紅玉の休暇
その日、紅玉は休みの日だった。
身に纏うのはいつもの着物と袴ではなく、珍しく洋装だ。清潔感溢れる真っ白な上衣と膝下の長さのふわりとした下衣。大人らしくも女性らしい可愛らしさの出立ちである。
しかし、そんな可愛らしい格好をしているにもかかわらず、紅玉は困ったような顔をしていた。
何故なら紅玉の目の前には真剣な表情をした鞠やキラキラと顔を輝かせた女神達が一心不乱に紅玉を見つめており、非常に居た堪れないからだ。
「ヤッパリ、ベニちゃんにはCorset skirtの方がイイとオモイマース!」
鞠がそう言うと、毛先を黄色に染めた白い髪を持つ女神の仙花が頬を紅潮させる。
「やっぱり鞠もそう思う!? 思った!? 思うわよねぇっ! やっぱり紅ねえのその武器は活かさない手はないと思うの! やっぱり洋装の事は鞠に聞いて正解だわっ! ってなわけで紅ねえ、こっちのスカートに履き替えて!」
「……はい、仙花様」
女神にそう命じられては紅玉に逆らえるはずもない。
紅玉は淡い藍色の女神のれなと雪のように真っ白な女神の六花の手を借りながら、いそいそと着替える。
「あと、そのBlouseはちょっとSimpleデース。デコルテはミせたいデスネー……ってなると……」
鞠は洋服箪笥を素早く目を通すと、ピンと来た物を取り出し、紅玉に差し出す。
「Topsはコレ! Accessoryはコレ!」
「きゃあっ! 素敵! 流石は鞠ね! れな! 六花! これもお願い!」
そうして「髪型は」だの「化粧を」だのいろんな意見が飛び交い、紅玉はすっかり着せ替え人形状態であった。
(晶ちゃんが、時々表情が無になっているのが良く分かりましたわ……)
紅玉は時々粧し込まれている水晶が疲れたような表情になっている事に首を傾げた事があったが――体験してみないと分からない感想である。
そんなこんなで、かれこれ一時間以上も経ったところで、ようやっと紅玉の身支度が整ったのだった。
首元が開かれ、鎖骨を艶やかに見せる上衣は真っ白なもので、襟の辺りに美しい花の刺繍が施されている。腰を細く見せつつ、ふわりと揺れる下衣は膝下丈の淡い藤色。今の季節にピッタリの色合いだ。
いつも頭の上で一つに括りあげられている漆黒の髪は下ろされ、綺麗に梳かれ、真っ直ぐに流れている。そして、小さな髪飾りが飾られ、女性らしさを引き立たせていた。
また硝子でできた首飾りと耳飾りがキラキラと輝き、自称平凡という顔も薄く化粧が施され、大人らしい女性へと変身している。
見事な仕上がりに鞠やれなや六花も満足そうだ。
そして、紅玉も満更ではなさそうにはにかんでいた。
「紅ねえっ……! 綺麗よ……! 美しいわ……!」
仙花に至っては感涙に咽ぶ程だ。
「大袈裟ですわ、仙花様。ですが、このように良くしてくださってありがとうございます」
「そんなことないわっ! 私ずっと紅ねえの事を飾り付けたいって常日頃から思っていて、今日は紅ねえが休みの日で出かける日だって、事前に情報掴んでいたからようやっと願いを叶える事ができたのよ! もういろんな手を回した甲斐があったものだわ……!」
(どんな手を使ったのか聞くのが怖いです……)
紅玉は鞠や女神達に再度礼を告げると、外出する為部屋から出て玄関広間へと向かう。すれ違う神々から称賛の声を貰い、少し気恥ずかしくなりながらも、ようやっと玄関広間に辿り付いた。
靴を履きながら、見送りに来た鞠に言う。
「朝も伝えましたが、今日は遅くなります。晩御飯も済ませてきますので。もし晶ちゃんに何かあれば、たまこ様からひよりに伝令をくださいな」
「OK!」
そして、やっと出かけようと思ったその時だった――。
「おねえちゃ~~~ん」
間延びした声が紅玉を呼び止めた。
振り返ってみれば、トテトテと駆け足で水晶が駆け寄ってくるではないか。
「あらあらぁ」
