そして、彼女は心を鬼にする
最初に意見を出したのは時告だった。
「そもそも! 神獣を使った新たな連絡手段の発案自体を諦めればよいのです! 駄主!」
「うえっ!? 何で!?」
「そうすれば姫君が神獣を引き寄せると知られる事もないっ! 我々も手紙のやり取りだけで十分賄えているからです! 必要ありませんっ!」
「必要あるんですっ! 今日出した手紙が届くのは結局明日になってしまいますし、速達でお願いしても結局一時間以上はかかってしまいますし、連絡のやり取りがスムーズじゃないんです! 何よりも郵便仕分けと配達を担っている生活管理部の仕事量がハンパないんですっ!」
鈴太郎の言う通りだと、紅玉は思った。
生活管理部は神域内での神子の生活を全面的に支え援助する部署だ。御社配属であれば、炊事・洗濯・掃除などなどの家事を一挙に担い、御社配属であれば、神域内の清掃・乗合馬車の運行・郵便の仕分けから配達・各御社への食材や生活用品の配達まで行なっている。
かつて鈴太郎が生活管理部の仕事量軽減の為に神術を考案したが、それでも仕事量が非常に多い。
何よりもその仕事内容は、日々必要とされるものでありながら、なかなか日の目を見ないものだ。やって当然の仕事は、特別感謝される事も無い――。
そうして思い出されるは、「神子の召使いなんてもうごめん」という萌の叫びだった。
(今更後悔しても仕方ありませんが、生活管理部の仕事量の見直しをもっと早く行なえば、萌さんはあんな犯行に至ることもなく、今頃は無事に……)
絶望しながら血を吐く萌の姿を思い出してしまい、紅玉は唇を噛む。そんな紅玉の背を、蘇芳が優しく撫でた。
すると、鈴太郎が手を挙げる。
「はい! 神獣様に、雛菊さんに近づかないようにお願いをするっていうのは――」
「その神獣に! 誰が進言する!?」
「あ、う、そっか……じゃあ、雛菊さんに神獣様に雛菊さんに近づかないようにお願いをしてほしいってお願いをするっていうのはどうでしょう?」
しばしの沈黙――。
「「…………はい?」」
紅玉と蘇芳が仲良く首を傾げた。
「は? 誰に誰を誰がお願いをすると?」
「だから、雛菊さんに神獣様に雛菊さんに近づかないようにお願いをしてほしいと僕らから雛菊さんにお願いを――」
「わかりにくわっ!!!!」
「いだいっ!!!!」
鈴太郎の脳天に、時告の手刀が振り下ろされた。
「まともな大和語を話せんのか!? この駄主!!」
「ちゃんと大和語喋ってますよぉ……」
涙目になりながら、鈴太郎は頭を擦った。
「えぇっと……つまり、雛菊様にお願いをするのですよね。どうか自分に近づかないで欲しいと神獣様に進言して欲しいと」
「はい、そうです!」
「最初からそう言えっ!!」
「言ってますーーーっ!」
「そもそも束縛や命令を嫌い、自由を愛する神獣達が例え姫君の願いであったとしてもそう易々と命令に従うはずがない! 第一にこの神域に神獣が何匹いると思っている!? その全てに頼むなど不可能! そんな不可能で途方もない作業を姫君にさせようとしていたのか!? この駄目神子!!」
「ひぃっ! ごめんなさいごめんなさい!」
今にも鈴太郎に殴りかかりそうな時告を、紅玉と蘇芳は宥める。
「まあまあ時告様、落ち着いてくださいませ。ここは一度甘い物を食べて、一旦休憩にしましょう」
「鈴太郎殿も先程から頭を使って疲れているだろう。糖分は疲れも癒すし、脳の栄養源だ。さあどうぞ、遠慮せずに」
「う、うぅ……ありがとう、紅玉さん、蘇芳さん……いただきます」
「頂こう!」
鈴太郎と時告は卓に置かれた色取り取りの洋菓子を一つ摘むと、一口頬張った。
「これはうまい! 外はサクリと歯応えが良いのに、中は柔らかく上品な甘さ! とても美味である!」
「ありがとうございます」
実に細かい称賛を並べる時告の横で、鈴太郎はまだ咀嚼を繰り返していた。
もぐもぐもぐ、もぐもぐもぐ。
「十の神子の姉君! これは何という菓子なのだ?」
「こちらは『マカロン』という西洋の国で作られた焼き菓子です。十の御社の生活管理部である紫の手作りでございます」
「なんと! 流石は十の御社の職員! 実に見事な味である!」
「お褒めに預かり光栄でございます。紫にも後程伝えておきますわ」
紅玉が微笑みながら礼をする向かいで、鈴太郎はまだ口を動かしていた。
もぐもぐもぐ、もぐもぐもぐ、もぐもぐもぐ。
「この駄主!!!」
「んぐっ!?」
「食べ終わるのに一体どれだけの時間をかけているのだ!?」
「んぐっ……だ、だって、口の中に食べ物が入ったまま喋るなんてお行儀が悪いじゃないですかぁ」
「だったらさっさと飲み込め!」
「理不尽!」
(お菓子を召し上がりながらも喧嘩ができるとは……仲がいいのやら悪いのやら)
ふぅと溜め息を吐く紅玉の横で、蘇芳は「ははは」と苦笑いを浮かべる。
「確かにこういう時、雛菊殿の異能は便利なのかもしれないな」
