春の宴~四十の神子の来襲~
すると、その時――。
「あらぁっ! こぉんな隅っこの方で誰が食事しているのかと思ってわざわざ来て見れば、〈能無し〉の妹神子と呪われた御社の神子じゃなぁい!」
藍華と似たような台詞であるのに、嫌味をちっとも隠さない高飛車な声で現れたのは、絵に描いたような妖艶の美女であった。
青緑に煌めく不思議な光沢と色合いを持った美しい黒髪と艶やかな薔薇色の瞳を持ち、目元も頬もキラキラと煌めく粉をはたき、鮮やかな赤の色合いに染められている。
その身に纏うのは身体の線がはっきりと浮き彫りにさせる艶めかしい真っ赤な礼装。豊満過ぎるその胸にはくっきりと谷間が見え、胸元の蝶の刺繍が華やかに飾っている。
そして、足元を飾るのはキラキラと輝きを放つ踵が非常に高い美しい靴だ。そんな靴を履きこなす姿は実に美しい。
真っ赤に染められた唇をにっこりと微笑ませたその美女を見た水晶は淡々とこう思う。
(うみゅ、出やがった)
「相変わらず二人揃って隅っこがお好きね。ま、〈能無し〉がいる十の御社と呪われた二十七の御社の神子には、隅っこがお似合いでしてよ」
まるで「お~ほっほっほっほ!」と高笑いが付いてきそうな典型的な高飛車な嫌味に加え、後ろに控える取巻きらしき女性達によいしょを貰っている美女の姿に、水晶は不快を覚えるどころか一周回って感心してしまう。
(うみゅ、天然でこのキャラメイクができる貴重な人種……おっぱいも大きくて、取巻きもいて、悪役ポジションとしてはザ・パーフェクト。相変わらずなんと素晴らしい)
感心どころか絶賛であった。
「ベニちゃーん! Questionでーす!」
鞠はそう言って、手をピシッと挙げた。
「はい、どうぞ。鞠ちゃん」
「マリ、このヒト、シッテまーす! Fortyのミコさまー! All right?」
「はい、正解です。この方は四十の神子様の胡蝶様です。よく覚えましたね」
「エヘヘッ」
紅玉に褒められ嬉しそうにしていた鞠だが、急に首を傾げると言った。
「But、Fortyのミコさま、Makeupコクなかったとオモイマース。Now、very veryコイデース」
「鞠ちゃん、それはしーっす! 神子名鑑に載っている写真は四十の神子様がまだ若い時の写真っす」
「そこの新人達お黙りっ!!」
新人二人の正直過ぎる反応に四十の神子こと胡蝶は声を荒げた。
「まったく! 新人の教育がなっていないようね! 〈能無し〉!」
紅玉は胡蝶の鋭い睨みに対しても怯まず、にっこりと微笑むと言った。
「神子様、新人達はまだまだ未熟故に勉強中の身でございます。どうぞ寛大な御心でお許し頂けないでしょうか?」
「ふっ……〈能無し〉が神子であるあたくしに指図をするの?」
「指図ではありません。お願いでございます。この子達は間もなく十六になる社会人一年目。十以上も年上の我々が手本となってあげるべきだと思いませんか?」
「フンッ! あたくしは神子よ! 何故神子のあたくしがたかが子どもの職員の為に気を遣わねばならないの!?」
胡蝶の高圧的な態度に藍華は溜め息を吐いた。
「むしろあなた、紅や私よりも十歳以上年上でしょう? いい大人がそんな態度で恥ずかしくないの?」
「このあたくしに意見しようだなんて、随分生意気な小娘だこと! 呪われた御社の神子のくせに!」
「常識の無い中身子どもの神子よりはマシだと思う」
「――っ、なっ!?」
一触即発――の、その時、のんびりとしたこっそり話が聞こえてくる。
「ねえ、ソラ、Fortyのミコさま、ベニちゃんよりもTen years olderってコトは、マリたちよりTwenty years older?」
「鞠ちゃん、それもしーっす! 大人の女性に年齢の話は御法度っすよ」
「ちょっとそこの新人達っ!!!!」
「ぶほっ!」――と堪え切れず吹き出してしまったのは、果たして誰だったのか――。
とりあえず肩を震わせているのは取巻きの女性達だけのようであった。
「さっきから聞いていればなんて躾のなっていない新人なのかしら!? あたくしは神子よ!! 土下座をなさい!!」
その言葉に、流石の紅玉も微笑みを消して胡蝶に言い放った。
「畏れながら申し上げます。神子だからと言って、何もかもが許される訳ではありません。神子ならば神子らしく、節度ある言動をなさいませ」
紅玉の言葉に胡蝶は怒りで顔を真っ赤に染め上げる。
「――このっ! 〈能無し〉――!」
胡蝶が右手を振り上げる――!
