式の術
ここは神域管理庁中央本部。神域内の総監督を行なっている神域管理庁の上層部が集う伏魔殿だ。
その伏魔殿を牛耳るは十名の男達。全員、皇族や四大華族に何かしらの縁を持つ八大準華族出身者である。
その上層部の人間が集う中央本部大会議室から、幽吾は出てきた。先日起きた「生活管理部職員の事故死」についての報告を終えたところである。
大会議室の入り口の扉を閉めた幽吾は思いっきり溜め息を吐く。
(まったく、中央本部の狸親父共め……全員ハゲろ。んでもってモゲろ)
心の中で悪態を吐きながら、中央本部の廊下を少し乱暴に進んでいく。それでも幽吾の不快が晴れる事はない。
幽吾の報告は以下の通りだ。
『夜勤に当たっていた神域警備部職員二名が、十の御社付近で見回り中に邪神に襲われている女性職員を発見。すぐに邪神の排除の為に十の御社の神子へ協力要請の狼煙を上げ、邪神と対峙。その直後、十の神子と十の御社配属職員二名が駆け付け、邪神の殲滅に成功。十の神子と神域警備部二名と十の御社配属職員二名は無傷だったが、邪神に襲われていた女性職員は重傷を負っており、医務部を要請するも、間もなく死亡した。亡くなった職員は生活管理部参道町配属巽区担当の職員である。何故、艮区の十の御社付近にいたかは不明である』
言ってしまえば、嘘の報告書ではある。だが、仕方ないのだ。「式に殺された」などと正直に報告してしまえば、上層部にはこう言われるに違いない――「それは決してあり得ない」と。そして、同時にこう言われるのだ――「犯人は現場周辺にいた職員だ」と。
そうすると真っ先に疑われるのは、現場となった場所から最も近い十の御社に勤めている職員であり、〈能無し〉の紅玉なのである。
紅玉を守る為ならば、嘘の報告書を上げる事も幽吾は厭わなかった。そもそも禁術を使ったり、式を使って朔月隊を襲ってきたりしたのは、被害者である萌なのだから。
嘘ではあるものの、きちんと辻褄の合う報告書を上げた。だがしかし、結局上層部の人間は〈能無し〉の紅玉に責任を取らせようと、あれやこれやこじつけをし、画策した。
最終的に我慢の限界を迎えた幽吾が、地獄の番犬を召喚し、強制的に黙らせ、報告書提出のみでこの事件を終わらせることに成功はしたものの、不快と苛々で疲労困憊である。
幽吾は大会議室での事を思い出し、再び溜め息を吐きながら歩を進めていた。
中央本部の入り口広間に出たところで、幽吾は見慣れた姿を見かけ、思わず声を上げる。
「あれ、蘇芳さん?」
「幽吾殿」
一際身体の大きな蘇芳が幽吾に向かって礼をした。
「珍しいね、こんなところで。何か用事?」
「幽吾殿に少々用が……」
「え? 僕に?」
「……中央本部に昨夜の件を報告していると思って」
「ああ」
幽吾は察する。蘇芳がこんなところにまで来て気にする事と言えば――。
「安心して。紅ちゃんに変な容疑とか責任が被らないように、あの脂ギトギトでっぷり腹のハゲ親父共を脅しておいたから」
「脅っ……! 幽吾殿、ここは中央本部の真ん中。口を慎まれた方が……」
「大丈夫、大丈夫。地獄門管理者と神域最強戦士に喧嘩を売る馬鹿はこの中央本部にはいないよ……ねえ?」
そう言いつつ、幽吾はニヤリと薄気味悪く笑いながら、周囲に視線を向ける。そんな幽吾の視線にビクリと肩を震わせ、一目散に逃げていく職員達の姿があった。
幽吾は楽しそうに笑いながら、蘇芳に再び視線を向ける。
「にしても蘇芳さん、ホントに紅ちゃんに対して過保護だねぇ。それでどうして二人ともくっつかないのか不思議でならないよ」
幽吾の言葉に蘇芳は曖昧に微笑みながら、口を開く。
「幽吾殿、もう一つお聞きしたい事が」
「あっ、話を逸らした。まあいいけど……それで何かな?」
「『式』の術の事です」
「……なるほどね。それこそ、ここでは口にしちゃダメな件だね」
幽吾はパチンと指を鳴らす。すると、その瞬間、禍々しい気を纏った扉が現われた。そして、幽吾は躊躇いもせず、扉に手をかけると、蘇芳を振り返ってニッコリと笑って言った。
「場所を移して話をしようか。地獄の入口にちょっとしたカフェがあるからそこでいい?」
(地獄の入口にあるちょっとしたカフェとは何だ!?)