「……はい?」
「ああ……先日、雛菊殿が朝食をとっていた際、俺が見張りについただろう? その時、雛菊殿は食事を召し上がりながらも異能を使って、俺と会話をしてな。その時、雛菊殿が『自分の異能は便利だなぁ』と呟いていた事を思い出してしまってな」
「まあ、雛菊様ったら……まるで発想が晶ちゃんのようですわ」
「はははっ、俺も同じ事を思ってそう言ったら、大いに反省していたぞ」
「確かに自分の考えを相手に伝えられる事は便利ではありますが…………便利…………」
「……紅殿?」
急に黙ってしまった紅玉を蘇芳は心配そうに見つめる。
「紅殿? どうした?」
「…………」
「紅玉さん?」
「……ぁ……」
「十の神子の姉君、いかがした?」
「――――っ!!」
すると、紅玉は目を大きく見開き、急に立ち上がると、窓へ駆け寄り、その窓を開け放った。
「晶ちゃんっ!!!!」
紅玉の大声に、水晶をはじめ十の御社の神々が皆振り返った。
その中には真っ赤な顔で涙目の雛菊もいる。
「うみゅ? なあに、お姉ちゃん。こっちは雛っちがダダこねちゃって全然進んでないよ~~~」
「紅玉さん! 助けてください! やっぱりあたしには無理ですっ!」
神々に囲まれた雛菊が涙ながらに必死に助けを請う。
しかし、紅玉はにっこりと微笑みながら、心を鬼にした。
「ごめんなさい、晶ちゃん。急ですが、雛菊様の異能、今日中に使いこなせるようにしてください」
「うみゅ?」
「へ?」
「ええもう死に物狂いで。泣き叫ぼうが喚こうが心臓が壊れようが、どんな手段を使っても構いません。異能を完璧に使いこなせるようになるまで、決して解放してはいけません」
「こっ、紅玉さん!?」
あまりに残酷な事を告げる紅玉に、雛菊は顔を真っ青に染める。
しかし、紅玉はそれを気に留める様子も無く、それはそれは柔らかな微笑みを湛えながら雛菊に告げた。
「雛菊様、ご武運を。これは貴女様の為でもあるのですから、頑張ってくださいましね」
そして、窓は閉められた。
*****
雛菊は愕然としながら身体を震わせた。
「……うみゅ~~~、ああ言われちゃあ仕方ないよね。こっちも手加減しなくても良さそうだし、楽ではあるけれど」
水晶の声に雛菊は恐る恐る振り返った。
振り返ればそこには見目麗し過ぎる男神達が雛菊を見下ろすように並んで立っている。男神達は美しく微笑んでいるはずなのに、雛菊にとっては恐ろしいものにしか見えない。
「んじゃまあ、雛っち、覚悟してね~……やれ」
「「「「御意」」」」
「いっ、いっ、いいいっ、いやあああああああああっ!!」
雛菊が悲鳴を上げるが、男神達は気にした様子も無く、雛菊をあっという間に囲む。
そして、逃げようとする雛菊を鮮やかな青い髪を持つ蒼石が抱え上げ、己の膝の上に座らせた。
「雛菊殿は随分と小さな女子であるな。しっかり食べておるのか? ほれ、あーーーん」
「いりません! 自分でできます! ちゃんと食べてます! あーんとか(綺麗な顔を近づけて)言わないで!」
真っ赤になる雛菊の顔の横辺りに薄墨色の長い髪が揺れた。見れば、日暮が雛菊の髪を手で触りながら、妖しく笑っている。
「雛菊さんの髪は随分と柔らかくてふわふわしているんだねぇ。ふふふ、少し弄っても良いかな?」
「お願いします! やめて! (そんなに綺麗に)笑わないで!」
すると、今度は手を取られた事に気付く。慌ててそちらを見れば、煌めきのある黄金の髪を持つ要が雛菊の爪を撫でながら見上げていた。
「爪が少し伸びているようだね。随分と小さくて薄い爪だ。鑢で削っても?」
「ひぃっ! やめて自分でできます! 必要ありません! (あなた様の指の方が綺麗過ぎるわ)」
あらゆる事への羞恥のせいで爆発寸前のところで、脚にするりとした感触が走り、雛菊は全身を粟立たせる。顔を青くして足元を見れば、白と銀の色合いを持つ遊楽が雛菊の脚に頬ずりをしていた。
「ああーーー、堪らん。姫の脚は極上だなーーー。まじでやべぇ。噛みついていいか?」
「なっ!? やっ、あのっ、ちょぉっ!?」
「「「「このド変態ぃいいいいいいいいいっっっ!!!!」」」」
複数の怒声と共に遊楽は突き飛ばされた。遠く離れた位置まで吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられ、「ぼぐぇっ!」と変な悲鳴を上げる。
「こンの馬鹿狐ぇっ!!」
「いくら訓練だからって調子に乗るんじゃねぇ!!」
「ボクもおこっちゃいますぅ! 許しません~!」
「……変態め。消えろ」
黄金の鬣のような髪を持つ真心と共に、子ども達までもが遊楽を叩きのめす。遊楽はなす術無く、ひたすら折檻され「いてっ! いてぇよっ!」と悲鳴を上げていた。
その光景を見ながら、雛菊は両脚を抱えるようにして己の身を守る。そして、涙目で遊楽を睨みつけた。
(ド変態っ!!!!)
