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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第二章
82/346

無花果ノ樹にて




 乾区にある遊戯街は、神域で暮らす神子や神の為に造られた遊戯場が並ぶ街だ。飲食店もどちらかと言えば、酒を扱う店が多く、昼よりも夜の方が賑やかになる。

 しかし、そんな遊戯街にも昼に営業している店があり、紅玉達が入ろうとしていた店はまさにその店の一つだ。


 可愛らしい花壇が玄関先を飾る西洋文化が取り入れられた喫茶店だ。店の名前は「無花果ノ樹(いちじくのき)」という。

 紅玉が扉を開くとシャララと涼やかな鈴の音が鳴り響いた。

 店内を見渡すと、昼時を少し過ぎた時間帯のせいか、店の中には客がいなかった。そのせいか店員はすぐに紅玉達に気付く。そして、目が合うと、店員は嬉しそうに顔を綻ばせ、紅玉達の元へと駆け寄って来た。


「紅ちゃん! いらっしゃいませ! お久しぶり~!」

「御機嫌よう、一果(いつか)ちゃん。最近はなかなか遊びに来られなくてすみません」


 一果と呼ばれた女性は、薄荷のような爽やかな緑の瞳と同じ色に毛先を染め肩より少し長めの髪を持つ大人っぽく綺麗な人物であった。


「紅ちゃんは相変わらず忙しいんだろうなぁとは思うけど、ちゃんとお休みもしなきゃダメよ」

「ふふふ、ご心配には及びませんわ」

「それにしても、今日のその格好すっごく可愛い!」

「今日はお休みで……出かけようとしたら、女神様の着せ替え人形になってしまって」

「すんごくいいわ! え~、紅ちゃん、普段もそれくらいお粧かししてよ!」

「流石に職務中はちょっと」


 そんな女性同士の仲良さそうなやり取りを紅玉の後ろで見ている蘇芳の存在に、一果はふと気付いく。

 そして、にやにやと笑いながら紅玉に問う。


「今日は仲良くデートかしら?」

「ちっ、違いますよ! 蘇芳様は職務中です! 神子の命でわたくしの仕事のお手伝いをしてくださっているのです!」

「……紅ちゃん、あなたさっきお休みって言ってなかった? もう! また休みの日に仕事片付けているんじゃないでしょうね?」

「一果ちゃん、わたくし達、お腹が空きましたの。お昼ご飯を頂きたいですわ」


 一果の追及に答えず、紅玉はにっこりと笑って誤魔化す。


「もーーー……はいはい、お席までご案内致します」


 諦めたような表情の一果に案内され、店の奥の方まで移動し、二人用の席に着く。


「いらっしゃいませ」


 席に着いて間もなく、水が用意される。

 水を置いたのは一果ではなく、髪の毛の半分を菫のような薄紫色に染めた男性だった。こちらも一果同様少々大人びた印象である。

 その男性を見た瞬間、紅玉は微笑みながら頭を下げた。


水森(みずもり)様、御機嫌よう。お久しぶりでございます」

「いつも一果が世話になっているな。ゆっくりしていってくれ」


 水森はそう言いつつ、紅玉と蘇芳に品書きが書かれた冊子を渡す。


「蘇芳様、何を召し上がります?」

「そうだな……では自分はカレーライス」

「ではわたくしは鯖の塩焼き定食を」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 水森は二人から品書きを貰うと、厨房の方へと向かう。

