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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第二章
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柑橘類とほんの少しの蜂蜜




 禁書室を出て、轟と別れた紅玉と蘇芳は、水晶に頼まれた図書を借りる為、別館から本館の方へと向かう。

 歩きながら紅玉は蘇芳に尋ねた。


「それで、晶ちゃんが借りたい本とは何ですか? よろしければわたくしもお手伝いしますわ」

「……あ」

「はい?」


 蘇芳は慌てて隠しにしまっていた紙を取り出すと、それに目を通す。そして――。


「すまない、紅殿。少々神子に確認したい事ができた。連絡網を使ってくるので、少しここで待っていてもらえるか?」

「はい、お待ちしておりますわ」


 蘇芳は駆け足で紅玉から離れていった。


 紅玉は辺りを見渡し、すぐ近くにあった長椅子へと腰かけた。

 ここは丁度本館と別館の境目辺りの渡り廊下で、行き交う人が大変多い場所だ。

 行き交う人を観察していると、皆、色とりどりの髪や瞳を持っていることが一目瞭然であった。

 赤、青、黄色、緑、橙、紫、水色、桃、茶、白――いろんな色が混ざり合う。しかし、何処を見渡しても、漆黒は見当たらなかった。漆黒を混じる色を持つ人はいても、全てが漆黒という人物は一人もいない。


 全て漆黒なのは己だけだった――。


「…………………………」


 ここ最近感じた事のなかった一抹の寂しさが込み上げてきそうになる……。


 ふと、人の気配を感じて顔を上げた。

 蘇芳――か、と思われた人物は、蘇芳ではなかった。


「やあ、こんにちは」


 ニコッと人の良さそうな笑みを浮かべて男性が立っていた。


 その男性は絵に描いたような優男だ。恐らく現世の今時の女子に人気がありそうだと紅玉は思った。鮮やかな檸檬色の髪と海のような青い瞳を持っている。


(この方……)


 紅玉が知らないはずもない。否、彼を知らない職員はむしろいないであろう。

 紅玉はすぐさま立ち上がり深々と頭を下げた。


「ご挨拶頂きありがとうございます、三十五の神子様」

「ああ、いいよいいよ。そんな堅苦しい挨拶しないで」


 ヒラヒラと手を振りながら、三十五の神子はニコッと笑う。


「えっと、紅玉ちゃんだよね。十の神子様の補佐役の」

「申し遅れた事をお詫び申し上げます。わたくしは神子管理部御社配属十の神子補佐役の紅玉です」

「わあ、一字一句間違えずに言えるなんて流石だね、紅ちゃんは」

(……紅ちゃん……)


 軽薄なその態度に、紅玉は思い出した。この三十五の神子の事を。


 一見すると優男の三十五の神子は、中身も大変立派な優男だという噂だった。

 降臨させた神子の全てが女神で、御社配属の職員も皆女性。常時女性を侍らせているという男性からしたら羨ましい状況での暮らしぶり。

 しかし、それだけには飽き足らず、見目可愛らしい女性や美しい女性に片っ端から声をかけまくり、酷い時は恋仲だった男女の仲を引き裂いた事もあるという専らの噂だった。


 そうあくまで噂なのだ。


 紅玉はもう一度三十五の神子の顔をじっと見た。

 三十五の神子はにっこりと笑うと言った。


「俺は三十五の神子の風雪(かざゆき)。よろしくね。紅ちゃん、いつもは着物に袴できっちりしているイメージなのに、洋服を着ると可愛らしくなるんだね。綺麗な花みたいで良く似合っていて素敵だよ」


