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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第二章
98/346

矛盾する心




 ふわりと花の香りを残して去っていく紅玉の背と揺れる漆黒の髪に、蘇芳は見惚れた。

 そして、顔を赤く染め、片手で口元を覆い。唸り声を上げながら石段の上で蹲る。


(理性が! 破壊されるかと思った! ……いや、半分近く破壊されていたか)


 蘇芳は溜め息を「はあ」と吐く。その息はかなり熱くなっていた。


 思わず紅玉をこの腕で抱き締めてしまった事に蘇芳は驚きを隠せない。

 今の今まで何とか堪え、我慢してきたというのに……今日はどうしても堪える事ができなかった。

 気付いた時にはもう無意識だったのだ。


 己の失態を恥じながら、蘇芳は思い出してしまう。


 肌触りの良い漆黒の髪の滑らかさと、全身から香る花のような香りと、決して小さ過ぎでも細過ぎでもない、しっかりと鍛えられながらも女性らしく柔らかなその身体を――紅玉が抱き締めてくれた時、頬に触れた紅玉の身体で最も柔らかいその場所を――。


 「バキッ!」――瞬間、己の顔面に衝撃が走った。


 蘇芳は最低な事を考えていた己を叱責する為に、自らで自らを殴りつけていた。

 口の中が切れ、鉄の味がするのが分かり、途端スッと冷静になった。


(心頭滅却……煩悩退散……)


 そう考えながらも、蘇芳は少し困っていた。


(……この後、紅殿にどう顔を合わせればよいのか……)


 どことなく気恥かしさを感じてしまい、戸惑う自分がいる。

 しかし、蘇芳はハッとなって気付いた。


(明日は紅殿が休みだったか……そして、明後日は俺が休みだな)


 紅玉は明日の休暇で実家に戻ると言っていた事を思い出す。そして、己自身も明後日休みで、十の御社を不在にする。

 実質、明日と明後日、紅玉に会わなくてよい日々が続くのである。


 その事実は気恥かしさで戸惑う蘇芳の精神には非常に健康的なのかもしれないが――。


(……会えなくて、寂しい……な)


 気恥かしさよりも先にそんな気持ちが思い浮かぶのであった。




 蘇芳と別れた紅玉は勝手口から台所に入ると、その場に崩れ落ちてしまった。

 顔を真っ赤にさせ、全身が震えている。


 そして、混乱する頭で思った事は――。


(すっ、蘇芳様に抱き締められてしまいました……!)


 それも事実ではあるのだが。


(というか自分で抱き締めてしまいましたよね!? わたくし!)


 それである。


 紅玉は立ち上がると、台所の中をウロウロ、ウロウロと歩き始める。


(だって、蘇芳様があまりにも愛おしくて抱き締めたくなってしまったのですもの! 蘇芳様が狡いからいけないのですわ!)


 責任転嫁もいいところである。


(ハッ!! わたくし、はしたないとか思われていないかしら!?)


 唐突に抱き締めてしまったのだ。もしかしたら変に思われたかもしれない――そう思うと、紅玉は羞恥のあまり両手で顔面を覆い、蹲る事しかできない。


 しかし。


(ハッ! お昼ご飯! お仕事!)


 どこまでも仕事中毒の女性だ。

 紅玉は立ちあがると、すでに仕込みを済ませていた昼食の準備に取り掛かっていく。


 昼食の材料と向かいながら、紅玉は思い出してしまう。


 蘇芳のたくましく大きな身体に包まれた時の感触を――。


 瞬間、紅玉は調理台の上に顔を突っ伏して悶えて真っ赤になってしまう。


(こんな調子でこの後どうしますの!? わたくしぃっ!!)


 手足をジタバタさせながら紅玉はふと思う。

 正直無理だ。平静を装って蘇芳と面と向かうなどと困難だと。だから、今も逃げるようにして台所へ来たというのに。


(逃げましょう! 全力で逃げて過ごしましょう! そうです! 明日まで逃げ果せれば、わたくしはお休みで、明後日は蘇芳様がお休みですもの! 顔を合わせずに済みますわ!)


 紅玉は拳を握って決意する――が。


(……明日から蘇芳様としばらく会えなくなるのですね……少し、寂しい……)


 そこまで思って、はたと気づく。


(あら……? わたくし、何やら矛盾しておりません?)


 最早紅玉の頭の中はいろんな感情がごちゃごちゃの破裂寸前である。


(しっ、仕事! 仕事をしましょうっ! そうです! わたくしはお昼ご飯を作るのですっ!)


