神力の訓練
「許さない」――勝気な女性の声がした。
「気づいてよ」――凛とした女性の声がした。
「私達が何のために」――鈴を転がすような綺麗な声がした。
「犠牲になったと」――苦しげに絞り出す声がした。
この声は誰のもの――?
そして、最後に響いた声は――。
「お願い、誰か助けて」――その声は驚く事に――。
あたし――?
雛菊は飛び起きた。しかし、直前まで見ていたはずの夢の内容は忘れてしまっていた――酷く悲しい夢だった気がするのだが――。
雛菊は頬を伝う感覚に驚き、手で触れた。
「え……?」
それは涙だった。
「……なんであたし、泣いてるの?」
夢の内容はもう思い出せなくて、その疑問に答えなど出せるはずもなかった。
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研修も四日目となり、雛菊はいよいよ〈神力持ち〉として、蘇芳から神力の扱い方を習う事になった。神力を扱うという事で、場所は屋敷に危険が及ばぬように、十の御社の広い庭園にて行なわれている。
現世では神力など扱った事も感じた事もなかったので、どうなるのか全く想像ができず、雛菊は些か緊張した面持ちである。
「雛菊様、ご心配なさらなくてもよろしいですよ。蘇芳様は神域警備部でも実力者で、教えるのもお上手ですから」
「は、はい……!」
見守り人として傍にいる紅玉が雛菊を安心させるようにそう言うも、緊張はなかなか拭えないものである。
「菊ちゃ~ん! 気張るんじゃぞ~!」
「雛菊さーんっ! がんばれーっ!」
そして、紅玉以外にも結構な人数の神々が見守っていたのも、緊張を更に加速させる原因であった。
(ああああっ、美男美女揃いの神様達に見守られるの、なんかすごく居た堪れないーーーっ!!)
雛菊が悶えているのを、蘇芳は憐れに思いながら見ていたが、このままでは一向に進めることができないので雛菊に声をかけた。
「雛菊殿、よろしいですか?」
「はっ、はいっ!」
蘇芳の指導は、まず基礎中の基礎から始まった。
「まずは、自分の中にある神力を感じ取ることができないと話になりません。まず雛菊殿には、自分の神力を見つけてもらい、感じ取り、そして自由自在に動かせるようになってもらいます」
「はい……!」
蘇芳の説明を聞きながら、雛菊は不安に思った。何せ、つい先日まで神力とは無縁の生活を送って来たのである。
(きっとそんな簡単にはできないとは思うけど……頑張ろう!)
雛菊は目を閉じ、身体の中に意識を集中させる。
「イメージとしては、自分の身体の中心……心臓辺りに神力が集まる場所があります。まずはそれを見つけてみましょう」
(……あ、れ?)
蘇芳に言われるがまま、心臓辺りに意識を集中させると、自分の血とは違う、何か別の温かい流れを感じるような気がした――自信はないが。
「こ、これかな?」
「おお、もう見つけましたか。そうしましたら、神力の波動を感じ取る事は出来ますか? 流れとか、色とか、何か感じませんか?」
蘇芳にそう言われ、雛菊はさらに意識を集中させる。
すると、目を閉じているにもかかわらず、金糸雀色の光が見え、雛菊は驚き、目を開ける。
「って! えええええええええっっっ!!??」
雛菊が驚くのも無理はない。何せ、己の身体から金糸雀色の光が溢れ出ていたのだから。
「なんと、これはすごい……!」
蘇芳の口から思わず感嘆の声が漏れる。紅玉や周囲で見守っていた神々も「綺麗」とか「すごい」とか称賛の声を上げていた。
「ああああ、あのっ、蘇芳さん! これどうやって止めれば!?」
「ああ、安心してください。これから細かい神力の調整の練習をしていきましょう。まずは深呼吸をしましょう――」
そうして、雛菊は蘇芳の指導の下、己の神力の調整の練習を行なっていく。神力を己の身体全体に巡らせたり、止めたり、強めたり、弱めたり――己の神力を自らの意思で操ってみる。
少し慣れてきたところで、蘇芳が説明をした。
「これらの事は神力操作の基本となります。特に〈神力持ち〉はこれができないと、後々困ります。要は準備体操のようなものだと思って頂ければ。何事においても基本は大事です。毎日続けるようにお願いします」