 人の良さそうな整った笑顔と歯の浮くような台詞である。この顔に女性達は心射抜かれてしまうのか……と、紅玉が冷静に分析していると――。


「ねえ、紅ちゃん。今一人なの? もしよかったらさ――」


 しかし、それ以上風雪の言葉が紡がれる事はなかった。

 紅玉と風雪の間に身体を滑り込ませる人物がいたからだ。


「我が十の御社の神子補佐役に、何のご用でしょうか? 三十五の神子殿」

「蘇芳様……!」

「おぉ……!」


 仁王か軍神かの身体の大きなその人物の突然の登場に紅玉も風雪も目を剥いた。


 しかし、風雪は蘇芳に怯えた表情を見せる事なく、ニッと笑う。


「いやいや、可愛い女の子が一人でいたから気になって声をかけただけだよ」


 そして、風雪は蘇芳の肩をポンと叩くと囁くように何か言った。

 本当に囁くような声だったので、紅玉には聞こえない。しかし、蘇芳には――。


 蘇芳は驚いたような顔をして風雪を見る。

 そんな蘇芳の表情を見て、風雪は満足そうに微笑んだ。


「それじゃあね、紅ちゃん。また会おうね」


 風雪はヒラヒラと手を振りながら、その場を去って行ってしまった。

 それはまさかに風の如く……。


「一体、何のご用だったのでしょうか?」


 風雪の不可解な行動に紅玉は目をパチクリさせた。


「……紅殿」

「あ、はい」

「すまなかった……」

「え? いえ。それで、晶ちゃんとはちゃんと連絡できました?」

「あ、うん……それはいいのだが……」


 何かを言いあぐねている蘇芳の様子に紅玉は首を傾げる。

 すると、蘇芳は紅玉を見つめると、その大きな手で紅玉の手を握って歩き出した。

 蘇芳の突然の行動に紅玉の頭の中は若干混乱気味である。


「え、あ、あの、蘇芳様?」


 手を引かれるまま図書館の建物を出て、人の少ない庭の方までやってきた。

 そして、蘇芳は立ち止まると、紅玉と向かい合い、頭を下げる。


「すまなかった」

「え、えっと……?」


 蘇芳は謝罪するものの、紅玉は何度考えても謝罪される理由が分からなかった。

 蘇芳に頭を下げられている状況に居た堪れなくて、紅玉が蘇芳に声をかけようとしたその時――。


「一人にさせてすまなかった」


 紅玉はその言葉に思わず目を見開く。


「貴女を一人残して離れるべきではなかった……寂しい思いをさせてすまなかった」

「っ……」


 その言葉に紅玉は燃えるように顔を赤く染めてしまった。慌てて、顔を隠そうと俯いてしまう。

 しかし、蘇芳は紅玉が機嫌を悪くしたのだと勘違いをする。


「す、すまなかった、紅殿……! もう一人にさせない。ずっと傍にいるから、だから……!」

(ああ、ああああ、ああ……っ!)


