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⑭ そうなんだー。

 愛花が初めてバレンタインにチョコをくれたときのことだ。ガキ大将と言ってもいいほどやんちゃで明朗快活だった。先頭を切ってどこへでも友達を引き連れて行っていた。そんな愛花がおばちゃんの後ろに隠れて時々ちらちらと顔を出しては俺の様子を窺っていたんだ。いつもの前のめり精神とは違う愛花になんだ? と不思議に感じていると、おばちゃんが「これ愛花から春樹くんへって」とチョコを渡されたのだ。子どもの目から見てもぶきっちょに包装された、そのプレゼントは一目で手作りと分かった。


 子分その1程度の存在だった俺は悪ガキの愛花しか知らなかった。「これ登るよ!」と俺ん家のブロック塀によじ登った末、ブロックが崩れてケガしておばちゃんと謝りに来た悪ガキ。「買ってもらったの」と自慢げに遊んでいたスーパーボールが、俺ん家の玄関のガラス戸にぶつかりヒビをいれておばちゃんと謝りに来た悪ガキ。「ここはマグマだから落ちたら死んじゃうんだよー」と無理やり用水をジャンプさせられて用水に落ちて足を挫いて泣いた俺。わんぱくすぎだろ、と思いながらも逆らえず、なんだかんだと付き合い続けた俺。


 そんな男勝りなガキ大将の愛花が、もじもじと照れくさそうにおばちゃんの影に隠れて、チラチラと俺の様子を窺っていたのだ。最初はその時感じた心のざわざわがなんだか分からなかった。そして、後ろを振り返って愛花を見て「土田くんにもあげるのよねー」と言ったおばちゃん……。さっきとは比べ物にならないくらい真っ赤になった顔で頷く愛花。


 ……なんでもない子供の頃の思い出の一コマかもしれないが、俺にとっては大事件だった。あの! あの近所でも有名な負けん気の強い悪ガキが頬を染めて親の後ろに隠れていたんだから! それからの俺はあの赤くなった愛花の顔がどうにも忘れられなくなってしまった。もちろん土田のこともだ。気になって気になってしょうがなかった。

 

 授業中は何度も何度も盗み見て、体育の時間は格好いいところを見せたくて懸命に走った。気を引きたくて大きな声でしゃべってみてはチラリと愛花を見るが、愛花はどこ吹く風だった。俺がすごく良いことをしても、悪いことをしてもちっとも気にもとめない。透明人間になった気分だった。いっそ透明人間になってしまえば盗み見なんてケチなことをしないで真正面から堂々と見ていられるのにとさえ思った。


 愛花を目にするだけでドキドキして、こんな上がったり下がったりする感情を、もてあましていた。だけど愛花の瞳に映りたい。

 この感情がなんなのか分かったのは女子の話が聞こえてきたときのことだった。


「しょうこちゃん、たくまくんが好きなんだってー?」

「うん、好きー」

「しょうこちゃん、大人みたいね」

「なんで?」

「だって好きとかよく分かんないもん」

「しょうこも分かんなかったよー」

「じゃあなんで分かったのー?」

「ママに『たくまくんと目が合うとちょっぴり恥ずかしくて、でも見ていたい気持ちもあって。見てほしいって思って、でも恥ずかしいの。どうしてかなー?』って聞いたら、それは好きなんじゃないかな? って言われたの」


 琢磨くんを含むグループで喋っていた俺たちは『琢磨くん』という固有名詞に敏感に反応して、聞き耳を立てていた。白々しく親指ゲームをしているふりをしながら……。


「でもわたし、パパもママも好きだけど恥ずかしいって思わないよー?」

「うん。恥ずかしいって思うか思わないかが恋の好きかどうかの違いの一つなんだって」

「そうなんだー」



「……そうなんだー」


 少し離れたところで呆然と俺も呟いた。この気持ちが「好き」ってことなのか。

 琢磨くんは女子たちの話に徐々に顔を赤らめていった。全く話題に上がりもしない俺も顔が熱くなるのが分かった。他の連中にしたら意味不明だったことだろう。春樹のハの字も出てきていない俺の顔がゆでダコなのだから。

 まぁ、二人とも琢磨くんを見てニヤついていたから、俺は眼中になかっただろうけど。


 ちなみに琢磨くんは、というと祥子ちゃんが自分の事を好きと知って以来、祥子ちゃんが気になって気になって仕方なくなり、目で追うようになった。目で追うようになると祥子ちゃんの明るく笑う表情を、荷物を持っている子に気付いてそっと戸を開けてあげる気遣いを、運動会のとき保健係でけが人の手当てに走り回る優しさを知った。