 その途中で、神獣連絡網に何か話していた一果を指で軽く小突いたのが見えた。

 一果はむっとしつつも、ふわりと笑い、水森も一果を見てふっと笑いながら、何かを話している。


「相変わらず仲が良さそうだな」


 二人の姿を同じく見ていたのであろう蘇芳がぽつりとそう言った。


「はい、神域きっての鴛鴦夫婦ですわ」


 一果と水森は約三年前結婚した夫婦である。紅玉も二人の小さな結婚式に参列したので、当時から二人の仲睦まじさは知っていた。

 だが、一果の身に降り懸った不幸を考えると、この三年、二人が歩いてきた道のりは決して楽なものではなかった事も紅玉は知っている。

 だからこそ、今、二人がああやって幸せそうに笑い合えているのが尊いものだと紅玉は思っていた。


「……本当に、良かったです……」


 思わずそう呟く紅玉に、蘇芳は言う。


「貴女のおかげだ」


 しかし、紅玉は首を振って言う。


「……一番の貢献者は、葉月(はづき)ちゃんですわ」


 誇らしげにはっきりとそう言う紅玉を見た蘇芳は、不条理なものを感じてしまい、胸が苦しくなる。

 そんな蘇芳の様子に気付いた紅玉は蘇芳を見つめ、首を傾げる。


「蘇芳様、どうかなさい――」


 紅玉が声をかけた瞬間、店の扉が勢いよく「バン!」と開かれ、鈴の音も「ジャラジャラ」と大きな音を奏でた。


 店の入り口を見て、紅玉は目を剥いた。


「面白いものが見られると聞いて!!」

「よ、世流ちゃん?」


 色気のある紫がかった黒の瞳に毛先を黒に染めた一斤染の長い髪。花魁のような色香を纏った美人――だが、正真正銘男性の世流が現われたのだ。

 その世流の後ろにも紅玉の見知った顔が三人いた。その中には「泡沫ノ恋」での特別任務時に世話になった凪沙もいる。


「「「「きゃあああああああああっ!!!!」」」」


 突如上がる黄色い悲鳴に紅玉と蘇芳は思わず肩を揺らす。

 そして、目を白黒させている紅玉の下に世流や凪沙を含めた四人の来訪者が取り囲んだ。


「紅ちゃん! 可愛いわっ! ものすっごく可愛い! 食べちゃいたいくらい可愛い~~~!!」

「うんうんっ! 今日の紅ちゃん、いつも以上に可愛くて素敵っ!」

「あ、あ、ありがとうございます、世流ちゃんに凪沙ちゃん」

「紅お姉様! お可愛らしいですぅっ! はああ、お胸のこの辺りとかと~っても良いと思いますぅっ!」

「わかるわ~、亜季乃(あきの)。あなたに激しく同意だわ~。個人的には引き締まった腰も魅力的だわ~!」

「亜季乃ちゃん、野薔薇(のばら)ちゃん……」


 世流達来訪者に撫で擦りまくられながら褒められ、紅玉はたじたじである。

 すると、世流が蘇芳を振り返って言った。


「ちょっと蘇芳さん、紅ちゃん借りるわよ!」

「え?」

「こっちで女子会するんだから邪魔しちゃメッよ!」

「え? あ? え?」

「さあさあ紅ちゃん! 詳しいお話を聞かせてもらうわよぉっ!」

「えっ、えっえっえっ? よ、世流ちゃん? 詳しい話とは?」


 そして、世流は蘇芳から奪うように紅玉を連れて行ってしまった。


(…………世流殿は男では?)


 若干混乱している蘇芳のツッコミは斜め上であった。

 しかし、世流や友人達に囲まれた紅玉が柔らかく微笑んでいるのを見ていたら、まあいいかとも思ってしまう。


「悪いな、蘇芳さん」


 そう言って、蘇芳の席の前に座ったのは水森だった。


「どうも一果のヤツが世流さん達を呼び出したらしい。まったく、仕事中に何やってんだか」

「ははは、一果殿達は紅殿が大好きだからな」

「……そうだな。紅玉さんは恩人だからな……一果にとっても、俺にとっても」

「………………」


 「紅玉が恩人」――水森のその言葉の意味を蘇芳は知っていた。


「一果が言っていた……あの時、紅玉さんが傍にいてくれなかったら、自分は間違いなく自殺していたって……俺の事を忘れたまま。一果だけじゃない。世流さん達も同じこと言っていた」


 水森の言葉に蘇芳は思い出していた……今、紅玉を取り囲む世流や凪沙や一果ともう二人――若く見目麗しい五人の身に降り懸った、口にするのもおぞましいあの事件の事を。


「記憶を取り戻して、やっと俺の元に戻って来た一果がさ、神域に戻るっていった時は、猛反対して喧嘩になっちまってさ……結局俺が神域に就職することで和解したんだけどよ」


 あの事件で世流や一果達は決して治る事のない深い傷を心と身体に負った――この神域で。

 しかし、世流達は悪しき思い出の残るはずの神域に戻って来た――自らの意思で。


「神域に来て、何で一果があんなにも神域に戻るって言って聞かなかったのか、俺もようやく分かった訳だけどさ」


 水森はそう言いながら、己の妻が笑いかけている存在――漆黒の髪と瞳を持つ紅玉を見た。


「たかが神力がないってだけで、大好きな大恩人が神域でめちゃくちゃな扱いされていたら、そりゃ心配で戻りたくなるよな」


 三年前のあの当時、神域に紅玉の味方は圧倒的に少なかった。

 だから、世流達はこの神域に戻って来たのだ――紅玉の絶対的味方として。

 そんな世流達の存在は、紅玉のどれだけの力となっただろう。蘇芳は五人に感謝してもしきれなかった。


「貴方の奥方様達には、大変感謝をしております。勿論、貴方にも」

「感謝されるような事はしていないさ。俺達が感謝すれどもな。俺は……紅玉さんがいなかったら、本気で一果を永遠に失うところだったんだからな。一果は言っている。紅玉さんが幸せに笑ってくれるなら、協力を惜しまないし、喜んで力を貸すって」


 そして、水森はジッと蘇芳を見つめるとはっきり言った。


「だからさ、蘇芳さんはさっさとプロポーズして紅玉さんを幸せにしてやれ」

「はっ!? なっ!? 水森殿!?」


 突然話の矛先があらぬ方向で自分に向き、蘇芳は大混乱だ。しかし、水森が突然こんな事を言い出す心当たりがあった。


「さては一果殿に何か言われただろう!?」

「……否定はしないけどな」


 潔い男だ。


「だけどな、俺個人からも言わせてもらうとな、蘇芳さんどう見ても紅玉さんのこと好いてんだろ。見ているこっちが恥ずかしくなるっての。それに紅玉さんもどうみても蘇芳さんのこと好いてるし、安心しろ。フラれるって事は絶対ないから、思い切って行け」