可愛らしい妹の姿に紅玉は思わず両手を広げて迎え入れてしまう。そして、水晶は躊躇う事なく紅玉に抱き付いた。
「どうしたのです? 晶ちゃん。お見送りに来てくださったのですか」
「うみゅ、それもあるんだけど……」
水晶は目の前にある紅玉の最も柔らかな場所に己の頬を押し付けた。
「あ~~~たまらんっ。このおっぱいの柔らかさはやっぱり定期的に味わっておかねば――ぐみゅっ!?」
「ふふふ……このまま抱き潰してしまいましょうか」
紅玉は水晶を抱きしめる腕に力を込めていく。顔を胸に押し付けられたままギチギチと締め付けられ、水晶は最早悲鳴すらも上げられない。このままでは本気で抱き潰されてしまう――。
「べ、紅殿、落ち着こう」
「先輩、どうどうっす」
透かさず水晶の後ろに控えていた蘇芳と空が間に入り、仲介役を果たす。
二人に言われて仕方なく、紅玉は水晶を解放した。
「神子、大丈夫ですか?」
「う、うみゅ……おっぱいに溺れてしぬとこだった……」
水晶は呼吸が落ち着いたところで、再度紅玉を見た。
普段自称平凡と言う姉にしては随分と粧かし込んであり、家族贔屓という点を抜いてもその仕上がりは見事なものだった。
「うみゅ、お姉ちゃん、デート?」
「違いますわ。只のお休みで外出するだけですわ」
「うみゅ、でも、その格好」
「ああ、これは仙花様に……」
「あ~~~、察し」
「先輩、すっごく綺麗っすよ!」
「ふふふっ、ありがとうございます、空さん」
そんな会話をしながらも、水晶は自分が「デート」という言葉を口にした時、隣に立つ蘇芳がビクリと反応を示したのを見逃さなかった。
「ところでお姉ちゃん、どこ行くの?」
「神域図書館ですわ」
「ふ~~~ん……」
そして、水晶は蘇芳を見上げると言った。
「すーさん、晶ちゃんも神域図書館の本読みたい。借りてきて」
「はっ。かしこまりました」
「晶ちゃん……貴女、そんなくだらない事に蘇芳様を扱き使うのではありません」
「うみゅ……だってだってぇ、晶ちゃんだってご本読みたいの~~~」
「はあ……わかりましたわ。わたくしが代わりに借りてきますから……」
「やだやだー! 今日お姉ちゃんお休みだから帰り遅いじゃ~ん! すぐ帰ってこれるすーさんが行って借りてきてくれなきゃやだやだー!」
「もうっ! 貴女って子は!」
腕をブンブンと振り回し駄々をこねる水晶に、紅玉が声を荒げるが、それを優しく蘇芳が宥めた。
「紅殿、俺は構わないから」
「もうっ……蘇芳様ったら、晶ちゃんに甘いですわ」
申し訳ないと思いつつも、蘇芳の優しい気遣いに紅玉は思わず怒りを忘れていた。
「んじゃあ、ちょっと待ってね。今借りたいリスト書くから…………はい、これよろしく~」
「かしこまりました」
水晶が何か書き込んだ紙を蘇芳は受け取って、軽く頭を下げた。
「蘇芳様、よろしければ一緒に神域図書館まで参りましょう」
「ああ、行こう」
「うみゅ、んじゃあすーさんよろしくね~。お姉ちゃん、ナンパには気を付けてね~」
「はいはい。では行って参ります」
「空殿、鞠殿、神子をよろしく頼んだ。いってきます」
「「「「「いってらっしゃーーーい」」」」」
そうして、紅玉と蘇芳は共に出かけていった。
そして、二人の気配が消えた頃、玄関広間にいた全員が声を上げた。
「「「「「神子!! ぐっじょぶっ!!」」」」」
「どやぁ」
水晶は自慢げに胸を張った。
十の御社の門を出たところで、蘇芳は渡された紙の書かれた中身を見て、思わず固まった。
「蘇芳様? どうされました?」
紅玉にそう呼ばれ、蘇芳はハッとして紅玉を見た。
休みの日という事もあり、着付け狂いとして有名な女神の仙花に粧かし込まれた紅玉は、蘇芳にとって最早禁断の薬だった。
首元は鎖骨が見える程露わになっているし、襟の花の刺繍が紅玉に良く合い、純白の上衣も紅玉の身体の線を艶やかに見せつつ、清楚に見せる絶妙さ。腰はより細く、ふわりと揺れる藤色の下衣がまるで花びらのよう。
