新入職お披露目の儀
最早式典ではなく、花見の雰囲気になりつつあった頃、広場の鐘が鳴り響く。その鐘と共に姿を現したのは、皇族神子一同だ。
皇族神子と呼ばれる一の神子から七の神子は、大和皇国の皇族の血を引いており、中でも一の神子は大和皇国の皇太子であり、未来の皇帝陛下である。
煌びやかな装いと大和皇国随一の麗しい容姿を持つ皇族神子達が現われた事で、大鳥居広場はより一層華やかになった。花見に浮かれていた者達も、給仕を行なっていた職員達も、皇族神子達に向かって、拍手を送り称えた。
そして、皇族神子が現われたという事は、いよいよ『新入職お披露目の儀』の始まりなのだろう。誰もが式典の開始を待ち侘びる。
紅玉も水晶の隣から立ち、再び蘇芳の隣へ並び、蒼石が水晶の隣へと座った。
やがて皇族神子一同が指定された席へ着くと、式典の進行役が現われ式典の開会を宣言する。そうして、しめやかな雰囲気で式典は始まった。
さてここで、「新入職お披露目の儀」が何故「儀」と呼ばれるのか、説明をしておこう。
新入職は現世から神域を繋ぐ唯一の橋を渡りやってくるのだが、その際に「大鳥居」をくぐる。この大鳥居をくぐる事こそが「儀式」なのだ。
大鳥居をくぐり、神力で満たされた神域に足を踏み入れた人間は、自分自身がもつ神力にその身を染められ、髪の毛や瞳の色が変わるのだ。ちなみに神力の色は人によって異なり、決して同じ色の神力の人間はいない。
そして、今まさに、毎年恒例と言える、新入職者達の驚きの声が次々と上がっていた。大鳥居をくぐり迎え入れられた新入職達は、自分自身の髪の色や瞳の色が変わった事に驚いているのだ。神域へ初めて足を踏み入れた者、誰もが経験することである。大鳥居周辺は大変賑やかな事になっていた。
そんな初々しい様子の新入職を微笑ましそうに見ながら、紅玉は呟く。
「良かったですわ。この調子なら今年も現れなさそうですわね」
紅玉が何を言わんとしたいのか一瞬で理解した蘇芳は紅玉を見た。
「……紅殿」
眉を顰め、窘めるように見つめる蘇芳に紅玉は申し訳なく思ってしまう。
「……すみません。でも、決して後ろ向きな気持ちで言ったわけではありませんのよ。わたくしと同じ思いをする人が現われなくて、本当に良かったと安心しているだけですわ」
紅玉のその気持ちがわからないではない蘇芳だが、どうしても納得がいかない。
思い出されるは、三年前の「新入職お披露目の儀」――紅玉が大鳥居をくぐった瞬間に起きた事だ。
その時の事を思い出すと、蘇芳は腸が煮え繰り返る程の怒りが込み上げてくる。しかし、その時の事は、紅玉にとっては最早過去の事。思い返しても仕方ない事で済まされているのだ。未だに紅玉が「蔑みの対象」になっている原因であるはずなのに――。
蘇芳は両拳を更に強く握り、唇を噛みしめ、眉間の皺を深く刻んだ。
すると、その拳に温かな手が添えられ、蘇芳はハッとする。
「あらあら、いけませんわ、蘇芳様。せっかくの端整なお顔立ちがもったいないですわ。手もこんなに握りしめてはダメです。貴方様の掌に傷が付いてしまいます」
そう言って、紅玉は蘇芳の手を持ち上げると、握り締められている拳を解く。開けば掌には爪の痕がくっきりと残っており、紅玉は苦笑いをしながらその爪痕を労わるように撫でた。
「ありがとうございます、蘇芳様。でも、わたくしなら本当に大丈夫です。だって、貴方様や晶ちゃん、わたくしを大切に思ってくださる方々が居てくれるだけで、わたくし、何も怖くはありませんもの」
