紅玉とあざみ
その一言に紅玉は思わず驚いてしまう。
「四大華族だったのですか!?」
「そう。知の一族の跡取りなの、アタシ。ちなみに二十八の神子は、アタシの弟」
そう言いながら、あざみは焼き菓子を一口頬張り、「ん~! おいひっ!」と喜びの声を上げた。
「……驚きです」
「まっ、アタシ自身、自分が四大華族のことは公にしたくないし、敢えて言う必要もないし」
幽吾は勿論、蘇芳が四大華族だということも驚きだったのに、まさか学友のあざみまでもが四大華族だと誰が想像できただろうか。挙句、二十八の神子がその学友の弟というおまけ付き。
「で、前部長がアタシの叔母ってわけなんだけど……あのババア、ホントに知の一族の血ぃ引いてんのかレベルで、バカでアホでポンコツで」
「少々言葉が過ぎますよ、あざみ」
一応あれでも己の部署の頂点に君臨していた人なのだから。あれでも――という言葉を呑み込んだ。
「いーのよ! じゃなきゃこんな状況になりえなかったでしょ!? 部下の不祥事の責任は上司の責任! これ常識!」
「流石です」
少し胸の内がスッキリした気がした。
「ま、当然ながら叔母は即刻クビ。今頃はママにビシバシしごかれているでしょうね。んで、とりあえずアタシに神子管理部部長の白羽の矢が立ったわけ」
「……とりあえず?」
その問いかけにあざみは頷く。
「代々神子管理部の部長は知の一族の女性が担っていたんだけど、本家に通ずる女性がおばあちゃまとママとバカ叔母とアタシといとこしかいなくてさ……あ、知の一族は元々女性主体の一族なの」
「まあ、珍しい」
今でこそ働く女性が当たり前のようにいる時代だが、それが遥か昔からとなると珍しいだろう。
「おばあちゃまは現当主で、ママは次期当主、いとこはまだ学生だから難しいからさ」
「なるほど。それでとりあえずあざみに白羽の矢が立ったと」
「そっ!」
部長就任の理由を説明し終えたところで、あざみはまた一口焼き菓子を頬張った。
紅玉も学友が神域管理庁に来た理由に納得したところで紅茶に口を付けた。
「で、外務省からわざわざ出向してやったんだから、とことんやろうと思ってさ! そんな訳で色々厳しく取り締まっているってわけ!」
「流石ですわね」
「当然! どんなにグチグチ文句言われても、アタシはやるわよ!」
「ふふふっ、貴女は本当に変わらないですわね」
「ふふんっ、もっと誉めてくれてもいいのよー」
「はいはい」
学生以来の軽いやり取りに紅玉は思わず微笑みが零れる。
その気心知れた会話は、どことなく幼馴染達との会話を思い出させて――浮かぶ涙を誤魔化すように紅玉は紅茶を飲む。
「……そう言えば、とりあえずってことは、いずれは外務省に戻りますの?」
「まあねー。これでも一応外務省の重要な役目を任されているし、いつまでも神域管理庁にいるわけにはいかないわー」
「まあ、その若さで? 流石ですわね」
「今、おばあちゃまが当主の仕事をママに一任するためにいろいろ準備しているから、それが終わるまでね」
「つまり、次の部長はあざみのおばあ様ですか?」
「そうよ。これでやっと引退できると思ったのにっておばあちゃまプリプリしてたわ。まあ、せめてアタシがいる間にいろいろ神子管理部の引き締めをして、おばあちゃまが少しでも楽になればいいけど」
「ふふふっ、おばあ様想いですわね」
「ま、おばあちゃまには可愛がってもらってるし。お年寄りは大切にしないといけないし」
「あらあら」
いつの間にかあざみは焼き菓子を食べ切ってしまった。
「……ねえ、紅、仕事楽しい?」
「ええ、楽しいですわ。毎日何かと忙しいですけど、神子と神様をお守りする事が、国の繁栄に繋がり、果ては大切な人を守ることにも繋がる……とてもやりがいのある仕事ですわ」
「…………ホントに?」
「え?」
あざみの大きくつり上がった躑躅色の瞳が紅玉を真っ直ぐ射抜く。
「聞いたわよ。アンタ〈能無し〉って呼ばれているって」
「…………」
「神力がないから〈能無し〉? ばっかじゃないの!? 神域のヤツら!」
「……神域では、それが常識ですから」
「だから、その常識がバカじゃないって言っているの! 紅も紅よ! なんでそんな惨めな思いをしてまでここにいるの!?」
「わたくしは惨めだなんて思ったこと、一度もありませんわ」
「だとしても、ここにいようとするその理由は何!? アンタの能力ならもっと上に行ける。その力を活かせる世界がたくさんある! こんな狭い世界なんかに勿体ないわ!」
かつて己の進路をあざみに伝えた時、全く同じ事を言われた事を紅玉は思い出す。
