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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第二章
93/346

春の宴~桜色の姫君~




 二十七の神子と神と職員二名の茶器、それと二十二の神子と神と職員二名の茶器。

 急須も大きめのものを用意し、茶葉もお湯も菓子も多めに貰った。

 紅玉はそれらを台に載せると、水晶達が待つ場所へと目指す。


 台を押しながら、宴の会場を見渡すと、あちらこちらに神子と神がおり、実に楽しげに、優雅に食事と会話を楽しんでおり、その周りをたくさんの職員達が忙しなく、引き切り無しに動き回っている。

 すれ違う職員全員に「お疲れ様です」と笑顔で挨拶をしながら、紅玉は会場内を進んでいく。

 時々、二度見をされたり、無視されたり……という場面もあるが、紅玉は気にしなかった。

 この神域で己の立場がどういうものであるかは、紅玉が一番よく知っていたからだ。


 その時だった――。


「ごきげんよう」


 まるで鈴を転がしたような可憐な声が響き渡り、紅玉は声のした方を振り返り、己へと近づいてくる人物を認めた瞬間、目を見開いた。


 桜色の柔らかそうな長い髪を靡かせて現れたのは、この世の美しさと愛らしさを全て詰め込んだような果てしなく可憐な少女であった。

 長いまつ毛も髪と同じ桜色。苺色の愛らしく大きな瞳。肌は瑞々しく、頬はほんのりと赤く染まり、桜の花弁のような艶やかな唇。

 その身に纏うのはまるで大輪の花のような美しい姫君の礼装。そして、その頭に飾られているのは、大和皇国皇族のみが着用する事を許されている冠だ。


 大和皇国の国花である桜と同じ色の神力を有する大和皇国の姫君と言えば、知らない者などいない――。


 紅玉はすぐさま彼女の前で膝を折り、右手を胸の前に添え、深々と頭を下げ、最上級の礼を取った。


「第三皇女殿下、お会いできて光栄です」

「うふふ、神域では『七の神子』と呼んで頂いても構いませんわ」


 鈴を転がすような愛らしい声とその姿に、周囲の職員だけでなく、神子ですらもハッと振り返り、思わず見惚れ、頬を赤く染める。


「七の神子様だ……!」

「皇女殿下だ……!」

「桜姫様だわ……!」

「なんて美しい方なんだ……!」


 そう、この少女は大和皇国の皇族であり、皇族神子の一人――七の神子こと桜姫(さくらひめ)


 通常、皇族神子達は皇族神子用に設けられた高台の席から下りてくることは滅多にない為、桜姫が宴会場にいる事自体に誰もが驚いている。


 しかし、桜姫はそんな事を気にする様子も無く、宴会場に降りてきた。傍にはきちんと護衛の職員が控えてはいたが――。


 すると、桜姫は愛らしい顔を蕩けるように微笑ませて紅玉に向かって言う。


「お久しぶりですわね、お姉様。お姉様のお噂は私の耳にも届きますのよ。その働きお見事ですわ」

「お褒め頂き、大変光栄でございます」


 紅玉は頭を下げたまま答えた。

 桜姫の顔は見えないが、可愛らしい声だけは聞こえてくる。


「日々いかがお過ごしですか?」

「はい、おかげさまで恙無く、神子補佐役としての務めを果たす事ができております」

「それは素晴らしいですわ。お姉様の実力あってこそ、なのでしょうね」

「いえ、わたくしだけの力ではございません。十の御社の神子様や神様は勿論、十の御社に勤める優秀な職員達にも支えられ、わたくしは日々の務めを果たす事ができております」

「まあっ! なんて素敵なお話なのでしょう! お姉様の周りにはとても素晴らしい人達がいらっしゃるのですね」

「はい、その通りでございます。毎日感謝の日々です」

「ええ、本当に良かったですわ」


 可愛らしい声を一段と高く上げながら、感動するように話していた桜姫――しかし――。


「――お姉様は随分とお幸せそうで」


 凍てついたような冷たく美しい声が響いた瞬間、紅玉は思わず顔を上げた。


 そこにいたのは苺色の大きく可愛らしい瞳に涙をたっぷり溜めて、紅玉を睨みつける桜姫の姿だった。

 その睨む姿すらいじらしく、一瞬自分自身が桜姫をいじめてしまったかのような錯覚と罪悪感を覚える程だ。


 桜姫は両手を胸の前で握ると、震える声で言った。


「お姉様、あなたはその幸せが『誰の犠牲』で成り立っているか、もう一度そのお心に言い聞かせるべきですわ。これでは、失意の中、命を落としていった神子のお姉様達があまりにも可哀相だわっ……!」


