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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第二章
76/346

十の御社は今日も平和

二章開始です!

毎週日曜日の19時に更新をしていきたいと思います。

よろしくお願いします!




 その男は激しく憤っていた。

 深夜にも拘らず、部屋にある物に次々と当たり散らしていく。


 本棚の本は床へと散らばり、机の書類や筆記用具も音を立てて崩れ落ち、やがて床はあらゆる物で埋め尽くされ見えなくなる。


 男が暴れるのを止めると部屋はシンと静まり、男の荒い息だけが響いた。

 しかし、それでも男は堪え切れず、机にその拳を叩きつける――バキッ!――と大きな音を立てて、机は破壊される。


 だが、男の憤りは治まらない。


「あの男ぉっ!!!!」


 低い怒声が部屋に反響する。


「あンの化け物ぉっ!!!!」


 そう叫んで男はもう一度机を叩き割った。


 その手から血が流れているにも拘らず、心を支配する憎しみに男は痛みなど感じていない。


 憎い。激しく憎い。あの男が。

 憎くて、憎くて、憎くて堪らない。

 その名を聞くのももううんざりだ。

 いや殺す以上の事をしなければ気が済まない。

 この恨みは消えない。


「どんな手段を使ってでも、あの男に今度こそ復讐を果たしてやるっ!」


 男は固く誓いながら、机の奥底に隠していた綴じ本を取り出した。


「俺の力を思い知らせてやる!」


 憎い相手をぐちゃぐちゃに踏みつぶす瞬間を想像し、男は醜く歪んだ笑みが浮かべた。


「覚悟していろ、蘇芳」


 憎しみの孕んだ低い声が恐ろしく響く。




 その部屋の窓の外に鬼火が三つ揺らめいていた――。




**********




 ここは大和皇国に存在する「神域」――神々の土地。


 この神域には四十七もの御社が存在し、そこに住まう四十七人の「神子」が国の平穏と繁栄を願い、神に祈りを捧げているのだ。


 そして、国の政府機関である「神域管理庁」で働く多くの職員達は、神子を守り支える為に存在する。




 そして、今日も「十の御社」で神子を守り支える神子補佐役として働く紅玉の一日が始まる――。




 紅玉はパチリと目を覚ます。

 眠気も一切無く、今日も気持ち良く起床した紅玉は素早く身支度を整えていく。


 赤い飾り紐で括り上げる癖のない真っ直ぐな髪の色は漆黒。前髪もきっちりと切り揃えられている。ぱっちりと目覚め良好な丸い瞳も漆黒。左目の端には泣き黒子がある。

 今日の装いは赤い矢絣の着物に蓬色の袴だ。


 紅玉は己の顔と服装の乱れがないか鏡に向かって確認すると、パチンと頬を叩いて気合を入れた。


「よしっ! 今日もお仕事頑張りましょう」


 鏡に向かって己に言うと、紅玉は部屋の扉を開けた。




**********




 いつもであれば、真っ先に台所へ向かう紅玉だったが、今朝は玄関広間へとやってきていた。

 手には杯を持っている。

 外へ出る為に編上靴を履き、靴の紐を縛っていると、玄関広間に置いてある鳥籠の中で眠っていた小鳥の一匹がパチリと目を覚ました。


『ぴよっ! ぴよぴよぴよっ!』


 淡い黄色い羽をはばたかせて、紅玉の元へと一目散に飛んできた小鳥は、姿形がまるでヒヨコのようだ。


「ふふふっ、おはよう、ひより。まだ皆さん、お眠りの時間ですから、しぃーですわ」


 ひよりと呼ばれた小鳥は紅玉の言葉を理解したかのように鳴くのを止め、代わりにそのふわふわの羽毛を紅玉の頬に擦り寄せて挨拶をした。


 この小鳥は、神域に住む鳥の神獣の分身だ。先日完成させたばかりの「神域連絡網」の伝令役として働く一匹である。訳あって紅玉を主人と認め、紅玉に大変懐いている。

 この十の御社には、ひより以外にも伝令役の小鳥が住んでいるが、他は雀や柄長といった容姿だ。

 このひよりだけ丸々としたヒヨコのようで少し変わっているが、紅玉はそれすらも愛おしく思っており、大事に育てている。


 紅玉はひよりを連れて、外へ出た。

 本日も見事な快晴である。卯月も中旬を過ぎ、少しずつ暖かくなってきているが、朝はまだ肌寒さを感じる日々だ。


「少しお空を散歩していらっしゃい」