「相変わらず、貴女はわたくしをそのように評価してくださるのですね」
「当たり前よ。アンタはこのアタシが生涯で負けを認めた数少ない内の一人なのよ」
「まあ、光栄ですわ」
紅玉は嬉しくてころころと笑う。
そんな紅玉にあざみは手を差し出した。躑躅色の瞳があまりにも真剣で、紅玉は思わずハッとする。
「……もう一度言うわよ。アタシと一緒に来て、紅」
「………………」
「アタシの仕事を手伝って欲しい。アンタにはそれだけの価値があるわ!」
認めてくれる存在が居てくれる事がなんて嬉しい事なのだろう。
だけど、同時に申し訳なく思う――己の答えは決まっているのだから。
「……ごめんなさい」
「………………」
苦笑いをする紅玉に、あざみは眉を顰める。
「……引き摺っているの? 幼馴染のこと」
「……流石ですわね。調べていたのですね」
「……まあね」
流石は、やるならとことんやると断言していただけはある。きっと「あの事件」の事も知っているのだろう……。
「引き摺っている……と言えば、引き摺っていますわね……わたくしにとって永遠に忘れられない……忘れてはいけないことだから……」
未だに忘れられない胸の痛みに紅玉は目を伏せた。
「……だったら――」
「――でも、それとは関係なく、わたくし、このお仕事が好きなの」
真っ直ぐな漆黒の瞳に射抜かれて、あざみはハッとした。
「わたくしの後輩二人は現世を知らない、神域で育った純粋な子達……まだまだ教えなければならない事がいっぱいあるし、あの子達の成長を見守りたい。晶ちゃん……わたくしの妹は酷いぐうたらさんだしお寝坊さんで、もう本当にどうしようもない子だけど……神子としては大変立派なのよ。もう思わず呆れてしまうくらいに。だからこそ、悪意から守らなくてはいけませんわ」
〈能無し〉と罵られても紅玉が働き続けられてきた理由は、
「神様達は自由奔放過ぎるから時たま叱ってやらないと勝手ばかりで放っておけませんし、同期の生活管理部は女性問題を抱え過ぎていて見張らないといけませんし、他にもたくさん仕事の仲間達がいて、彼らと一緒に働ける事はわたくしの誇りです。それに……」
紅玉という人を認め、大切にし、守り、
「……それに……尊敬する先輩に恩返しがしたいの……たくさんお世話になっているから……」
支え続けてくれた人がいたから……。
あざみはそう確信していた。
「だから、わたくし、辞めるつもりはありませんの。例え〈能無し〉と罵られ続けようとも」
「…………相変わらず、頑固ね」
苦笑いをするあざみに紅玉は頭を下げる。
「ごめんなさい」
「あーあ! もったいなーい! 紅なら間違いなく出世街道まっしぐらなのにー!」
あざみは残りの紅茶を一気に飲み干すと立ち上がった。
「さってと、フラれちゃったし、次の現場に行きますか」
「……あざみ」
「ん?」
「ありがとう、あざみ」
紅玉は柔らかく微笑んだ。
そんな紅玉の微笑みを見て、あざみは悪戯っぽくニヤッと笑ったのだった。
*****
御社の門まで戻ってくると、いつの間にか卓や椅子が用意されていて、幽吾と鷹臣は水晶とともに着席し、十の御社の職員達からもてなしを存分に受けて、すっかり寛いでいた。
遠目から見ても緊張感の抜けた表情になっている幽吾と鷹臣を見て、あざみは少しイラッとして、大きく息を吸い込んだ。
「幽吾! 鷹臣! ボサッとしない! 次の御社に行くわよ!」
「「御意!!」」
幽吾と鷹臣が慌てて立ち上がったのを見て、胸の内がスカッとした。
一方、そんな幽吾の行動を見て驚いたのは鞠だ。
「Oh……ユーゴさん、スナオデース」
「言うこと聞かないと脅されるからね……敵に回すとおっそろしいんだよ、あのお嬢ちゃま」
「はい、黙りなさーい。幼少期の恥曝すわよ」
「それ、盛大なブーメランになることお忘れなく」
そんな幽吾の言葉に気にした様子も無く、あざみは紅玉の方を向いて手を振る。
「じゃあね、紅」
「部長の仕事、大変だと思いますが、期待しておりますわ」
「勿論、期待以上の働きをしてやるわ!」
「ふふふっ、流石です」
紅玉が楽しそうに笑っているのを見ていると、少しモヤモヤはあるものの、蘇芳の顔も思わず綻んでしまっていた。
そんな蘇芳を横目でチラリと見ながら、あざみは懐中時計を取り出す。時刻は間もなく十五時半だ。
「次、目的地、二十二の御社」
あざみがそう命じれば、鷹臣が転移の神術の術式を描いていく。やがて神術が発動し、辺りが神力の光で輝き出す。
転移の術式に三人の身体が包まれていく中、あざみは紅玉に手を振り――ほんの一瞬、蘇芳に視線を向け、何かを呟く。
(――えっ!?)
