新部署設立
ここは神域管理庁中央本部――神域管理庁上層部が集う伏魔殿。
いつもは八大準華族の血族である十名の男達しかいない中央本部大会議室に、この日は他にも七人の人間が集まっていた。
彼らは一から七の神子の代理で来ている神子補佐役の職員である。皆、皇族神子達の側仕えとして相応しい器量と神力の持ち主であった。
総勢十七名もの重役達が並ぶ前に、幽吾は一人立っていた――否、一人ではない。肩には月のような淡い黄色い羽を持つ神獣が静かに止まっている。
「それではこれより『神獣連絡網』の試験を行ないます」
幽吾がそう宣言すると、肩に乗っていた神獣が羽ばたき、幽吾が伸ばした右腕の先に止まる。
「――術式発動。鈴太郎」
幽吾がそう告げると、神獣は淡い金糸雀色の神力を纏わせて術式を発動させた。
「……もしもし。こちら神域管理庁中央本部人事課所属の幽吾です。応答願います」
幽吾が神獣にそう話しかけた瞬間、神獣が嘴を開いた。
『……もしもし、こちら二十二の神子の鈴太郎です。よかったぁ! 厳重に結界が張られている場所でも、神獣相互の受け入れがあれば繋がるみたいですね!』
神獣の嘴から聞こえてきたのは囀りではなく、心底安堵したような鈴太郎の声であった。
これには上層部も神子補佐役も驚きの声を上げる。
「幽吾! それはもしや!」
「はい。二十二の神子様が実現してくださったのです。手紙になり変わり、神にも受け入れられる連絡手段を」
会議内に感嘆の声が上がる。
「これで神域内の連絡のやり取りがしやすくなるぞ!」
「早く導入を進めんか!」
「はい、それに当たりまして、こちらからの提案とお願いがございます」
幽吾はにっこり微笑むと告げる。
「まず新しい部署の設立です。『神獣連絡部』という部署を設立、連絡の要を担う神獣の管理を実施させます」
「部署の設立は構わんと思うんだが、そこに割く人員はどうする? 生活管理部の郵便・配送担当者を割り振るのか?」
「その必要はありません。この部署の人員はたった一名で賄えます。ただし特定の人物ですが」
「……まさか、二十二の神子様ではあるまいな?」
「神子様には他に重要なお役目がございますので無理でしょう。それに神子様にはこの仕事は担えません。この人物でないと、この『神獣連絡網』は成り立たないのですから」
「して、誰なんだ? その特定の人物とは」
その言葉に幽吾は一瞬ニヤリと笑ったが、いつもの心の内が読みにくい笑顔を浮かべると言った。
「現在、生活管理部所属となっている新人の雛菊です」
「…………は?」
「よって、雛菊は生活管理部から神獣連絡部への異動となり、神獣達の管理を行なってもらうことに――」
「待て待て待て!! 幽吾!! 待たんか!!」
「新人に新部署の管理を任せるなど酷な話であろう!? 無理だ!」
予想通り過ぎる上層部達の焦ったような反論に、幽吾は笑いを必死に堪える。
「第一に彼女は〈神力持ち〉! 本来であれば我々中央本部で保護すべき――」
「ああ、言い忘れていましたが、雛菊には異能がございます。人の考えや思いや声を他者に伝えたり、聞いたりすることができる『以心伝心』という異能が」
「なっ!? 異能も持っているだと!?」
「そして、神獣達に雛菊の異能を『転写』し、雛菊と同じ異能を使いこなすことで、あの連絡のやり取りが可能となっているのです。ちなみに『転写』の術式は二十二の神子様がお作りになられたもので危険はありません」
「『以心伝心』の異能を、神獣に『転写』だと……!?」
「そして、神獣は雛菊にしか懐かず、雛菊の言う事しか聞きません。なので、神獣連絡部は彼女以外勤まりません」
幽吾の淡々とした説明を聞いて、驚きを隠せない男達ではあったが、次の瞬間にはその顔に醜く歪んだ笑みが浮かんだ。
