狡猾な妹
気持ち短いです。
「ツイタチの会」を終え、十の御社へ帰還した紅玉は門で予想外の人物と遭遇する。
「まあ、詩先生!」
「あ、紅ちゃん、お疲れ様」
紅玉が詩先生と呼んだその女性、見た目が子どものように小さいが、紅玉より十歳も年上で、あの蘇芳よりも年上である。そして、その身に包む白衣が、彼女の職業を示している。
この詩という女性は、神域医務部に所属する医者なのだ。神域医務部に所属する医者や看護師達は、神域内に住む全てに人間の体調管理を担っている大事な存在である。
紅玉も、妹である水晶が酷く虚弱体質な為、神域医務部の詩には大変世話になっている。
そして、詩が十の御社を訪ねていたという事は――紅玉の顔が真っ青になる。
「せっ、先生! 晶ちゃん、また体調を崩してしまったのでしょうか!?」
「ああ、紅ちゃん、落ち着いて。今日は神子様じゃないよ」
水晶ではないと聞いて安心する紅玉だったが、詩が訪ねてくる理由に心当たりが他になかった。蘇芳を思い浮かべたが、自称風邪をひいた事がない人である――その可能性は一瞬にして消えた。
「あの、失礼ながら、先生は誰の診察の為に?」
「蘇芳君から連絡貰ってね。今、十の御社に研修に来ている子が急に倒れたと聞いてね、それで」
詩の話を聞いて、紅玉は目を見開いた。
*****
十の御社へ入ると、紅玉は真っ先に雛菊の為に用意した客間へと向かう。
その周辺には神々が集まっており、皆それぞれ心配そうな表情を浮かべていた。
「紅ねえ!」
「槐様、一体何があったのです?」
「儂らにも分からん。菊ちゃん、急に倒れてのぅ。原因も不明じゃ」
紅玉の質問に槐は首を振るばかりであった。
先程、別れ際に詩にも聞いたが、健康状態には全く問題が見られないということだった。身体的疲労で倒れたというより、精神的疲労が来たのではないか、との見解だ。
「皆様はどうぞいつも通りにお過ごしくださいませ。後の事はわたくしが……」
「わかったわい。菊ちゃんの事、頼むぞ、紅ねえ……ほら、お前ら! この辺でうろちょろしたら邪魔じゃ! みんないつも通りに過ごすんじゃ!」
槐はそう言うと、辺りにいる神々達に声をかけていく。神々は後ろ髪を引かれつつも、その場からゆっくりと離れていった。
そして、紅玉は雛菊がいる客間の扉を開けた。
そこには、蘇芳と水晶、真昼と雲母とれなの雛菊の世話係の三人――そして寝台に横たわっている雛菊がいた。
「紅殿、戻られたか……!」
「蘇芳様、遅くなりまして……」
「いや、面目ない。貴女に雛菊殿の事を頼まれていたにもかかわらず、このような……っ!」
「いえ、蘇芳様のせいではありませんわ」
紅玉は眠る雛菊の顔を見る。血色は悪くはなく、ぐっすり眠っているようだ。問題は、倒れた原因が明確に分からないという事だ。
「……何があったのです?」
「……神力操作と術式作成の訓練をし、休憩を取っていたら、急に……」
「ちゃんと大福もお茶も飲んでいたんだぜ」
「……休憩してた」
蘇芳や真昼やれなの証言を聞く限りだと、神力不足で倒れたわけではなさそうである。稀に似たような事はある――身の丈に合わない神力の使い過ぎで、昏倒してしまう新人が――しかし、血色の良い雛菊を見る限りだと、絶対それではないと言い切れた。
(休憩もしっかり取っていたというのに、おかしいですわね……)
詩の言う精神的疲労が正しいとなると、雛菊をきちんと気遣えなかった研修担当者である紅玉の責任だ。
「もっと配慮ができていれば……」
腹の辺りがずしりと重くなるのを感じる。
そんな重たくなる一方の空気に、気の抜けた声が響き渡る。
