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⑪ 愛しい花

「昨日の夜から愛花がごはん食べてくれないの。春樹くん何か聞いてる?」


 おばちゃんからのそのスマホのメールに気付いたのは昼休みのことだ。五限目を早退して愛花に会いに行きたかったけど、おばちゃんも愛花もそんなことは望んでない。むしろ迷惑かけたとメールしたことを後悔されてしまうだろう。だからはやる気持ちをグッと堪えた。おばちゃんによると愛花は体調が悪いわけでも気持ちが沈んでいるわけでもないらしい。いつも通りオンライン授業も受けて一通りの家事もこなす。ただごはんに関しては「いらない」とそれだけ告げるらしい。


 何があったんだ? おばちゃんには言えないような辛いことでもあったのかもしれない。愛花の学校は通信制だけど、生徒同士でもやりとりできるように個別にメールアドレスを与えられている。もしかしたら、それで同級生に心無いことを言われたのかもしれない。もしかしたら、愛花はすごくかわいいから通学日にあった同級生にデートに誘われですごく困っているのかもしれない。もしかしたらナイトの散歩中に嫌な目にあったのかもしれない。頭の中に幾通りものifが巡る。気が気じゃない。


 昨日の愛花の様子はどうだっただろうか。とくに異変は感じられずいつもと同じように淡々とした口調で……。でも愛花がごはんを食べなくなったのはその後からだ。もしかして、俺の言葉のどれかが愛花を傷付けたのか……?

 俺は授業の終わりを告げる鐘が鳴り終わらないうちに教室を出て行く。学校から愛花の家まで歩いて十五分。それを走って走ってなんとか十分足らずで愛花の部屋の前に到着した。


 いつものルーティンなんかしていられない。愛花の様子を窺うことが優先順位一番だ。乱れた呼吸を整えて扉をノックする。

「はい。アイカ」

 返事はいつも通りだ。声の調子では変わった様子は感じないが……。


 扉をガチャリと開ける。

「愛花? 大丈夫か?」

「なにが」


 真顔に淡々とした口調。今のところそんなに変わった感じはしないが……。幾通りものifの中の原因が俺かもしれない可能性に冷や汗が出てくる。


「おばちゃんから、愛花がごはん食べないって聞いて……」

 愛花は数秒俺を見つめると視線をそらした。

「……ハルキだって食べたくない時あると思う」

 俺は愛花の目をしっかりと見据える。

「俺がごはんを食べたくない時はお腹がいっぱいのときか漫画に夢中の時か風邪のときくらいだよ。三食食べないことはないよ」

「そう……」

 しっかりと見据えた視線をそらされた。

「……だから何かあったんじゃないかって……」

「なんにもない」

「じゃあなんでごはんが食べられないんだ?」

「食べられないんじゃなくて食べない」

「なんで食べないんだ?」


 押し問答が続く。……愛花にとってはしつこい、うざいと思われるかもしれないけど、ごはんを食べない理由が何かあるんじゃないかと気が気じゃない。俺が原因なら直したいと思うし、他に原因があるなら解決できるよう手助けがしたい。奢った考えかもしれないけど。


 条件は限られるけど外出ができるようになった愛花。メールをするようになった愛花。行動はちょっとおかしいけど、コードKのために……他者と関わる方法を模索し始めた愛花。進みだした今の状態が悪くなったら愛花はまた傷付いてしまうかもしれない。

 ……肩を震わせて泣きじゃくる愛花を思い出すだけで胸が張り裂けそうになる。もうあのときみたいな気持ちになってほしくない。


 俯いて視線を落とす俺に愛花が切り出した。

「……病気になろうと思って……」

 ん? 

「ん?」

「病気の女の子に優しくしてくれる男の子が現れて恋してた……」

 ん? なんだなんだ?

「……漫画の話?」

「そう」


 そんなことだったのか。……いや、愛花は真剣だから「そんなこと」なんて思ったらだめだ。今の愛花のゆるぎない信念ともいえるコードKだ。


「愛花。コードKは、病気になる以外の方法で作戦をたてないか? おばちゃんも心配してたし、俺もすごく心配だった。なにより愛花の体によくない」

「そうかなって」

「うん?」

「アイカもそうかなって。人に心配かけるやりかたはダメだなって」

「思ったのか?」

「うん。お母さんが心配してくれて、ハルキも。いつもなら階段の上がる音聞こえてからぶつぶつ言ってノックだったのに今日は違った」


 ぶつぶつ言ってたのバレてた……。


「ごめんなさい。やめる」

「そうだな」俺は愛花の頭をポンポンと優しくたたいた。


 コードK―-彼氏ができるならなんでもやります作戦は、実際のところ彼氏を作ることが目的じゃなくて孤独を感じないことが目的なはずだ。だから……。


「愛花、俺の友達の彼女とチャットしてみないか?」

「……え?」

 唐突な提案に目を見開く愛花。そりゃそうだ。

「愛花、前にメールすること自体は嫌じゃなさそうだったからどうかなって。その友達の彼女亜紀ちゃんって言うんだけど、ブラインドタッチ? できるようになりたくてチャット仲間欲しいみたいで。どうかな?」

「……ちょっと考えてみる」

「うん。俺の友達の方は隆って言うんだけど、隆が言うには漫画読むのが趣味な子で明るくて優しい良い子みたいだ」

「わかった」

「うん。チャットしないならしないでもいいからまた返事くれな」

「わかった」


 真顔の愛花の表情からはどんな返事がくるかなんて予想もつかない。「してみる」と言うかもしれないし、「やめておく」というかもしれなかった。


 その日の風呂上りにスマホチェックをするとメールが来ていた。愛花からだった。『チャットしてみる』と一言だけだったが、思いのほか早い返事に俺は嬉しくなる。前向きな愛花。今後広がるかもしれない愛花の世界を思うと泣きそうになる。一歩一歩確実に前に進んで、そのたび色んな葛藤を乗り越えて、それでも前に進もうと努力する愛花。やっぱりそんな愛花は俺の愛しい愛しい花だ。

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