強制休憩へ
「あ、晶ちゃん、こちら金剛様からお預かりしました。なるべくお早めに確認してくださいな」
紅玉はそう言いつつ、金剛から受け取った書類を水晶に渡した。
「うみゅ~~~今見るのめんどっちゃい。明日以降確認するから先にお姉ちゃんが確認して~~~」
「なりません。これは神子様宛の重要な書類です。いかなる理由があろうとも、先に神子へのお目通しが決まりです。それから神子補佐役が確認するものなので、姉が先に確認するわけにはいきません」
「みゅ~~~……お姉ちゃん細かい~~~」
「決まりですので」
「んじゃ晶ちゃんが自分で持って行ってあとで確認する~~~」
「失くさないでくださいましね」
「努力する」
「そんなところで努力しないでもっと違うところで努力なさい」
思わず紅玉は呆れたように水晶を睨みながら、辺りに置いてある空の器やお猪口などを片付けていく。それを見ていた空と鞠は口を開いた。
「先輩、ちゃんとご飯食べたっすか?ずっと動き回っているように見えるんすけど」
「Yeah! ソレはマリもオモイマース! ベニちゃん、ハタラキスギ! シャチクデース!」
「ふふふ、鞠ちゃん、一体どこで『社畜』なんて言葉を覚えてきたのですか? まったく金剛様に後で文句を言わなくてはなりませんね」
おまけで鳩尾への拳を差しあげよう、と紅玉は固く誓う。
「二人とも、わたくしの心配は必要ありませんわ。時々水分補給はしておりますし、まだまだ働けますわ」
空と鞠を安心させるために、紅玉はニッコリと笑って見せる。
「……お父さん、俺やっぱり、お手伝い行ってくるっす」
「うむ、行って来い」
「ソーラ、マリもイクー」
「あらいやですわ、二人には研修中の息抜きということでゆっくりして頂きたいのに」
「ダーメっす! 先輩のお気遣いはありがたいっすけど、先輩すぐ無茶するっす! さっきも徹夜してるって言ってたし、ここは俺達に頼ってくださいっす!」
そう言いながら、空は紅玉からお盆を奪い取る。
「ベニちゃん、ムチャシマース! マリたち、I knowデース! イキヌキneedなのはベニちゃんヨー!」
そう言いながら、鞠が紅玉の肩を押し、座布団の上へ座らせる。
「俺も鞠ちゃんも金剛さんの所での研修っすから、気が楽で全然疲れていないんすよ。だから、先輩は今の内に休憩っす!」
「あっ、二人とも!」
紅玉が声をかけるよりも先に、二人はすでに駆け出していた。
「晶ちゃん! お父さん! 先輩の事お願いしますっす!」
「ベニちゃん、ユックリしててネー!」
二人はそう言い残すとあっという間に賑やかな酔っ払い集団の方へ行ってしまった。
(ああ……お仕事、取られてしまいました……)
少し呆然としている紅玉の横に水晶が座る。
「まあまあ、お姉ちゃん、ここは甘えてさぼっておけば?」
「御社配属の職員が宴会の給仕を放棄して休憩など言語道断ですわ。やはり、わたくし、戻りま――」
「うみゅ、お姉ちゃん、今の内に栄養補給しておけ、ほれ」
「むぐっ!」
そう言いながら、水晶が紅玉の口に無理矢理押しこんだのはキノコであった――水晶はキノコが嫌いであるから、残したそれを押し付けたようだ。
「どお? おいしい?」
(こらっ! 姉の口にキノコを押し付けるのではありません! ……おいしいですけど)
むぐむぐと言葉にならない声を上げ、もぐもぐ必死に咀嚼しながら、心の中で水晶を叱る。
すると、樹の幹色の男神の槐が言った。
「これ神子! 栄養補給ならキノコよりも肉じゃろう! ほれ、紅ねえ、今日の肉もうまいぞい! どんどん食え食え!」
そう言って槐は豚の角煮をお皿に載せる。
「紅玉殿、肉もいいが魚もうまいぞ。こちらも召し上がられよ」
そう言って魚の刺身をお皿に載せてくるのは空の父である蒼石だ。
「紅様、本日も唐揚げも大変美味しゅうございました。月様も気に入っておりましたわ。こちらも是非召し上がってくださいませ」
ふわりと微笑みながら淡い金色のたおやかな長い髪と旭光のような美しい彩りの瞳を持つ女神の朝陽が唐揚げを載せた。
その後も神々からの恵みがどんどん皿の上に載せられてゆき、皿の上のおかずが山のようになる。
(ありがたいですが……皆様、一人分の量を完全に見誤っておりますわ……)
それでも神から与えられたものを無碍にはできず、紅玉は必死に咀嚼をする。
「あ、あの、紅玉さん……」
ふと声をかけられそちらを向くと、雛菊がおずおずと様子を伺っていた。
「……やっぱりあたしも手伝った方が良かったですか?」
申し訳なさそうな表情をしている雛菊を見て、紅玉は口の中に入っていたキノコを飲み込む。
「雛菊様、先程も申し上げましたが、新人である雛菊様に宴会の給仕を頼むのは酷です。空さんと鞠ちゃんは新人と言っても、御社暮らしが長く、宴会の給仕にも慣れておりますから問題ありません。お気持ちは大変嬉しいのですが、お気遣いなく」
「そ、そうですか……」
「はい、まず御社の神様方の特徴などを把握しておかなければなりませんからね」
そう言いながら、紅玉は離れた位置で賑やかに騒いでいる神々を見遣った。
「どの方が、お酒が大好きで何本くらい注文されるとか、どの方が酷く食いしん坊で食事を一人占めしないように見張ったりとか、どの方が調子に乗ってお酒を飲み過ぎて粗相をする前に対策を整えるとか、ある程度予測ができなければ御社の給仕は務まりませんからね」
「それ最早給仕の域を超えてませんか!?」
然も当たり前のように語る紅玉に雛菊は目を剥いてしまう。
(最早紅玉さんにはソレが当たり前なんだわ! これを「社畜」と呼ばずして何と呼ぶ!?)