紅玉のその微笑みは心からのものだった。そんな紅玉の微笑みに見惚れながら、蘇芳は手に込めていた力をゆっくりと抜いていく。
蘇芳が力を抜いてくれた事に安心した紅玉は、蘇芳の手を離し、大鳥居の方を向いた。大鳥居では新入職が儀式を行なっている最中で、まだ賑わっているようだった。
その大鳥居を見つめながら、紅玉は言った。
「たとえどんなに酷い言葉を浴びせかけられようとも、わたくし、負けませんわ」
大鳥居を見つめる紅玉の漆黒の瞳は強き意思を宿しており、風が吹いて、紅玉の漆黒の髪がふわりと揺れる。
蘇芳は漆黒の髪を見つめながら、その「漆黒」の意味を考えていた。
この神域においても生まれながらの黒い髪と黒い瞳を持つということは、あまりに「残酷な現実」だ。
紅玉は幾度となく、多くの悪意に蔑まれ、心を踏みにじられ、時には謂れのない罪に問われた事もあった。
しかし、その度に紅玉は決して屈せず、何度も立ち上がって、悪意に立ち向かっていった。ずっと傍で見てきた蘇芳だからこそ、彼女の強さを知っていると同時に、彼女がどんなに傷ついていたかも知っている。それこそ一度は完膚なきまでに心砕かれてしまったこともあった――だからこそ、もう二度と、そんなことはさせないと蘇芳は強く誓っていた。
例え紅玉がどんなに強い心の持ち主であったとしても――。
(貴女の笑顔が永遠に失われることがないよう、俺は貴女の傍にいて、貴女を守り抜く。それが、彼女達の最後の願いであり、約束だ)
紅玉の横顔を見つめながら、蘇芳は誓うのだった。あの悪夢の日から何度も繰り返し行ってきた誓いを。
「……もういっそくっつけって思わない?」
「む、むぅ……そうであるな」
「うみゅ、大人ってめんどい」
「うむぅ……」
紅玉と蘇芳の前で、二人の会話を盗み聞いていた水晶と蒼石はそう呟いた。
ざわ――――。
それは誰かの驚きの声だった――しかも一人ではなく、非常に多くの。
全員が全員同じように驚き、同じ方角を向き、同じ人を見ている。紅玉もまさにその場面を目撃し、驚きに目を見開いていた。
蘇芳も、紅玉の様子や周囲のざわつきに気付き、全員が見つめる方向を向いて、そして、同じように驚愕する。
大鳥居の前――まさにたった今、大鳥居をくぐった人物にその場にいる全員が注目していた。
成人しているはずなのにあどけなさを残した面立ちに、小さく細身の体がとても愛くるしい女性だ。ふわふわ揺れる二つの括られた髪の色は金糸雀色。そして、クリクリと小動物を彷彿とさせるような瞳も日溜まりのような橙色だ。
「えっ! ええっ!? なっ、なにこれっ!?」
金糸雀色の女性が驚きのあまり声を挙げた。無理もない。突如の色の変化――しかも己だけ周囲と異なるのだから、動揺に、さらに動揺が重なったのだろう。
彼女と一緒に大鳥居をくぐった者達は、髪の毛の一部が染まっていたり、黒基調の色合いだったり、瞳の色も染まっても黒が混じっていたり中途半端な色合いである。
しかし、彼女は髪の毛は一本も残らず全て染まり、瞳も黒の混じりがなく純粋な美しい色だった――。
「〈神力持ち〉……」
ぽつりと水晶がそう呟いた。
そう、その染まり方は、この女性が強い神力の持ち主であるという証拠である。そして、この数年、新入職でこれほど強い神力を持つ人間は現われていなかった。
その事実を思い出した紅玉は、ハッとして、咄嗟に駆けだす。しかし、もうすでに何人かの人間が動いているのが見え、その全員が金糸雀色の女性に向かっている事に気付く。
(いけない……っ!)
