部長との面談
水無月の二十八日――この日は神子管理部部長の面談日であった。時刻は十四時五十分からなので、昼食後から十の御社はお客様を迎える準備に忙しくなっていた。
十の御社中にばら撒いていた紙人形が掃除の仕事を終えて、己の手の中へと戻ると、空と鞠は勝手口から台所を覗いて敬礼をした。
「先輩! お掃除終わりましたっす!」
「オヤシロのソトもピカピカよー!」
「お疲れ様です。空さん、鞠ちゃん」
台所から良い香りが漂ってきて、空と鞠は思わず中へと足を踏み入れた。
「紅殿、茶は緑茶じゃなくて紅茶でいいのか?」
西洋の急須を持った蘇芳が尋ねた。
「はい。アッサムのストレートで」
「ア、アッサム……アッサム?」
「棚の一番左。オレンジ色の缶ね」
紫は蘇芳に指示しながら焼き菓子の準備を整えていた。
甘く美味しそうな香りが辺り一面に漂う。
「Wow! cheesecakeデース!」
「紅ちゃんのお手製だよ」
「わあい! 先輩の手作りー! あとで食べようっすー!」
喜ぶ鞠と空の横で、水晶がつまみ食いをしていた。あと、つまみ食い常習犯で有名な男神の栗丸も。
「お客様は神子管理部部長とその側近の二名なので、お茶もお菓子も三人分準備してくださいまし」
蘇芳と紫にそう言いながら、紅玉はつまみ食い犯二名の頬を引っ張りながら現行犯確保する。犯人二名は「いひゃいいひゃい」と情けない声をあげていた。
「茶の準備はできたぞ」
「ケーキも準備完了だよ」
「ありがとうございます。蘇芳様、紫様」
綺麗に整えられた客用の茶と焼き菓子を見て、思わず達成感に浸るが、面談はこれからである。
「それにしても、ただの面談の為にここまで準備しなくてもよかったんじゃ……」
「そうですね。もしかしたら召し上がらずお帰りになるかもしれません。ですが、側近の一人が幽吾さんだと思うので、用意しておいた方がいいと思って」
「そうなのか」
蘇芳は驚きつつも納得した。
恐らく面談をするのは部長と紅玉と空だけであって、側近二名は恐らくどこかで待機するのだろう。
十の御社と何かと縁のある幽吾だ。しかも時間帯は丁度御八つ時。人をからかって楽しむような笑顔で遠慮することなく、手を差し出して何かしらの菓子を要求してくる様子が目に浮かんだ。
「……もしかしたら部長もこれなら召し上がるかもしれませんし……」
紅玉は小さな声で呟いた。
「うみゅ、それにしたって準備万端過ぎやしないか? 面談はまだでしょ?」
「いえ、これでいいのです」
「うみゅ?」
首を傾げる水晶にそう言いながら紅玉は懐中時計を見た。時刻は十四時三十五分くらいであった。
「先輩、そろそろお出迎えの準備をした方がいいっすよね?」
「はい、空さん。よくできました。参りましょうか」
「おっす!」
元気よく敬礼をしたのは空だけで、他の面々は頭に疑問符を浮かべている。
重ねて言うが、面談は十四時五十分からだ。
訳が分かっていない者を代表して、蘇芳が紅玉に尋ねる。
「……もう出迎えをするのか?」
「ええ。そのようなご指示ですので」
「指示?」
「わたくし達は、すでに部長に試されているという事です」
紅玉が差し出してきた面談に関する書類を見て、蘇芳は目を見開いてしまった。
紅玉と空の他、水晶や蘇芳、鞠や紫も出迎えの為、門の前へ到着する。
神々まで出迎えしてしまうと流石に仰々しいので、屋敷の中で待ってもらっている(窓にへばり付いて外を見ているが)。
そして、待機してしばらく経った頃――時刻で言えば十四時四十分――転移神術の紋章が地面に浮かび上がった。
神力を渦巻かせて現れたのは、一人の女性と二人の男性――神子管理部部長のあざみと側近の職員二名。
あざみは会議の時に着ていた赤色の服ではなく、本日は柚子のような色合いの服に大きな花飾りのついた帽子を被っていた。
そして、側近の職員の内一人は紅玉の言う通り幽吾だった。
事前に転移神術が使用されると通達は受けていたものの、万が一に備え、蘇芳は警戒を怠らない。鞠と紫もやや緊張した面持ちだ。
紅玉と空はあざみに一礼をして出迎える。
「お待ち申し上げておりました、あざみ部長。十の神子補佐役の紅玉と申します」
「同じく空です」
二人の丁寧な出迎えにあざみは嬉しそうににっこりと微笑む。
「わざわざお出迎えありがとう。だけど、面談は十四時五十分からのはずよね? どうしてこんなに早く出迎えてくれたのかしら?」
首を傾げるあざみに空が姿勢を正して応える。