いろいろ口を挟みたくなった蘇芳だが、地獄の入口ならば誰かに盗み聞きされる心配もないと、前向きに考える事にし、素直に幽吾の後について、扉をくぐった。
扉の向こう側は、ひたすら真っ黒な空間の中に、ポツンと卓と椅子が並べてあった。暗い空間の中、洋灯の灯りだけが揺らめき、不気味さを更に強調させている。そして、給仕係として立っていたのは、蘇芳よりも遥かに大きな鬼神だ。
「どうぞ座って。飲み物は紅茶でいい?」
「あ、ああ……」
すると、給仕係の鬼神が紅茶を用意してくれる。その紅茶を一口飲みながら、幽吾は口を開いた。
「それで、『式』の術の何が聞きたいの?」
「……あの『式』の術は、『術式研究所』が作った禁術ではなく、何か『特別な術』なのでは? そして、貴方はその術の事をご存知だと見た」
「へえ……根拠は?」
「……あの式との戦闘時、自分はただ傍観するだけでしたので、何か情報を得られるかもしれないと思い、式を『鑑定』しました」
「えっ――蘇芳さん、『鑑定』の異能持っていたの!?」
幽吾は思わず驚きに声を上げる。
「君、いくつ異能持っていたっけ? 『結界』でしょ、『自然治癒』でしょ、『怪力』でしょ、『驚異視力』に『絶対聴力』……」
「『鑑定』は最近身に付いたようなので」
「はあ~……流石、神域最強。格が違うねぇ~」
一人の人間がこれだけ複数の異能を持つ事など前例がない。その上、〈神力持ち〉だ。それもあり、蘇芳は「神域最強戦士」などと呼ばれているのだ。
「それで、『鑑定』の結果はいかがだったの?」
「式を創造した大元の神力は萌の物ではあったが、式の核部分に書かれた術式の紋章が非常に特徴的であった……そして、その紋章は自分も見た事がある紋章だった」
蘇芳は神力を使って、空間にその紋章を書いていく。
「折り重なるように描かれた太陽と月、それを守るように囲う四つの星とそれを繋ぐ線……太陽と月は大和皇族を表し、四つの星は四大華族を表し、線は四大華族の配下である八代準華族を表す――この紋章は、大和皇国皇族と四大華族と八代準華族に伝わる『初代神子の紋章』だ」
「――――ご名答」
幽吾がパチンと指を鳴らせば、「それ」は現れた――真っ白な装束に身を包んだ「式」が。
「――っ!」
「大丈夫。安心して。この子には何も命じていないよ。ただ姿を見せてあげただけ」
「……幽吾殿も『式』の術を扱えたのか」
「ま、ご存知だとは思うけど、一応『四大華族』の血筋なんでね」
「四大華族」とは、大和皇国が始まりし時より、皇帝陛下の腹心として仕えた四人の忠臣達の血を引く一族の事である。時には降嫁した皇女を貰い受け、皇族と遠い血縁関係にある程だ。皇族と四大華族の信頼関係は計り知れない。
「ていうか、蘇芳さんも『四大華族』でしょ。習わなかったの?」
「……自分は……祖父に憎まれております故……」
そう言いつつ、苦笑する蘇芳に、幽吾は思わずハッとなる。
「ああ、うん、そうだったね。ごめんね」
「いえ、お気になさらず」
「……まあ、『四大華族』の全員が習う訳じゃないし、習っても簡単に使える術じゃないよ。この術は結構使い手を選ぶから」
幽吾はそう言いつつ、「式」を消した。
「つまり、この『式』の術は使える人間が限られる――ということで?」
「うん。まず『初代神子の紋章』を知っている人間じゃないと使えない。だけど、この紋章の存在を知っているのは、『皇族』『四大華族』『八大準華族』の血縁者だけだ」
「……つまり萌に『式』の術を教えたのは……」
「そう――それが、僕が彼女に一番聞きたかった事――彼女に『式』の術を授けたのは誰なのか」
そして、幽吾は溜め息を吐く。
「だけど、結局その犯人に口封じさせられちゃったけどね。用意周到で用心深い犯人さんなことで……」
「…………幽吾殿、もう一つお伺いをしたい」
「なあに?」
「『式』は、使用者により姿形が異なるのか?」
幽吾が先程作った式は真っ白な装束に身を包んでいた。一方、萌が作った式は、真っ赤な醜い化け物のようであった。
「うーーーん……そこまでは僕にもわからないな。何せ、僕も自分以外で『式』を使っている人は初めて見たから」
「は? どういうことだろうか?」
