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⑮ 愛花の決意

 初めて亜紀ちゃんが愛花の家に来たのが三か月前のこと。あれから亜紀ちゃんはちょくちょく愛花の家に訪れていた。亜紀ちゃんが遊びに来るときは俺はもちろん遊んでもらえない。それはやっぱり少し寂しくはあったが、亜紀ちゃんが遊びに来た日は愛花の部屋で二人で夕飯を食べながら亜紀ちゃんとの話を聞くというのが俺の日課に追加された。


 亜紀ちゃんが来た日は俺を出迎えてくれる表情がもう全然違う。階段を上がる音に気付くのか、満面の笑みでドアを開けて出迎えられ「そんなに俺に会いたかったのか?」と毎回勘違いしてしまうほどだ。


 食後のデザートだと生チョコがテーブルに並ぶ。

「亜紀と作ったの……」

 恥ずかしそうに、でも嬉しそうな愛花を見ると、亜紀ちゃんが与えてくれる時間に感謝せずにはいられない。


 あれから、隆とも愛花と亜紀ちゃんの話をするようになった。俺は前から愛花の話をしていたが、隆からも愛花がらみの亜紀ちゃんの話を聞くことが多くなった。「愛花が毎日楽しそうだ」と言うと「亜紀も楽しそうだ。『いい友達ができた。今度は愛花と何しよう』って目をランランとさせてるよ」と答える。

 ちなみに、何度か遊んでいるうちにワタリガラスの手作り羽が見つかってしまったらしい。最初来た日「部屋……大丈夫かな……?」「髪……大丈夫……?」「アイカ……変じゃない……?」と何度も確認を要求されたことを考えると、それだけ気が抜ける存在になってきてるってことだ。良しとしようではないか。そのことについて亜紀ちゃんは「愛花って大人しそうにみえて楽しい子なのー」とケラケラ笑いながら隆の肩をバンバン叩いたらしい。


 愛花に見つめられながら生チョコを一口口に入れる。ムセないかドキドキしたが大丈夫だった。


「おいしい! ははっ。ムセないし。亜紀ちゃんも隆に上げてんのかな?」

「クリスマスにリベンジするって。だから……内緒」 


 俺を真っ直ぐ見据えて人差し指をそっと唇にあてる。その愛らしい仕草を見るだけでこの秘密は墓まで持っていける。


「隆に? 了解!」


 亜紀ちゃん二か月以上前から練習すんのか。隆愛されてんなぁ。羨ましすぎる。


「クリスマスパーティ……クリパ。二人でもする」


 ホクホク顔の愛花にクリパ誘われてるのかと思ってしまったが、違うようだ。亜紀ちゃんとのクリパをする報告だった。ま、俺も毎年愛花とクリパしてるけど、とメラッと心の中だけで小さな炎を燃やす。


「亜紀ちゃんと?」

「そう。フルーツ好きって……。だからフルーツタルト作る。どうかな?」

「いいんじゃない?」

「そう……思う……?」

「うん。チョコは違う日に隆と食べるみたいだから、コッテリよりはさらっとしてた方が食べやすいと思うし。それに、フルーツタルトってカラフルでキレイだよな」

「そう!」と愛花の語調が強くなる。「私も……キラキラ宝石みたいで……ウキウキする……」

「……俺の分は?」

「あるに決まってる」


 決まってんのか! 当然の顔して愛花の隣に居座り続けた長年の俺グッジョブ! 愛花にとっても当然になってくれているのかと嬉しくなって顔がニヤけた。


「やった!」


***


 図書館まで行こうと駅まで行って引き返したあの日から、少しずつ図書館を目標に外出の練習を続けていた。早朝のナイトの散歩ついでに駅まで行って帰って来る。これは何度か試したが、思いのほかあっさりとクリアした。道中、息が切れる様子も顔色が変わることもなく、淡々と二人で会話でもない会話をしながら駅に辿り着くのだ。