 紅玉がそう言って、ひよりを空へと持ち上げれば、ひよりは快い羽音を響かせて、空へと飛んでいった。高く愛らしい囀りが朝の静かな空に響き渡る。


 ひよりを見送ると、紅玉は庭園のある場所へと向かう。




 その途中、小川の水を杯に汲んだ。

 この小川の水は澄んでおり、冷たくて大変美味しい事を紅玉は知っている。

 そして、それを持って辿り付いた先にいたのは――。


「せいっ!! はあっ!!」


 一心不乱に身体を動かす戦士の姿があった。


 その身体は筋骨隆々で、まさに仁王か軍神かという容姿。眉は凛々しく太く、瞳も勇ましく、その色も鋭い金色。非常に短い髪の色は深くも鮮やかな蘇芳色だ。一見すると精悍すぎる印象を持つが、顔立ちはなかなか端正である。


 男の名は蘇芳。

 紅玉の先輩であり、この「十の御社」で神子護衛役として共に働いている。

 紅玉は日頃この先輩に大変世話になっていた。それこそ就職した頃から蘇芳から指導を受け、神域での常識や知識を教わり、紅玉が独り立ちした後も何かと気遣ってもらったり、時には叱られたり、慰められたり……。

 言葉では言い尽くせない程、蘇芳に助けてもらっているのだ。

 一見すると恐ろしい容姿の蘇芳だが、紅玉はこの蘇芳の見た目も含め、真面目な性格や実は穏やかな性格も大変好ましく思っており、尊敬している。


 そして、その想いはただの尊敬に留まる事はなかった……だが、紅玉は己の意思でその想いを強く封印していた――。


 紅玉は、しばらく掛け声を上げながら訓練に励む蘇芳の姿を見守っていたが、杯を握りしめると、ゆっくりと蘇芳の側へと近付いていく。


「……おはようございます、蘇芳様」

「っ! 紅殿、おはよう」


 先程までの勇ましい顔付きとは打って変わり、紅玉に微笑みかけるその顔は大変穏やかなものだった。

 紅玉は手拭いで汗を拭いている蘇芳に、先程水を汲んだばかりの杯を差し出す。


「よろしければ、こちらをどうぞ」

「ああ、ありがたい。頂こう」


 蘇芳はほぼ一気に杯の水を飲み干す。滴る汗が物語るように、余程喉が渇いていたようだった。最後にふぅと溜め息を吐く。

 紅玉はホッと胸を撫で下ろしながら、蘇芳が飲み干した杯を受け取ろうと手を差し出す。


「あ、ああ、ありがとう」


 蘇芳はそう言いながら、紅玉に杯を渡そうとする――が、紅玉は杯ごとその手をしっかりと握る。


「……あの、昨夜はすみませんでした」

「え?」


 突然手を取られ、戸惑う蘇芳に紅玉は少し俯いたまま言葉を続ける。


「大変お見苦しいものを見せてしまい……」

「ああ……」


 昨夜、紅玉はあるきっかけで亡くなった幼馴染を思い出してしまい、情けなくも蘇芳に慰められながら号泣した。

 泣いたところで彼女が戻ってくるはずもないのに、あまりの切なさと苦しさに我慢しきれなかったのだ。


「未だに過去の事で泣いてしまって情けないです……申し訳ありません」

「気にするな……彼女達の事は貴女にとってはそう簡単に割り切れる事ではない。それよりも昨夜はきちんと眠れたか? 無理などしていないだろうな?」


 いつの間にか話は自分の体調を心配する話に変わっており、紅玉は思わず「ふふふっ」と笑ってしまう。

 そして、胸がポカポカと温かくなる。

 紅玉はそんな蘇芳の顔が見たくて、顔を上げた。


「……蘇芳様」

「ん?」

「いつもありがとうございます……こんなわたくしを助けてくださって……貴方がいてくださるだけで……わたくし……」


 蘇芳を見上げて言葉を紡いでいく紅玉だったが、途中で気恥かしくなり、パッと下を向いてしまう。


「ど、どうしても、お礼を直接言いたくて……」

「………………」


 蘇芳は呆気に取られながら俯いたままそう言う紅玉を見た。

 下を向いてしまっているせいで顔が良く見えないが、少し覗く頬や耳が赤い……そう、赤いのだ。

 蘇芳の顔にも少しずつ熱が集まっていく。


「蘇芳様がお困りの時は、わたくし必ずや力になりますわ……いえ!」


 紅玉を再び蘇芳の顔を見つめる。


「蘇芳様がお困りでない時だって、わたくしいつだって貴方のお力になりたいです! ですからいつでもわたくしを呼んでくださいまし! わたくし、貴方に何かお返しがしたいのです! だって蘇芳様にはいつも助けてもらっているから、だからっ……あのっ……!」