「わかりやすくうちの兄と姉で説明するね。僕には兄と姉がいるんだけど、僕ら兄弟は十歳になる頃にそれぞれ『式』の術を父から教わっているはずなんだ。でも、僕は兄と姉が『式』の術を使っている所を見た事がないし、使えるかも知らない。何せこの術は諜報用の術だから、使えるか使えないかは知られない方が有利だからね。『式』の術が使えるなんて知られたら、それこそ諜報用に使えなくなっちゃうからね」
「なるほど……」
しかし、今の話を聞いて、蘇芳は大変な事に気付いてしまった。
「つまり、『式』の術を使える人物の特定はできないということか?」
「……大凡の範囲は絞られるけど、特定となるとかなり厳しいね」
とどのつまり、萌に「式」の術を授けた人物の特定もできないという事である。
蘇芳は苦々しく顔を歪め、幽吾も苛々を隠すかのように紅茶を呷った。
「ここまで追い詰める事ができながら、目の前で真犯人を逃してしまったのが果てしなく悔しくて、今なら僕、中央本部の建物をぶっ壊すことできるかもしれない~!」
「お止めくだされ……貴方が言うと、強ち冗談に聞こえない」
蘇芳は手で幽吾を制止しながら、首を横に振った。
「さてと、僕からも質問いいかな?」
「何だろうか?」
「紅ちゃんは一体どこで『式』を見た事があるのか、蘇芳さんはご存知?」
「――っ!」
幽吾の一言に蘇芳は思わず目を見開いて言葉を詰まらせてしまった。そんな蘇芳の反応を見て、幽吾はニヤリと笑う。
「わ~い、当たりみたいだね~」
「……何故、そのように思った?」
「萌の『式』を見た時の紅ちゃん、すごく顔色悪かったからね。ズバリ、紅ちゃんは『三年前の事件』で『式』を見た事がある、と見た」
幽吾の指摘に蘇芳は眉を顰め黙ってしまう。しかし、その沈黙こそが、それが真実であると雄弁に物語っていた。
「つまり、とんでもない事が分かったね。まさか『三年前の事件』にまで『式』が関わっていたなんて。『式』の使用者の条件について、紅ちゃんに教えたら、紅ちゃんどんな反応するかな~?」
その瞬間、幽吾に凄まじい殺気が向けられる。幽吾はたじろぐことなく、殺気を放つその人物へと目を向けた。
蘇芳は赤黒い殺気と膨大な神力を身体から迸らせ、憤怒の形相で幽吾を睨みつけていた。
「蘇芳さ~ん……ここは地獄の入口だよ。地獄門管理者である僕のテリトリー」
先程まで静かに給仕をしていたはずの鬼神が蘇芳の首筋に刃を向けていた。蘇芳が少しでも幽吾に危害を加えれば、鬼神は蘇芳の首を切り落とすつもりだ。
「場を弁えようか。今、どちらが上位にいるのかを」
「…………失礼した」
蘇芳の殺気が完全に消えたところで、幽吾は鬼神に合図を送り、鬼神は蘇芳の首から刃を離した。
蘇芳の首にはわずかに金瘡があり、出血もしていたが、蘇芳は親指で傷口を拭う。すると、金瘡は瞬時に消えてなくなっていた。
「大丈夫。安心して。紅ちゃんに『式』の使用者について話すつもりはないよ。何せ『式』の術自体、極秘なんだから」
「…………感情的になり、申し訳ない」
「ふふふ、別にいいよ。蘇芳さんがどれだけ紅ちゃんが大好きか良く分かったから」
「なっ!?」
瞬間、蘇芳の顔が赤く染まる。
「かっ、からかわないでもらおうか!?」
「からかってないよ~。蘇芳さんの初心な反応を見て楽しんでいるだけ~」
「それをからかっているのだと言うのだ!!」
「あ~あ、早くくっついてくれないかな~。僕達をいつまで待たせる気?」
「貴方には関係ない――って、ちょっと待て! 『僕達』!?」
「そうだよ~。結構な人数が、君達の披露宴を待っているんだから~。ちゃんと全員招待してよね。あ、ここにいる鬼神もね」
幽吾が指し示す先に、手を挙げて主張している鬼神の姿があった。
「はっ!? 鬼神もか!? いやっ! いやいやいやいやっ! いろいろ待てっ! 気が早すぎるっ!!」
「子どもはたっくさん作ってね。期待しているよっ!」
「幽吾殿っっっ!!!!」
両手を卓に叩きつけ、蘇芳は立ち上がって真っ赤になって叫ぶ。
そんな蘇芳を見ながら幽吾は楽しそうに笑う。
そして、給仕係の鬼神は蘇芳に気を落ち着かせる紅茶を出す為に、湯を沸かし始めるのだった。