 休日を利用してナイトの散歩をそこそこに、家にナイトだけを連れて帰る。早めの朝食を済ませたらまた二人で家を出る。同じ時間、同じ距離の練習は愛花と相談して三回とした。駅までを三回同じ時間に行ってみる。それがクリアできたら図書館まで行ってみる。図書館まで三回行けたら時間を一時間ずつ遅くしていく。途中で引き返すことになったら、前の段階に戻って様子を見ることにした。これは精神科領域で行われている暴露療法という行動療法の一つだそうだ。


 愛花がネットで調べてやってみたいと提案してきたのだ。卑怯な言い分かもしれないが愛花の心の問題に関わることだ。俺が責任を負えることじゃない。愛花と暴露療法について話し合い三回を目途に訓練することを考えたら、二人でおばちゃんにも相談した。おばちゃんは頬を手で押さえて不安気に考え込むような仕草を見せて「お父さんにも聞いてみるわ」と一旦判断を保留にした。


 二日後、おばちゃんに「愛花には内緒で話がある」と学校近くの喫茶店に呼び出された。

 おばちゃん曰く、愛花が外に出ようと思ってくれているのは単純にすごく嬉しい。亜紀ちゃんも春樹くん繋がりで仲良くなったと聞いている。愛花の表情が明るくなっていくのを毎日感じている。だけど、毎日来てもらって、友達も見つけてもらって、その上、行動療法なんて、そこまで任せるのは気が咎める。それについてはなんとかお父さんと交代でやってみようということになったと言った。


 俺はおばちゃんの目をまっすぐと見つめて聞いた。


「気が咎めるとかそういう俺に対しての申し訳なさみたいなのは別として、おばちゃんは俺が愛花と行動を共にすることに不安がある?」


 おばちゃんは考え込むように視線を落として、そして答えた。


「不安は……あるわ。ないって言ったら嘘になる……。春樹くんも愛花も私から見たらまだまだ子供だもの」


 ……そうだよな。と俺は項垂れた。大人が子供のことを心配するのは当たり前のことだし、ましてや愛花の心の傷を刺激することになるかもしれない。そんな危険なことを子供に任せられるわけがない。


「……やっぱりそうだよな……。だから俺も実行する前におばちゃんにちゃんと相談しないとって思ったんだ」

「そうよね……。春樹くんも不安よね……。おばちゃんね、春樹くんが相手だからって限定的なことを不安がってるわけじゃないの。相手が誰でも不安なの。それは、自分が相手でもお父さんが相手でも同じ。もしかしたら専門家が相手でもきっと不安なの。春樹くんも覚えてると思うけど……。愛花があのあと外に出ようとしたときのこと……」


 愛花が玄関先で体を震わせながら泣き叫んでいたときのことを言っているのだろう。おばちゃんにとっても辛く苦しい思い出なのだ。ぶるぶると肩を震わせて両手で顔を覆っている。


「あの時のことを春樹くんにも背負わせたくないの……」


 背負った覚えなんてない。俺はただ愛花と一緒にいたいだけだ。あんな風になる愛花をもう二度とみたくないと思うことが、おばちゃんにとって『背負わせている』ことになっているのかもしれないけれど。

 それはおばちゃんが思っている感情とちょっと違う。そう伝えたいのに涙声に嗚咽が混じっていくおばちゃんの声を聴いていると言葉がうまくでてこない。なんとか絞り出せたのは何の説明にもなっていない、単純な俺のなんともツルっとした簡単なありふれた言葉だった。


「俺ただ愛花が好きなだけなんだ」


 顔を覆っていた手が離れたおばちゃんの顔はギョッとした表情で、「この空気でそれ言う?!」という言葉が聞こえてきそうだった。

 ははっ。と照れ笑いしながら頭をポリポリと掻く。


「おばちゃんに言うことじゃなかったね。ははっ。恥ずかしっ」


 おばちゃんはギョッとした表情から真顔になり俺を凝視したかと思うと目を逸らした。


「そのことなんだけど……。そうかな、とはなんとなく……いえ、割と明確に気付いてたんだけど……」

「えっ? 気付いてたの?」


 おばちゃんは呆れたようにはぁ? という表情になってため息をついた。


「高校生の遊びたい盛りの男の子が一日とあけず愛花に会いに来て、かいがいしく世話しているのを知ってるのよ?」


 どうやら、俺の「今日は何してた?」の質問に「いつも通り」としか返さなかった愛花だが、割と家族には俺の話をしていたらしい。娘を一人残して仕事しているおばちゃんたちも心配で愛花にその日あったことを聞いているみたいだった。


