御社配属の本領発揮
紅玉と紫の溜め息と、それとは対照的な雲母の楽しそうな笑顔の理由を理解した時、雛菊は思わず目が点になった。
八の神子である金剛が十の御社にやってきた事により、本日の夕食が八の神子訪問宴会になる、と紅玉から報告を受けた時、雛菊は心の中で叫んだ。
(一昨日も宴会しましたよねぇっ!?)
神々は心底お祭り宴会好きの酒好きだと、改めて再認識させられた瞬間だった。
「神々の皆様は何かと理由をつけては宴会を開こうとする悪癖がございます」
雛菊にそう説明しながら、貯蔵庫から食材を引っ張り出しているのは紅玉だ。
「だから、突然の宴会は当たり前だから、御社所属の、特に生活管理部はそれに備えて、事前準備は怠っちゃダメだよ。あと覚悟も常にしておくこと」
そう説明しながら、目にも止まらぬ速さで食材の下準備をしているのは紫だ。
急遽、決まった宴会だというのに、まるで察知していたかの如くの行動の早さと頭の切り替えの良さに、雛菊は呆気に取られてしまう。
(皆さんの手際の良さが恐ろしい!)
今後仮に自分が御社所属になった時、自分は紅玉や紫のように臨機応変に動けるか、雛菊は不安で仕方なくなってしまう。
「雛菊様、これも良い研修になったと前向きに捉えてくださいまし。あと、この手の準備は最早慣れとしか言い様がありませんので、あまり不安にならないでくださいね」
「は、はい」
紅玉にそう励まされ、雛菊も紫の指示の元、宴会の準備を手伝っていく。
すると、そこへ蘇芳が酒瓶の入った箱を大量に抱えてやってきた。
「紅殿、これはどちらに置けば?」
「あ、それはこちらに」
一見すると、とても一人の人間が運べる量ではないが、蘇芳にかかれば問題などなかった。
大量の酒の入った箱が台所の一区画に積まれる。
「紅玉君、これも酒と同じ所かい?」
そう紅玉に声をかけたのは、金剛と一緒にいた片眼鏡の男性であった。髪の毛の根元が濃い藍色に染まっているが、その他は漆黒だった。柔らかそうなふわふわの髪と片眼鏡から覗く優しそうな眦の下がった藍色の瞳を持っている。
「まあ、肇様、お手伝頂きありがとうございます! それはアルコールではないので、お酒と分けて、こちらの方に」
「ここだね」
肇と呼ばれた片眼鏡の男性は、酒の箱が積まれた場所とは違う所に持っていた箱を置いた。中に入っていたのは酒ではなく、未成年用の飲み物だった。
肇は雛菊の姿を認めると、ニコリと微笑んだ。
「君が十の御社で研修に来ている子だね。先程は挨拶できなかったからね。改めて、初めまして。神子管理部所属で八の神子の補佐役をしている肇です」
「あ、生活管理部所属の雛菊です。挨拶が遅れましてすみません」
「いやいや気にしないで」
肇は簡単に挨拶を済ませると、腕まくりをしてどこからともなく割烹着を取り出し、それを身に付けた。
(えっ、ちょっ、それどこから出したの!?)
「さてと、紅玉君、僕も手伝うから指示をくれないか?」
「えっ! ですが、肇様……」
「元はと言えば、うちの神子が宴会の誘いを断らなかった事も原因だ。八の神子補佐役として、ここを手伝わないわけにはいかない」
先輩である肇にそうハッキリと言われてしまえば、紅玉に断る理由はなかった。
「わかりました。では、肇様、よろしくお願いしてもよろしいですか?」
「勿論だよ」
「紫様、そういうわけですので、ご指示よろしくお願いします」
「はーい!」
紫はいつもの軽薄な態度とは裏腹に、次々と的確に指示を出していく。
「蘇芳くん、手が空いたらなら、魚捌いてもらってもいい?」
「承知した」
「紅ちゃんは唐揚げよろしく!」
「もう準備しておりますわ」
「肇さんは豚肉にキャベツを巻いてもらっていてもいいですか?」
「承ったよ」
「雛ちゃんはおにぎり大量に結んで!」
「が、がんばりますっ!」
「よし、みんな! 頑張って乗り切るぞー!」
紫の一声で全員がそれぞれ任された仕事を行なっていく。あまりもの手際の良さに、雛菊は思わず感心して見つめてしまう。
(これが……! 御社配属の職員……!)
そして、雛菊は大量の白米の入った御櫃を見つめると、両手を握りしめた。
(あたしも頑張らなくちゃ!)
