解できないくらいの”良い子ちゃん”には違和感もつだろ。俺だってそうだよ」
「でも、違ったのか?」
ふふ。と笑いながら頷く。
「俺最初、気持ち悪くてさ。こんな良い子いるわけないって思って。中学んとき言ったんだよ。『気持ち悪い』って。ははっ。そしたらさ、『何が気持ち悪いの?』ってすっげキレられて。俺もちょっと、まぁ……まだ若かったから『良い子ぶってんじゃねぇよ』って怒鳴って」
夫婦漫才のような会話しか記憶にない俺の知らない二人の過去に言葉を失う。それがどうしたらあんなに仲の良い二人に……?
「そしたら、あいつ『いい子ぶってねぇよ!』って。しばらくめっちゃ険悪。なんか無視されるし、かと思ったらガン飛ばされるし。結局、良い子のアイツを気持ち悪いって思いながら、コイツなら何言っても許されるみたいな変な甘えがあっただけなんだなって分かって。謝ろうと思ったんだけど、近づこうにも距離とられるし、無視されるし、謝らせてももらえねぇの」
「それがなんで付き合うことに?」
「それは言えねー。つか、言いたくない。とにかく! ”良い子ちゃん”じゃなかったの。敵認定されたら怖いやつなの。ははっ」
「誰に対しても良い子じゃないってことか?」
「そう。だから、言葉おかしいかもしれないけど、愛花ちゃんは味方認定された。それだけのことだよ。野生だよ。ただの野生の女。好きな人にはとことん好意的に、嫌いな人はとことん邪険に。って感じ」
「嫌いな人はとことん邪険にって……でもお前亜紀ちゃんから人の悪口聞いたことないって……」
「ないよ? すべては本人に向かって言葉もしくは態度に出すから」
「……ある意味、いちばん怖いかも」
「だろ? そういう一面もちゃんとあるから安心しろ。裏はない。すべてが表。それがアイツの生きる道」
「そう……なのか……?」
「だから、信じて大丈夫。間違いなくアイツは愛花ちゃんに夢中だから。なんかもう夢中すぎて『私のために努力してくれてるのかわいすぎるー』って言ってたぞ?」
「そう……なのか……?」
「そうだよ。嘘ついてどうすんだよ。たださ……お前も愛花ちゃんも何も言わないけど、家から出られない事情ってのはなんかあるんだろうなとは俺らも思ってて、それが何かって言うのは聞くつもりはないけど、こういうのはやっぱり戸惑うんだよ。誘っていいのかなって」
「誘う?」
「だぁぁ! 亜紀が『休みの日に愛花ちゃんを誘ってもいいのかな?』って相談してきたって、さっき言っただろ!」
あぁ。そうだった。そんな話だった。亜紀ちゃんの二面性と二人のなれそめが気になってすっこ抜けていた……。
「あぁ。おばちゃんに相談してから愛花の意見も聞いてみるよ」
「頼むな」
隆と別れて、愛花の家までの道中におばちゃんにメールを入れて一つ溜息をつく。
俺はどうしようもないただのガキだ。テレビのヒーローみたいにパパッと問題を解決することもできないし、なんの責任もとれない。前に隆に「愛花を守るって決めてるんだ」って言った。その言葉に嘘はないけど、本当は自分が人ひとりを守ることができるほどの器があるような人間じゃないってことも知っている。隆に向けて亜紀ちゃん絡みにからんでしまったし。
愛花が目の前で倒れてもただベンチに座らせて、おばちゃんが迎えに来るのを待つことしかできない。そもそも、人ごみはだめかもしれない可能性を感じていながら試す必要があったのか。愛花が突発的に一人で出かけてしまうかもしれない。その可能性を言い訳にしただけで、俺はただ愛花とどこにでも、どこまででも一緒に行きたいという自分のエゴを優先しただけなのではないか。愛花の気持ちを優先するフリをして。
愛花もおばちゃんもいつも通り接してくれているけど、暗闇に突き落としてしまったのかもしれない。そんな俺を恨んでいるのかもしれない。愛花のスピードに合わせて、なんて思いながらも一方で愛花の手を引っ張ってぐいぐいと前に進ませている俺がいる。あの時みたいに……。かもしれないかもしれないって、こんな風にぐるぐる考えてしまう自分も女々しくていやだ。
――俺はその日初めて理由もなく無断で愛花の家を素通りして、自分の家へと帰った。
次話は「⑱ ちょっと浮上」です。




