蘇芳の過去
途中から蘇芳の語りで話が進みます。
※残酷表現流血表現あります
※閲覧ご注意ください
皐月の三日から五日は大和皇国の春の祝祭日と呼ばれる連休期間だ。
この三日間は神域でも休日となり、神子は束の間の休息日となっている。
しかし、神域管理庁の職員にとってこの祝祭日は全く関係がない。祝祭日だろうが、なんだろうが、神子を支え続けるのが神域管理庁職員としての定めなのである。
――とまあ、流石に毎日休みなく働かせ続けるのは問題があるので、神域管理庁の職員もこの春の祝祭日の内の一日と半日は交代で休みを取ることを義務付けられていた。
十の御社では、三日は紫が、四日は紅玉と鞠が、五日は蘇芳と空が休む予定となっている。
そして、本日の三日は生活管理部である紫が休みという事で、十の御社の職員と神々が力を合わせて、家事に励んでいた。
「おーい、蘇芳。こっちの洗濯物は洗い終わったぞー」
「そうしましたら、こっちに持ってきてください。脱水を行ないますので」
「紅ねえ! これ脱水終わった洗濯物!」
「はい、ありがとうございます」
「ソーラ! もっとRopeヒッパッテー!」
「こうっすか~~~?」
本日は雲一つない快晴。絶好の洗濯日和である。
通常業務も無いので、十の御社総出で寝台の敷布の洗濯をする事になった。
全員で協力しながら洗濯ものを干していく――様子を木陰から見守っていた水晶は飲み物を飲みながら言った。
「うみゅうみゅ、みんながんばれ~~~」
「ふふふっ、せめて少しでも手伝おうとする意思が見られたらよかったのですけれど」
全くその気はなく、いつものようにカラクリ遊戯で遊ぶ妹の姿に紅玉は少し腹が立つ――が、水晶に手伝いをさせたところで、妹が心配で付き纏う自分も容易に想像できてしまい、大人しく作業の手を進めていった。
紅玉は最後に渡された一枚を干し終えると、ふぅと溜め息を吐きながらも達成感に満ち溢れていた。
庭園に干された真っ白な布が風に揺れてはためき、青空に映えて大変美しい。
加えて爽やかな石鹸の香りが気分を爽快にさせていく。
「本当に今日は良いお天気ですわね」
「そうっすね!」
「It’s a fine dayデース!」
青空を見上げながら、紅玉は真っ白な布の間から見えた蘇芳色に思わず目を向けた。
見れば、蘇芳が神々と一緒に最後の敷布を干しているところであった。
思わず蘇芳をジッと見つめながら、紅玉は昨日の話を思い出していた。
蘇芳が四大華族の「盾の一族」の血筋である事――実の父と実の祖父から憎まれている事――。
実に穏やかな表情で仕事に励んでいる蘇芳から全く想像もできない事実に、紅玉は胸が締め付けられる……。
せっかく気持ちの良い日だというのに、気分が落ち込んでいくのを感じる。
そんな紅玉の様子を空と鞠が敏感に察知した。
「先輩、昨日の蘇芳さんの話が気になるっすか?」
「えっ……」
「ベニちゃん、ずーっと、スオーさんミテマース」
「うっ……」
図星を突かれ、紅玉は何も言えなくなってしまう。
「キキタイならキキヤガレーデース」
「俺もそう思うっすよ」
純粋無垢で素直な空と鞠が、今の紅玉には羨ましくて仕方なかった。
「……少し、迷っています……本当にわたくしが聞いてしまってもいい事なのかどうか……もしかしたら思い出したくもない言いたくもない事かもしれませんし……」
蘇芳の事はどうしても気になる。しかし、それ以上に紅玉は蘇芳が不用意に傷付かないか心配で仕方ないのだ――だが。
「でも……蘇芳様が何かお困りなのでしたら、わたくしはお力になりたいですし……いつもお話を聞いてもらってばかりですから、少しでも気持ちが楽になるのでしたら、どんなお話でも聞く所存です……でも……どうやって切り出せばよいのか、タイミングが……」
紅玉の言葉を聞いていた空と鞠は納得したように頷く。