紅玉が顔を青くした瞬間だった――朗らかな声が響き渡る。
「ストーーーーーープッ!! ショカツはぁ、ヒッコンデいやがれデ~~~ス!」
「鞠ちゃん、『所轄』は関係ないっすよ?」
「Oh……Well……ヒッコメ! このスットコドッコーーーイ!」
「うーーーん、そもそも『引っ込め』も『すっとこどっこい』も目上の人には使っちゃダメっすよ?」
金糸雀色の女性の両脇にサッと現れたのは、今朝見送った可愛い弟分と妹分の空と鞠だった。空と鞠は金糸雀色の女性の両脇を抱えるようにして立っている。
「え、え、アンタ達……誰?」
「自己紹介は後回しにするっす。今は式典の進行を遅らせないように速やかな行動を優先っす」
「Yeah! ダイジョーブデース! ワルイよーにはいたしまセーン!」
「え、え、え、えええ……??」
ずるずると引き摺られるように金糸雀色の女性は空と鞠に新入職の席へと連れていかれ、やはりその両脇を固められて座らされた。その様子はまるで何かの重要参考人のようだ。
そんな様子を見守っていた水晶は、隣で立ち上がっている蒼石に声をかけた。
「そーさん、空に何かあったら晶ちゃんを置いて、向かってもいいからね」
「神子の心遣いに感謝する」
蒼石はそう言いながら、早速周囲を警戒しはじめる。
少しでも愛する息子の空に危害を加えようとするならば、この竜神、只では済まさないだろう。おかげで空や鞠、金糸雀色の女性の身の安全は完全に確保したと言っても過言ではない。
警戒をようやっと解く事ができ、紅玉はホッと息を吐いた。
(空さんと鞠ちゃんの咄嗟の行動に感謝しなくては……まさか〈神力持ち〉が現われるなんて……)
〈神力持ち〉とはその名の通り強い神力を持つ者のことだ。〈神の友人〉とも呼ばれ、その存在は昨今減少の一途を辿り、大変重宝される存在であった。その力量は恐らく神子と同等のものだ。現に、〈神力持ち〉の職員が神子に選ばれた事例もある。
それが故、その力を利用しようと近付いてくる悪意を持つ者に狙われやすい。過去には、職員から神子へ選ばれた者の後ろで、ある職員が糸を引いて操って、その御社を己の欲の為に動かしていたという最悪の一例もある程だ。
(さてと、やらなければならない事ができましたわ)
そう思いつつ、紅玉は、空と鞠に挟まれて若干居心地悪そうにしている金糸雀色の女性を見た。
彼女をこの神域に潜む数多くの悪意から守らなければならない。
(まずは情報を集めなくては。あと、いろいろ根回しをしなくてはいけませんね。あと協力者には事前に説明とお願いをしておかなくては。他にやる事は…………)
紅玉は頭の中でやることをまとめあげ、優先順位を決め、誰に何を聞いて、誰に何をお願いするかを一瞬で考える。そして、懐に入れていた紙に何かを書き込んでいく。
「……紅殿」
「……はい?」
「……無茶だけは絶対するな」
蘇芳はそう言って紅玉を少し睨みつけた。
普段は紅玉に対して優しい蘇芳だが、この時は厳しい口調になっていた。こういう時の紅玉は自分の事より他者の安全を優先させ、ひたすら無茶をする事など、ざらだという事は長い付き合いで理解していたからだ。
「わかっておりますわ」
ふふふっ、と微笑みながら、紅玉はそう口で言うが、絶対に分かっていないと蘇芳は思った。そして、せめて紅玉が無茶を繰り返すことがないように、絶対に見張っていようと誓うのだった。
さあ、これから忙しくなるだろう。
初投稿作品にお付き合い頂きありがとうございます。
土日はお休みしまして、また月曜日から投稿予定です。