巣立ちの金糸雀のその後
雛菊が十の御社から巣立った翌日――記念すべき雛菊の異動初日の日の事――。
「こらぁ~~~~~~っ!!!!」
怒号と呼ぶには些か可愛らしい女性の怒鳴り声が茶屋よもぎから響き渡った。
怒鳴られた人物――茶屋よもぎの店員である文は不機嫌そうな顔をして、怒鳴った人物を睨みつける。
「だからっ! 接客業はスマイル命! んでもって、明るく元気に『いらっしゃいませ!』って言うの!」
文に説教していたのは金糸雀色の髪をふわふわと揺らす雛菊であった。襷掛けをして、文とお揃いの「よもぎ」の店名入りの真っ白な前掛けをしている。
「はいっ! もう一回! いらっしゃいませ~!」
「…………らっしゃい」
「どこの八百屋よ!? ここは茶屋! お茶屋さん! お客様にご贔屓にしてもらうためにも、気分良く過ごしてもらい、また来たいと思わせる! これ大事!!」
熱心に接客業の伊呂波を叩きこんでいく雛菊を文は非常に不愉快そうに睨んだ。
すると、ガラリと店の入り口が開く音がした。
雛菊は条件反射で営業用の笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ~!」
「御機嫌よう、雛菊様」
「紅玉さん! 蘇芳さんまで!」
「こんにちは、雛菊殿」
雛菊は嬉しそうに二人に駆け寄る。
「いらっしゃいませ! どうしたんですか?」
「雛菊様の様子を伺いに新しい部署へ……と思ったら、お茶屋さんから雛菊様の声が聞こえたものですから覗いてみたのです」
「あははぁ……わざわざすみません。新部署立ち上げ初日だって言うのに、別の所にいて……」
「雛菊様は何故こちらに?」
「えっと……話せば長くなるんですが……」
初め雛菊も新部署用に用意された建物にいたのだ。
しかし、異動初日で、新部署立ち上げ初日で、新部署部長で、神獣連絡網導入初日だというのに、雛菊は酷く暇を弄んでいた。
何せ神獣連絡網で主に働くのは鳥の神獣達自身だ。雛菊は神獣達に己の異能を転写するだけの仕事である。
むしろ変に仕事をしようとすると、神獣達に「姫はこちらで待機を!」「姫はお休みになっていてください!」と超過保護状態。
そして、肝心の神獣連絡網の方も、導入初日で何か不具合が発生するに違いないだろうと、苦情などを待ち受けていたのだが、鈴太郎や幽吾達が何度も繰り返し試験を行なってくれたおかげか、神獣達の働きが良過ぎるおかげか、未だに問題や苦情の声は一切届いていない。
暇で、暇で、暇すぎて――「働いていないも同然の自分が給料を貰っていいのか!?」と罪悪感に苛まれた雛菊は、何か仕事がないか探しに建物を飛び出した所で、文と鉢合わせした。
新部署が置かれた建物が茶屋よもぎの隣である事にその時初めて気付いた雛菊は、思わず文に――。
「……仕事ください」
――と、頭を下げていた。
そして、先程の説教に至るのだ。
事のあらましを聞いた紅玉は思わず苦笑いをした。
「……そんなにお暇だったのですか?」
「ええもう暇で暇で暇でっ! 世の中、働かざる者食うべからずって言うのに、楽をして食べ物に困らないなんて、そんなのあたしの貧乏人魂が許せませんっ!!」
((何だろう……その謎の魂……))
紅玉と蘇芳の心の声が仲良く揃う。
「ですが、雛菊様がお手透きなのであれば、お茶屋さんのお手伝いに入るのは丁度良いかもしれませんね。このお店、店員は実質文君しかおりませんし」
「えっ!? そうなの!?」
雛菊の言葉に文がこくりと頷く。
「雛菊様さえよろしければ文君のお手伝いをお願いできませんか?」
「え、えっと、あたしとしては仕事くださいって感じなので、むしろ喜んで、なんですけど、神域商業部とかの許可は……」
「お気にされるようでしたら、わたくしから商業部の方に報告しておきますわ」
「っ、ありがとうございますっ!」
紅玉の心遣いに雛菊は嬉しそうに笑った。
「では、早速雛菊様に注文しても?」
「はいっ!」
「持ち帰りで、みたらし団子を四十二本お願いします」
「はいっ、お待ちください!」
雛菊は活き活きとしながら、店の奥へと駆けていく。
そんな雛菊を見送りながら、文は溜め息を吐いた。
「何が『商業部の方に報告しておきます』……だ。あなたのことだから、とっくに話は通してあるんでしょ」
「ふふふっ、雛菊様には内緒ですわよ? 文君、雛菊様の事、お願いしますわね」
「……わかってるよ」
二人の会話を聞いて、蘇芳は察する。
神獣連絡網という重要な役割を担い、神獣に愛された雛菊に無闇矢鱈に手を出す輩はいないだろう。
しかし、それでも不安は拭いきれない。
それならば朔月隊である文を傍に置けば、雛菊の身の安全の保障はより強固になる。文もまた敵に回すと恐ろしい人物なのだから。
新部署が置かれた建物が茶屋よもぎも隣だったのはただの偶然などではないのだ。
(紅殿の根回しの良さは流石としか言い様がないな)
蘇芳は思わず感心したように紅玉を見つめた。
常に、先の先まで読んで、先手の先手を打つ。なかなか難しいことであり、しかも他者の為となるならば尚の事。
しかし、それを苦ともせず、常に他者を思いやり行動できる紅玉を、改めて蘇芳は先輩として誇らしく思った。
「お待たせしました! みたらし団子四十二本です!」
「ありがとうございます、雛菊様」