紅玉が真っ直ぐ見つめ、蘇芳が目を見開き、藍華が息を呑んだその時――。
「むにっ」――と音がしたと思う程、胡蝶の豊満な胸が歪んだ――。
胡蝶は目を剥き、紅玉は「へ」と間抜けな声が出ていた。
「うみゅ……なかなかなボリュームに触り心地だけど……若干ハリが落ちているし、この感触は……」
いつの間にか胡蝶の懐に入っていた水晶がそう呟きつつ、胡蝶の胸を更に両手で握り潰す。
その場にいた全員、最早驚きのあまり言葉が出てこない。
「み」
「す」
「しょ」
「晶ちゃ――」
「きゃああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」
劈くような悲鳴を上げて胡蝶は物凄い速さで逃げ去っていった。
取り巻きの女性達も「胡蝶様! お待ちになって!」と叫びつつ、慌てて胡蝶の後を追って去って行く。
そんな胡蝶達の姿を見送りながら水晶は思う。
(かわいそーだから、本人のプライドのためにも偽おっぱいの件は黙っててあげよう。うみゅ、やっぱりナチュラルものには敵わない)
うんうんと頷いていると、槐がそっと耳打ちをした。
「……神子、ほっぺたの覚悟、しといた方がええぞ……」
「うみゅ?」
首を傾げた瞬間、水晶は背後に感じる、凍り付くような怒りの気配にビクリと身体を震わせた。
「う、うみゅ……」
振り向けない、振り向きたくない――きっとそこには絶対零度の微笑みを湛えた姉がいるに違いないのだから――。
現世にありがちな焦げ茶の髪に眼鏡に隠された花萌葱の瞳を持つ自他ともに認める地味な容姿の二十二の神子の鈴太郎は、宴の会場の隅の方にいた漆黒の髪を持つ同期の紅玉をやっとの思いで見つけたところだった。
「ああ、紅玉さん。やっと見つけた……!」
ひょろひょろな身体に鞭打って会場内をあちこち歩き回って探した甲斐はあった。鈴太郎はへにゃりと笑いながら紅玉に近づいていく――そして。
「こんにちわああああああああああ!!??」
挨拶と同時に悲鳴を上げた。
何故ならそこには、美少女と名高い水晶の頬を餅のように引っ張り続けている氷の如く凍てつくような微笑みを浮かべた紅玉がいたのだから。
「ひゅーーーーーーっ!! ひんひゃひょおっ! へふふひぃーーーーーーっっっ!!」
「こっ、こっ、こっ! 紅玉さん! 水晶ちゃん! 水晶ちゃんのほっぺたちぎれちゃうっ!! ごめんなさいごめんなさい!! 許してくださいーーーーーーっっ!!!!」
何故か鈴太郎は涙目になりながらそう叫んで紅玉に縋り、土下座を始める。何度も何度も地面に頭を擦りつける様子はいっそ滑稽だ。
そんな様子を傍から見ていた鈴太郎の護衛役である実善が呆れたように笑いながら蘇芳に言った。
「あはは、すんません。うちの神子、落ち着きなくて」
「いや、こちらこそ……お見苦しいものを」
蘇芳もまた呆れつつも、どことなく微笑ましげであった。
**********
怒りが治まった事で冷静になれた紅玉は鈴太郎の存在にようやっと気づく事になった。
慌てて鈴太郎に頭を下げる。
「御機嫌よう、鈴太郎さん。ご挨拶が遅れまして申し訳ありません……」
恥ずかしいところを見られてしまい、顔が熱くなってしまっていた。
一方の鈴太郎はようやっといつも通りの穏やかな紅玉に戻っている事に安心して涙をほろりと流しているところだった。
「いえいえ、いつもの紅玉さんに戻ってくれてよかったです……っ!」
まるで紅玉が化け物か何かに取り憑かれていたかのような口振りだ。
すると、鈴太郎は水晶と藍華の方を向き、へにゃりと笑う。
「水晶ちゃんに藍華さんもこんにちは~。水晶ちゃんはこないだ会ったばかりですけど、藍華さんは元気にしていましたか?」
「まあね」
藍華は少しそっけなく答えつつも、少し嬉しそうであった。