 そんな祥子ちゃんのことで頭がいっぱいになっていたある日。気持ちが溢れたのか、みんながいる教室の真ん中で「祥子ちゃんが好き!」と大声を張り上げる形で告白していた。めでたく両想いになった二人は付き合うことになったのだ。小学五年生の時のことだ。それが高二になった今も仲良く付き合ってるんだから羨ましい。俺の目標の二人なのだ。尊敬の念を込めてゴッドカップルと呼んでいる。


 なんにせよ、そんなこんなで愛花に落ちて(fallin’)いたことに気付いたのである。

 この前あの公園で悪ガキどもが落とし穴を嬉々として掘っていたのを思い出す。

 愛花は穴を掘ったつもりもさらさらなかっただろうし、この落とし穴には底もない。ただ俺が勝手に毎日愛花と接しながらずーっと落ち続けているだけだ。そして落ち続けることに、落ち続けさせてもらえることに、とてつもない幸せを感じている。



「おーい、春樹。聞いてんのかー?」


 俺の美しい記憶に隆の邪魔が入った。どうやらトリップしてしまっていたようだ。


「おう、聞いてる」

「じゃあ、なんて言ってたか言ってみろよー」

「チョコの話」

「チョコの話のー?」


 おもしろがった亜紀ちゃんが追随する。


「チョコの話のー?」

「すいません。聞いてませんでした。仲間にいれてください」


 わざとらしく大きく頭を下げる。


「生チョコの上の粉の話」


 愛花が助け舟を出してくれる。マイエンジェル愛花。今日も俺の天使は慈悲深い。

 俺が意識を飛ばしていた間もちゃんと三人で会話できてたんだな。よかったよかった。


「ていうか、生チョコ食べてムセるってどういうこと?」

「それな!」と隆が亜紀ちゃんをジト目で見る。

「ははは、なーんかレシピにはココアパウダーをふるいかける。って書いてあったんだけど、『ふるいかける?』って思って、んー? って思って。そんで、調べたらふるいにかけるってことだとは分かったんだけど……」

「分かったのにナゼ?」と隆のツッコミが入る。

「はは。ふるい? んなもん家にあるわけないって思って。百均にも売ってるらしいんだけど、私今ふるいかけたいじゃん?」

「いや、そこは百均に走ってくれよ」

「気持ちはね? 気持ちは走ってたんだよ。だけど現実は違ったんだよ。……そういうことってあるんだよ……」


 亜紀ちゃんが遠い目をする。何か大きな力が働いて抗えなかった風に言っているが……。

 隆が亜紀ちゃんの額を叩く。


「『そういうことってあるんだよ……』じゃねぇよ。神妙そうに言ってっけど、めんどくさかっただけだろ!」

「でもね? 私頑張ったんだよ! スプーンにココアパウダーを乗せて、できるだけ細かく腕を震わせたの!」


 腕を震わせて生チョコに粉をかけるジェスチャーをする亜紀ちゃん。

 面倒だったことへの否定はしないんだな……。正直な子だ。


「そしたらね? なんかの拍子にどばーっと生チョコの上に落っこちたの。でも取り返しつかないの。生チョコだから。一回かかっちゃうと張り付いて取れないの。逆さまにして生チョコごと落ちたら悲惨だし。だから苦肉の策でスプーンの背中で、せめて粉が均等になるように撫でたの」

「その結果、俺がムセるハメになった……と」

「いやぁ、まさかムセるとはねー」


 ははは、と困った顔で笑いながら頭に手をあてる亜紀ちゃん。

 ……亜紀ちゃん、なんだかお調子者っぽくて楽しい子だな。

 クスクスと控えめに笑っている愛花が口を開く。


「二人……すごく……仲良しなんだね」

「んー。でもケンカもするよー?」

「ケンカ……するの……?」

「おう。でもコイツがこんな調子だからケンカも続かないっていうか。この前も電話でケンカしてさー。俺腹立って亜紀が喋ってる途中でぶち切ったの。俺は怒ってるからお前が謝罪の電話をかけてこいって思って。でもどんだけん待っても折り返しないの! 結局『なんで電話してこないんだ!』って俺怒って電話したよね」


 ははっと両手を背中の後ろで床について楽しそうに話す隆を、これまた楽しそうに見ている亜紀ちゃん。

 ほんと仲良いんだな。


「そしたら亜紀のやつ、なんて言ったと思う? 『え? 怒って切ったの? エレベーターにでも乗って圏外になったのかと思ってた』って! 怒って切ったことも気付いてないし、電話も『落ち着いたらかかってくるかなって思ってた』って言うの。信じられる?」


