十の御社の朝
二話連続の投稿になっております。こちらは二話目です。
閲覧の際はご注意ください。
大和皇国には遥か昔より、世に存在する万物に「神」が宿り、国の民をあらゆる災いから守り、繁栄へと導いていた。
そして、国と神を結ぶ唯一の橋渡しをする「神子」と呼ばれる存在がある。
強い神力を持つ神子が「神域」にて神に祈りを捧げ、名を与え、契約することで、大和皇国は神からの守りと繁栄の恩恵を授かることができるのだ。
そんな神子を守り支える為に存在する「神域管理庁」と呼ばれる政府機関がある。
これは、その神域管理庁に勤める一人の女性の話だ――。
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季節は春。桜舞う、始まりを告げる季節である。
今日も今日とて「十の御社」に怒号が鳴り響く。
「晶ちゃああああああんっっっ!!」
癖一つない真っ直ぐな漆黒の髪を高い位置で括り、蝶々結びにした赤い飾り紐で飾り付け、前髪は眉の下できっちり真っ直ぐに切り揃えられおり、性格の真面目さが滲み出ている。前髪から覗く丸い瞳も漆黒で、左目の端には泣き黒子が一つある。紫の矢絣の着物と臙脂色の袴を身に纏った女性だ。
その女性の名は紅玉という。
「起きなさああああああいっっっ!!」
紅玉はそう叫びながら、怒りの形相で布団を引っぺがした。布団の中にいた人物がゴロゴロと寝台の上を転がっていく。
「今日は『新入職お披露目の儀』だから早く起きて支度なさいって昨日何度も言ったでしょう!? いつまで寝ているつもりですか!?」
その怒鳴り声に寝台の上に転がっていた人物が紅玉を見上げた。その人物は、それはそれは麗しい少女であった。
ふわりと波打つ輝く白縹の髪は清廉な神力を纏い、寝台の上に散らばるその様も幻想的で美しい。その髪から覗く大きくぱっちりとした瞳は穢れ無き水色で、縁取られている髪と同じ色のまつ毛はとても長い。肌は白く透き通り、頬は可愛らしく桃色に染まり、花弁のような唇も淡い赤。投げ出された手足や身体は小さく華奢で、その顔立ちもまだ幼いながらも、間違いなく将来は美人であろう。
その少女はこの十の御社の主である「神子」だ。名を水晶という。
まだ十三歳という幼さ残る年齢にもかかわらず、見た目がとても美しいのだが、一つ非常に残念な所があった。
「うみゅ~~~……晶ちゃん、まだ眠い……あと一時間寝かせて~~~……」
「あと一時間も寝ていたら、お披露目の儀に間に合わないでしょう!?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。間に合うよ。お姉ちゃんが本気出せば」
「本気を出すのは貴女ですっ!!」
「だすだす。明日から」
「今すぐ出しなさいっ!!」
この神子、酷く面倒くさがりのずぼらであった。
お気に入りの寝椅子や絨毯の上に寝転がっては、煎餅や芋の菓子を貪り食いながら、現世の子ども達の間で流行っている小型のカラクリ遊戯で遊ぶ事が趣味なのである。また小さい頃から体力がなく、運動する事も動き回る事も苦手で、やるべき事も周囲の人間が代わりにやってくれていたという事もずぼらを増長させる原因となってしまった。
その水晶が神子に選ばれたのは約三年前――紅玉が入職した年の年明け差し迫る冬だった。当時、水晶は十一歳。しかしながら、その清廉なる神力で神子に選ばれ、早々に功績を挙げた上に、神域史上最年少での神子就任という事もあり、当時の話題を掻っ攫った。「我こそは水晶様のお付きに!」と声を上げる者も多かったが、その座にあっさりと就いたのは紅玉であった。
無論、反対の声はあったが、それを口に出せる人は多くいなかった。何故なら紅玉と水晶は、紛れもなく血の繋がった姉妹であったからだ。また神子自身、自分の補佐役は姉が良いと指名した為、誰も文句が言えなくなってしまったのだった。
「はいっ! 起きなさい! 髪の毛を梳かしますから前向いて! ゲーム機は握らない! ああもう言っている傍から寝ない!」
「うみゅ~~~……おねえちゃんのおーぼー……」
もし仮に姉の紅玉以外の者が水晶の補佐役に就任したとしよう。水晶のずぼらぶりに手を焼く未来しか見えない。神子に怒鳴りつけるなど、神子より遥か下位である神域管理庁の職員ができるはずもない。実の姉妹だからこそ、この怒号飛び交うやり取りができるのだ。
「いい加減なさい!! 貴女が起きるのを、皆様、朝食を食べずに待っているのですよ!?」
「ひゅーーーっ! ほっへ! ほっへひっはははひへーーーっ!」
白く透き通るような水晶の頬を紅玉はまるで餅のように横に引っ張って伸ばした。
そんな姉妹のやり取りを少し離れた場所から見守る人物がいた。
