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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第二章
77/346

只今、お仕事中




 大騒ぎの朝食を終えた後、神子の執務室にて、十の神子こと水晶は机の上に並べられた書類と睨めっこをしていた。


 清廉な神力が纏われたふわりと波打つ白縹の髪と大きくぱっちりとした穢れ無き水色の瞳と透き通るような白い肌を持つ小さく華奢な驚くほど美しい少女――それが十の神子の容姿である。

 まだ十三歳(もう間もなく十四歳になる)という幼さでありながら、誰もが羨む程の美しさを持つ将来美人間違いなしの麗しい少女だ。


 だがしかし――。


「うみゅ~~~~~~~~~!」


 水晶はそう叫んで書類を下敷きにして机に突っ伏した。


「もう無理で~~~す! 晶ちゃんのライフはゼロで~~~す! もうお仕事は店じまいにしま~~~す!」


 この神子、酷く面倒くさがりのずぼらなのである。


 そんな神子をギロリと睨み付けて、紅玉は叫ぶ。


「晶ちゃんっ!! まだ机に向かい始めて十分も経っていないでしょう!?」

「ごほっごほっ、持病のシャクが……」

「そんな持病初めて聞きました」

「うみゅ~~~! お姉ちゃんの鬼ぃ~~~! 晶ちゃんをもう休ませろ~~~!」

「この書類を完成させるまで絶対に休ませません!」

「うみゅ~~~! お姉ちゃんのシャチク~~~!」


 持病……というより、人より虚弱体質というのは本当の事ではあるが、周囲の人間がやるべき事まで代わりにやってしまったせいで、見事ずぼらが増長されて成長してしまったのだ。

 故に書類仕事というものが大の苦手である。


「ほらっ! 先日の『祈りの儀』の報告書、儀式から三日以内に提出なのですよ!? つまり締め切りは明日です! 早く仕上げないと明日泣きを見る羽目になりますよ!?」

「大丈夫大丈夫。明日全力出せば~~~」

「そう言って、夏休みの宿題も最終日に慌てて仕上げていたのはどこの誰です!?」

「おねーたんっ、おねがいっ、てちゅだって?」

「可愛い顔をしておねだりしても駄目です。これは神子の義務です」

「うみゅーーーーーーっ!! お姉ちゃんのケチぃ~~~~~~っ!!」


 今日も今日とて繰り広げられる姉妹喧嘩を、軍服を着こなした蘇芳が微笑ましげに見つめる。


(相変わらず仲の良い姉妹だな)


 蘇芳は知っている。


 紅玉が、ずぼらな妹を怒鳴りつつも、結局最後はなんだかんだ甘やかしてしまって、世話を焼いてしまう、誰よりも妹に甘い姉である事を。


 そして、水晶が、普段ぐうたらゴロゴロして姉にべったりと甘えながらも、心の底から姉を愛し、姉を大切にし、姉の為ならば全力を尽くして守ろうとする、あなどれない神子である事を。

 先日、その身に危機を感じる程の神子からの脅しを受け、経験済みである。


 すると、執務室の扉が二回叩かれ開かれた。


「お茶を持ってきたよ、って……また喧嘩してるの。神子ちゃん達」

「紫殿」


 ぎゃあぎゃあと喧嘩を繰り広げている姉妹を横目で見つつ、紫は持ってきた茶の載った盆を近くの台に置く。


「ま、多分また喧嘩しながら仕事しているんだろうなぁと思ったから、リラックスできるハーブティー淹れておいたから。あときっとヒートアップしているだろうから、アイスで。あとで飲んでね」

「流石ですな」


 仕事の細かさに蘇芳は感心する。


「……にしても」


 紫は再度紅玉と水晶を見遣る。

 紅玉が机の上の書類を指差ししているところを、水晶が書類に筆を走らせているところだ。

 そして、二人の顔をまじまじと見て紫は言った。


「ホント、二人って全然似ていない姉妹だよね」

「……そうだろうか?」


 確かに美少女と名高い水晶に比べ、紅玉は特別美人でもない平凡な顔立ちだと言われている。

 だがしかし、ふとした瞬間――特に静かな怒りを秘めている時の顔――は二人とも良く似ている、と蘇芳は思っていた。

 それに蘇芳は紅玉の顔立ちも好ましく思っており、特に柔らかな紅玉の笑顔は水晶のものより可愛らしいと思っている程だ。


「二人ってどっち似なんだろうね。個人的に紅ちゃんがお父さん似で、神子ちゃんがお母さん似のイメージだなぁ。きっと物凄く美人なお母さんなんだろうなぁ~! いつか会える日が楽しみだよ!」

(……この方、まさか人妻までに手を出すつもりではないだろうな……)