 それ以上は言葉が続かなかった。


 想いが溢れそうになって、思わず口にしてしまいそうだから。

 言っていて何故だか自分自身が恥ずかしくなってしまったから。

 蘇芳が何故だか真っ赤な顔をして自分を見つめていたから。


 恥ずかしさと照れが互いに伝染する。


 そして、その空気に紅玉は耐えきれなくなった。


「そっ、それだけを言いに参りましたのでっ! し、失礼しました! 訓練頑張ってくださいまし! でっ、では! また後程!」


 そう早口で告げると、紅玉は逃げるようにその場を立ち去って行った。


 残された蘇芳は顔を真っ赤に染め、最早言葉が紡げなくなっている口元を片手で覆って、唸り声を上げる。そして、堪え切れずその場に座り込んでしまう。


(ああああああ、朝っぱらから何振り回されているんだ!? 俺は!!)


 髪をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら蘇芳は心の中で叫んだ。


 「神域最強」という称号で呼ばれる事のある蘇芳だったが、蘇芳にとって紅玉こそが最も脅威であった。

 紅玉の姿勢や所作は美しく見惚れてしまうし、丁寧な言葉遣いも柔らかな声も聞き惚れてしまうし、特別美人ではないがその微笑みは大変可愛らしい。そして、蘇芳を見た目で判断せず、きちんと対等に挨拶をしてくれた初めての存在だ。

 しかも自分を頼りにしてくれるし、尊敬までしてくれる。いつしか、守りたいと思ってしまった。

 そして、その想いは凛とした強さを持つ紅玉の脆さと儚さを知って以来、強くなる一方だ。


「…………紅殿…………」


 その名を呟けば、紅玉の笑顔や先程の一生懸命に頬を赤く染めた姿が蘇ってしまい、胸の高まりが増すだけ。

 蘇芳は己の身体に溜まった熱を逃がす為、急に立ち上がると庭園を一気に駆け出していった。




 そんな二人をこっそり見つめていた二つの影があった事など、紅玉も蘇芳も知る由はなかった……。




**********




 十の御社の台所は朝から忙しい。

 何せ神子と神三十六人分と職員五人分の食事を用意しなければならないのだ。

 鍋と竈は朝早くから常時稼働中である。


 しかし、そこは手慣れた紅玉ともう一人の職員が見事な手際で食事を次々と準備をしていく。

 その最中、会話もするほどの余裕である。


 その会話の内容も仕事に関する事ではあるが――。


「『春の宴』には、空さんと鞠ちゃんも見学がてら連れて行こうと思いますので、申し訳ありませんが、紫様には十の御社のお留守番をお願いします」


 紅玉が紫と呼んだ男性職員は紫水晶のような瞳をキラリと煌めかせ、爽やかに微笑む。


「はいはい。お留守番組の神様達と一緒にちゃんと御社をお守りするから安心してね」

「いつもすみません……紫様だって『宴』に参加したいでしょうに」

「いやいやいいんだよ」


 「春の宴」とは、春夏秋冬の年に四回開催される四十七人の神子が集う催しの一つだ。普段御社に籠りきりになりがちな神子同士の楽しい交流の場でもあり、情報共有の会議としての意味もある催しである。