「鈴太郎こそ、神獣連絡網を作るのに忙しかったと聞いていたけど、身体は大丈夫なの?」
「あ、ありがとうございます~。ひょろひょろしているから体力無さそうに見えて、意外と持久力はあるんですよね~僕」
「ふぅん。まあ何にせよ、神獣連絡網はすごく画期的で私も助かっているわ……あ、ありがとう」
「いえいえ~雛菊さんとか紅玉さんとか、たくさんの方からの協力があったおかげですよ~」
鈴太郎の言葉に藍華は目を剥く。
「えっ、紅も神獣連絡網の事に関わっていたの?」
「いえ、わたくしは大したことはしておりませんわ。神獣連絡網の貢献者は鈴太郎さんと雛ちゃんですわ」
しかし、藍華は察する――紅玉も神獣連絡網誕生に大いに関わっている事に――。
チラリと蘇芳を見れば、蘇芳は困った顔をして首を横に振っていた。
紅玉はこういう時は特に謙遜が過ぎ、手柄を放棄してしまう悪癖持ちである事を、紅玉を知る者達は知っている。
そして、こういう時の彼女は梃子でも己の手柄を認めようとしない事も――。
藍華は溜め息を堪えつつ、さりげなく話題を変える事にした。
「ねえ紅、連絡先交換してもいい?」
「あっ、はい、是非」
「こっ、交換しておけば後々便利でしょって意味だからね」
「ふふふっ、そうですわね」
そんな紅玉と藍華のやり取りを見ていた鈴太郎は思わず感動する。
「よかったですね……!」
思わず涙を零した鈴太郎だったが――。
「はい、藍ちゃんはうちの妹と仲良くしてくださる希少な方なのでありがたい限りです」
藍華の片思いを瞬時に察し、別の意味で涙を流す……。
「あっ、憐れんだ目で見ないでっ!」
例え片思いでも藍華的には紅玉と話せているだけでも嬉しいようで、顔を嬉しそうに赤く染めている。
そんな藍華のあまりにもいじらしい姿に水晶は再び悶え震えていた。
(やべぇ……! 藍華たん、かわゆし、尊い、つらたん……うみゅ、ここは晶ちゃんが一肌脱いでやろう)
水晶はそう決意すると紅玉を振り返って、両手を合わせて小首を傾げた――お得意のおねだり姿勢だ。
「うみゅ~~~おねえた~~~ん、晶ちゃん、藍華たんをうちの御社に招待したいなぁ~~~。ねえ、いいでしょ~~~?」
「気持ちはわかりますが、藍ちゃんの迷惑になってしまいますわ。藍ちゃんにもご予定がありますもの。それはまた後日に――」
「しっ、仕方ないわね! 行ってあげるわよ!」
即答だった。
「藍ちゃん、よろしいのですか? 他にご予定とか……」
「べっ、別に気を遣わなくてもいいわよっ! 予定なんて無いし!」
「やったぁっ! 藍華たん、ありがと~~~!」
水晶は両手を広げて藍華に抱きつこうとするが、紅玉に首根っこを掴まれてしまう。
「貴女のしようとしている事なんて、お見通しですからねぇ」
「う、うみゅ……」
やや冷たさを孕んだ声に逆らえるはずもなかった。
「せっかくなので席に座ってお話ししませんか?」
鈴太郎がすぐ近くにある卓と椅子を指差すと、実善がすぐ動いて席の確保をしていた。
鈴太郎の補佐役である慧斗は二十七の御社の職員達と一緒に料理を綺麗に並べ直している。
すると、足りないものがある事に紅玉は気づく。
「わたくし、お茶一式をもらって参りますわ」
流石に初め持ってきた茶器だけでは、今この場にいる全員のお茶を淹れるのに足りないのだ。
「紅殿、俺も行こう」
すかざず蘇芳が声をかけるが、紅玉は首を横に振る。
「いえいえ、台を使いますからわたくし一人で十分ですわ。蘇芳様は皆様をお願いします。空さん、鞠ちゃん、晶ちゃんの事をお願いしますわね」
紅玉はそう言うと、会場の中心部へ向かって歩き始めた。
水晶は可愛い女の子が大好きで、乙女ゲームよりもギャルゲーの方が好きだったり、女子アイドル好きという設定があったりします。
タカビーな女の子に嫌味を言われても、それはそれで一つの味として見て楽しめるタイプ(笑)