こうして戦いの火蓋は切って落とされた。
御社配属の職員達の本領発揮され、宴会と呼ばれる席に相応しい食事を用意することができた。宴会会場になっている大広間の真ん中に、その食事の数々が所狭しと並んでいる。
こんがりと香ばしい香りを漂わせた唐揚げは、十の神子の水晶の大好物であり、紅玉の得意料理である。この料理は水晶だけでなく、神々にも好評で、今や十の御社の定番料理の一つだ。
あつあつのあんかけがかかった豚肉のキャベツ巻きは紫が得意とする素早く作れる宴会料理の一つである。肇の手助けもあり、本日も素早く大量に用意する事ができたようだった。
瑞々しいトマトと歯ごたえの良さそうなもやしの和え物を担当したのは蘇芳。その恐ろしい容姿にそぐわず、料理はそれなりにできるようで、刺身となっている魚を捌いたのも蘇芳である。
そして、本日夕食の主役となるはずだった紫が朝から仕込んでいた豚の角煮と肉じゃがが美味しそうに湯気を立てている。見た目だけでなく、香りも食欲を誘ってきており、間違いなく今宵の人気料理になるであろう。
主食である白飯はおにぎりにして皿に山盛りにしてあった。味は梅干しにおかかに鮭という定番中の定番だ。結んだ雛菊がやりきった表情でおにぎりの山を見つめていた。
そして、端の方にひっそりと置いてあるのは、先程蘇芳が茶屋よもぎで買ってきた団子とまんじゅうなどの大和菓子だ。
これだけ品数と量があれば、文句など無いであろう。
宴会準備という大仕事を終えた紅玉達はやっと一息つくことができた。そして、思わず互いの健闘を称え、握手していた。
「みんなーーー! お疲れ様ーーー! ありがとうーーー!!」
「あの短時間でこれだけの量を作りあげてしまうとは。いやはや、いつものことながら天晴れでありますな」
「はい、流石紫様ですわ」
「べっ、紅ちゃんが珍しく褒めてくれるなんて……っ!」
蘇芳だけでなく、珍しく紅玉も褒めてくれたので、紫は驚いてしまう。
「紅ちゃん……味見で何か変な物を口にしたりとか」
「前言撤回させて頂きたくなりますわねぇ」
どうにもこうにも、紫と紅玉は相性が合わないようである。
「雛菊様もお疲れ様でした」
「いっ、いえ! あたしなんてほとんど何も……」
「まあそんなことはありませんわ。おにぎりを一人で結んでくださったではありませんか。とても助かりましたのよ」
「そ、それならよかったです……!」
雛菊も紅玉に褒められ、素直に嬉しくなる。
「肇さん、ありがとうございます! 助かりました!」
「お疲れ様、紫君。流石、生活管理部、見事な手腕だったよ」
紫は肇の手を取り、固く握手をして感謝した。
「それに、うちの神子がこれから迷惑をかけるんだ。手伝いくらいしないと申し訳がないだろう?」
「「「ああ…………」」」
肇の言葉に紅玉と蘇芳と紫があからさまに沈んだ表情をした。
(えっ、なになに?)
雛菊がおろおろと紅玉達を見つめていると、紅玉が雛菊に言った。
「雛菊様、忙しいのはこれからが本番でございますよ」
そう、本当の戦いはこれからなのだ。何せ宴会はこれから始まるのだから。
酒の追加や食器の片付け、必要があれば食事の追加などをする給仕の仕事が待ち受けているのだ。これが御社配属職員の定めなのだ。
「あぁ、そうですよね……! そういうのも私達の仕事なんですもんね……!」
雛菊は一昨日の宴会の時の紫の姿を思い出す。あの時は、紫の罰も兼ねていたので、紫が給仕を一人で行なっていたので、余計に忙しそうに見えた。自分もああなるのだと想像すると、雛菊は少しゾッとした。
「実は、一昨日の歓迎会はまだ控えめなものでしたのよ」
(あれで!?)
「ですが、今夜はそうはいきませんわね。何せ金剛様がいらっしゃっているのですから」
恐らくそれが紅玉達の憂鬱の原因なのであろう。
「ど、どういう意味ですか?」
「一言で言ってしまえば、金剛様はお酒が大好きなのです。ええ、とてもとても。神様負けず劣らず」
「そして、うちの兄は酒を飲むと、酷く酒癖が悪い……」
「さて、雛菊ちゃんに問題です。お酒好きで酒癖の悪い金剛さんに、賑やかな事とお酒が大好きな神様達、これが組み合わさると、さて一体何が起きるでしょう?」
「ものすんごくヤバい事になるってことが良く分かりました」
紅玉と蘇芳と紫の言葉に、察しの良い雛菊の顔はみるみる青ざめていった。
「一昨日の倍以上は忙しくなるぞぉ……」
「……うちの兄が誠に申し訳ない……っ!」
「いやいや、それを言うなら、『うちの神子』が、だよ。蘇芳さん」
雛菊もまたこれから始まる戦いに身構えるが、紅玉がサラリと言った。
「雛菊様、本日のお仕事はここまでで結構です。貴女も皆様と共に宴会を楽しんできてください」
「えっ!?」
「それとも連日の宴会がお嫌なら、今日はお部屋に下がってお休みして頂いても結構ですよ」
「い、いやいやっ! あたしも給仕の仕事手伝います!」
「そう言って頂けるのは大変ありがたいですし、新人としての心意気としては評価してあげたいのですが……新人である雛菊様にこの宴会の給仕を頼むのはあまりに酷なのでむしろ下がってください。お願いします」
「わ、わかりました」
紅玉の言葉がかなり真剣だったので、雛菊は下がるしか選択肢がなかった。相変わらず察しの良い娘である。
雛菊を下がらせてすぐ、紅玉達は戦闘態勢を整え始める。
紅玉と蘇芳と紫は前掛けと襷の紐をしっかりと締め直し、肇は割烹着の乱れを整える。
さあ、準備は整った。
「よーしっ! 頑張るぞーっ!」
「兄が何かしでかした時は自分を呼んでくれ」
「その時は僕もお供するからね、蘇芳さん」
「さあ、皆様、参りましょう」
いざ、戦闘開始――!