「面談のお知らせの書類に、『面談時刻の十分前には出迎えの準備をしてください』と指示が書いてありましたので、十分前には出迎えの待機をしました」
空の答えにあざみは嬉しそうににっこりと笑う。
「若いのにしっかり書類を読んでいて感心ね。だけど、部長の私の指示だから十分前の出迎えをしてくれたという事かしら?」
その問いかけに空は少し戸惑ってしまう。
「い、いえ。先輩が、十分前行動は大事だと教えてくれたので……」
思わず空は隣に立つ紅玉を見てしまう。
紅玉は空に微笑みかけると、空の言葉を引き継ぎ、付け足した。
「彼に十分前行動は社会人としての嗜みで常識だと、わたくしが指導しました」
「なるほど。良い指導だわ」
「はい。かつてわたくしも、友人にそう教えられたものですから」
紅玉はそう言ってあざみににっこりと微笑みかける。
あざみもまたにっこりと唇を弓なりにさせて笑う。
「ふふふっ、うふふふっ」
あざみの笑い声だけが辺りに響く。
しかし、誰も笑う事ができない。微笑んでいるのは紅玉ただ一人だけ。
独特な緊張感に誰もが冷や汗を掻いたその時――。
「合格っ!! おっめでとうっ! 素晴らしいわ! 完璧よっ!」
ぱんぱかぱーんという祝福の音が鳴り響くが如く、あざみが絶賛の声を上げた。
これには誰もがポカンとしてしまう――紅玉を除いて。
「いやもうホント完璧! いや今までだってね、十分前行動できている人はいたっちゃいたのよ。でもね、『書類に書いてあったから』までは答えられるんだけど、じゃあアタシの命令だからそうしたの? って聞いたら、大概みんな言葉に詰まっちゃって。社会人なんだから十分前行動くらい自然にできて当たり前でしょ!? 一体何年社会人やってんですかぁ~? って感じよね!? なっさけないわねぇ~神域管理庁! 神子管理部! 一から出直してらっしゃいよ! ま、それでも十分前行動できていないやつらよりはマシか。最低限書類を読んでいたって事で及第点はつけておいたわ」
まさに機関銃の如く良く喋るあざみに、誰もが呆気にとられてしまう――紅玉を除いて。
「それに比べて、さっすが紅! 後輩君への指導も完璧だし、わかってるぅ~!」
「……やっぱり、貴女でしたのね」
紅玉はついに確信する。あざみが何者であるのかを。
「あ、やっぱ気づいてた?」
「神域では仮名で名乗りますし、髪の色は違いますし、確証は持てなかったのですが……この意地の悪い書類の書き方を見て、貴女だと」
「ひっどーい、そんな言い方ぁ」
「今回のこの面談……神子管理部の心構えを判定すると同時に、社会人としての心構えの判定もなさっているのでしょう?」
「当然。神子管理部たるもの、できなくてどうすんのよ」
「事前書類で通達しておくにしても、書類の端に……しかもこんな小さく書くなんて。意地が悪いにも程があります」
「重要書類を端から端まで読まないやつが悪いんですぅ~」
神子補佐役の紅玉と神子管理部部長の、初対面とは思えないあまりにも軽快過ぎる速いやり取りに、誰もが混乱寸前だ。水晶だけ飽き始めたのか、さっきの焼き菓子を一人もぐもぐと食べていたが。
「せ、先輩?」
「ベ、ベニちゃん?」
「べ、紅殿……?」
「紅ちゃん、お願い、ちょっとストップ。これは一体どういう事?」
ようやっと出てきたのは、そんなありきたりな質問だった。
「ああ、すみません。彼女……いえ、この方は」
「この方だなんて仰々しい呼び方いいわよ」
「ですが、貴女は一応わたくしの上司に当たりますから」
「頭かったいわねぇー! いいじゃん! 大学時代の同期ってことで許してあげるわよ」
その一言に全員目を剥いた。
「「「「「大学時代の同期ぃっ!?」」」」」
驚きの声を上げたのは十の御社の者達だけではない。側近の幽吾達まで驚きを隠せないでいた。水晶だけはキョトンとしていたが。
「神子管理部の新しい部長さん、先輩のお友達っすか……!」
「そうよ、後輩君。ちなみに二十二の神子こと鈴太郎も同期よ」
「Really!?」
「そうだったのか……!」
蘇芳の脳裏に、神子でありながら非常に地味な色合いのひょろひょろと女性よりも線が細く背の高い男の影が思い浮かぶ。
鈴太郎はかつて蘇芳と同じ神域管理庁の職員で、紅玉の同期入職でもあったので付き合いはそれなりに長いのだが、まさかその鈴太郎が紅玉と同じ大学の出身とは知らず、純粋に驚いてしまう。
今までそんな話を聞いたことがなかっただけに……。
目の前であざみと楽しそうに話をしている紅玉が遠い存在に感じてしまって、蘇芳の胸の奥底で黒い靄がかかったような気がした。
