神子の結界と神の守り石
紅玉に大声で呼ばれ、客間に駆けつけると、先程意識を取り戻したはずの雛菊が再び意識を失い、ぐったりとしていた。
混乱気味で顔を青くさせる紅玉を宥めながら、蘇芳は雛菊を抱え、再び寝台に横にさせた。そして、後から駆け付けた紫に、水を持ってくるようにと、再度医務課に連絡をするよう指示をした。
紫が去ってから、蘇芳は紅玉を見つめた。紅玉の顔は、混乱と動揺が入り混じった表情を浮かべながら、戸惑ったように雛菊を見つめていた。
明らかに様子のおかしい紅玉に、蘇芳は首を傾げた。
「紅殿――、何があった?」
蘇芳のその一言に、紅玉は口を開いたり閉じたり――酷く混乱していた。雛菊が倒れただけで取り乱すような女性ではない事は、蘇芳が一番良く知っている。
何かあった――としか言いようがない紅玉の背を、蘇芳はゆっくり撫でながら宥める。
「紅殿……何かあったのだろう? 俺に話してくれないか? それとも、俺に話せない内容か?」
蘇芳の質問に紅玉は首を横に振り、そして、深呼吸をしながら、気持ちを整え始める。
蘇芳はその間も紅玉の背を撫でる事を止めない。紅玉が落ち着くようにと、ゆっくり優しく撫で続ける。
そして、紅玉はようやっと重たい口を開いた。
「もしかしたら……雛菊様の異能は、まだ開花の余地があるのかもしれません……」
「それは――実は俺も思っていた事だ……だが、紅殿、何故そう思った?」
「雛菊様の様子がおかしくなって……喋り方も……わたくしのことを『紅』とか『紅ちゃん』と呼び始めて……それで……っ」
紅玉は両手で口元を覆う――呼吸が乱れ始めて、胸が苦しくなる――。
「紅殿……!?」
「ごっ、ごめんねって謝ったのです……傍にいられなくて、ごめんねって……っ」
荒い呼吸を繰り返しながら、なんとか発せられた紅玉の言葉を聞いて、蘇芳はすぐに察した。
「あり得ない……っ、あり得るはずがないのに、すおうさま、わたくし……っ!」
「紅殿、もういい! もう言うな!」
しかし、紅玉の荒い呼吸は止まらない。心臓の鼓動も早くなり、胸は苦しくなる一方で、更に呼吸を繰り返す。その悪循環に陥ってしまった紅玉は、薄れ行く意識の中で、映像を見ていた――。
火焔に飲み込まれた御社――。
布団から伸びる血の気の無い真っ白な腕――。
眩い光と神術――。
悲しみに縁取られた涙を湛えた瞳――。
そして、赤、あか、アカ、真っ赤に染まり倒れていく人の姿――。
「紅殿っ!!!!」
「っ!?」
「紅殿!! 聞こえるか!? 落ち着け!! 俺の目を見ろ!!」
「…………す、おう、さま?」
紅玉が気づくと、蘇芳の金色の瞳が目の前にあった。凛々しく太めの眉は切羽詰まったように顰められ、大きな掌は紅玉の頬を包み込みながら、しっかりとした力で蘇芳の方へと顔を向けさせられていた。あまりの距離の近さに紅玉は驚くものの、同時に安心感を覚えた。
紅玉はそっと、己の頬に触れる大きな手に自分のそれを重ねた。
「申し訳ありません、蘇芳様、取り乱してしまって……もう大丈夫ですわ」
「顔色がまだ悪い。無理をするな」
蘇芳は優しい手つきで紅玉の背を擦った。
蘇芳を心配させたことへの罪悪感はあるが、紅玉はそんな蘇芳の気遣いが少し嬉しく思ってしまう。
落ち着きを取り戻した紅玉は蘇芳から距離を取り、向かい合うと言った。
「雛菊様が意識を失われた原因は、その異能の変化、もしくは異能の開花によるものではないかと、わたくしは思います」
「なるほど」
「このまま神力の訓練を続けていけば、いずれ異能のさらなる開花があるかもしれません」
「もしその兆しが再び見えるような事があれば、すぐに報告する」
「はい、よろしくお願いします」
*****
(あれから三日経つが、雛菊殿に開花の兆しは見られない。あの時も、何かをきっかけにして、断片的に異能が現われただけだとすれば、なるべく傍で見張っていたいところだが……)