漆黒の艶やかな髪はどこまでも真っ直ぐで、いつも好ましく思っているその顔も化粧が施され、首元と耳元でキラキラ光る飾りも相まって、更に美しく見せている。
ドキドキと心臓が激しく鼓動を打つ。
「まさか、晶ちゃんにとんでもない数の本を頼まれたのでは?」
「あっ、ああっ、いやなんでもないっ! 大丈夫だ! 俺なら何冊でも持つ事ができるから……!」
「そうですか? 無理なら無理とはっきりとおっしゃってくださいましね?」
「ああ、わかっている」
蘇芳は無理矢理笑ってみせると、紅玉はやっと安心したような表情をした。
そして、二人は並んで乗合馬車の停留所を目指す。
紅玉の横を並んで歩きながら、蘇芳は上着の隠しに入れた水晶の伝言用紙の内容を再び思い出し、顔を熱くさせていた。
『デート楽しんでおいで。ちゃんとお姉ちゃんをエスコートしてね』
**********
神域図書館は、神域の中心寄りにある神域内の蔵書を全て保管してある大きな施設だ。中心寄りと言っても、皇族神子達が住まう宮区にではなく、宮区に近い坤区内にある施設であるが。
紅玉達が住む十の御社は艮区――神域の北東――にある御社。そして、坤区はその反対方向――神域の南西――にある区だ。
宮区は普段立ち入りが禁止されている為、直線距離で移動できない。その為、艮区から坤区へ行くには徒歩では難しく、乗合馬車を使用しなければならないのだ。
この神域では、現世にある車や電車と言った機械関係の乗り物は一切ない。なので、唯一の移動手段である乗合馬車は職員も神子も重宝している。
蘇芳と並んで停留所に立っていると、大きな蹄の音を響かせて乗合馬車がやってくるのが分かった。
やがて馬車は紅玉達の前に止まり、御者の職員が「お待たせしました」と声をかけてくれる。
そして、二人揃って馬車に乗り込み、空いている席に座ると、馬車は再び快い蹄の音を響かせ走り出す。
大和皇国伝統の建物と異国情緒あふれる建物が織り成す神域参道町を馬車は軽快に駆けていく。
程良い揺れに揺られながら、窓から見える美しい街並みを紅玉は見遣る。そんな事をしている内に、紅玉は心地良い眠気に誘われていた。
馬車はまだ艮区を走っているようで、目的地までにはまだ程遠いと思われるが――。
(蘇芳様に悪いですわね……なんとか我慢しなくては……)
普段眠気を感じる事などほとんどないのだが、馬車の揺れというのはどうも眠気を誘うらしい。紅玉は込み上げる欠伸を我慢する――しかし。
「紅殿、眠いのなら遠慮せず眠れ」
蘇芳がそんな紅玉を放っておけず、そう言い出したのだ。
「ですが、蘇芳様……」
「大丈夫だ。目的地に着いたら起こすから。貴女は気にせず眠ってくれ。そうでなくても、貴女は寝不足が過ぎるのだから」
「うっ」
痛いところを衝かれ、紅玉は何も言い返せなかった。そして、ありがたくその申し出を受ける事にした。
「では、お言葉に甘えて少しだけ……おやすみなさい」
そして、紅玉はそのまま目を閉じ、眠る――最後に酷く優しい声で「おやすみ」と言ったのが聞こえた気がした。
紅玉が眠ったのを見届けると、蘇芳は馬車内の会話に耳を傾けた。
どうも蘇芳達の方を見ながらひそひそと話しているようだった。
恐らく物凄く小さな声で話しているのだろうが、蘇芳には何ら意味がない。何故なら蘇芳には「絶対聴力」という異能があるのだから――。
そんな存在がいることにも気づかず、とある女性二人の会話は続く。
「ねえ、あそこにいる女、スカートが藤色よ」
「嫌よね……この神域では藤色は忌色なのに……常識がないわ」
「っていうか、あれ紅玉よ」
「ああ、あの〈能無し〉」
「ねえ、知ってる? 彼女、この神域に幼馴染の神子が五人もいたらしいんだけど」
「知ってる……全員死んだってやつでしょ? 怖いわよねぇ」
