二十二の神子が神獣を捕獲した理由
応接室にて、紅玉と蘇芳、そして鈴太郎と時告は長椅子に座り、向かい合っていた。真ん中に置かれた卓には、全員分の紅茶と神獣が入った鳥籠が置かれている。
窓から見える庭園からは、雛菊達が異能制御訓練を行なっている声が薄らと聞こえてくる――ぎゃあぎゃあと、とても騒がしく賑やかな声が――。その声を聞きながら、鈴太郎は苦笑いを浮かべた。
「すみません、お忙しい時に……」
「いえ、お気になさらずに」
「いえ! 全てはこの駄主の責任! 気にするべきは我が駄主の方!」
「うん、今日も時告君、辛辣っ!」
鈴太郎は「うぅ……」と唸りながら、紅茶を一口飲む。
「それで、鈴太郎さん、わたくしと蘇芳様に何の御用件でしょうか?」
「えっと……そもそもの話になるんですが……僕、神域内の新しい連絡システムを開発しようと思っていて」
「神域内の新しい連絡システムですか?」
「どうしてもお手紙での連絡だと、相手に届くまでに時間がかかってしまって不便じゃないですか」
この神域における連絡手段は手紙のみ。しかも手紙の配達は神域管理庁の職員だけで行なっている為、どうしても連絡のやり取りに時間のずれが生じる。
「携帯電話の導入も何度も考えて、何度も提案したんですけど……」
「無理です!」
時告が即座に却下する。
「我々神は、『機械』という物を受け入れる事ができない! ややこしく扱いが難しいというものがあるが、あれは我々の常識では理解しがたい人工的な力によって生み出されたもの! 要は嫌いなのだ!」
「時告君だって『懐中時計』の神なのにぃ……」
「私の原動力はぜんまいだ! この駄目神子! 『機械』と同じ扱いをするなっ!」
「ひぃっ! すみませんっ!」
時告の様子を見る以上、やはり電話の導入は難しそうである。
「……そこで、神域中を物凄い速さで飛び交う鳥の神獣様にご協力頂く事を考えたんです。あれだけすごい速さで飛び交う神獣様に手紙の配達をお願いすれば、連絡のタイムラグ解消に繋がるんじゃないかと思って」
「まあ……!」
「なるほど、それで鳥の神獣の捕獲を依頼されていたのか……」
考えは斬新だが、今まで連絡の時間のずれ解消など誰も考えた事がなかっただけに、紅玉も蘇芳も目を剥く。
((爪隠し過ぎて超深爪の能ある鷹……))
そして、仲良く全く同じ事を思う。
「一番の問題は、まず鳥の神獣を捕まえられるかってとこだったんだけど、それは存外にあっさり解決したからね……でも、本当の問題はここからだったんだ」
すると、鈴太郎は「百聞は一見にしかずです」と言いつつ、長椅子から下り、床の上へと正座し、鳥籠の中の神獣を見つめた。
そして、鈴太郎は両手を膝の前に着き、額を床に擦りつけ、神獣に向かって土下座をする。
「お願いしますっ!! 神獣様!! お力をお貸しくださいませ!!」
「…………チチッ」
神獣は可愛らしい囀りを奏でながら、そっぽを向いた。
「そこをなんとか!!」
「…………」
「お願いします!!」
「…………」
無視だ。いっそ清々しい程までの無視である。
「う、うぅ……や、やっぱり僕じゃダメですね」
「当たり前です! あなた如きの言う事を、誰が聞くものですか!」
「時告君! 時告君!? 僕、仮に君の主人なんだけど!?」
時告の辛辣な言葉に涙目になりながら、鈴太郎は長椅子に座り、再び紅玉と蘇芳と向かい合うと、瞳を潤ませて言った。
「ご覧の通り、神獣様が僕を無視するんだ……」
((わざわざ実演して証明しなくてもいいのに……))
紅玉と蘇芳は、また仲良く同じ事を思う。
「僕、思えば小さい頃から鳥類には何故か嫌われていた気がするんですよね……学校の鶏には足蹴にされるし、烏には突かれるし、鳩にはフンをしょっちゅう落とされるし……」
((それは関係ないのでは……?))
今日は心の声がやけに揃う日のようだ。
「それで、鈴太郎さん、わたくしと蘇芳様に頼みたい事とは?」
「え、えっと……それが、実は、あの、その……」
一向に本題に入らない鈴太郎に紅玉が再度促すも、鈴太郎は眼鏡のずれを直しながら、しどろもどろになるだけだ。様子のおかしい鈴太郎に紅玉は首を傾げる。
すると、鈴太郎は瞬時に床へと飛び降りて、自ら両手と両膝と額を床に打ちつけた。その際「ゴンッ!」と激しい音が響く。
「ごめんなさいっ!! 僕の勘違いでした!!」
「りっ、鈴太郎さん!! お怪我! お怪我されていません!? 音! 今すごい音が!」
あまりの衝撃音に思わず紅玉は鈴太郎の前へとしゃがみ込み、顔を青くした。
「大丈夫ですよ! 十の神子の姉君!我が主はそれ如きで壊れる柔な男ではありません!」
(いや、どう見たってすぐに壊れてしまいそうな細身の方でいらっしゃるのですけれど……!)