 大変華やかで盛大な催しなので、参加したがる職員も多いのだ。宴準備の方は敬遠されがちだが――。

 そして、紫は神子を警護する関係上、ここ最近の「宴」に参加できていない。


 それを申し訳なく思った紅玉だったが――。


「宴に行くと多分顔見知りの女の子達に絶対会うから、刺されそうで怖いんだよね~。御社籠っていた方が僕も安心だから全然気にしないで。あははははっ」

「申し訳なく思ったわたくしが馬鹿でした」


 紅玉は絶対零度の冷ややかな目で紫を睨みつけた。


 すると、パタパタと足音を響かせて、少年と少女が台所へ入ってくる。


「せんぱーい! 紫さーん! 食器とコップ準備万端っす!」

「オハシもならべマシター! ツギはナニすればイイデスカー?」


 少年は天に広がる空と同じ色の鮮やかな髪に髪留めを二本着け、少女は星屑のように煌めく金の髪を編み込んでいる。

 まだ若く、二人とも元気いっぱいの印象だ。


 そんな二人の姿を愛おしげに見つめながら、紅玉は二人の頭を撫でてやる。


「はい、お疲れ様でございました。空さんに鞠ちゃん。あとは御御御付とご飯を装って、配膳をしたら完了ですわ」

「お手伝いするっすー!」

「マリもマリも!」


 空という少年と鞠という少女は、この十の御社で紅玉が手塩にかけて育てた弟と妹のような存在である。

 この春晴れて、神域管理庁へ就職し、先日新入職研修を終えてきて帰って来たところだ。

 二人とも神域管理庁の職員として一生懸命働いており、その姿は大変眩しく、微笑ましいものである。


「そうしましたら御御御付の配膳をお願いしてもいいですか? ご飯はわたくしと紫様で行ないますので」

「おっす!」

「Yeah!」

「あと、御御御付の配膳を終えたら、晶ちゃんを起こしに行ってもらえませんか?」

「了解っす!」

「OK! オマカセよー!」


 空と鞠は味噌汁の入った鍋とお椀を台に乗せると、食堂の方へ向かって行った。


「十の御社の元気印コンビが帰ってきたら、一気に賑やかになったね」

「ふふふっ、本当に」

「しかも自ら率先してお手伝いしてくれるし……! 良い子達過ぎてお兄さんは感動だよ……っ!」

「子どもの成長は素晴らしいものですわねぇ」


 しみじみとそんな事を思いながら、紅玉は丼にご飯を装っていく――山の如く。ほかほかと湯気を立てながら、白米が艶々と輝いている。

 最早十の御社名物である丼ご飯を見つめながら、紫は言った。


「毎日見ているとはいえ、相変わらずよく食べるよね~蘇芳くんは」

「蘇芳様はお身体が大きくいらっしゃいますから」


 そんな話をしていれば、影が差した――。


「紫殿、おはよう」

「あっ、蘇芳くん、おはよう。お水かな? ちょっと待ってて」


 蘇芳の声が聞こえた瞬間、紅玉は少し肩を揺らした。


「っ……、おはようございます、蘇芳様……っ」

「あ、あぁ……お、はよう、べっ、紅殿……」


 蘇芳もまた紅玉の姿を目に止め、言葉に詰まってしまう。


「ご、ご飯、これくらいでよろしいですか? 少ないでしょうか?」

「い、いや、丁度良いくらいだ。ありがとう。いつも助かる」

「よかったですっ。今日もたくさん食べてくださいましね」

「ああ。貴女が作った料理は美味いからな」

「そ、そんなこと……っ」


 どことなく甘酸っぱい雰囲気が漂う。

 それを見ていた紫はいろいろ察した。そして、呟く。


「リア充爆発しろ」


 決して僻みなどではない……はず。


 すると、台所の入口にひょっこりとその二人が現われた。


「せんぱーーーーい……」

「ベニちゃーーーーん……」


 その声を聞き、紅玉は振り返って首を傾げた。

 その声の主は先程元気よく出ていった空と鞠だ。だが、今はその声に元気がなかった。


「空さん、鞠ちゃん、どうなさいましたの?」


 紅玉の質問に、二人は顔を見合わせ言い辛そうにしていたが、口を開く。


「晶ちゃん、起こしに行ったっすけど……」

「ショウちゃん、ゼンゼンおっきまセーン」

「あらあらあらあらぁ……」


 紅玉はにっこりと微笑んだ――背後に黒い何かを漂わせて。


 紅玉は持っていた丼ご飯を紫に託すと、足早に台所を出ていく。その顔は笑顔であるはずなのに恐ろしいものにしか見えない。

 そして、それを見た蘇芳は慌てて後を追っていく――。


 そうしてしばらくして、台所にまでその声は響き渡った。


「晶ちゃああああああんっっっ!!」




 十の御社は本日も平和である。




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