 紫の言葉から危うい考えが一瞬過ぎってしまう……。


「蘇芳くんはどっち似? お父さん? お母さん? ちなみに僕はお母さん似」

「……自分ですか?」


 蘇芳は少し考えて言う。


「父似、でしょうな」

「へえ~、そうなんだ……も、もしかして、ちょっと怖い人だったりする?」

「あ、ああ……そうだな。厳格な人だな」


 そう、父は酷く厳格な人だと――蘇芳は思い耽る――。


 その時――。


「……紫様ぁ?」


 絶対零度の声が響き渡り、紫はビクリと身体を震わせる。


「こんなところで立ち話とは随分と余裕そうですわねぇ。外では空さんと鞠ちゃんが竜神様方のお手を借りてお洗濯物を干しているようですけれど……貴方は何をなさっていますの?」

「はいっ! どうもっ! ごめんなさいっ! しっつれいしましたーーーっ!!」


 氷漬けされる前に紫は脱兎の如く逃げ出していた。


「……まったく、逃げ足が速いです事。これはあとでお仕置きが必要ですかねぇ、ふふふふっ!」


 紫にどんな折檻を与えようか、あれやこれや考えようと思ったが、紅玉はそれよりも気になる事があった。

 それは、隣に立つ蘇芳の事だ。

 いつもであれば、怒る紅玉を宥めたり、紫を擁護したりする言葉を言ってくれるはずなのだが、何も言わない。立ち尽くしているだけである……。


 紅玉は内心首を傾げながら蘇芳を見た――そして、驚いてしまう。


 あの蘇芳が――いつも穏やかに真っ直ぐ前を見据えている蘇芳が――酷く顔色を悪くし、下を見つめていた。


「蘇芳様っ!?」

「……えっ」


 紅玉は驚きながら、蘇芳の頬に両手で触れる。


「どこか御加減が悪いのでは!? まさかお風邪を!? それとも紫様に変な事を吹きこまれたのです!?」

「あっ! いやっ! そのっ!」


 しかし、蘇芳はそれどころではなかった。

 今まで思考の海に潜っていた為、突然紅玉の手が自分の頬に触れてきた事、いつの間にか紅玉の瞳が自分を心配そうに覗きこんでいる事に、頭の切り替えが追い付かず顔を赤くさせ変な汗を掻いてしまう。


「とりあえず御座りになって! 晶ちゃん、ソファをお借りしますわよ!」

「ど~ぞ~」

「紅殿、俺は大丈夫だ! 本当に何でもないから!」

「いいから御座りになって!」

「いやあのだな――」

「おすわりっ!!」

「……はい」


 犬に命じるような掛け声で言われて、蘇芳は大人しく従う他なかった。

 執務室の端に置かれている長椅子に腰掛ける。


 すると、紅玉は何の躊躇いもなく、己の掌で蘇芳の額に触れた。

 瞬間、蘇芳はビクリと肩を揺らす。


「熱は……無いようですけど、お顔は赤くいらっしゃいますわね……水分不足でしょうか……」

(主に貴女のせいだっ!!)

「ああ、丁度良かった。紫様が持ってきたお茶がありますわ」


 紅玉は台に置いてあった茶を蘇芳へ差し出した。


「こちらを飲んでくださいまし。いくらまだそこまで暑くない季節とはいえ、水分補給は大事ですわ」

「あ、ありがとう……」


 蘇芳は茶を受け取ると、それをほぼ一気に飲み干す。

 心に安らぎを与える薬草茶という事だけあり、やっとホッと一息つけたように思えた。


「……蘇芳様、本当に御加減は大丈夫なのですか?」

「え?」

「何か……お悩みとか気がかりな事があるのでは?」


 先程の蘇芳の表情は今まで見た事ない程の顔色の悪さだった。どう考えても、蘇芳自身に何かあったとしか思えないのだが……。


「いや、本当にもう大丈夫だ。少し、朝の訓練で走り込みをしてしまったから、少し疲れたのかもしれない」

「そう……ですか?」


 蘇芳自身にそう言われてしまっては、紅玉はそれ以上追究する気が起きない――が。


「何か悩みがございましたら、遠慮なく相談してくださいませ? 朝も申しましたが、わたくし、貴方のお力になりたいのですから」


 そう言いながら、紅玉は蘇芳の手を握りしめた。己よりも遥かに大きな手に少しでも自分の思いが伝わるようにギュッと強く優しく――。


 己よりも遥かに小さな両手から伝わるぬくもりにじわじわと心が温まっていくのを蘇芳は感じていた。

 目の前で揺れる漆黒の髪も、心配そうに見つめる透き通った漆黒の瞳も、仄かに香る甘い香りも――全てが愛おしくて、蘇芳は思わずその柔らかなそうなその身体に手を伸ばす――。


 ――と、その時。


「うみゅ~~~書き終わった~~~」


 のんびりとした口調のその声に蘇芳はビクリと身体を震わせる。

 そして、大事な事を思い出す――ここは神子の執務室である事を。


「ほい、お姉ちゃん、これで文句ないでしょ~」

「はいはい、今確認しますわね」


 紅玉は蘇芳から離れ、水晶の元へと近づく。

 紅玉が離れた事により、行き場の無くなった手を蘇芳は慌てて引っ込めた。


(俺はっ! 今っ! 何をしようとっ!?)