「ははっ。バレてたか。なんか恥ずかしいな」


 言いにくそうにおばちゃんが口を開く。


「それも……なの……。こんなに良くしてもらってるのに愛花が春樹くんの気持ちに応えられなかったら……。あの子そういうことに疎いみたいで……。好きは好きなんだと思うんだけど、恋愛っていうと……」

「知ってる」と俺はニカッと笑って見せる。

「もし、春樹くんじゃない誰かを好きになったら……」


 ……その可能性は考えてなかった。いや、考えないようにしていた。俺が愛花を好きだと気付くよりも前に、愛花の好きな人が土田だと気付いていたのだから。だけど、捨てきれない思いを抱えていることしかできない俺は、いつか……と儚い希望を持つことでなんとかここにいるのだ。今じゃないだけなんだと思い込むことで。でも……。


「それは嫌だな。でも俺ができることは好きになってもらえるように頑張ることだけだからね」

 思わず苦笑しながら続ける。


「ていうかさ、俺とっくに愛花にフラレてんだよね」

「え? そうなの? あの子はなんて罰当たりな……。こんなお世話になってるのに……」

「俺は『なんか違う』んだってさ」


 取り繕うかのように笑ってみるが、ははっと空笑いになる。愛花が好きなことを伝えてしまうと、心にしていた栓がスポンと抜けたかのようにスラスラと開けっぴろげになってしまう。隆の前では開きっぱなしだけど……。もうここまできたら、愛花を大事に思っていることを分かってもらえればいい。


「……それなのに一緒にいてくれたの?」

「うん。そうしたかったし、愛花も嫌がってはないみたいだから、そこに甘えてる。ははっ」

「そう……」

「だからさ、俺けっこう好きにしてんだよね。一緒にいたいなって思って一緒にいんの。もしかしたらおばちゃんが言うみたいに、俺じゃない誰かを好きになるかもしれないけど。……でもたぶん結局はそうでもならないと俺諦められそうにない」


 おばちゃんがぽろぽろと涙を零す。それは俺への感謝の涙なのか、すでにフラレてしまっている俺への同情の類なのか、それは分からないけれど、おそらく前者なのだと思う。だけど、感謝してほしくて好きでいるわけじゃないからね。


「なので、おばちゃんとおじちゃんがいいなら俺は全然愛花と図書館まで行く練習をしたいと思うし、なんならどっちとも都合がつかないときのピンチヒッター的な感じでもいいし。俺は愛花といれるとそれだけでご褒美なんだから。それ以外の……気が咎めるとかそういう感情は抜きにしていつでも言ってね。あ、もちろん俺が子供なのも充分分かってるから不安なら行かないし。遠慮はしないでっていう……」


 愛花を好きなことを愛花の母親に言うなんてなんとも恥ずかしいことだけど、言ってしまったら楽になった。自分の気持ちを隠して回りくどいことを言うのは苦手だし、何事もストレートの方が話がすっきりする。馬鹿正直な俺にはこの言い方が合っている。恥ずか死にそうな自分にそう言い聞かす。


「ありがとう。お父さんともう一度話して、愛花にもどうしたいか聞いてみるわ」

「ははっ。もしかして、おじちゃんにもバレんのかな。恥ずかしいな」

「ふふっ。あの人も気付いてるわよ」


 そう言って、笑いながらおばちゃんは目尻の涙を指で拭った。



 次の日、いつも通り愛花の部屋にいると愛花が言った。


「お母さんとお父さんと……話した……。アイカはハルキがいい……。ハルキいい……?」


 上目遣いで真っすぐと俺を見つめる愛花。うん。これもご褒美だ。愛花バカの俺に抗えるはずなんてない。


「うん、もちろん」


 そう言って、愛花の頭をポンポンと軽くたたいた。


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