〈神力持ち〉で異能を持ち、挙句神獣まで従えさせることができる希有な存在の雛菊を、皆喉から手が出る程欲した。
あれを手にすれば、地位も名誉も確立したのも同然。その上、若くて愛らしい容姿。その手で可愛がるのもまた一興であろう――と、次々と邪な考えが浮かんでいく。
しかし――。
「それにご心配には及びません。例え彼女一人であったとしても、彼女の為に神獣が彼女の力となることを約束してくれています。仕事に関しても、彼女の身の安全に関しても――」
それを聞いた瞬間、男達の顔が青褪めた。
「神獣は神の化身。見た目は動物のように愛くるしいですが、侮ってはいけません。その力は神と同等。その神獣に愛された存在である雛菊に手を出したのなら、どうなるか……分からない程、皆様は愚かではないでしょう?」
幽吾の屈託のない笑顔を見ながら、男達は幽吾の言葉を反芻していた。
それは脅しも同然の言葉であった。
男達はすっかり凍り付いてしまい、誰も何も言わなくなる。
「それでは、新部署『神獣連絡部』の設立は決定。それと雛菊の異動も決定でよろしいですね。それでは僕は準備がございますので、これで――」
幽吾は一礼をして、踵を返し会議室を出ようとする――。
「お待ちください、幽吾様」
それまでずっと黙ったままだった皇族神子の補佐役の一人が声を上げた。
幽吾は声を発したその人物を見た。
真珠の如く艶めく美しい乳白色の長く真っ直ぐな髪を持つ美女だ。瞳の色は柔らかな撫子色。睫毛も長く、口紅が乗せられた唇は艶々としており、肌も年齢がわからぬ程綺麗である。纏う真っ白な服は西洋の神官を思わせるものだが、完璧に着こなし、まるで聖女のようだ。
「我が姫神子様は新たに入られた〈神力持ち〉の女性の事を大変気にかけておりました。よろしければ、代理人として質問させて頂くことをお許しください」
言葉の端々まで柔らかく、言葉遣いも非常に丁寧だ。仕草も気品溢れるもので、今時大変珍しい女性であった。
上層部の男達までもが彼女に身惚れている。
しかし、幽吾はしれっと聖女を見ると、考えの読めないいつもの笑顔で淡々と答えた。
「……構いません。お願いします」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げながら、聖女は幽吾に向かって言う。
「彼女はご自身の異能について何時気が付かれたのでしょう? さぞや驚いたことかと存じます。ご苦労もされたのでは?」
「雛菊が自分の異能に気付いたのは、つい昨日の事で、気付いた時にはすでに制御も完璧だったと聞いております」
「まあ、それはそれは、ようございました。大変才能がお有りなのですね、雛菊様は」
「はい。おっしゃる通りで」
「研修先の御社ではどのようにお過ごしになっていたのでしょうか?」
「報告によりますと、雛菊と十の御社の者達は大変仲良く過ごしていたそうです。問題など全くありません」
「そうですか……それならば良いのですが……姫神子様は大変心配しておられました」
聖女は少し間を置くと、真剣な表情で幽吾を見ながらハッキリと言った。
「雛菊様は〈能無し〉の災禍に見舞われなかったでしょうか? 彼女の身に、何か危険な事が起きることはありませんでしたか?」
幽吾は思わず笑みを崩しそうになったが、なんとか堪える。
そして、より一層にっこりと笑うとハッキリと言った。
「ご安心ください。十の御社にはあの神域最強の戦士がいるんですよ。そう易々と、研修生を危険な目に遭わせたりしませんよ」
「…………そうですか」
幽吾の答えに、聖女はにっこりと微笑んで頷いた。
「……それでは、本当に僕はこれで」
そして、幽吾は今度こそ踵を返すと、会議室から出ていった。
会議室から出てきた幽吾は、「ふぅ」と溜め息を吐くと、一刻も早く会議室から離れようと廊下を足早に歩く。
