第9話 作戦4:夜這い作戦
自室の学習机で、今度は空のプリン容器を前に私は頭を抱える。
まさか作戦2で渡した1万円が、こんな形で足を引っ張ろうなどとは夢にも思わなかった。
(悔しい! 悔しい!)
悔しさのあまり私はさきほど以上に大きく悶絶する。
でも実際、プリンは超絶美味かった!
しつこくないさっぱりとした上品な甘さ。カラメルソースの微かな苦味がプリンの甘さを引き立てていた。あとねプリンなのに柔らかくないの。まるでチーズケーキのような食感。
流石1日限定10食は伊達じゃない。
悔しいけど真島屋のファンになってしまいそうだ。あれはいずれ、北海道一……いや日本一のスイーツショップになるだろう。
いつしかプリンの余韻に浸っていた私は、ふと机の上の置き時計に視線を向ける。
気づけば時刻は夜の20時を過ぎていた。
ピックアップガチャは今日の23時59分まで。いよいよもって残り時間はもうない。
(こうなれば最後の手段を取るしかないか……)
残り少ない時間に私は覚悟を決める。
これまで舞ちゃんの頭を撫でることができたのは、すべてリビングのソファーで彼女が眠っているタイミングだった。
規律正しい舞ちゃんがリビングのソファーで昼寝などしてしまったのは、その時期、試験勉強や生徒会の仕事が多忙を極めていたからにほかならない。
だが最近、比較的余裕のある舞ちゃんはリビングのソファーで寝るようなことがなくなっていた。
そのため寝ているところを狙うという選択肢を最初から除外していたのだが、よくよく考えてみれば人間は1日の内の何時間かを必ず睡眠に当てている。
そこを狙いさえすれば、妹教の達成など容易いのではないだろうか。
(夜這いだ)
夜這い。
それはかつて存在したとされる俗習のひとつ。
真夜中、男性が女性の寝室へと赴き、女性もしくは女性の親族が男性を招き入れる。
そして男性と女性は愛を育んだという。
男性から女性へ一方的にというイメージのある夜這いだが、実際には互いに合意の上行われていたらしく、女性が拒絶して終わることすらあったとか。
そういう意味ではこれから私がやろうとしている行為は厳密には夜這いではないのかもしれない。
何しろ私は舞ちゃんに合意をとるつもりなどないのだから。
だが女が女の、それも姉が妹の部屋に忍び込むことに何の問題があろうか。いやない。
第一、言うまでもなく私は舞ちゃんに『そういうこと』をするつもりは一切ないのだ。
ただ頭を撫でるだけ。
これは決して、姉妹のスキンシップという微笑ましい行為の領域を逸脱することはないはずだ。
「よし」
私はうなずく。
今ここに自己正当化は完了した。
心なしか机の上の太郎も「行け」と言っているような気がする。
「行ってくるよ、太郎」
私は太郎へと親指を立ててみせた。
それから2時間後、私は自分の部屋の隣にある舞ちゃんの部屋の前に立っていた。
舞ちゃんは普段21時には、眠りにつく。
21時就寝5時起床が彼女の信条であり、3時就寝10時起床を信条としている私とは正反対だ。
現在の時刻は22時。
普段どおりならば、舞ちゃんはとうに眠っているはずの時間だ。
私は物音を立てないようにそっと舞ちゃんの部屋のドアを開ける。
同時に暗い部屋の中へと廊下の光が差し込む。
廊下の明かりが部屋に侵入しないよう細心の注意を払いながら、私は身体をドアの隙間に滑り込ませてから音を立てぬようドアを閉める。
途端、室内が再び闇に満たされた。
窓はカーテンによって隙間なく遮断されており、外部から光が侵入する余地はない。
おかげで視界が失われてしまったわけだが、これは想定の範囲内だ。
私はポケットから小さなキーライトを取り出すと、それで床を照らす。
これは光量の調整が効く優れもので、部屋の様子をおぼろげながらも把握することができた。
この程度の光なら、舞ちゃんを起こしてしまうことはないだろう。
視界を確保できたところで、私は薄暗い部屋の中をいい匂いが支配していることに気づく。
普段から同じ安物のシャンプーとボディソープを使っているはずなのになぜだろう……。
部屋の匂いひとつにちょっとした不平等を感じながら、私は試しに小声でベッドの上の舞ちゃんへと呼びかけてみる。
「まいちゃーん……?」
返事はない。
どうやらしっかりと寝ているようだ。
私は舞ちゃんを起こさぬよう抜き足差し忍び足でベッドへと近づく。
綺麗に片付けられた舞ちゃんの部屋は足場がしっかりと確保されており、足元に気を配る必要はなかった。
きっと私の部屋じゃこうはいかなかっただろう。
やがて難なくベッドの前にたどり着いた私は、眠る舞ちゃんを見下ろす。
身体は壁の方を向いており、顔をちゃんと確認することはできなかったが、舞ちゃんは規則的かつ静かな寝息を立てて眠っている。
(美少女というやつは寝息まで美少女なのか)と心の中で難癖をつけながら、私は中腰の姿勢になってそっと舞ちゃんへと手を伸ばした。
私の手が、眠る妹の頭へとゆっくりと迫る。
何だか今更ながらとてつもなく悪いことをしている気になってきたけれど、ここまで来たらもう何もせずに帰るなんてことはできない。
私の手は、少しずつ少しずつ、まるでカタツムリのような速度で舞ちゃんの頭へとにじり寄っていき――
やがて柔らかな髪に触れる。
途端、自分の手のひらに伝わってきた感触以外の情報に、私は思わず驚きの声を上げそうになってしまう。
(熱い……!)
舞ちゃんは、まるで熱でもあるんじゃないかというような体温だった。
夕食は普通に食べていたし、別段調子が悪そうな雰囲気もなかった。
呼吸は正常。荒くもなく、浅くもない。穏やかすぎるくらいだ。
とすれば、こんなにも体温の高い子だっただろうか。
そこまで考えたところで、私はハッと息をついて我に返る。
こうしている間にも舞ちゃんが目を覚ましてしまうかもしれない。
さっさと目的を済ませて、部屋から退散せねば。
当初の目的を思い出した私は、ゆっくりと舞ちゃんの頭を撫でる。
撫でるたびに、彼女が目を覚ましてしまうんじゃないかという恐怖にさいなまれ、内側から何度も激しく胸が叩かれる。
気づけば緊張のせいで身体はすっかり火照ってしまっていた。
まるで舞ちゃんの体温がこちらに伝播したんじゃないかと、そんな錯覚を覚えてしまうくらいだ。
それから、かなり長い時間がたったような気がする。
私は小さくため息をつくと同時に、舞ちゃんの頭からそっと手を放す。
頭を撫でることができたのは、わずか3回。
だがそれでも、妹教の効果発揮には充分な回数だけ頭を撫でたはずだ。
無事目的は達した。
私は踵を返して部屋の外へと退散する。
そしてもう1度部屋の中を覗いて、こちらに背を向けて眠る舞ちゃんにささやく。
「おやすみ、舞ちゃん」
数年ぶりのおやすみだったような、そんな気がした。
次話明日更新予定