雛菊はその事実に恐れ戦いた。
「まあまあ、慣れてしまえば、いっそ楽ですよ」
(それ、麻痺してるんじゃ……忙しさに……社畜故に)
雛菊は、蘇芳や空や鞠の言っている事が少し分かった気がした。
「紅玉さん、少しお休みされた方がいいです……栄養つけてください」
「あら、雛菊様、お気遣いありがとうございます」
ころころと笑いながら、紅玉は差し出された豚の角煮を頬張った。
濃いめの味付けがジワリと口の中に広がり、美味しいと思った――悔しいことに。そして、制作者の紫の煌めく笑顔が浮かび、思わず無表情になってしまう。
「……そう言えば、この辺りに入る神様達は、あっちにいる神様達と違って静かですよね」
雛菊の素朴な質問に答えようと、紅玉は必死にもぐもぐと口を動かすが、そんな紅玉よりも先に答えたのは、槐だ。
「菊ちゃんよ、儂ら神にも得手不得手があってのぅ。賑やかな事が好きなモンもおれば、その逆もまた然りじゃ」
その次に答えたのは蒼石だ。
「然様。我らは静かに酒を嗜みたいが故、あちらを避けてここに居る」
「なるほど……」
すると、ようやく口の中の物を飲み込んだ紅玉が雛菊に言った。
「そもそも、十の御社の神子である晶ちゃんは未成年の上に本来であれば義務教育課程の幼き少女です。お酒を勧めるなんてもっての外、宴会の騒ぎに巻き込むのも御法度、酒を飲んで酔っ払って絡んだ暁には例えこの身に神罰が下ろうとも鉄槌を下しますと脅し……いえ、心からお願いを申し上げておきましたので」
(今、脅しって言った!? 神様に対して脅しをかけたんかいこの人!)
そして、極めつけに水晶が答えた。
「まあ、要は晶ちゃんを基準にして、あっちとこっちに分けられるわけ。ちなみに一回だけ、お姉ちゃんのお願いを無視して、晶ちゃんに絡んできた酔っ払い神がいるんだけど、その神の末路聞く?」
「いえ、結構です……!」
神に脅しをかけられるような人だ……只などでは済まなかったと容易に想像でき、雛菊は身震いをした。そして、冷えた体を温めようと、雛菊は目の前に置いてあったお猪口の中身をグイッと飲み干す。
その様子を見守っていた紅玉だが、ある事に気付き、雛菊を見て言った。
「雛菊様」
「え? はい、なんですか?」
「……それ、誰と飲んでいるんですか?」
「え、あたし一人だけですけど?」
「………………」
紅玉は唖然とし、「それ」と呼んだ大量の徳利を指差したまま固まった。
「……あ、徳利に入れたジュースですか?」
「いえ、熱燗です」
紅玉の思考は停止した。
熱燗――すなわち温めた酒である。それを一人で大量に飲んでいるという、一見すると小動物のように愛らしい雛菊。
「少し肌寒い時は、熱燗おいしいですよね!」
それはそれは良い笑顔で言う雛菊に、紅玉は微笑みを浮かべたまま固まるしかなかった。
「うみゅ、お姉ちゃん、これは現実だ。雛っちは笊だ」
「…………ですよね」
意外な事実に紅玉は驚くしかなかった。
すると突如、蒼石が殺気を撒き散らし立ち上がったので、雛菊だけでなく紅玉も驚いてしまう。蒼石は正面を睨んだまま駆けて行ってしまった。
「えっ、えっ? そ、蒼石さん、どうしたんですか……?」
蒼石の殺気に当てられ、ビクビクしながら雛菊が言った。
紅玉は冷静に蒼石が駆けて行った方を見遣り、そして理解した。
「ふふふ、雛菊様、こちらで大人しくしていてくださいね?」
「は?」
紅玉はそう言うと、静かなる怒りを秘めた微笑みを浮かべながら立ち上がり、駆けて行った。大混乱極めるその場所――問題神三人組の元へと。
「あーあ……晶ちゃん、し~らな~い」
水晶が呟きながら見つめる先で、問題神三人組が紅玉に投げ飛ばされ、宙に浮いていた。
そうです。紅ちゃんは社畜です。