「わかりました……!」
それからしばらく神力操作の基本練習を行なっていたが、雛菊の上達ぶりは蘇芳も驚くほどであった。
「雛菊殿は素質があるようですな」
「え、へへ、ありがとうございます」
元々飲み込みは良い方で、器用な方だと雛菊も思っていたが、まさか蘇芳に褒められるほど神力操作が上手だとは思ってもみなかったので、純粋に嬉しくなってしまう。
「先程も申しましたが、神力操作は基本です。怠らず続けるようにお願いします」
「はいっ」
「しかし、基本の飲み込みが良過ぎて、時間が余ってしまいましたな。せっかくなので、神術の方も軽くやってみましょう」
「え? 神術?」
蘇芳は「神術」についての説明を始める。
「神術とは本来神が扱う業ですが、神力を持つ者達は術式を書いて、神術を扱う事ができます」
そう言って蘇芳は、空間に流れるように術式を書いていく。神力で紡がれた文字に紋章――そして、美しい術式が完成する。
「目覚めよ!」
蘇芳がそう呼び掛けると、土から植物の芽が芽吹いた。初めて見る神術に雛菊は興奮する。
「おおっ!」
「今のは、埋められていた種に成長加速の神術を施しました」
そう言って、蘇芳は再び同じ術式を書き上げる。
それは、真ん中に不思議な形を象った紋章、そしてその周りを古の時代で使用されていた旧大和文字が書かれたものだ。
書き上げた術式を雛菊に見せながら、蘇芳は解説していく。
「使用したい神術の属性に見合った紋章を中心に書き、その周囲に文字で祝詞を書く。高度な神術であればある程、美しい術式を書く事が求められます」
「な、なるほど……」
「属性とか神術を使用する上で、厳しい規約などがあるのですが……その説明はややこしく長くなりますので、また後日にします」
「属性に、規約なんてものがあるんですね。わかりました。また今度よろしくお願いします」
「ではまずは術式を書く事に慣れてみましょう。では早速、今自分が書いた術式と同じものを書いてみてください」
「はい……!」
そうして今度は神術の術式作成の練習へと入っていく。神力操作に関して、天才的な才能を発揮した雛菊――だったが。
(才能がぁっ!! あたしには紋章を書く事と字を書く事の才能がからっきしないっ!!)
雛菊が初めて書いた術式の紋章は恐ろしく歪んでおり、祝詞も辛うじて読める――いや、どう足掻いても読めない仕上がりだった。つまりは物凄く絵が下手くそ、ついでに字も下手くそなのだ。神術が発動する気配など、当然ない。
あからさまに落ち込む雛菊を、蘇芳は苦笑いを浮かべながら励ました。
「こればかりは、訓練としか言い様がありませんからな……」
「つまりは練習あるのみってことですよね」
「うまく神術を扱う事ができるようになれば、水を扱う事ができるようになり、炊事洗濯掃除が大分楽になりますので、是非練習するのがおすすめかと」
「全力で頑張らせて頂きますっ!!」
炊事洗濯掃除の仕事が楽になるなど聞いたら、練習せずにはいられなかった。生活管理部に所属する以上、それらの仕事は毎日やる事だ。覚えておいて絶対損はないと雛菊は思う。
しかし、やはり紋章を書く事と祝詞を書く事は、そう簡単にできるものではなく、何回やってもうまくできない術式作成に雛菊はすっかり疲労困憊で、地面に突っ伏してぐったりしてしまった。
「神術って、数学より難しいですね……」
己の才能の無さに涙が滲んできそうになる。
すると、そこへ優しく微笑みを湛えた紅玉が雛菊の傍らにしゃがみ込んだ。
「雛菊様、根を詰め過ぎるのもよろしくありませんわ。少し休憩をしましょう。甘いものを食べて、元気を出してくださいませ」
そう言って、餡団子を差し出してくる紅玉が、最早女神にしか見えなかった。
「あ、ありがどうございまずーーー!!」
雛菊は紅玉の膝に縋って泣いてしまう。神力の使い過ぎで、やや気持ちが乱れているようであった。
神力操作初心者の者が、神力の使い過ぎると見られる症状の一つである。よくある光景なので、紅玉は至って冷静だった。膝に縋りつく雛菊の頭をゆるゆると撫でながら、蘇芳の方を向く。
「さあ、蘇芳様もどうぞ」
「ああ、頂こう」
訓練は一旦休憩となった。