「どうもそれがあの〈能無し〉のせいらしいのよ」
「え、そうなの?」
「そうに決まっているわよ。だって〈能無し〉は〈神に見捨てられた子〉よ。不幸を他人に与えるんですって」
「やだっ、怖い。一緒の馬車に乗りたくないわ」
「早く降りてくれないかしら」
女性達がそう口にした瞬間だった。
瞬時に息ができなくなり、声を出す事ができなくなってしまう。
必死に息を吸おうとするが、口を開けたり閉じたりするだけで、酸素が入ってこない。
慌てふためいた女性二人は走行中の馬車の中で立ち上がってしまう。
他の乗客達が訝しげに女性達を見る。
「危険ですぞ。走行中の馬車の中を歩くのは」
そう声をかけてきた人物に助けを求めようと、女性二人が声の主の顔を見た瞬間、女性達は心臓までもが止まる気がした。
そこにいたのは仁王か軍神かという相貌の恐ろしい男。不機嫌そうに眉を顰めて、金色の瞳を鋭くさせ、女性達を睨みつけていた。
女性達はその恐ろしさに顔を青くさせ震え上がった。
「他の乗客の迷惑となる。降りるならとっとと降りろ」
瞬間、馬車が大きく揺れて突然止まった。そのせいで女性二人は前方へと投げ出されてしまう。身体のあちこちぶつけていたが、女性二人はその事を気に留めず、まるで逃げるように慌てて馬車を降りていった。
御者の職員が「お客さん!?」と驚いたように声をかけたが、その時にはすでに女性二人の姿は遠くの方へと行ってしまっていた。
突然、馬車が止まった事に乗客達がざわめき出す。
一方で蘇芳は冷静だった。しかも馬車が急に止まる事に備え、隣で眠る紅玉の身体を引き寄せている程の冷静さだ。
しかし、蘇芳には分かっていたのだ。馬車が急に止まる事を――。
そこへ、御者の職員がやってきて告げた。
「すみません……馬が急に何かに怯えてしまって……馬が落ち着くまで少々お待ちください」
それを聞いた乗客達は少しざわめくが、大人しく馬車が動くまで待つ事にした。
そんな中で、一人蘇芳は馬に対して謝罪をする。
(怯えさせてすまん……)
蘇芳はあの女性二人を強制的に下車させるため、関係のない馬にまで殺気を放ち、わざと馬車を止めさせたのだ。
馬には申し訳なかったが、それでも紅玉とあの女達を一緒の空間に居させたくなかった。
蘇芳は自分の胸辺りに顔を寄せる紅玉を見た。
(貴女が眠ってくれてよかった……)
あんな悪意の満ちた言葉を紅玉に聞かせたくなどなかった。
だが、自分がした事を知れば、紅玉は全力で蘇芳を叱るだろう。それでも蘇芳は紅玉を根も葉もない悪意から守りたかったのだ。
この神域において嫌われ者の存在である紅玉は、大変優秀な職員であるにもかかわらず、その評価は地よりも低い。
先日出来上がったばかりの神域連絡網もそうだが、約三年前に開発された生活に関する神術も実は紅玉が大きく携わっているのだ。
蘇芳はそれを間近で見ていたから知っている。
それにもかかわらず、神域ではこの大革命を起こした貢献者として伝わっているのは、鈴太郎と前四十六の神子だけ……紅玉の名前などどこにもなかった。
その当時の歯痒さを思い出し、蘇芳は拳を握りしめる。
すると、微かに紅玉が身動ぎをしたので、蘇芳は驚き固まってしまった。しかし、紅玉は起きる気配がない……。
ホッと息を吐きながら、蘇芳は再度紅玉を引き寄せる。
掌から、腕から、身体から、頬から伝わるそのぬくもりが愛おしくて、愛おしくて、愛おしくて――。
「紅殿……」
誰にも聞こえない小さな声で、蘇芳は囁いた。
「貴女を守る……どんな手を使っても……」
鮮烈な告白は、誰にも聞こえる事なく、消えていった――。
夢見心地気分にいた紅玉は、包まれるようなそのぬくもりに思わず頬を寄せる。
安心するその香りに、低く優しい声に、紅玉はゆらりゆらりとまどろんだ――。
デート回、続きますっ!!
皆様、良いお年を~!