 紅玉は焦った。蘇芳が紡ぐ言葉にますます顔が熱くなる一方。こんなに真っ赤に染まった顔を蘇芳に見られたくはない。

 紅玉は両手でぐっと蘇芳の身体を押した。


「すっ、蘇芳様! 少しお黙りになって!」

「……はっ、はい」

「き、聞いてくださいまし。お、怒っていません。怒っていませんし、泣いてもおりません。ですので、心配は無用の長物でございます」

「そ、そうか……」

「あ、あと正直に申し上げるのなら、寂しかったのは本当です。申し訳ありません。〈能無し〉歴が長いにもかかわらず、甘ったれた事を思ってしまって」

「い、いや……それは」

「で、でもですね、あの時蘇芳様が戻って来てくれた時……もう寂しさなんて、何処かへ吹き飛んでしまって、今の今まで蘇芳様に言われるまで忘れておりました」

「……え」

「だから、蘇芳様が謝る事はこれっぽっちもございません。だって、蘇芳様が傍にいてくださるだけで、わたくし……安心できますの……」

「…………」


 紅玉はようやっと熱が落ち着いた顔を上げて蘇芳を見た。

 優しい金色の瞳が己を見下ろしている。その事に酷く安心して、紅玉は自然と笑みがこぼれていた。


「ありがとうございます、蘇芳様。心配してくださって。わたくし、貴方のその優しさが大好きですわ」

「――っ!!??」


 今度は蘇芳が燃えるように顔を赤く染めてしまう番だった。

 蘇芳は己の顔を見られないように、天を仰いだ。己の身長が高いおかげで、紅玉に自分の顔を見られる心配はないが――。


「す、蘇芳様……どうなさったの? わ、わたくし、何か変な事言いました?」

「い、いやっ、今日は良い天気だなぁ……! あは、はははっ! 日光浴は身体に良いのだぞ、紅殿!」

「え、あ、は、はい、そうですね。良い天気ですね。お洗濯物も良く乾きますし、骨も丈夫になりますものね、おほ、おほほほほ」


 二人はしばらく変な汗をかきながら、よくわからない会話を続けたのだった。




 そんなこんなで、二人の心臓がようやっと落ち着いた頃にはすっかりお腹が空いてしまっていた。

 その証拠に、ぐぅと蘇芳の腹の虫が鳴った。

 それを聞いた紅玉が「ふふふっ」と微笑ましく笑い、蘇芳は恥ずかしさに顔を赤く染めた。


「何処かでお昼を頂きましょうか」

「そうだな」

「あ、でも、その前に晶ちゃんの本を借りなければですね」

「あ……いや、その、それはなくなった」

「えっ!?」

「その代わり、菓子を買ってきて欲しいと頼まれた……」

「まったく、あの子って子は……蘇芳様、迷惑なら迷惑ですとはっきり言ってくださって結構ですからね!」

「ははは、大丈夫だ」


 そして、二人は並んで歩き出す。


「何処に行こうか」

「遊戯街はいかがでしょう?」

「そうだな。乾区は歩いていける距離ではあるが……」

「わたくしは歩けますわ」

「では歩こうか。坤区の神域参道町を通って、橋を渡ればすぐだから……」


 どこの区の神域参道町もそうだが、基本的にはかなり人通りが多い場所だ。

 そう思い出した紅玉が蘇芳の袖を軽く摘んだ。


「あ、あの、蘇芳様……こうしていてもいいですか? はぐれたら嫌ですので……」


 蘇芳を見上げ小首を傾げる紅玉を見て、蘇芳は思わず唸り声を上げそうになるが、何とか堪えた。


「え、遠慮するな」


 そして、蘇芳は己の袖を引く紅玉の手首を掴み、その手を優しく握る。


「こうすれば安心だろう?」

「はっ、はい……」


 紅玉は少しはにかみながら、握られた手に力を込めて握り返す。

 そんな可愛らしい力加減に蘇芳も顔を綻ばせる。


「では、行こうか」

「はい」


 そして、二人は歩き出す。「何を食べたいですか?」とか「そうだな」とか他愛もない話を続けながら――。




 そんな仁王のような巨体の男と花のように美しく着飾った女性の仲良く手を繋いで歩く姿を遠くから見つめながら、風雪は思った。


(あーーーじれったい)


 檸檬や柚子や酢橘やかぼすといった柑橘類の絞り汁に、ほんのちょっとの蜂蜜を混ぜたような酸味強めの隠し味が甘さの飲み物――あの二人の印象はそれだ。


 初め、風雪が紅玉を見かけた時、明らかに着飾って異性との外出を楽しんでいる女性だと思った。

 だがしかし、紅玉は一人でいる上に、どことなく寂しげな表情をしていたので、放っておけず思わず声をかけてしまったのが始まりだ。

 ちゃんと蘇芳は直後に戻って来たし、蘇芳が戻って来た時には紅玉は安心したような表情をしていたので、何の問題も無いと判断したが、余計なお世話とは思いつつ、風雪は蘇芳に苦言を呈した。

 蘇芳の「絶対聴覚」の異能を知っている上で、敢えて囁くような声で。




「こんな可愛い子、誰も放っておかないよ。例え〈能無し〉でもね。この神域でたった一人の〈能無し〉ちゃんをこんな色とりどりの所に放置するなんて信じられない。彼女、寂しそうにしていたよ」




 そう言われた後の蘇芳の顔は正直見物だったが、その後もこっそり野次馬をしたら、あんな甘酸っぱ過ぎる恋模様を見せつけられるとは思ってもみなかった。


「あーーーーーーーー…………俺も彼女欲しいーーーーーーーー…………」


 三十五の神子の虚しい無い物強請りの声は風に掻き消されていった。




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