「紅殿、水晶殿の朝食をこっちに持ってこようか?」
「いえいえ、蘇芳様、ちゃんと着替えさせてきちんと食堂で取らせます。一度癖になったら堪りませんわ!」
「そうか」
蘇芳と呼ばれた男は苦笑いを浮かべながら紅玉を見つめた。
この男もまた紅玉と同じように、水晶の護衛役として就任した人物である。やはり彼が就任した時も反対の声は上がったものの、彼の姿を見ればその声は一瞬にして消え去った。
何故ならこの男、一見すると仁王だとか軍神といった恐ろしい容姿の持ち主だったからだ。
その身体は筋骨隆々な上に、非常に背が高い。眉も太く凛々しく、金色の瞳もキリリとしていて勇ましい印象しかない。また蘇芳色の短い髪に宿す豪胆な神力も、彼をより恐ろしく見せる一つの要因であった。よくよく見れば精悍な印象とは裏腹に非常に端整な顔立ちをしているのだが――人の第一印象というのは時に残酷なモノだ。蘇芳の大きく、逞し過ぎる身体や勇ましい顔付きに恐れをなしてしまう者が非常に多かった。性格が見た目にそぐわず、穏やかな方であるにもかかわらず。
「それより蘇芳様、お腹は空いていませんか? 皆様も蘇芳様もわたくし達の事は気にせずに先に朝食を召し上がってくださいませ」
紅玉が水晶の髪を梳きながら、蘇芳に問うと、蘇芳は首を横に振った。
「気にしないでくれ。皆、水晶殿と共に朝食を摂りたいから待っているだけだ。自分も――」
ぐううう、と実に間抜けな音が響き渡る。途端、蘇芳の頬が赤く染まり、音の元凶が何であるか、紅玉は察する。
「ふふふっ、蘇芳様ったら。お待ちくださいね。晶ちゃんに羽織を着せたら、すぐに参りましょう」
「あ、ああ……」
蘇芳の頬はまだ赤く、紅玉はそんな蘇芳を見てころころと笑う。
実は、紅玉と蘇芳は、先輩と後輩という仕事上近しい関係性なのだ。紅玉の研修の担当者が蘇芳であり、紅玉は蘇芳に神域での伊呂波を教わった。
あの当時、蘇芳が誰かに神域での仕事を教えた事はなかった。何故なら研修を受ける新人はみな、蘇芳の姿を恐ろしく思い、すぐに逃げ出してしまったからだ。
しかし、その中で紅玉だけは違っていた。蘇芳にたじろぐ事も畏怖する事もなく、また畏れを我慢している訳でもなく、至って普通に接してきたのだ。これには流石の蘇芳自身も驚いたものだが、元々面倒見の良かった蘇芳は紅玉に対して、それはそれは優しく懇切丁寧に仕事を教えた。そして、紅玉も頼もしい蘇芳を尊敬していったのだ。
いつしか二人は互いを信頼する関係になっており、紅玉が水晶の神子補佐役になると決まった時も、蘇芳は紅玉の力になりたいと、すぐさま水晶の護衛役に名乗りを上げた。蘇芳が水晶の護衛役に就任すると聞いて、紅玉が喜んだのは言わずとも分かるであろう。
傍から見れば非常に微笑ましい関係の二人なのだが、残念ながら男女の関係としての進展は全く見られず、周りをやきもきさせていたりする。
そんなこんなで、水晶の身支度が整え終わったようだ。
「はいっ! 支度完了です! 参りますよ、晶ちゃん!」
「うん」
紅玉は寝台から降りた水晶の手を引く。水晶もそんな姉の手を握り、ヒヨコのように後をついていく。その後ろを大きな歩幅で歩くのは蘇芳だ。
洋式の装飾や調度品が置かれた廊下を通り、広々とした階段を下りていく。
やがて辿りついた食堂の扉を開ければ、そこには立派な長卓が四列並べられており、数多くの人影が待ち構えていた。
「おっ! やっと起きたか、神子!」
「神子様、おはようございます~!」
「おはよう、神子姫」
「おはよう」
水晶が食堂に現れるなり、みな口々に挨拶をしていく。その全員が驚くほどの美しさを持ち、その身に纏う神力も穢れが一切ない。
そう、彼らこそがこの十の御社に降臨した神であり、みな、十の神子である水晶に仕えているのだ。
水晶は食堂の一番奥に置かれた椅子に座ると、総勢三十六名の神に向かって言った。
「みんな、お待たせ。おはよ~~~」
水晶が言うと、神々もまた「おはよう」と答える。
紅玉や蘇芳は水晶を送り届けると、食堂のすぐ隣にある台所へと下がり、給仕の支度を始めていた。
「えっと、今日は『新入職お披露目の儀』があるので、晶ちゃんは出かけます。補佐役と護衛役と神一名同行義務があるので、あとで誰かに頼むからよろしくね」
朝一番に本日の予定を伝えるのがこの御社の習わしになっていた。
「そんなわけで今日は時間がないみたいだからちゃっちゃといくね」
そして、水晶が手を合わせると、みなもまた手を合わせた。
「いただきます」
「「「「「いただきます!」」」」」
さあ、今日も一日が始まる。
閲覧頂きありがとうございました。
しばらくほのぼのターンが続きます。また次回もお付き合いくださると嬉しいです。