目を見開いた蘇芳の目の前で、転移神術が発動し、あざみ達の姿は消えてなくなってしまった。
驚きに立ち尽くす蘇芳だったが、「パンパンッ!」と手を叩く音にハッとする。
「さあ、お仕事に戻りますわよ。ほら晶ちゃんも」
「うみゅ~~~書類やだぁ~~~」
「ダメです。ほぉら」
「うみゅ~~~」
そんな紅玉の姿を見て、鞠と空は笑う。
「ベニちゃん、Happyデース!」
「やっぱり学生時代のお友達さんと会えて嬉しかったんすよ」
紫も二人に意見に頷きながら呟く。
「お友達に見せてくれたあの笑顔と優しさ、僕にも見せてくれないかなぁ……」
「とっとと仕事に戻りなさーい、紫様」
「はいはーい……」
現実は世知辛いものだ。
ふと、蘇芳の様子がおかしい事に紅玉は気付く。
「蘇芳様、どうかなさいました?」
「い、いや、何でもない……仕事に戻ろう」
屋敷へ足を向けながら、蘇芳は考えてしまう。
あざみが最後に呟いた言葉のその意味を。
自分の異能を知った上で呟いたとしか思われないあざみの思惑を
「自分が化け物ということをお忘れなく」
思わず拳を握り締めてしまう。
(あれは、つまり…………)
一人深く思案して難しい顔をしている蘇芳に、紅玉は近付く。
「蘇芳さ――」
『ぴよっ! ぴよぴよっ! ミズモリからデンレイです!』
突然目の前にひよりが現われるが、紅玉は驚くことなくひよりを手の上へと導く。
「水森様? あら、珍しい」
水森は紅玉の友人である一果の夫である。
「もしもし、紅玉で――」
『紅玉さん! 助けてくれ! 一果が!』
水森の切羽詰まった声に紅玉は息を呑んでしまう。
『一果が! 一果がぁっ!!』
「水森様、どうか落ち着いて。今すぐそちらに参ります。伝令繋ぎながら状況を教えてもらえませんか?」
水森は大分錯乱していて会話が成立しない。これは直接向かった方が良さそうだと判断した紅玉は蘇芳を見た。
会話を聞いていた蘇芳も即座に行動をする。
「紫殿、すまないが……!」
「うんうん、行っておいで」
「オヤシロはオッマカセデース!」
「早く行ってあげてくださいっす!」
背中を押して送り出してくれる三人に蘇芳は感謝しかなかった。
「紅殿、行こう」
「ひゃっ!?」
突然の浮遊感に紅玉は驚いてしまう。蘇芳が軽々と抱え上げたのだから。
「しっかり掴まっていろ!」
「は、はいっ!」
そして、蘇芳は一気に跳躍して御社を飛び出した。
向かう先は乾区遊戯街にある喫茶店「無花果ノ樹」。
<おまけ:進路>※紅玉大学時代の話
「はあっ!? 神域管理庁に就職するの!?」
「ええ」
「何で! 何で!? 紅の能力なら活かせる世界がたくさんあるし、間違いなく上に行ける! 勿体ないわ!」
「嬉しいですわ。そのようにわたくしを評価してくださって」
だが、紅子の心は決まっていた。
「これは、わたくしの夢なの」
「神域管理庁に入る事が夢……? アンタ、そんなに神様が好きなの?」
紅子は首を横に振る。
「わたくしの大事な幼馴染が神子様なの」
「幼馴染……?」
「ええ。小さな頃からずっと一緒で仲良しで、こんな変わり者のわたくしを受け入れてくれて、守ってくれて、支えてくれて……かけがえのない大切なわたくしの親友達」
「…………」
「わたくしは、神子様としてこの国を守ってくれる幼馴染達の力になりたい。わたくしの自慢で誇りの幼馴染達を守りたい……だから、わたくしは神域管理庁に就職して、神子様を守る仕事に就きたいの」
その信念はとても美しく尊いものだ――だが。
「理解できないわ!」
「っ!」
大きなつり上がった瞳が紅子を射貫いた。
「アタシと一緒に来て、紅!」
「…………」
「アタシと一緒に働いて欲しい! アンタにはそれだけの価値があるわ!」
「…………」
その誘いはただただ嬉しい。認められて嬉しくない者などいない。
故にその返事をするのは辛かった。
「ごめんなさい」
「……っ……なんでよぉ……っ!」
「……ごめんなさい」
「絶対大出世できるのに! 絶対世界に羽ばたける女性になれるのに……っ!」
「……ごめんね」
「後悔しても知らないんだからねっ!」
紅子は涙に濡れた大きくつり上がった瞳を見つめ返した。
「後悔なんてあるはず無いわ。絶対に」
そう言って、紅子はふわりと笑った。