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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第一章
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頼りになる背中




 浴室を出た蘇芳は自室へ向かわず、自室の真向かいにある部屋――紅玉の部屋の前に立っていた。扉の隙間から灯りが漏れており、部屋にいる人物がまだ起きていることを証明していた。

 蘇芳はその事に眉を顰めながらも、扉を軽く叩く。


「……紅殿、まだ起きているのだろう?」


 時間も時間であるから、叩く音も声も小さく――しかし、部屋の中にいた人物はそれだけで気付いたようだった。


「……蘇芳様?」


 やがて扉が開かれる。


「どうしたのです? こんな夜遅くに」


 もう寝る時間だというのに――と言いたげな紅玉の表情に、それはこちらの台詞だと返したくなった蘇芳だが、紅玉の姿に一瞬目を見張ってしまった。

 いつも一つ括りにされている髪の毛は全て下ろされていて、雰囲気が違う。着ている物も着物に袴ではなく、寝間着の浴衣姿。いつもはきつく巻かれているはずの身体の一部が丸みを帯びて、女性らしい身体を浮かび上がらせている。

 有らぬ事が思い起こされそうになる己を必死に律し、蘇芳は紅玉の顔を見つめた。


(やはり……顔色が悪くなっているな)


 元々徹夜をしていて決して良い顔色とは言えなかったが、徹夜による寝不足という理由だけでは説明できないほど紅殿の顔色は悪かった。

 蘇芳は紅玉の顔をしばし見つめ、考えた末に行動に移した。


「紅殿、失礼する」

「えっ、ひゃっ!?」


 少々強引に蘇芳は紅玉を横抱きにし、紅玉の部屋に無理矢理押し入った。本来、異性間でこんな事をするのは外聞よろしくないとはわかっているものの、蘇芳は手段を選んでいられなかった。

 これは緊急事態だ、事は一刻を争う――と、己に言い聞かせる。

 蘇芳は紅玉を抱えながらも器用に扉を閉めると、部屋に置いてある長椅子に紅玉を降ろした。ふと、部屋を見渡せば、写真が飾られている机の上には大量の書類と資料があり、まだ仕事をしていたのは一目瞭然であった。しかし、それについての説教は後回しにする事にした。