紅玉は商品を受け取り、雛菊に代金を渡す。
すると、雛菊は受け取った代金を握り締めたり、弄ったりして、もじもじとする。そして、照れたように視線を下げると言った。
「……あ、あの……」
「はい?」
「そ、その……『様』って止めません?」
「えっ?」
「いやっ! あのっ! 紅玉さんが人に対して『様』って付けるのは当たり前なのかもしれませんけど、文は『文君』だし、それにあたしは『様』って柄じゃないし!」
雛菊は紅玉を見つめて頬を赤く染めて慌てたように言った。
「ふ、普通に……呼んで欲しいな、呼びたいな~……なんて」
「……あらまあ」
要は、つまり――。
「わたくしとお友達になってくれるのですか?」
「う、……うん」
「ふふふっ、嬉しい」
紅玉が嬉しそうにふわりと笑う。それを見た雛菊だけでなく、蘇芳も思わず顔を赤くしてしまう。
「えっと、じゃあ……雛ちゃん?」
「は、はいっ! ……えへへっ」
雛菊が嬉しそうにはにかむのを、紅玉は微笑ましそうに見つめた。
「えっと、あたしは……」
「雛ちゃんのお好きなように呼んでくださいな」
「そ、そうですか? えっと、じゃあ――」
雛菊は少し考えてから、紅玉を見つめて言った。
「――――紅ちゃん?」
雛菊の声で、「紅ちゃん」と呼ばれて――紅玉の心臓が強く鼓動を打った。
思い出すのは、柔らかい色合いの茶色の髪を緩く編み、鮮やかな蜜柑色の瞳を持つ彼女の姿――。
「紅ちゃん」
誰よりも優しい心を持っていて、少し泣き虫で、弱虫で――。
「紅ちゃん」
歌留多が上手だった彼女の――――。
「だあーーーーーーっ!」
雛菊の叫びに紅玉はビクリと肩を震わせる。
「やっぱ無理! 自分が『ちゃん』付けとかちょっと向いてないかも! ごめんっ! 年下のくせに生意気ですけど、呼び捨てにしてもいいですか!?」
両手を合わせてくる雛菊に、紅玉は目をパチクリとさせながら頷いた。
「ええ、お好きなように。よろしければ、敬語などは結構ですので、雛ちゃんの話しやすい言葉遣いでお話ししてくださいな」
「やったーっ! ありがとーっ! 紅っ!」
「はい、雛ちゃん」
嬉しそうに笑う雛菊を、紅玉もにっこりと笑って見つめる。
激しく鼓動を打つ心臓を必死に隠しながら――。
そんな紅玉を、蘇芳が何とも言えない顔で見つめていた。
**********
紅玉と蘇芳が帰り、茶屋には再び雛菊と文だけとなった時の事――。
「…………ねえ、雛菊」
「えっ?」
普段無口で有名な文が珍しく話しかけてきた事に雛菊は驚いてしまった。
「えっと、なに?」
「…………試しに『アキ君』って言ってみて」
「えっ?」
「『アキ君』って言って。言え」
「ええ…………」
唐突……その上命令系とは何様のつもりだ? そして、アキ君とは一体誰の事だ? ――と思いながらも、雛菊はその言葉を口にした。
「…………アキ、君?」
「………………」
文は黙ったまま固まってしまう。
「え、ちょ、文? 文? どうしたの? 大丈夫?」
文の目の前で雛菊は手を振って見せるが、文は瞬きもせずに雛菊をジッと見つめていた。
そんな文を見て、雛菊は思わず初めて文に会った時の事を思い出してしまった。
すると、微動だにしなかった文が突然動き出し、店の入り口へと歩いていく。そして、雛菊に背を向けたまま、早口で言った。
「…………ごめん。少し店空ける。ちょっとよろしく」
「えっ!? ちょっ! 文!?」
雛菊が止める間もなく、文は店を出て行ってしまった。
「え~~~…………あたし一人でどうしろと…………」
雛菊は愕然としつつも、何かしていないと落ち着かなかったので、とりあえず茶屋の卓を布巾で拭くことにした。
店を飛び出した文は、店の裏へと回った。
早足で――駆け足で――人気のないところへ――。
やがて、店の裏手にある大きな樹の陰に身を隠すと、根元にしゃがみ込んだ。
その目からは涙が溢れ、頬を伝い、顎から地面へと滴り落ちていた。
文は抱えた両膝に顔を埋め、声を押し殺し、泣いた。
「……っ、姉さん……っ……!」
悲痛な呟きは、誰にも聞かれる事なく、風に掻き消されていく――。
はずだった。
突如、温かなぬくもりに文は包まれる。
ハッとしてみれば、いつの間にか戻ってきた紅玉が文の頭を撫でながら抱き締めていた。
「章君……っ……章君……!」
紅玉にそう呼ばれ、文はもう涙を止める事ができなかった。嗚咽が漏れていく。
「章君、ごめんなさい。また真実への手掛かりを逃す事になってしまって。でも、信じてください。わたくし、必ず見つけてみせますから」
紅玉は文を抱きしめる腕に力を込める。
「貴方のお姉様の……果穂ちゃんの死の真相を、必ず見つけてみせますから……!」
文は紅玉に縋って、声を押し殺して泣いた。
そんな文の頭を、紅玉は何度も、何度も、撫でていた。
そして、そんな二人を少し離れた位置から見守る蘇芳の表情は、酷く切ないものであった。
「茶屋よもぎにて」の話で、雛菊が文に抱いた意見に対して、紅玉がその意見を尊重してあげたというフラグ回収回でした。
気づいて頂けた方がいたら嬉しいです。
そんな小さいフラグをぴょこぴょこ立てるのが好きです(笑)
明日、一章最終話になります。
長い一章にお付き合いくださりありがとうございます!
明日もどうぞよろしくお願いします!