すると、あざみが紅玉の腕を組んで意気揚々と歩き出す。
「さってと、久々の再会なんだから、ガールズトークするわよぉっ!」
「あの……面談……」
「大丈夫大丈夫! 紅の優秀さは同期のアタシが保証するわ! 勿論、その後輩君もね!」
「え? あ、ありがとうごさいますっ……す?」
これでいいのだろうか? という思いが勝ってしまい、思わず疑問系になってしまう。
「あ、幽吾に鷹臣。十五時半になったら次の御社行くからそれまで休んでていいわよ」
「「御意~」」
心なしか二人の声が弾んでいる。
これまでどれだけ働かされてきたのだろうか、この二人……と、紅玉は思う。
「べーにっ、お茶菓子なあに?」
「貴女の好きなチーズケーキ用意しておきましたわ」
「やったぁっ! さっすが紅! わかってるぅっ!」
そんな他愛のない話をしながら、二人は屋敷の中へと入っていってしまった。
残された者達は未だに驚きから解放されず、ポカンとしている。
「オドロキーモモノキーヨー……」
「おっす……」
ようやっと口にできたのもありきたりなそんな言葉だった。
「神子ちゃんは知ってた? あの紅ちゃんの同期っていう部長さんのこと」
「うみゅ……りんたろーは葉月ねーちゃんの友達だから知っていたけど……あのおねえちゃんは知らない」
「そうなんだー」
そして、紫はつい気になってその質問を口にする。
「そういえば、紅ちゃん達ってどこ大?」
「うみゅ……名前は伏せとくけど、某T大」
「「「「え?」」」」
驚きの声を発したのは紫だけではない。蘇芳も幽吾も鷹臣もだった。
そんな声が重なってしまうほど、その答えは衝撃だったようだ。
「T大って、あのT大……? 我が国の首都にあり、我が国一の超難関校の国立大で、名門と名高いあのT大ぃいっ!?」
「うみゅ……ゆかりん、うっさい」
神域生まれで神域育ちの現世を知らない空と鞠もどうやら見知らぬ大学の凄さがわかったようで。
「それって先輩、すっごいってことっすよね!?」
「Wow! ベニちゃん、ユーシューデース!」
誇らしげに笑って言った。
「改めて紅ちゃんのすごさを痛感するよ……」
「あ、ああ……」
幽吾と蘇芳も改めて紅玉の優秀さに感心していた。
すると、鷹臣が首を捻った。
「なんでそんな優秀なのに神域管理庁なんかに就職したんだろうな? 他にももっとイイ就職先あっただろうに」
その一言に蘇芳はハッとする。
紅玉が神域管理庁に就職した理由――蘇芳はそれを聞いたことがあったからだ。
思い出すのは三年前、新人の紅玉の研修担当になった時に紅玉から聞いた話だ――。
「神域で神子として働く幼馴染達の力になり、守りたいからです。彼女達はわたくしの自慢で誇りですから」
柔らかな笑顔でそう言った紅玉に蘇芳は見惚れてしまった――。
あの時の言葉を思い出してしまい、蘇芳は切なくなってしまう。無意識に歯を食い縛り、拳を握り締めた。
「せーんぱい。神域管理庁だって就職難しいことお忘れなく」
「あーはいはい、そーだな。ていうか就職難関になっている原因の一つはお前の鬼畜試験だからな」
「人々の税金からお給金頂いているんですから、それ相応の能力と覚悟のある人間じゃないと勤まらないですからね~」
幽吾と鷹臣の会話に耳を傾ける余裕もなかった。
そんな蘇芳の様子に水晶が気づく。
「……すーさん」
「っ!」
「気にしなくていいよ。この道を選んだのはお姉ちゃん自身。後悔なんてあるはずない」
「…………」
恐らく水晶の言う通りだろう。紅玉は己の選択に後悔などない。
後悔しているのは、守りたかった者を守りきれなかった事を……。
「はっ」
水晶に軽く頭を下げながら、蘇芳は改めて決意する。
(だから俺は彼女の力になると決めた。二度と紅殿が悲しみにくれないように……)
そんな蘇芳に水晶は小さく微笑んだ。
そして、言った。
「それにしても、あれはイイちっぱいだったのぅ。スレンダー美人にはつつましちっぱい。うみゅうみゅ、イイ目の保養ですなぁ」
「…………」
ちょっと台無しである。
「さ、流石、神子ちゃん……見るとこ違う……でも、確かに部長さん、美人だったねー。ねっ!蘇芳くん」
「ああ……? はあ……?」
「……うんうん、見事に興味ナッシングだねー。爆ぜろリア充」
紫が訳のわからないことを言っている。どう見ても紅玉の方が魅力的だというのに――と思いつつ、ふと思う。
(あの部長の顔……見覚えが……どこで見たんだったか……?)