 桜姫の言葉と涙が零れ落ちた瞬間、周囲は一気にざわついた――。


「え、〈能無し〉のせいで犠牲者……?」

「神子のお姉様達ってもしかして、あの〈能無し〉の幼馴染だっていう……?」

「やっぱりあの噂は本当なのか……?」


 そんな心無い言葉はしっかりと紅玉の耳にも届いていた――が、紅玉は表情を崩すことなく、跪いたまま桜姫を見上げた。

 そんな紅玉を見下ろしながら、桜姫は言う。


「わからないのであれば、私がもう一度進言してあげましょう……」


 桜姫は苺色の瞳でキッと睨みつけると言い放った。


「あなたのせいよ、〈能無し〉のお姉様」


 それはかつて言われた台詞だ――。


「あなたのせいで神子のお姉様達は命を落とすことになり、藤の神子は罪を犯したの。全部全部あなたのせいよ。あなたがこの神域に現れなければ、神子のお姉様達は不幸に見舞われずに済んだのに……っ」


 かつて己の心臓を抉った言葉を、紅玉は跪いたまま聞いていた――。


「分かっておりますか? 〈能無し〉のお姉様。あなたが幸せになることなど許されませんわ。あなたには幸せになる資格などありません。それを肝に銘じておきなさいっ……!」


 桜姫は苺色の瞳から宝石のような涙を零すと、踵を返し去って行った――。


 紅玉は衝撃を受けていた。それは自分自身でも驚くほどの衝撃で、紅玉はただ黙ったまま桜姫を見送る事しかできないでいる。

 周囲は未だに紅玉に冷ややかな目を向けたままひそひそと話し声を上げていたが、紅玉の耳にはそんな声も届いていないようだ――。


 すると、紅玉に近づく一つの影があった。


「姫神子様のお言葉を決してお忘れなきように」


 その声を聞いた瞬間、紅玉は息を呑んだ。


「これはあなたの為でもあるのですからね、紅玉さん」


 そう言ったのは真珠のように艶めく美しい乳白色の真っ直ぐな長い髪を持った美女だった。撫子色の瞳を三日月のように細くして紅玉を見ていた。

 真っ白な西洋の神官のような制服を完璧に着こなすまるで聖女のような人物を見た瞬間、紅玉は立ち上がり、背筋を伸ばしたまま頭を直角に下げた。


真珠(しんじゅ)様、ご無沙汰しております……!」

「御機嫌よう、紅玉さん」


 紅玉が真珠と呼んだ美女は柔らかな微笑みを浮かべた。


 この真珠は七の神子の補佐役を務める職員だ。そして、紅玉と同じ神子管理部の職員であり、紅玉の先輩に当たる人物であった。しかし、それ以上に彼女は神域で有名な存在である。

 真珠は、三年前に起きた「ある事件」において、その身に宿す強大な神力で大量の邪神を祓うという功績を残し、「聖女」として呼ばれるようになった。

 挙句、この美しい容姿に立ち居振る舞いである。彼女は神域管理庁に勤める多くの職員の憧憬の的となっているのだ。


 しかし、紅玉はこの真珠という「聖女」を苦手としていた。


 向けられる視線も、言い放たれる言葉も、美しいその微笑みも――紅玉にとっては氷の刃であった。

 自分はかつてこの人に何か不興を買う事でもしたのだろうか――と思ってしまう程、紅玉は真珠に憎まれていると感じていた――心当たりは一切無いのだが。


 すると、真珠は綺麗な微笑みを湛えたまま紅玉に近づいた。


「再度申し上げますが、あなたにそのつもりはなくても、〈能無し〉は周囲に不幸を齎してしまう存在であり、〈神に見捨てられし子〉なのですから」


 頭を下げたままの紅玉の耳元で、囁くように、そっと毒を流し込むように、真珠は言葉を紡ぐ。

 紅玉は身体を硬直させたまま、聞く事しかできない。


 感じるのは――ただ恐怖――。


「またあなたという存在があなたの大切な人達の命を奪ってしまうかもしれないわね……あなたの妹さんとか……仁王のような先輩とか」

「――っ……!!」


 ドクリ――心臓が嫌な音を立てた。


「今度こそ大切な人を守りたいのであれば、そういっそ……」


 三日月のように瞳をより一層細くして、真珠は怪しく微笑みながら言い放つ。


「消えてしまえばいいのに……この世から」


 毒のような言葉に全身が粟立っていく――頭の中で真珠の言葉が何度も巡る――それはかつて自分自身が思った事――。


(だけど……っ……)


