兄と弟
空と鞠と雛菊が楽しそうに話しているのを、少し離れた位置から見守りながら、紅玉は隣に立つ金剛に声をかけた。
「金剛様、その節はいろいろ手配頂き、ありがとうございます」
「はいはい。面倒な事はおいたんの仕事ですからねぇ。ま、あの時、紅ちゃんが連絡くれてから、すぐ動いたからスムーズに話を進める事ができたしな」
金剛もまた腕組みをしながら、新人三人組を温かい目で見守っていた。
「ところで金剛様、こちらには何用で?」
「〈神力持ち〉の件で蘇芳に呼び出されたんでな。あまり詳しい話は手紙じゃ書けねぇっていうから、んじゃあ直接会いに行くかってなってさ。〈神力持ち〉ちゃんの様子も見たかったし、晶ちゃんにも届けモンがあったしな」
「なるほど。慎重な蘇芳様らしいです」
通信機器の無いこの神域では連絡手段は手紙のみという原始的な方法である。郵便配送担当者も神域管理庁の人間であり、生半可な実力では担当者になる事などできないが、万が一の情報漏洩に備えて、蘇芳はどうも手紙ではあまり詳しく書かなかったらしい。
「ついでに二人の研修にも丁度いいと思って連れてきたんだが、結果良かったみたいだな」
その用事のついでに、研修の為に連れてきた空と鞠が思った以上に雛菊を喜ばせたようで、金剛はニンマリと微笑む。
「ま、そもそもは蘇芳が空君と鞠ちゃんを連れてきて欲しいって言ったからなんだよな」
「まあ! さすが蘇芳様、何て気の利く方なのでしょう! どこぞの空気の読めない方とは大違いですわね、ふふふっ」
「紅ちゃん! それ、僕の事!? 僕の事だよね!?」
紫の事など鼻から無視である。
すると、ガラリとお店の引き戸が開けられる音がした。
噂をすれば影がさす、とはまさにこのこと――そこにいたのは、仁王か軍神かの相貌の身体の大きな蘇芳だった。紅玉は驚き目を見開いた。
「まあ、蘇芳様」
「紅殿……なるほど、買い出しの途中で寄られていたか」
蘇芳は店の中を見渡し、紫と雛菊と雲母の姿を認めた事ですぐに察した。
「はい、紫様が途中で音をあげてしまって……帰ったらおしおきですわね、ふふふっ」
「紅ちゃん!? そりゃないっ!!」
「蘇芳様はどうしてこちらに? 金剛様のお迎えですか?」
「いや……その、客用の茶菓子が、なくなっていてな。急遽買い出しに」
蘇芳は言葉を濁したつもりではあったが、紅玉は蘇芳の言葉を聞いてすぐに察した。
「あらまあ、おしおきする方が増えてしまいましたわね、ふふふふふっ!」
十の御社には、つまみ食いの悪癖持ちの神がいる。菓子なんて特に被害の筆頭であった。紅玉が説教をしてもしても、治る気配はない。
「ま、まあ、あの方も反省はしている。ここは穏便に……」
「済ませません」
「……であろうな」
例え、相手が神であろうと、十の御社の秩序をしっかり守る為にも、紅玉は許すわけにはいかないのだ。
「それで、兄さんは何故ここに?」
蘇芳はさらりと告げながら、金剛の方を向いた。その態度は紅玉の時の柔らかさとは程遠く、やや冷たさが感じられるものだ。若干冷静すぎるその対応に、金剛は肩を竦める。
「おいおい、わざわざこっちから出向いたお兄ちゃんに対し、ちとその言い方は冷たいんじゃねぇのかい、弟よ。お兄ちゃんは日頃の運動不足解消のために十の御社まで徒歩で行こうとしたら腰にきちまって茶屋で休憩しようとしていたのさ。あててて……」
「まったく、八の神子とあろう者が情けない」
蘇芳様が呆れたように溜め息を吐く。
「ちょっと待って!?」
声を張り上げ、話に割って入ったのは雛菊だ。金剛と蘇芳を交互に見つめ、目を剥いている。
「あ、あの……兄さん、弟って……?」
「ああ」
雛菊の率直な疑問に声を上げたのは蘇芳だった。
「八の神子こと金剛は、自分の兄です、雛菊殿」
「やっほ~、雛ちゃん。元気に研修してっか?」
金剛は軽い仕草で手を振った。
「蘇芳が世話になっているね。こいつは俺の可愛い弟さ」
「似てなっ……いや、似てる? うん?」
しかし、蘇芳と金剛、二人が並ぶと、太く凛々しい眉と金色の瞳が良く似ている事に気付く。
(あっ! どこかで見覚えあると思ったら、そういうことか!)