そう首を捻っていると、幽吾が隣に立ち囁く。
「……四大華族……」
「っ!?」
「あれは、知の一族のお嬢ちゃまだよ」
その一言で蘇芳は思い出す。
七年前、満開の桜が咲く皇族御自慢の庭園で開催された祝いの席――皇族の愛されし姫君の生誕を祝う盛大な席――。
盾の一族としてというよりも、兄の付き添いで参加したその席で、蘇芳は確かに見た。
意志の強そうな大きなつり上がった瞳を持つ知の一族の次期当主候補の未成年の娘を。
<おまけ:灰色の世界>
ここは神域ではなく、現世。現世の皇族が所有する庭園の中だ。
桜が見頃を迎え、まさに満開。姫の生誕を祝う席に添える見事な咲きぶりだ。
しかし、満開の桜を見ても、梅五郎の心はちっとも晴れやかにならない。
何故ならこの祝いの席に参加している誰もが、梅五郎の強靭な身体を見て恐れ、影で梅五郎の事を囁き、梅五郎を奇異なものとして見た。
そして、悲しい事にそれは、梅五郎の被害妄想ではなく事実である事。
現世に居ても尚、己の人並み外れた身体能力は周囲の人々の視線も声も気配も察知してしまうのだ。
(……不快な場所だな……ここは……)
出来る事なら参加などしたくなかった。皇族や四大華族が集まる席など。
だが、皇族の中で最も愛されている姫君の生誕の祝いの席となると、そういかない。しかもこれは皇帝陛下の勅命なのだ。断る事などできるはずがなかった。
(……早く終わって欲しい……)
思わず溜め息を吐きたくなる気持ちを必死に堪える。
(……叶うのなら、目を瞑り、耳を塞ぎ、姿すら消してしまいたい……)
そんな事を考えながら、参加者達に挨拶をしていく兄の後ろにひたすら立ち続ける。
「……梅、大丈夫か?」
「問題ない」
挨拶が途切れたところで兄が自分を心配するように何度も声をかけてくれる。それだけが唯一の救いだった。
その兄だって現役の神子で日々忙しく働いているというのに、勅命の為にわざわざ御社を離れて宴に参列しているのだ。
自分だけが我儘を言う訳にはいかない。
「もうちょいで全員に挨拶が終わるからな。それまでの辛抱だ」
「ああ」
兄が自分の分まで挨拶をしてくれている事も非常に助かっていた。あまり人と交流をした事が無い梅五郎は会話どころか人のあしらい方も苦手だ。
どうやら四大華族の出身というだけで群がる輩いるようで……要は自分の娘を是非紹介させて欲しいという話題がいくつか上がっているのだ。
兄はその辺の応対も上手なので非常に強い味方であった。
(……結婚、か……)
蘇芳も二十二歳だ。そのような話が出てもおかしくない。
だが、蘇芳は盾の一族内で特殊な立ち位置にいる存在だ。
その原因を作ったのは己自身――当主である祖父と次期当主の父を、幼き己が八つ裂きにしてしまったから……。
そのせいで蘇芳は祖父からも父からも見捨てられ、最早盾の一族として迎え入れられているのかさえ不明だ。
(どちらにせよ、俺には関係のない話だ……)
ちらりと周囲を見回せば、華やかな装いに身を包んだ女性達が楽しげに微笑む光景なのに――蘇芳にはそれが灰色に見えた。
満開の桜も、豪勢な料理も、澄み渡る青空も、何もかもが蘇芳にとっては灰色だった。
(こんな化け物の俺を愛してくれる存在などいるはずがない)
そんな事を思いながら、蘇芳は兄が応対している若い娘を見た。
意志の強そうな大きなつり上がった瞳が印象的だなと、ぼんやりと思いながら……。