「つまり、先輩は蘇芳さんが物凄く心配で、蘇芳さんの力になりたいってことっすよね?」
「ええ。わたくし、いつも蘇芳様に助けられてばかりですから、もしも蘇芳様に困っている事や悩んでいる事があれば、今度はわたくしが蘇芳様の力になりたいです」
紅玉がはっきりとそう言うと、空と鞠は悪戯っぽくニヤッと笑った。
「だそうっすよ、蘇芳さん」
「Come here!」
「へっ?」
空と鞠がそう言った瞬間、背後に干されていた布が大きく捲られて、蒼石に羽交い絞めにされている蘇芳が現われた。
紅玉は思わず目を剥いてしまう。
「すっ、蘇芳様!? もしかして聞いていらしたの!?」
「すっ、すまん……!」
周囲を見渡してみれば、神々もニヤニヤとしており、完全に仕組まれていた事を察する。
「ひ、酷いですわ……! もう恥ずかしい……!」
「あっ、いやっ、そのっ、す、すまん……」
顔を真っ赤に染め、両手で顔を覆ってしまう紅玉に蘇芳は必死になって謝る。
「悪かった、紅殿……! 盗み聞きなどするつもりはなかったのだが、その……」
蘇芳もまた顔を真っ赤に染めると言った。
「う、嬉しくて、その……」
その言葉に思わず紅玉は顔を上げた――そして、少し後悔した。
目の前の蘇芳の顔が真っ赤に染まっているのを見て、自分自身もますます恥ずかしくなってしまったからだ。
顔が更に熱くなっていくのを感じる。
そんな初々しい二人の様子を見守りたい神々だったが――空と鞠がそれを許すはずがない。
「はいはーい、邪魔者は退散するっすよー」
「ショカツはヒッコメデース!」
「「「「「ええ~~~~~~っ!!!!」」」」」
神々は不満の声を上げる――が、空と鞠の背後につく蒼石の威圧に負け、そそくさと退散していった。
そして、空と鞠は最後に紅玉と蘇芳を見ると茶目っ気たっぷりに言う。
「ちゃんと二人で話し合うっすよ!」
「あとはごユックリ~!」
そうして空と鞠も去っていき、紅玉と蘇芳の二人だけとなる。
しばらく顔を赤くして黙ったままの二人だったが、蘇芳が紅玉の手を握って言った。
「……聞いてもらえるか? 俺の事を」
「…………は、い」
そして、二人は手を繋いだまま、洗濯物の海を抜けて行った。
そうしてやってきたのは、やはり「祈りの舞台」だった。
今はまだ日が高く、舞台の輝きは目立たないが、近付けば清廉な白縹の光が煌めいているのが分かる。
そして、二人は先日と同じように「祈りの舞台」の石段に並んで腰掛けた。
「実は、幽吾殿から事前に連絡は貰っていてな。紅殿に俺が四大華族である事を話してしまったと報告は受けていたんだ」
「そうでしたか……不可抗力とはいえ、個人情報を聞いてしまい申し訳ありません」
頭を下げる紅玉に蘇芳は首を横に振った。
「いや、いいんだ。いつかは話すべき事だとは思いつつも……なかなか言い出しにくい内容だったからな」
紅玉はそう言った蘇芳の顔を見つめた。
どことなく辛そうな表情をしている蘇芳に紅玉は胸が締め付けられる思いだった。
紅玉は思わず蘇芳の手に触れる。
「……辛い事を思い出すようでしたら……無理にお話しなくてもよいのですよ?」
その優しさと温かな手のぬくもりに、蘇芳は心が温かくなった。
「……いや、大丈夫だ。だから、どうか貴女に聞いて欲しい」
そうして蘇芳は語り出す――己の過去の事を――。
生家である「盾の一族」で起きたある事件の事を――。
*****
俺は四大華族の一つである「盾の一族」の次男として生まれた。
我が一族は武を重んじる一族で、「皇族の盾」として代々その任を担っている。
そして、俺はどうもその血を色濃く受け継いだようでな……「初代盾」と言われる我が一族の初代当主に瓜二つらしいんだ。
幼い頃より子どもとは思えない程の巨大な身体、つり上がった瞳、強靭な筋肉、人離れした身体能力――。
