大鳥居広場にて
ここは、神域の北側にある大鳥居広場。神域と現世を繋ぐ入口である大鳥居が構える広場だ。
本日は「新入職お披露目の儀」の開催場所でもある為、人が大変多く、非常に賑わいをみせている。
次から次へとやってくる神子一行に、受付を対応していた職員が内心悲鳴を挙げていた。
それもそのはず。何せ、神子は大和皇国が始まりし時より、四十七人存在する。そして、その四十七人全てが要人なのだ。四十七人の神子、一人一人に対し、決して失礼のないように懇切丁寧に対応しつつ、手早く且つ正確に受付を済ませ、決して神子を待たせてはならない。そうして気を遣い、常に精神を張り詰めているせいで、目が回りそうなのだ。いっそ意識を失って倒れたいと、思う程である。
しかし、その少女が現われた瞬間、その職員は心臓を射抜かれたように立ち尽くしてしまった。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と称される儚くも美しいその少女は、史上最年少で神子に選ばれた十の神子こと水晶だ。ふわりと舞う眩い白縹の髪に穢れ無き水色の瞳、肌は白く透き通り、最上級の振り袖は美しいその少女が纏うのに相応しい。
まだあどけなさが残る十代前半の少女とはいえ、完璧とも言えるその美しさに、その職員ではなく誰もが振り返っていた。
「十の神子、水晶様でございます」
十の神子補佐役である紅玉が受付職員にそう声をかけると、受付職員は慌てたように名簿から水晶の名前を探す。しかし、そうしながらも、ちらりと水晶の顔を盗み見る。
まるで作られた人形の如く、ただ佇んでいるだけではあるものの、いつまでも見ていたくなるほどの美しさに職員は思わず心奪われてしまう。
しかし、その美しき神子の後ろに立つ恐ろしい仁王の存在に気付き、顔を青くすると慌てて名簿と向き合った。
「じゅ、十の神子様、水晶様ですね! お疲れ様でございます。お席はこちらの座席表をご確認ください」
受付職員から座席表を紅玉が受け取り、受付から離れ、席へ向かう。
その時、水晶は受付職員に対して会釈すると、髪に飾られていた簪がシャラリと音を立てた。その瞬間、受付職員は再び心奪われ、水晶を目で追ってしまっていた。
そんな同僚の様子を、離れた位置で呆れながら見ていた給仕担当の職員達は、しゃなりしゃなりと補佐役の紅玉の後ろをぴったりついて歩く十の神子を見て、口々に言った。
「相変わらず美少女だよなぁ~、十の神子」
「あれでまだ十三とか。将来有望過ぎるだろう」
「十歳以上年下かぁ。軽く犯罪だよなぁ」
「お前やめとけよ! 神子管理部の紅玉の妹だぞ!? 姉に殺される未来しか見えない!」
「っていうか護衛役は神域最強戦士で仁王の蘇芳だぜ! あれに睨まれただけで寿命が縮むぞ!」
「ああでも、それでも、お近づきになりてぇ……」
ひそひそと交わされる職員の会話のほとんどが水晶の美しさを称賛するものであった。
その場にいる職員や中には神子まで、水晶に見惚れ、口々に噂をしていた。
(全く以って……)
時々聞こえてくる噂話を聞きながら、紅玉は内心思った。
(この子の化かしっぷりは相変わらず完璧ですこと)
水晶は見た目こそ誰もが見惚れる美しい少女ではあるものの、その中身は目も当てられぬ程のずぼらな娘である。そして、彼女の真の姿を知るのは十の御社の身内だけだ。
水晶は公の場では、そのずぼらさをひた隠し、完璧な美しい神子として振る舞い、称賛の声を恣に手にしていた。
水晶の素性を知っている姉だからこそたまに思う。