本日は、例の生活管理部親睦会の開催日であるのだ。すなわち、雛菊はこの後外出する事になり、蘇芳の目の届かない範囲へと行ってしまう。
(どちらにせよ、一旦異能を封印しておかねば、まずい事になるな……紅殿達が密かに護衛をしてくれるという事だが、こちらも事前に何か手を打っておきたいところ……)
蘇芳がそんな事を考えていた時だ。
「うみゅ、雛っち、がんばってる~?」
雲母に手を引かれ、水晶がやって来たのだ。
「あ、晶ちゃん」
「すーさん、雛っちのお勉強の進み具合はどお?」
「はい。雛菊殿は初心者とは思えない程、神力操作がお上手でいらっしゃいます。術式作成の方はまだ修錬が必要ですが、よく頑張っていらっしゃいます」
「うみゅうみゅ、がんばっているようでなにより~~~。お疲れ~~~」
蘇芳に褒められて、雛菊はなんだか照れてしまう。体調を崩し、二日間休みを取る事になってしまったが、自分でも手ごたえを感じていたので、人に言われるとますます嬉しくなった。
「うみゅ、それはそうと――雛っち、近こう寄れ」
「え?――――ハッ」
この展開に雛菊は覚えがあった。水晶の意図に気付き、雛菊は水晶の元へと近寄りながら、徹底的に胸部を守っていた。
「うみゅ……そんなに警戒されると、ちょっとショック」
「二度も同じ手に引っ掛かってたまるもんですか!」
ただでさえ小さくて、気にしている部分を、遠慮も無く触られるのは、同性であっても抵抗があるのだ。
「も~~~、そうじゃないってば~~~。雛っち、これから親睦会でしょ?」
「え、あ、はい、そうですけど」
「うみゅ、ここ来てしゃがんで」
「へっ?」
言われるまま、雛菊は水晶の前に跪く。そして、水晶は雛菊の頭の上に手を乗せた。
瞬間、展開される術式――白縹の淡い光が雛菊を包み込み、やがて光が弾けて消えた――。
「うみゅ、これでよし」
「えっ? えっ?」
「虫除けの術式かけておいたから、これで蚊に喰われの心配ナッシング~~~」
「えっ、蚊、って……」
呆れ顔の雛菊だが、一方で蘇芳は驚きに目を見開いていた。
(相変わらず、なんて見事な結界術だ――!)
水晶が雛菊にかけた術式は「虫除けの術」でもましてや「蚊取り線香の術」でもない。あれは「結界術」であった。しかもただの「結界術」ではない。神子が作った結界術だ。邪な心で雛菊に触れようとするならば、神罰が下る程の苦痛が与えられる可能性がある。
(何にせよ、これで雛菊殿の身の安全は守られたな)
蘇芳はホッと一安心する。
「うみゅ、あとは仕上げに……ららちゃ~ん」
「はぁい、神子様ぁ」
水晶に言われて、雲母は雛菊に白と無色の結晶が重なり合った小さな石を差し出した。
「これ、お守りですぅ。何があるかわかりませんから、肌身離さず持っていてくださいねぇ」
「ありがとうっ! 雲母君!」
雲母は、見た目は子どもとはいえ神――その神の力が宿る石――蘇芳はその石に封印の術式と守護の術式があるのが見え、思わず苦笑した
(みな、雛菊殿に対して過保護過ぎるな)
己も同じことを考えていたので、人の事は言えないとは思いつつ、あまりの準備の良さに蘇芳は驚くばかりだ。
神子の結界術に神の守り石――これがあれば雛菊を一人で送り出しても問題はないだろう。
(……何事もないと良いのだが)
「うみゅ、ところで、親睦会ってどこでやるの?」
「えっと、確か遊戯街のお店」
(嫌な予感しかしないのだが!?)
親睦会が遊戯街で行なわれる事を知り、神子の結界術と神の守り石があっても不安が拭いきれず、蘇芳は額に手を当て、天を仰いだ。
「お~~~い、蘇芳~~~」
そこへ栗色の髪を持つ男神の栗丸がやって来た。
「栗丸殿、何用でしょうか?」
「お前に客だぞ~」
「ん? 客ですか?」
本日、来訪者の予定などなかったはずだ。ましてや己に客など想像がつかない。
(兄貴の関係者だろうか……)
そう思いつつ、蘇芳は御社の門へと向かった。