祖父や父は俺の誕生を非常に喜んだらしい。初代盾の再来だと――。
そして、祖父と父は俺を初代盾と同じような――いや、それ以上の戦士に育て上げる為、俺に非常に厳しい修行を課していった。
それはとてもじゃないが、幼児である子どもに受けさせてよいものではなく、最早虐待に近いものだった。
毎日十キロを超える走り込み、百キロの重さを超える重量挙げ――できなければ鞭で叩かれ、顔を殴られ、地面へと蹴り飛ばされた……。
尤も俺はあの当時それが当たり前だと思っていたがな。
祖父と父は俺を最強の戦士へ育て上げる為、毎日怒号と暴力を繰り返し、俺も必死に修行に臨んだ……毎日、毎日、何時間も、寝る間も惜しんで……。
日に日に厳しくなっていく修行内容に、俺は最早耐える事で精一杯だったが、祖父も父も決して手を緩める事はなかった。
母は……俺の容姿を恐れて近付く事はなかった……弟もいたしな。
唯一、兄だけは俺を心配してくれてな……それだけが俺の救いだった。
だが……俺が八歳になった時、修行はいよいよ大詰めを迎え……そして、事件は起きた……。
そこまで一気に話しきると、蘇芳は言葉に詰まってしまった。
口を開いたり、閉じたり……それ以上語る事を恐れているように見えて、紅玉は触れていた蘇芳の手を握った。そして、蘇芳の瞳を覗き込む。
心配そうに己を見つめる漆黒の瞳を見つめ返し、深呼吸をすると――蘇芳は躊躇いがちに口を開く――。
我が「盾の一族」の真の力は……命の危機に瀕した時に発揮されると言われていて、初代盾はその力を発揮した事で初代皇帝を守り抜いたと言い伝えられている。
そして、祖父と父は、俺の中に眠る真の力を覚醒させる為……強硬手段に出たんだ。
狭い牢獄のような部屋で、俺の手足を縛り、無理矢理磔にして……命の危機に瀕する状況を作り出す為に……俺の身体に、何本も、刀を、突き立てていった……
殺されると思った……恐怖しかなかった……助けを求めても、祖父も父も刀を突き立てる事を止めてくれなかった……!
助けてくれ!
殺される!
嫌だ!
痛いのは嫌だ!
怖い!
殺される!
死にたくない!
死にたくない!!
死にたくないっ!!!!
瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
全身の血がまるで沸騰しているかのように熱くなり、だが身体は急に軽くなり、力も思う存分揮える――。
俺はその力を全て解き放つようにもがいた――いや、暴れた。
生きたい
死にたくない
死ぬのは嫌だ
死ぬのは怖い
生きたい!
生きたいっ!!
死にたくないっ!!
そうして我に返った時には、狭い牢獄は破壊され尽くしていて、俺の手には血塗れになった誰かの腕と脚が握られていた。
そして、よくよく見てみれば、俺の目の前で祖父が左腕と両脚を失った状態で転がっていて、父は片目と右腕を失った状態で瓦礫の下敷きになっていた。
俺が握っていた腕と脚は祖父のものだった。
祖父も父も「盾の一族」の直系として訓練を受けていた強い戦士だった――にもかかわらず、わずか八歳の俺はその二人をたった数秒で倒してしまっていた――「盾の一族」の恐るべき力を発揮して――。
俺を最強の戦士へと育て上げる為にした事なのに……「盾の一族」の真の力を発揮させる為に祖父達がした事なのに……それなのに、祖父は真っ青な顔で俺を見つめて叫んだ。
「化け物めっ!!」――と。
その後、事件を知った兄に連れられ、俺は実家を出て、兄と暮らすようになった。
だが未だに祖父は自分の身体を引き裂いた俺の事を憎んでおり、父もまた……俺に連絡一つくれなかった。恐らく祖父と同様、俺を恐れて憎んでいるんだろう。
その証拠に年末年始の親類の集まりに行っても、祖父も父も母も……俺に会おうとはしなかった……。