 隆と亜紀ちゃんの会話はまるで漫才のようだった。あっけらかんとした亜紀ちゃんに軽く悪態をつきながらも、隆の優しい笑顔からは愛おしさが溢れている。俺が見たことのない表情だ。きっと隆は亜紀ちゃんの前でだけこういう顔を見せるのだろう。亜紀ちゃんも隆に心を許して委ねているのが伝わってくる。



「ごちそうさま。そろそろ、俺らは春樹ん家行くわ。勉強会なんだろ?」


 隆の言葉に亜希ちゃんは、今集まりの目的を思い出したかのようにハッとして手を合わせた。


「そうだった! じゃあまたあとでねー」

「おう。愛花ちゃんケーキごちそうさま。本当においしかった」

「どう……いたしまして……」


 深々と頭を下げる愛花に、まだ存在をアピールできていない俺は慌てて口を開く。


「じゃ、亜紀ちゃん。愛花のことよろしくな」

「こちらこそだよ!」


「勉強……何からする……?」

「うーん、やっぱ数学!」


 背中越しに愛花たちの会話を受けながら俺たちは愛花の家をあとにした。



「亜紀ちゃんて楽しい子だな。コミュ力高いとは聞いてたけど、それだけじゃなくてすごく明るい」

「おぅ、そうなんだよ。たまに俺が愚痴っても『でもそれってこういう風にもとれるよねー?』って良い事に変えてくんだよ。かと言って落ち込んでるときはちゃんと慰めてくれんの」


 初めて聞く隆ののろけ話に思わず顔がニヤついてしまう。なんか甘酸っぱい気持ちになってしまう。


「いい子だよな。愛花も楽しそうだった。ていうか、亜紀ちゃんとチャット始めた頃から、もうずっと楽しそうだ」

「そうなん? なら良かった」


 ヒヒッと自慢気に笑う隆の笑顔が眩しい。


「愛花がさ、お前ら来る前に亜紀ちゃんのこと太陽みたいな子って言ってたの、なんとなく分かったよ」

「太陽?」

「そう、正確には太陽神だけど」

「え? 俺の彼女、神なの? あ、だからお祈りしてたのか」


 ぽふっとわざとらしく掌にげんこつを充てる。


「愛花が言うにはそうらしい。もう亜紀ちゃんにメロメロなんじゃないかなー」


 そんな友達が愛花にできたことが嬉しい反面、悔しくもあるが……。


「亜紀も天使とか妖精とか言ってたしな。お互いにメロメロなんじゃん?」

「神と天使とか、もうあの二人そろうと天国だな」


 愛花、いつか頑張ってた異世界への野望は叶っているぞ、と心の中でひっそりと思う。

 俺と隆はゲームしたり漫画読んだりとぐーたらして過ごした。今頃天国の二人は何をしているのだろうか。窓から差し込むオレンジ色の光が夕暮れを知らせる。隆が亜紀ちゃんと連絡をとり愛花の家に向かうと玄関前で二人でクスクス笑いながら楽しそうに話していた。


「愛花、また来てもいい?」

「うん。嬉しい……」


 頬を染める愛花。かわいい。俺を見つめながらの頬染めもリクエストしていいだろうか。

 隆と亜紀ちゃんと別れて俺も家に帰ろうとすると、シャツの裾を掴まれた愛花に「夕飯食べて行って」と引き留められた。うずうずと亜紀ちゃんとの時間を話したいみたいだった。


 頬を染めてはにかんだり、クスクス笑ったりしながら愛花が今日の出来事を語ってくれた。


「今日……すごく楽しかった……」


 どこか遠くを見つめながら一つ一つ思い出すように話してくれる。


「ハルキが帰った後……ちょっと不安だった……。だけど亜紀がいっぱい……話してくれた……」

「学校の先生の話とか……家族の話とか……」

「勉強会もした……」

「髪……きれいだねって……言ってくれた……」

「……ずっと……ワクワクしてた……」


 それは嬉しそうに大事な宝物の話をするように大切に大切に言葉を紡ぐ愛花を見ていると俺の胸は温かくなって、じわーっと温もりが胸いっぱいに広がり目頭が熱くなってきた。涙をこらえるために相槌が遅れる俺に時折「どうしたの?」と様子を窺う愛花は「よかったな」と頭を撫でる俺の反応に安心して、また亜紀ちゃんとの話を聞かせてくれるのだった。

 こんな日々が続きますように。と俺は太陽神に願うばかりだった。


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