手も足も腰も自分より細い鈴太郎を見ながら紅玉は珍しく焦ったような表情を浮かべる。
「鈴太郎さん、顔を上げてくださいまし。あともう土下座は結構です。ソファに座りましょう。ねっ?」
「うううぅぅ……ご、ごめんなさいぃぃぃ……」
顔を上げた鈴太郎の額は物の見事に真っ赤であった。
紅玉は鈴太郎を労わりつつ、長椅子に座らせる。そして、鈴太郎と再度向かい合うと、問いかけた。
「あの、鈴太郎さんは、何を勘違いされていたんですか?」
「……僕、神獣様を届けてくれた轟君に、神獣様を捕まえたのは紅玉さんか蘇芳君だと聞いていたからてっきり……」
あの時、轟は幽吾と世流と怒鳴り合っていた為、きちんと神獣が捕獲されたその瞬間を目撃していない。
恐らく適当な憶測で報告したのだろう。あの考えが浅はかな鬼ならばあり得ると、紅玉は思った。
「……神獣様は神の化身であり、非常に気高い存在です。神子である僕はおろか、同族である神の時告君の言う事だってなかなか聞いてくれません」
鈴太郎の言葉に時告が頷く。
「ですが、神獣は基本的に力強い者には従う傾向があると言われています……だから、鳥の神獣を捕まえた本人の言う事なら聞いてくれると思って、訪ねてきたんですけど……」
鈴太郎の話をここまで聞いて、気付かぬ程、紅玉は頭が悪くない。むしろ良い方だ。
そして何より、彼女は自身の目でそれを目撃してしまっているのだ。
普段人間に滅多に近づかないと言われている神獣が、自らその人物の膝の上に乗り、身の危険を感じた際は咄嗟にその人物の髪の毛の中へと避難していた事を――。
紅玉は鈴太郎が言わんとしたい事に気付き、目を見開いて言った。
「雛菊様が神獣様を従えられる……!?」
鈴太郎は困ったように眉を下げながら頷いた。
そして、紅玉の隣にいる蘇芳もどうやら事の顛末に気付いていたらしい。眉を顰めてその表情が酷く険しいものになっていた。
「僕も蘇芳君も……ついさっき気づいたんです。さっき雛菊さんと玄関ホールですれ違った際、神獣様といとも簡単に会話をされていたんですから……何を喋っているのかは全然わかりませんでしたけど」
「っ、雛菊様の異能……!」
紅玉の言葉に蘇芳が頷く。
「恐らくそうだろう。何より神獣自身が雛菊殿を気に入っているようにも見えた。彼女は昨今では稀に見る貴重な〈神力持ち〉でもあるからな」
蘇芳の言葉に頷いたのは時告だ。
「神としての意見を申し上げれば、姫君の神力は実に純粋! そして、温かい! 彼女の人柄を表した良き神力であり、神獣が惹かれるのも頷けよう!」
そして、時告は残酷な現実を告げる。
「それが故、悪しきモノを惹き付け易いのもまた事実。〈神力持ち〉の上に、人の心に干渉する異能……そして、神獣にまで惹かれるという事が明らかになれば、姫君の身に更なる危険が迫る事になるだろう」
時告の言葉を聞いた紅玉は一気に顔色を悪くした。
「時告様のおっしゃる通りですわ……! どうしましょう……! 異能を使いこなせるようになったとしても、神獣までも引き寄せる存在だと判明してしまったら……!」
ただの〈神力持ち〉であれば、どんな手を使ってでも守り抜く自信はある。雛菊は酷く非力だ。今後も陰から守れるよう裏から手を回している。人の心の干渉する異能も、今の雛菊であれば、きちんと使いこなせるだろう。全く問題視していない。
しかし、神獣という存在を御せる存在だとしたら――神獣は気高き神の化身であり、神子はおろか神ですら従える事は難しいのだ――そして、もしその事が公に知られる事になってしまえば――今度こそ伏魔殿にいる邪な心を持つ汚い上層部の人間の餌食だ――。
最悪の予感が頭の中を過ぎり、紅玉は胸に当てた右手をきつく握りしめてしまう。
「……紅殿」
「っ!」
隣から大きな手が伸び、紅玉の右手を掴む。紅玉がハッとして振り返れば、蘇芳が柔らかい表情で見つめていた。そして、蘇芳は紅玉の右手の緊張をゆっくり解いていく。
「……大丈夫だ。紅殿」
そう言いながら、蘇芳は紅玉の右手を両手で包み込む。
「皆で、雛菊殿を守る方法をもう一度考えよう。大丈夫だ。俺も考える。鈴太郎殿もいる。水晶殿だって協力を惜しまないし、兄貴も力を貸してくれる。貴女には他にも多くの仲間がいる。だから……恐れる事はない。大丈夫だ」
先程まで恐怖と不安で支配されていたというのに……蘇芳の言葉一つで、紅玉の心は一気に救われてしまった。しっかりと己を支えてくれるこの大きな手が、どれほどの力になっているか――それを思うだけで、紅玉は涙が出そうになってしまう。
「ありがとうございますっ……蘇芳様……っ」
涙を湛えた瞳を見られないように俯いてしまう紅玉の肩を優しく撫でながら、蘇芳は紅玉を宥め続けた。
そんな二人を見守っていた鈴太郎と時告は、空気を読んでこっそり部屋を後にしようとするが――。
「……鈴太郎殿、時告殿、席を外さなくても結構。貴方がたにも考えて頂かねばなりませんので、どうぞお掛けください」
「「……すみません」」
気を遣ったつもりが逆に窘められてしまった。二人は大人しく長椅子に腰掛ける。
そして、雛菊を守る為に四人は考えを絞り出していく――。
鈴太郎が紅玉にしたのはジャンピング土下座です。
良い子の皆さんは真似しないでください。