(白々しいにも程がありますわ)
そう悪態をつく紅玉の表情は無であった。
すると、紅玉の袖を水晶が軽く引いた。
「お姉ちゃん、怖い顔をしてどうしたの?」
瞳と潤ませ、こてんと小首を傾げてくる妹の姿に、憎たらしいと思いつつも、やっぱり可愛いと思ってしまう紅玉も、結局はこの妹に甘いとしか言えない。
紅玉は「はぁ」と溜め息を吐くと言った。
「普段もそのように振る舞って頂けたら完璧ですのに……」
「御社の中では、お姉ちゃんに甘えたいな」
いじらしく振り袖の袖で口元を隠し、照れるように俯く水晶に紅玉はうっかり心奪われそうになるも、その言葉の真の意味を一瞬で理解し、その表情が無になる。その言葉を正しく翻訳すれば、「御社でくらい、ぐうたらゴロゴロさせろ~」であるからだ。
その桃色の染まる可愛らしい頬を捻り引っ張りたくなった衝動を紅玉はにこにこと微笑んで何とか堪えた。
(この娘の化けの皮、いっそ公で暴露してしまいたい)
しかし、それは同時に身内の恥を晒すことにも繋がる為、そんな野望が果たされる日など永遠に来るはずもないのであった。
神域と現世を繋ぐ入口、大鳥居。そこは神域へやってくる人間が必ず通る所であり、神域と現世の境目である。
神域と現世を繋ぐ唯一の橋の下には大きな堀があり、神域に侵入できないように水が溜めてある。また周囲の警備も厳重で選ばれた者しか通れない決まりだ。
例外もあり、それが神子だ。神子の中にはこの橋を渡らず、「神の託宣」により選ばれた瞬間、神域へと降臨する事もある。ちなみに水晶はまさにその一例であった。
さて、新入職が迎えられる晴れの今日、この橋を渡り、現世から新たな職員がやってくる。
新入職員を迎える「新入職お披露目の儀」と呼ばれるこの式典は、宴のような楽しい催しの形式で行なわれるのがこの神域での風習であった。何故なら、神々が大変楽しい事と酒が大好きで、祝い事があれば、何でもかんでも宴にしたがるからだ。
そんな神々の意向もあり、神域管理庁で開催される大きな式典は毎度毎度、酒を含む飲食ありの、歌や舞いもありの、お祭り騒ぎなのである。
「毎年のことながら、賑やかですわねぇ」
「そうだな」
十の神子の為に用意された席に水晶と蒼石を座らせて、紅玉と蘇芳はその後ろに立ち、周囲を見渡しながら呟いた。
これでもかつてよりは人数が減ったのだ。昔はそれこそ人数に制限がなかった事もあったが、神域中の神々が集まって、収拾がつかなくなり、式典そのものが執り行えなかった事態が起きて以来、「各御社、神は一人まで」という規約ができた程だ。それが故、毎年各御社では神々同士の戦になるらしい。
しかし、人数が減ったとは言っても、四十七の神子にそのお付きが各御社三人程。そして、式典準備に忙しく動き回る神域管理庁の職員が大勢。そして、これから来る新入職員達。相当な人数がこの大鳥居広場に集まるのだ。
「晶ちゃん、具合が悪くなったらすぐに言ってくださいましね」
「うん」
水晶はすでに焼き鳥をもぐもぐと頬張りながら答えた。今は食欲もあり元気そうな水晶だが、油断はならないと紅玉は思っている。
何故なら、この水晶、小さい頃から酷い虚弱体質なのだ。少しでも無理をさせれば熱を出し、誰かが咳をすればその菌がうつり、水晶も激しく咳き込みだす。そのせいで家でも安静の為に寝かしつけておくことが多かったので、ものの見事なぐうたら娘が誕生してしまったわけなのだが。今でこそ、昔に比べたら強くなった方だとは思いつつ、このような不特定多数の人間が集まる場所に水晶を長く居させたくはないと紅玉は思っている。