 考える事を放棄した紅玉は慌てて昼食準備に取り掛かった。


 しかし、出来上がった昼食は紅玉が作ったものにしては珍しく味が少し濃い目だったり、少し焦げた部分があったりの少し残念な出来上がりであった。


 申し訳ないと顔を赤く染めながら頭を下げる紅玉と顔を少し赤くしながら黙って昼食を完食した蘇芳を交互に見ながら、十の御社の住人達はひたすら顔をにやけさせていたのだった。




**********




 翌朝、春の祝祭日の休暇の為、現世の実家に帰る紅玉は、いつもの袴姿ではなく、初夏の季節に合うふわりとした洋服に身を包み、大きな荷物を持って玄関広間に立っていた。

 靴を履くと、紅玉は玄関広間を振り返った。

 そこには紅玉を見送る為、水晶と空と鞠だけでなく、十の御社の神々も見送りに来ており、玄関広間にはかなり人数が集まっていた。


 紅玉は困ったように笑いながらも、その気遣いが嬉しくて仕方なかった。


「それでは行って参りますね。帰りは明日の昼頃になります」

「うみゅ、とーちゃんとかーちゃんとてっちゃんによろしく~。あと、お土産も」

「はいはい」

「先輩、気を付けていってきてくださいっす!」

「御社と晶ちゃんの事、よろしくお願いしますね。空さん、鞠ちゃん」

「オッマカセー!」


 本日と明日の午前中、紅玉は十の御社を不在とするにあたり、紅玉は分厚い書付を鞠に渡した。


「晶ちゃんは夜十時には寝かせてくださいね。あ、ゲームはその時に取り上げるように。パジャマは箪笥の上から三段目の所にあります。もしもの時のお薬はベッド脇のサイドテーブルに置いてある小箱の中にしまっていますが、まずは詩先生を呼んでくださいまし。あと、好き嫌いはさせず、なるべくちゃんとお食事は摂らせるように。お菓子類の食べ過ぎに気を付けてください。あとお風呂の際ですが――」

「ベニちゃん、ベニちゃん。I see、I seeヨー。マリもオヤシロのLiveナガイデース」


 鞠は若干呆れた顔をして紅玉の説明を強制的に終了させた。一方の紅玉は心配そうではあったが。


 すると、そこへ――。


「おぉ、よかったよかった。間に合ったな!」


 豪快快活な声が響くと、玄関広間に整列していた神々が道を開ける。すると、鼠色の髪を持つ男神のまだらが現われた。

 まだらの他に、十の御社で最も身長の高い蒼石と、蒼石に次いで身長が高い淡い緑色の長い髪を持つ男神の柳ノ介も一緒だ。

 そして、三人は何かを抱え上げていた。


 紅玉が首を傾げていると、まだらはニヤリと笑う。


「ほら、連れて来たぞー。重かったんだからな」


 まだらがそう言って、降ろしたものを見て、紅玉は目を見開いた。


「蘇芳様っ!?」


 何か植物の蔦のようなもので身体だけでなく口元までぐるぐる巻きにされた蘇芳は言葉も発する事も抵抗する事もできず、その場に立たされた。

 やがてシュルシュルと蔦は消えていく。どうやらこの蔦は柳ノ介の仕業のようで、柳ノ介はくすくすと微笑んだ。


「もうすぐ姉君が出立だというのに、見送りもせずに庭園で鍛練していた彼を無理やり連行する為に仕方なくね。手荒な真似をしたとは思うが、どうか許しておくれ」


 悪びれた様子も無く、穏やかな笑顔でそう言う柳ノ介に、紅玉は目をパチクリさせる事しかできない。


「蘇芳様、ご無事ですか?」

「あ、ああ、大事無い。すまん。変な登場の仕方で」

「いえ」


 少し恥ずかしげに顔を赤くしている蘇芳を見ていると、なんだか可愛らしく思えてしまって、まだ少しの気恥かしさは残ってはいるものの、やっぱり会えて嬉しいと紅玉は思ってしまった。

 紅玉は自然と顔が綻んでいた。


「蘇芳様、御社と晶ちゃんの事、よろしくお願いします」

「ああ、任せてくれ。貴女も道中気を付けて」

「はい、ありがとうございます」


 ふわりと微笑む紅玉を見て、蘇芳は無理矢理連行された事に感謝した。紅玉の笑顔を見ていると、不思議と力が湧いてくるのを感じ、見送りに来てよかったと思った。


「それじゃあ、いってきます」

「「「「「いってらっしゃーーーい!!」」」」」


 そうして、たくさんの大切な人達に見送られて紅玉は御社を出発した。


 少し大きな荷物を抱えて目指すのは神域と現世を繋ぐ大鳥居。

 紅玉はまず乗合馬車乗り場を目指し、歩き出す。




 その紅玉の背後の地面に何か怪しい影が蠢いていた。

 そして、影は紅玉の後を追う――。




 その影に紅玉が気づく事はなかった。




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