しかし――。
「おいごら、ちんちくりん」
(ひぃっ!)
心の中で悲鳴を上げるも、雛菊は頭部を背後から鷲掴まれる。顔を見なくても分かる。この声は鋼だと。
――さっきから心の声垂れ流しだぞ。しっかり制御しろ
「ちょっとぉっ! 頭に直接訴えないでくださいっ! (良い声が直接)頭に響く!」
――それも訓練の内だろうが。しっかり真面目にやれ
「いやあああっ! 声! 声っ! (良い)声が響くっ! もう勘弁してええええええ!!」
その後も雛菊の悲鳴が何度も響き渡るが、水晶率いる十の御社軍団は決して雛菊を逃さなかった。
雛菊が真っ赤になって泣き叫ぼうが、男神達は雛菊の手や髪に触れ、甘い言葉を囁いたり、見つめたり、甲斐甲斐しく世話をしたりし、雛菊の異能制御の訓練を強制させた。
結局、雛菊が完璧に異能制御が扱えるようになるまで、それは続き、雛菊はまるで天国にいるような甘い時間を過ごしたのだった――。
否、雛菊にとっては地獄以外の何物でもなかったが……。
*****
窓を閉めても尚、雛菊の絶叫が薄らと聞こえてくるが、紅玉は無視して振り返り、蘇芳と鈴太郎を見て言った。
「さて、わたくし達は術式開発を致しましょう」
「え? 術式開発ですか?」
「ええ、神域内の新しい連絡システムを作るのです」
「ええっ!?」
「紅殿、何か思い付いたのか?」
「はい。ですが、神力のないわたくしには出来ない事が多すぎますので、お二人にはご協力願いますが」
「俺なら構わない。喜んで力を貸そう」
「僕も、です! 元々僕の目的は新しい連絡システムの開発ですから!」
「ありがとうございます。ふふふっ、こんなこと三年前以来ですわね」
紅玉は当時を思い出し楽しそうに笑う。
「……ですが、最終的には神獣様にもご協力頂かなければなりません。何故ならば、これからやる事は神獣様のご協力がなくてはなし得ないのですから」
「神獣の力が必要になるのか?」
「でも、それじゃあ、雛菊さんが……」
鈴太郎が言わんとしたい事は紅玉も分かっている。紅玉は鈴太郎を安心させるかのように微笑んだ。
「ご心配には及びませんわ、鈴太郎さん。この方法なら――雛菊様を守るだけでなく、膨大な仕事に追われている職員の助けにもなります」
「十の神子の姉君。意見を再度申し出るが、神獣は自由を愛し束縛を嫌う。そう簡単に力を貸してくれるとは思えん」
「ええ、時告様。おっしゃる通りでございます――ですがこれは、この神域を、神子を、神を、大和皇国に守る事に繋がり、ゆくゆくは神獣様を守ることにも繋がるものです」
そして、紅玉は鳥籠へ近付き、しゃがみ込むと中にいる神獣と目を合わせて言った。
「その為ならば、わたくし、土下座してでも神獣様に頼み込みます。そして、必ずご協力頂きますわ。その為の説明や説得ならいくらでも致します。脅しは一切しません。ご理解いただけるまで誠心誠意、何度だって、頼み込んでみせます。お覚悟くださいまし」
神獣は真っ直ぐな意志を宿した紅玉の漆黒の瞳をジッと観察していた。
「さあ久しぶりにやりますわよ! 蘇芳様、鈴太郎さん!」
「……それで紅殿、どういった術式を作るつもりだ?」
蘇芳の質問に紅玉にっこりと微笑んだ――。