 蘇芳は無意識の己の行動に驚きを隠せないでいた。必死に熱くなる頬を隠し、紅玉に伸ばそうとした右手を左手で痛みが出るほど強く握りしめる。


「蘇芳様」

「っ!? なっ、なんだ?」

「わたくしはこちらの書類を提出して参りますわ。どうぞこちらでお休みになっていてくださいまし」


 紅玉はふわりとそう微笑むと、書類を手に部屋から出て行ってしまった。


 頬を染めて呆然と紅玉を見送った蘇芳に水晶は声をかける。


「邪魔して悪かったね、すーさん」

「はっ!? じゃ、じゃまっ!?」

「まあ晶ちゃんは別に気にしないので、遠慮なくお姉ちゃんに手を出してもくれてもいいけど、せめてティーピーオーは弁えてくれなきゃ困る」

「ぐっ……も、申し訳ありませんでした……」


 自分よりも遥かに年下、その上普段はずぼらで有名な水晶にそう窘められて、蘇芳は何も言い返せなかった。

 そして、はあっと溜め息を吐き、熱くなる顔を片手で覆い、必死に熱を冷まそうとする。


(……破壊力が日に日に増していく……)


 そして、日に日に増していくこの想いをどう抑えるか、蘇芳はしばらく頭を悩ませるのだった。




 玄関広間へやってきた紅玉は伝令役の小鳥達が集う鳥籠の前に立つ。


「たまこ様」


 紅玉がそう呼べば、たまこと呼ばれた小鳥が「チチッ」と囀りながら紅玉の前に進み出た。

 このたまこは水晶専用の伝令役である。


「こちらを八の神子の金剛様の元までお願いしますね」


 そう言って紅玉は先程の書類を封筒に入れて、神獣用郵便鞄に入れる。

 たまこはポンッと音を立てて、掌程の大きさから両腕で抱える程の大きさになると、鞄を首から提げて翼を広げて飛び立つ。そして、開け放たれた天窓から外へ出ると、一瞬にしてその姿は見えなくなった。


 少し前までは人の手で運んでいた書類関係だったが、神獣連絡網ができてからというもの、とても連絡のやり取りや書類の提出が楽になっていた。


(鈴太郎さんと雛ちゃんには感謝ですわね)


 そう思いながら紅玉は、眼鏡をかけた少し細身で頼りない男性と小動物を思わせる愛らしい女性の友人達の事を思い出していた。


 すると――。


「先輩!」

「ベニちゃん!」

「あら」


 玄関から入って来た可愛い弟分と妹分が紅玉に駆け寄って来た。


「先輩、お疲れ様ですっす!」

「オツカレヨー! ベニちゃん!」

「はい、お疲れ様です」

「先輩、何してたっすか?」

「神獣連絡網を使って、神子の書類を届けてもらおうと」

「Oh! マリもいつかコトリさんホシーデース!」

「俺達、まだ新人っすからね。貰えるのはまだ当分先っすよね」


 昨日から発足した神獣連絡網だが、神子には必ず一匹、御社配属職員も必ず一匹は専用の伝令役が用意された。だが、新人などまだ伝令役の小鳥を所持していない職員もいるのだ。


「雛ちゃんから連絡があるはずですから、それまで待ちましょう。近い内に二人にも伝令役の小鳥さんを授けてもらえるはずですわ」

「本当っすか!? 楽しみっすね! 鞠ちゃん!」

「マリも、ヒヨリちゃんみたいなコトリさんがいいデース!」


 すると、鳥籠からひよりがパタパタと飛んでやってきて、紅玉の方に止まり、「ぴよっ」と鳴く。そして、紅玉の頬に身体を擦り付けた。


「ふふふっ、大丈夫よ。貴女はわたくしの可愛い子よ」

「ひよりちゃん、先輩に大好きっすね!」

「マリも! ベニちゃんダーイスキッ!」

「あっ! ズルイっす! 俺もっすよ! 先輩!」

「ふふふっ、分かっておりますわ。わたくしにとっても、二人は大事な大事な弟と妹ですわ」


 そう言って、紅玉が二人の頭を撫でると、空も鞠も嬉しそうにはにかんだ。

 可愛い弟に妹、それに小鳥に囲まれて紅玉は幸せそうに微笑む。


 すると――。


「ハッ! ソラ! ココ、ダーレもいまセーン! Now!」

「あっ! ホントっす! これはチャンスっすよね?」


 空と鞠は突然叫び出し、再び紅玉の方を向いた。その表情は真剣そのものである。


「先輩!」

「ベニちゃん!」

「お願いしたい事があるっす!」

「アリマース!」

「はい?」


 少し勢いのある二人の様子に、紅玉は(ひよりも紅玉の真似をして)コテンと小首を傾げた。




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