「お姉ちゃんも焼き鳥食べる?」
「いえ、姉は結構です」
「んじゃ、すーさん」
「いえ、自分も」
「そーさんは?」
「我も遠慮しておこう」
「うみゅ、みんなノリが悪いぞ」
ぷぅっと頬を膨らませながら、水晶はもぐもぐと一口焼き鳥を頬張った。そんな拗ねる妹の姿に紅玉は苦笑いを浮かべた。
申し訳ないとは思いつつ、紅玉は一時でも気が抜けないのだ。勿論職務中だからということもある。そして、水晶の体調を気遣いつつ、もう一つ気にしておかなければならないものがあるからだ。それは、水晶を邪な目で見つめてくる輩だ。
神域史上最年少でこの神域に水晶が降臨した時は、それはそれは大変な騒ぎだった。彼女の神力が清廉でとてつもなく強力なものだった事も、騒ぎに拍車をかけた。幼き水晶を手にし、自分の思うままに操ろうと画策する者が多く現れ、水晶を守るために紅玉がどれほど苦労したことか。しかし、水晶のお付きの座に就いても、未だに諦めの悪い輩はいるもので、こうして目を光らせておかねば何をしてくるか堪ったものではない。
すると、周囲を警戒していた紅玉に蘇芳が声をかける。
「紅殿、自分が貴女の分まで見張っておこう。貴女は水晶殿のお相手を」
「蘇芳様! ですが……」
「安心しろ。自分が居れば、声をかけてくる変な輩はいない」
確かに蘇芳が仁王立ちして睨みを利かせれば、何の心配もいらない。しかし、紅玉もまた職務中であり、水晶の相手という事はつまり姉として接することを意味しており、つまりは職務放棄に値してしまう。真面目な紅玉は戸惑いを隠せないが、蘇芳は優しく微笑んでみせる。
「神子のお相手も立派な職務の一つだ。それに甘えてくる妹を放ってはおけないのが姉の性だ。ならばそれは仕事考えても良いと自分は思う」
「あらまあ」
妹を甘やかすのが仕事だと堂々と言い切ってしまう蘇芳に、紅玉はころころと笑う。
「ふふふっ、ではお言葉に甘えて、蘇芳様、見張りをお願い致しますわね」
「ああ、任されよう」
紅玉は蘇芳に軽く頭を下げると、水晶の隣に座った。
「晶ちゃん、姉も焼き鳥を頂いてもよろしいかしら?」
「うみゅ、食べたいなら食べたいと最初から素直に言えばいいのにぃ」
「はいはい、すみませんでした」
口ではツンと尖った事を言いつつも、あからさまに喜んでいる水晶の態度に紅玉は思わず微笑んでしまう。
「じゃあお姉ちゃんにはネギマあげる~~~」
「ふふふ、ありがたく頂戴しますわ」
そんな姉妹のやり取りを優しい眼差しで蘇芳が見つめた。
すると、そんな蘇芳の隣に蒼石が立った。蒼石は腰に手を当てながら、蘇芳に微笑みかけた。
「お主は本当に紅玉殿想いだな、蘇芳よ」
「……自分は、ただ紅殿に笑っていて欲しいだけです」
それきり蘇芳は何も言わなくなってしまう。
紅玉に笑って欲しい、それは紅玉を想うが所以だというのに、と思いつつ、蒼石は苦笑いを浮かべた。
本当は誰よりも結ばれて欲しい二人なのだが、その二人の身に降り懸った「あの事件」を思い出すと、何も言えなくなってしまうのだ。
一刻も早く二人の胸に残るしこりが消え去ってくれる事を願うのは、蒼石だけでなく、二人と親交のある全員がこの三年ずっと思っている――そう、三年も。
「……ままならぬのぅ」
予想以上の時の流れの早さと、そして未だ変わらぬ関係に、蒼石は思わずそう呟いてしまう。
そんな蒼石の呟きは、周囲の喧騒に紛れて消えていった。
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