「い、いやっ……今は……まだ、その……」


 迷っている様子の蘇芳に水森は真剣な顔をして言った。


「はっきり言わせてもらう。自分が好きになった女がいつまでの自分の側にいると思うな。いつ誰に奪われるかわからないんだぞ……俺みたいに」

「――っ」


 水森の言葉はあまりにも説得力があり過ぎて、蘇芳は思わず息を呑んだ。

 紅玉が、かつての一果のような目に遭ったと考えるだけで――蘇芳の心はぐらぐらと怒りで煮え滾りそうになる。

 蘇芳がよっぽど怖い顔をしたのだろう――水森は少し肩を震わせてしまう。


「……そんな顔をするくらい大切な女なら、もういっそ縛りつけて外に出すな。首輪つけとけ」

「水森殿、それは流石に……」


 倫理的に少々問題がある極端な話である。


「……それに、紅殿は……今は決して自分の想いに応えてくれない。彼女が今最も大切にしているのは、過去の悲劇を繰り返さない事であり、妹である水晶殿を守ることであり、三年前の真実を見つけ出す事だ」

「ああ……それに関しては紅玉さん側に問題あるよなぁ……まったく、二人揃って真面目過ぎるというか……めんどくさい」


 水森は卓の上に肘を着き、頬杖をしながら溜め息を吐く。


「……ま、めんどくさいのは俺らも変わりないけどな……」


 視線の先にいるのは己の妻の一果である。


「三年も経って、やっと夫婦らしくなってきたというかなんというか……」

「とても仲睦まじく見えますが……?」


 首を傾げる蘇芳に、水森は躊躇いがちに言う。


「……容易くないんだ。心に負った深い傷を克服するのは……一果が俺に触れられるようになったのは、つい一年くらい前。んでもって抱き締めてくれるようになったのは、つい数ヶ月くらい前だ」


 結婚して三年も経つ夫妻の複雑過ぎる事情を知り、蘇芳は慌てて頭を下げた。


「すみません。あまりに不躾が発言でした。申し訳ない」

「いや、いい。気にしないでくれ。だけど、俺の言いたいこと分かったか?」


 水森は席を立つと、蘇芳を見下ろしながら言った。


「手に届く位置にいるなら、その手掴んで絶対離すな。後悔する事になるぞ」


 そう言って去っていく水森の背を見送りつつ、まだ友人達に囲まれてふわふわと笑っている紅玉を見つめながら、無意識に拳を握り締めてしまっていた――。




**********




 やがて仕事があるからと後ろ髪を引かれる思いで(というより二人の食事の邪魔をするなと水森から追い出され)世流達は帰っていった。


 そうしてやっとのことで食事を終えた紅玉と蘇芳は「無花果ノ樹」から出る。そんな二人を一果と水森が見送りに店先まで出た。


「一果ちゃん、ご馳走様でした。しかも奢って頂いてしまって……」

「いいのよ! その代わり、また来てね!」

「紅玉さんならいつでも歓迎だ」

「ありがとうございます、一果ちゃん、水森様。では、また」

「ご馳走様でした」


 紅玉と蘇芳は揃って夫妻に頭を下げると、次の目的地へと歩き出した。

 途中、一果を振り返って手を振る紅玉の手を蘇芳が取って、さり気無く誘導する。

 そして、二人は手を繋いだまま道を進んでいった。


 そんな二人を見送った水森は思わず思う。


(あれでまだ両想いじゃないのかよ……おいおいおい)


 頭の痛くなる程の歯痒さである。

 そんなやきもきしている水森の横で、一果が突如大粒の涙を流したので水森は思わずギョッとした。


「一果! どうした!?」


 心配のあまり叫んでしまう水森に、一果は必死に呼吸を整え、涙の理由を語り出す。


「べっ、紅ちゃんのっ――あっ、あの姿っ――はっ、葉月ちゃんにもっ、見せてあげたかった――っ!」


 途切れ途切れにそう言い切ると、一果は堪え切れず、水森にしがみ付き、彼の胸の顔を埋めてボロボロと涙を流す。


「葉月さん……俺達の恩人で紅玉さんの幼馴染さんだっけか?」


 水森の言葉に一果は水森の胸の顔を埋めたまま、何度も頷く。


「……そっか」


 水森は葉月に会った事がなかった。

 だが、彼女が紅玉の幼馴染で、紅玉同様、感謝しても決してしきれない程の恩があると、一果から聞いており、葉月という人物の存在は水森も知っていた。

 本当直接葉月に会って、心から感謝の気持ちを伝えたいと思っていた――それは永遠に叶わないものとなってしまったが。


 葉月もまた紅玉の神域での扱いを憂えた一人なのだろう。そんな彼女に今の紅玉を見せてあげたいという一果の気持ちを水森は痛い程わかる――。

 水森は己にしがみ付く愛おしい妻を抱き締めた。


「きっと見ているさ。天国から」


 そう言って、水森は慰めるように一果の額に口付けを落とした。




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