 蘇芳は長椅子に腰かけた紅玉の前で跪き、その漆黒の瞳をジッと見つめた。


「……紅殿、何を考えている?」

「…………え?」

「また何か気に病む事を一人で考え込んで背負っているだろう?」


 蘇芳の金色の瞳に見つめられ、そうハッキリと断言されて、紅玉は居た堪れなくなり、無意識に視線を逸らしてしまう。


「……いえ、何も」

「嘘だな。顔色が酷く悪い」

「っ……」


 蘇芳は紅玉の頬に触れ、優しい力で紅玉を自分の方に向かせた。

 紅玉の漆黒の瞳が動揺で揺れ、眉は情けなく下がりきっている。こういう表情の時の紅玉に関して、蘇芳は思い当たる節があった――もう三年もの付き合いになるのだから。


「貴女は本当に、意地っ張りだな……」

「蘇芳様に言われたくありませんわっ……」

「俺は意地っ張りか?」

「わたくしが大丈夫だと言っても、譲ってくれないですわっ」

「それは貴女が本当に無茶をしているからだろう」

「ですからっ、無茶などっ」

「紅殿」


 この会話で蘇芳は分かってしまった――今の紅玉は酷く心を弱らせている――でなければ、蘇芳は今頃徹底的に言い負かされているのだから。

 しかし、意地っ張りな彼女がこのまま会話をしていても、その訳を話してくれないのは明確であることも分かっていた。

 だからこそ、蘇芳は行動をしなければならないと思った。


「……紅殿、失礼するぞ」


 蘇芳は紅玉の隣に腰かけると、体の向きを変え、紅玉に背を向けた。


「……蘇芳様?」

「背中を貸そう。俺が見ているのは壁だけだ。何か聞こえても、それはただの空耳だ」

「っ……」


 蘇芳の言わんとしたい事を理解した紅玉は情けなく表情を崩してしまう。視界が歪み、前がよく見えない。


「ふふふっ……蘇芳様には敵いませんわっ……」

「何年、貴女の傍にいると思っている?」

「ええっ……そうですねっ……もう三年、三年も経ってしまった……っ」


 紅玉の声は最早震えが隠しきれなくなっていた。

 すると、小さな衝撃が蘇芳の背に当たる。蘇芳から見えはしないが、紅玉は自分の背に額を押し付けているのだとわかった。


「わたくしは立ち止まってなんかいられないのに……っ」


 この三年、蘇芳はずっと紅玉の傍にいて、紅玉を見守ってきているから知っている。


「未だに真実を見つけられていないのに……っ」


 彼女がずっと歯を食いしばり、血の滲む想いで、「真実」を求めて突き進んできた事を。


「晶ちゃんも空さんも鞠ちゃんも――雛菊様も、わたくしが守らなくてはならないのにっ」


 「大切なもの」を失った彼女だからこそ、今度こそ大事な人達を二度と失う事がないように、その身を何度も何度も傷つけてきた事も。


「でも、わたくしはありとあらゆる事が中途半端ですっ……結局大切な物も守れず、真実も見つけられず、何一つ完璧なものがない凡庸な人間ですから……っ」


 蘇芳の背にしがみ付く紅玉の手が一段と強く握られる。


「自信がないっ……わたくし、怖いのですっ……守れなかったらどうしようっ……またみんなみたいに失ってしまったらっ……!」


 蘇芳は知っていた――。


「怖くて怖くて、仕方ないのですっ……!」


 誰よりも努力家で真面目で凛とした強さを持つ紅玉が、本当はとんでもなく不安定で、酷く脆く、儚い、大和撫子だということを。


 だから、「三年前のあの日」、蘇芳は誓った。


「――これは、俺の独り言だ」

「っ」


 そして、これは「約束」でもある。


「焦らなくていい。『真実』は必ず見つけよう。俺も協力は惜しまない。ただ今は、雛菊殿の事を守る事を優先しよう」


 蘇芳に背中に当たる紅玉の頭が頷く。


「貴女はあれもこれも完璧にこなそうと無茶をする。それはダメだ。徹夜なんてもっての外だ。俺は遠慮なく叱るから覚悟をしておいてくれ」

「ぅっ……はい」


 少しの間が気になるが、蘇芳は言葉を続ける。


「貴女は十分に強く優秀だ。だが、弱いのもまた事実――だが、それでいい」

「え……」

「今回の事も、これからの事も、貴女一人で背負うにはあまりに重過ぎる。一人で背負いきれないモノは、誰かと一緒に背負えばいい。何の為に俺がいる?」

「っ……!」


 この紅玉は本当に意地っ張りで強がりである。また、十の御社で、「お姉ちゃん」としての立場を確立してしまっているが故、誰にも弱音を吐けず、その弱さを誰にも見せたがらない。

 先輩であり、十の御社で唯一年上の蘇芳にですら、弱音を吐こうとしないのだから。


 だからこそ、蘇芳は人一倍、紅玉の感情の波を読み取るのが上手かった。

 弱音を吐いてくれないのであれば、吐かせればよいのだから。


「いつも言っているだろう。俺を頼ってくれ、と。背中もいつでも貸そう。弱音も空耳だと思い聞こう」


 蘇芳の言葉に紅玉の漆黒の瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ち、紅玉の膝を濡らす。


「貴女は良く頑張っている。だから――たまには甘えてもいい。甘えてくれ、紅殿」

「ふっ――ぅっ――!」


 蘇芳の胴体に紅玉の腕が巻き付き、背中に当たる紅玉の身体は小刻みに震えていた。時々漏れる嗚咽が、あまりに辛そうで、振り返りたかったが、胴体にしがみ付く紅玉の手がそれを許してくれなかった。蘇芳は仕方なく、腹辺りにあった紅玉の手を優しく撫でてやりながら、紅玉が落ち着くまで背中を貸し続けた――。


 やがて紅玉が蘇芳の背中を離れたので、蘇芳はようやっと紅玉の方を振り返る事ができた。そこには少しすっきりした表情の紅玉がいて、蘇芳はホッと安心し、微笑んだのだった。




「今夜は徹夜などせず絶対に寝るように」

「……はい」

「……貴女が寝ると分かるまで、俺は貴女の部屋の前で待機しているからな」

「そ、れは……!」

「なら、大人しく寝ることだ」

「う……わかりましたわ」


 紅玉の部屋の前で、蘇芳と紅玉がそんな会話をする。すっかり夜も更け、みんな寝ている時間なので、声は極力小さくしていた。


「蘇芳様、ありがとうございました。おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ、紅殿」


 そして、蘇芳は最後に紅玉の頭を優しく撫でて、紅玉の部屋の扉を閉めた。

 紅玉の部屋の明かりはまだ点いている――部屋の明かりが消されるまで、しばし蘇芳は待機する事にした。




 蘇芳が出て行った後、一人になった紅玉はその場で力なく座り込んだ。

 全身が震えていた――震える身体で必死に腕を動かし、両手で口元を覆った――その顔は真っ赤に染まっていた。

 心臓の鼓動が一向に止まない。顔が熱くて堪らない。


(一体あの方のどこが仁王ですの!? 軍神ですの!?)


 紅玉は両手で顔を覆って唸りながら、悶えた。


(蘇芳様…………)


 初めて会った時、凛々しい人だと思った。だが、彼を恐ろしいと、人は言う。

 そんなことないのに――あんなに優しく、真面目で、時々可愛らしい人――惹かれないはずがなかった。惹かれない方がおかしかった。

 彼の温もり、彼の優しさ、彼の柔らかい微笑みを思い出す度、紅玉は胸が高鳴った――しかし、それを必死に抑えつけていた。


(だめ……絶対だめ……想ってしまってはだめ……)


 紅玉は何度も己に言い聞かせる。


(勘違いをしてはいけない。自惚れてはいけない。自分は取るに足らない凡庸な女なのだから)


 彼女は周囲が思っている程、鈍いわけではない。

 だが、彼女はその想いを封印し、今日も己の心を犠牲にするのだ。


(わたくしはみんなを差し置いて、幸せになってはいけない)


 ただひたすら、己に科したその罰を受け続ける為に――。





 扉から漏れる部屋の明かりが消えた事を確認すると、蘇芳は自分の部屋へと帰っていった。




そうです。両片想いです。

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