「まあまあ、詩ちゃん先生はそんな大したことないから、ゆっくり休ませておけば大丈夫って言ってたし、お姉ちゃんもすーさんもあまり気にしないの~」
「……貴女はお気楽過ぎます」
「うみゅ、お姉ちゃんは三十路間近でお肌の曲がり角なんだから、細かいこと気にしていたらシワが増えるよ。おばちゃんまっしぐらだよ?」
「……晶ちゃ~~~ん?」
「う、うみゅ! お姉ちゃん、怒るとシワが、シワが増えるよ!」
「誰のせいで増えていると思っているのです~~~?」
「ひゅみゅーーーーーーっ!」
怒りを堪え切れずに紅玉は水晶の減らない口を横に引っ張って伸ばす。
「あらぁ、相変わらず餅のように柔らかく、きめ細かいお肌ですこと。なんて憎たらしいのでしょう、ふふふふっ!」
「ひゅみゅ~~~! ひゅーひゃあ~~~ん!」
「べ、紅殿、その辺りで」
「これはわたくし達姉妹の問題です! 黙っていてくださいましっ!」
「は、はい……」
「ひゅみゅ、ひゃへ、ひょにょほひゃひりょにょひひょじょ、ひひょじょ。ほへーひゃんにょほーひょー」
「これは横暴ではなく、姉の権力ですわ」
「ひゅみゅ~~~! ひょへひじょお、ほっへひゃにょひにゃひ~~~!」
「いえいえ、まだまだ伸びますわ。だって貴女はまだ若いですものねぇ~~~」
「ひゅみゅーーーーーーっ!」
紅玉の言う通り、水晶の白い頬は本当に良く伸びる。大変柔らかそうな白肌がとてもよく伸びる、まだまだ伸びる、まだまだまだ伸びる――花のような美少女である水晶の顔は、まるで搗きたての餅のようである。
「ぶふっ、紅ねえっ、ぶっ! ははっ! やめてあげろよっ、あははっ! 神子さんの顔、すごくおかしなことにっ! ははははっ!」
「ふふっ、あはっ! あはははっ! 伸びたお餅みたいですぅ!」
「ぷっ、ふふふっ」
真昼が笑い出し、雲母が笑い出し、れなまで笑い出し――、終いには蘇芳まで笑っていた。
「くっ、はは、まったく――貴女方は本当に、仲の良い姉妹だな」
今の姉妹喧嘩を見て、誰もが分かっていた。頬を引っ張られながら喋っている水晶の言葉を理解できていたのは、紅玉ただ一人だけ。
そして、先程まで重く沈んでいた紅玉の心をあっという間に浮上させてしまったのは、妹の水晶だと――。
蘇芳に言われたその一言で、紅玉は水晶の意図を瞬時に察した。水晶が何故わざとあのような軽口と減らず口を叩いていたのかを……。
そして、紅玉は悔しそうな表情を浮かべながら、ゆるゆると水晶の頬から手を離した。
水晶は己の両頬を擦りながら、花のような可愛らしい顔でニヤリと笑うと言った。
「うみゅ、計画通り」
「まったく、貴女って子は……」
一回りも年下で、小さい頃から病弱で、甘えん坊で……甘えん坊が過ぎて、ぐうたらでずぼらでだらしのない娘に成長してしまったはずの妹――しかし。
(いつの間に、こんな狡猾な子になってしまったのでしょうね)
妹の成長が嬉しいやら、驚かされるやら。
「しょうがない子ですわね」
紅玉は困ったように微笑むしかなかった。そんな紅玉を見て、水晶もふにゃりと嬉しそうにはにかんだのだった。
「うみゅ、ところで、もうとっくに起きているのは気づいているからね、雛っち」
「「「「「えっ!?」」」」」
(ギクッ!! な、何故バレた……!)
雛菊は必死に狸寝入りをしながら、冷や汗をかいていた。
水晶の台詞の訳
「ひゅみゅ、ひゃへ、ひょにょほひゃひりょにょひひょじょ、ひひょじょ。ほへーひゃんにょほーひょー」(うみゅ、我、この御社の神子ぞ、神子ぞ。おねーちゃんのおーぼー)
「ひゅみゅ~~~! ひょへひじょお、ほっへひゃにょひにゃひ~~~!」(うみゅ~~~! それ以上、ほっぺた伸びない~~~!)