そして、歩きながら、肩に乗る神獣に命じる。
「――術式発動。紅玉」
幽吾がそう告げると、神獣は再び術式を発動させた。
そして、同時に幽吾は地獄への扉を召喚し、その中へと入っていく。
「もしもし、紅ちゃん? ぼくぼく、僕だよ~」
『……もう幽吾さんったら、きちんと名前を告げてくださいまし』
「あはは~、ダメだよ、紅ちゃん。そこで僕の名前を呼んじゃ。詐欺に遭っちゃうよ」
『ご心配に及びません。神獣様は任意の方しか繋いでくださらないですもの』
「うんうん。セキュリティばっちりで大助かりだよね~!」
『……幽吾さん、きちんと報告してくださいませ』
「うんうん、ごめんごめん」
いつの間にか、幽吾の前には洋灯を持った鬼神が先導して歩いており、幽吾は灯りだけが照らす真っ暗な地獄の入り口の空間をどんどん進みながら、紅玉と話す。
「無事に新部署の設立は決定。そして、雛菊ちゃんの新部署所属と異動の許可を強引に勝ち取って来たよ」
『……っ……よかったですっ……!』
「お疲れ様、紅ちゃん。君のおかげだよ」
『いえ、蘇芳様や鈴太郎さんには多大なご協力を頂きましたし、幽吾さんには上層部への報告など一番厄介な事をお願いしてしまいましたもの』
「僕、一応中央本部の人間だからね~。それは当然のことだと思うよ。それに上層部の言い訳とか脅しの文面とかは、紅ちゃんも一緒に考えてくれたでしょ~。だから、今回の事はほとんど紅ちゃんのお手柄だよ」
『ですが、そもそも神獣様を使った連絡システムは、鈴太郎さんの発案ですわ』
「まったく、紅ちゃんは謙遜が過ぎるな~」
先導していた鬼神がある部屋の前に辿りつく。重厚な扉を鬼神が開き、幽吾はその部屋の中へと入る。
『そうです、幽吾さん! 今、病院にいるのですけれど、先程焔ちゃんが目を覚ましましたわ!』
「っ! ほんと? いやぁ、よかったよかった。今度お見舞いに行ったら、オシオキしないとね~」
『ふふふっ、幽吾さんもお仕置きするのですか?』
「ん? 『も』って言うと?」
『もうすでに、文君、美月ちゃん、世流ちゃんに右京君、左京君からお仕置きを受けていますのよ、焔ちゃん。勿論、わたくしからも。文君なんて珍しく本気で怒って怒鳴っていましたわ。後で轟さんと天海さんもいらっしゃるはずですけど、二人も間違いなくお仕置きされるに違いありませんわ』
「うんうん、だろうね~」
紅玉の言葉を聞きながら、幽吾はくすくすと笑いながら、部屋の真ん中に置かれた寝台の前に立った。
その間、鬼神は部屋の灯りを点していった。徐々に部屋の中が明るくなっていく。
「何せ今回、焔は無茶をし過ぎた。おかげで命を落とすところだったんだからね」
『……流石は元神子……なのでしょうね。また多少なりとも医学の知識があったからできたことなのでしょうけれど。まったく、とんでもない神術をお作りになったものですわ』
「もう二度と使わせないけどね。『損傷した細胞を超活性化させて再生をさせる』神術なんて。あんなの使用者の負担が大き過ぎる」
『ええ。焔ちゃんに何かあったら、わたくし、海ちゃんに顔を合わせられませんわ』
「ま……そのおかげで、重要な鍵を亡くさずには済んだけどね」
『……? 幽吾さん、何かおっしゃいまして?』
「ううん。なんでもないよ」
幽吾は紅玉にそう告げながら、灯りに照らされた寝台の上の人物を見た。
瞳はまだ固く閉ざされたままで、肌は血色が非常に悪いが、わずかに胸が上下しており、その者が生きていることを示している。
「……紅ちゃん、蘇芳さんに伝言お願いしてもいい?」
『蘇芳様にですか? はい、構いませんよ』
「今度、またちょっとしたカフェでお茶しない? って言っておいて」
幽吾はそう言いながら、その人物の髪を見つめた。
寝台の上に散らばる髪の色は、大和人特有の漆黒に僅かに抹茶色が混じったものだった。