 紅玉は恐怖に塗り潰されてゆく思考の中で、ある人物の姿を必死に想い浮かべる。


 生きてくれ――諦めないでくれ――と必死に言い聞かせてくれた、仁王のような容姿でありながら、優しい心を持つ、自分が最も信頼する先輩の勇ましい姿を――。


 紅玉は瞳を閉じ、唇を噛み締め、必死に恐怖を堪える。


(す、おう様……っ……!)


 ――その時だった。




「紅殿っ!!!!」


 咆哮のような呼ぶ声に紅玉はハッとして顔を上げた。


 見れば、蘇芳が急いでこちらへ駆け寄ってくるところだった。

 そして、あっという間に蘇芳は紅玉の元へと辿り着く。


「貴女が遅いから迎えに来た」

「蘇芳様……」


 か細い声で身体を震わせている紅玉を見て、蘇芳は何があったかを察し、その原因であろう目の前にいる真珠をギロリと睨みつけた。そして、紅玉を庇うように真珠の前に立ちはだかる。

 真珠はまるで他者を射殺さんばかりの蘇芳の睨みに対しても平然としていたが、周囲はまるで蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 そして、その場は蘇芳と真珠が睨みあう場面となっていた。


「紅殿に何を言った? 七の神子の補佐役殿」

「私は姫神子様のお言葉をお忘れなきようにと、彼女に再度言い聞かせてあげただけですわ」


 真珠はそう言ってくすくすと綺麗に笑ってみせる。

 蘇芳は決して睨む事を止めない。


「では、私もこれで失礼致します」


 真珠は綺麗な礼をすると、最後ににっこりと微笑んでから、踵を返し離れて行った。


 立ち去って行く真珠を適当に見遣った後、蘇芳は紅玉を見た。


「紅殿、大丈夫か?」

「申し訳ありません、蘇芳様……お手を煩わせてしまって……」


 もう身体も震えていないし、声もはっきりしていたが、紅玉の顔色はまだ悪かった。


「紅殿、顔色が悪い。少し休もう」

「……ありがとうございます、蘇芳様。でも、もう大丈夫です。それにこれ以上皆様をお待たせしては申し訳ないですわ」


 紅玉はそう言うと、傍に置いてあった台車に手をかけた。


「蘇芳様、戻りましょう。今はお仕事中ですわ」


 蘇芳は心配そうに紅玉を見つめたが、今にも動き出しそうな紅玉の手から台車を奪った。


「これは俺が押す。いいな?」

「……はい、ありがとうございます」


 そんな小さな心遣いがとても嬉しくて、少し冷えていた紅玉の身体がぽかぽかと温まっていくのを感じた。


 そして、二人は並んで宴の会場内を歩いていく。


 ガラガラと台車を押して歩く蘇芳の横顔をそっと見ながら、紅玉は少し顔を赤く染める。

 傍にいるだけでホッとする安心感を覚えるその大きな身体に思わず縋りたくなってしまうのを、紅玉は必死に堪えていた。


 己自身に――そして、頭の中で響く毒の言葉に――紅玉は必死に言い聞かせる。




 ご心配なさらずとも、わかっておりますわ。

 皆を差し置いてわたくしだけが幸せになるなんて、決して許してはいけませんわ。

 わかっております。わかっております。わかっております。


 この優しい人を巻き込みませんから。

 これはわたくしの問題なのですから。

 この人は関係ありませんから。

 わたくしに幸せになる資格など無いと分かっておりますから。


 わかっておりますから、どうか、どうか、どうか……


 わたくしからもう大切な人達を奪わないで……!




 無意識に両手を握り締めてしまった紅玉を、蘇芳は心配そうに見つめていた――。




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