先程感じた疑問に答えが出て、雛菊はすっきりした。
「俺と蘇芳はまだ似ている方で、さらに一番下の弟なんて、兄弟で誰にも似ていないから血が繋がっているにも関わらず『本当に兄弟か?』って聞かれることがほとんどだぞ」
金剛の言葉に、蘇芳が頷いて肯定している。
(へえ、蘇芳さんにはさらに下に弟さんがいるのねぇ)
蘇芳はどちらかと言えば、「お兄さん」のような印象があっただけに「弟」ということに驚いた雛菊だったが、さらにその下に「弟」がいるのなら、蘇芳もまた「兄」である。なるほど――と、雛菊は一人納得していた。
「それにしても、若い子は良いねぇ。見ろよ、蘇芳、肌艶違うし、元気も有り余っていて、おいたんうらやましいわ~……」
金剛はそう言いながら、雛菊と空と鞠を見つめた。そんな兄に蘇芳は完全に呆れ顔である。一方で紅玉は「あらぁ」と呟きながら、目をパチクリさせた。
「まあ確かに、雛菊様達は実際に本当にお若くいらっしゃいますけど、金剛様だってまだまだお若いと思いますよ」
「……紅殿、兄さんに世辞はいらんぞ」
「いえ、お世辞などではなく……うーん、やはり日頃のお仕事の量が、膨大すぎるのが問題なのでは? 金剛様、お手伝いできるお仕事がございましたら遠慮なくお申し付けくださいね」
「うんうん、紅ちゃん、その申し出は非常にありがたいんだけど、おいたんとしては紅ちゃんには一刻も早く休んで頂きたくてだな」
「あら、わたくしよりお休みを要しているのは金剛様の方ですわ。わたくしのことならお気になさらず。二日くらいで倒れる柔な鍛え方はしておりませんわ」
「…………紅殿?」
蘇芳の一段と低声が響き渡った事で、紅玉は自身の失言に気付き、ハッと慌てて右手で口元を押さえる。
しかし、時すでに遅し――紅玉がそっと蘇芳様を見上げれば、そこには世にも恐ろしい憤怒の形相があった。
紫や雛菊や雲母は顔を真っ青にさせ恐れ戦き、空と鞠ですら顔を硬直させその場に立ち尽くし、身内である金剛ですら変な汗をかき始めていた。
一方で紅玉は恐れ戦く事も、顔をこわばらせる事も無く、ただただ困ったように蘇芳からスッと視線を逸らすだけ――恐怖はまるでない。しかし、それよりも困った事になったと紅玉は己の浅はかさを後悔していた。うっかり蘇芳様の前で徹夜している事実を話してしまった事は、最早どう足掻いても取り繕う事ができない。
(さて、どうしたものでしょう……)
紅玉は必死に思考を駆け巡らせる。
「………………」
「紅殿?」
「………………」
「どういうことか説明してもらおうか?」
「………………」
「紅殿!」
紅玉はくるりと蘇芳様に背を向け、にっこりと微笑んだ。
「さっ、紫様、雛菊様、そろそろ御社に戻らないと夕食の支度に間に合いませんわ」
「紅殿!!」
最早完全無視して逃げるしか紅玉には思い付かなかった。しかし、そんな事で蘇芳が許すはずもなく、蘇芳は声を大にして紅玉を呼ぶ。
「金剛様は我が御社へ用事ですよね? さあ、共に参りましょう」
「話は終わっていないぞ! 紅殿!」
「空さんに鞠ちゃん、蒼石様があなた達のことを心配していらしたのですよ。是非会っておゆきなさな」
「聞いているのか!? 紅殿!」
ひらりはらりと、紅玉はひたすら蘇芳を無視する。なるべく蘇芳との言い争いは避けたかったからだ。それは過去にも紅玉が少々無謀な勤務をしている事に対し、蘇芳が叱りつけるという事があり、その時も結局蘇芳と言い争いに発展してしまい、一日の半分を費やしてしまった程だ。それも一度や二度ではないので、今回は何としてでも避けたいのである。
しかし、徹底的に蘇芳を無視し続ける紅玉の態度に、紫が不安げに口を開いた。
「紅ちゃん、そんなに蘇芳くん無視して大丈夫?」
「……蘇芳様は過保護すぎるだけですわ。こういう時は無視に限ります」
「えええっ!? そ、それはまずいんじゃないかなぁ……?」
「わたくしを心配してくれて怒ってくださることはありがたいと思いますが、ちょっと度が過ぎますわ」
「それは貴女が無茶をしているからであろう!?」
紅玉の背後から咆哮のような声が響き、突き刺さるような視線を紅玉は背中に感じた。蘇芳の威圧がさらに増したのだと、容易に想像できた。その証拠に紫や雛の顔がさらに青くなった。雲母に至っては涙目である。
紅玉は溜め息を吐いた。できることなら、蘇芳との言い争いは避けたかったが、面と向かって話をしなければ、蘇芳は許してくれそうになかった。そうして困るのは紅玉ではなく、蘇芳に慣れていない雛菊である。
紅玉が振り返ると、予想通りそこには、先程よりもさらに凄味を利かせた憤怒の形相で蘇芳が睨みつけていた。紅玉もその金色の瞳を睨みつける。