【番外編】四十六の神子補佐役の観察日記
時期:二章開始直後 卯月十八日
※三章まで未登場のキャラクターがメインです
※ほんのり紅玉と蘇芳は出てきます
四十六の神子補佐役の燕と言えば、みな口を揃えてこう言うだろう。
冷静沈着の麗人、と。
実際、燕は仕事を任せれば文句言わずにそつなくこなし、意見を求めれば倍以上の収穫が得られる回答を返してくれる非常に有能な女性職員であった。
しかし、冷静沈着と聞いて冷たい性格の女性かと思いきや、話せば涼やかな声できちんと返してくれるし、柔らかな微笑みもくれる温厚な人柄でもある。
これだけ有能で性格も良好であれば、さぞかし異性からの声かけが凄まじいと思うだろう。だが、残念な話、彼女は異性からの人気はあっても告白されるという事はほとんどなかった。
何故ならば彼女は、肩より短い銀混じりの黒髪と、冷静さを窺える切れ長の深海色の瞳と、起伏の無い細く高い身体を持っていたからだ。
要は物凄くかっこいい女性だったのだ。
そんじょそこらの男性にはつり合わない高嶺の女性なのである。
だがしかし、燕はその事を気にした事が一切ない。
それは彼女の家の事情も関係してくるのだが――それよりも、何よりも、彼女にはもっと重要な事があった。
それは己の嫁ぎ先なんかよりも気になってしまう重要な事で、この三年はずっとその事で心が占められている状態だ。
故に自分の事など感けている暇などない。それよりももっともっともっとその事柄の方が重要なのである。
燕はそっと目の前の二人に視線を向ける。
一人はこの四十六の御社の神子の少女。まだ十七歳という若さである。
そして、もう一人は神子管理部の後輩であり、四十六の神子の幼馴染である少年だ。神子と同じ十七歳である。
現在二人は神子の仕事の息抜きと称し、広大な牧草地のような御社の庭園を散歩中であった――仲良く手を繋いで――その小指と小指にはひらりと揺れる赤い糸があった。
それを見て、燕は冷静な表情を一切変える事無く心の中で叫ぶ。
(尊いっ!!)
可能であるのならばこの大地に響き渡るくらい大声で叫びたい。だがしかし、そうすれば二人の楽しい散歩の時間を邪魔してしまうのでそれは絶対断固阻止だ。二人の邪魔をするくらいなら己の声帯を喜んで切除しよう――などという物騒な考えが過ぎりながら、再び庭園を散歩する可愛らしい幼馴染同士の男女二人を見守る。
そうこれは決して観察ではない。仕事である仕事。神子補佐役として神子を守るのが燕の重要な役目なのである。
そう言い聞かせながら、神子と後輩を見守っていると――二人が互いの顔を見合わせて微笑み合った。
瞬間、心臓が射抜かれたが――表情筋を一切動かすことなく耐えた。
(ああ尊い可愛い出来る事ならばあの二人の笑顔をこの網膜に永久保存したい……)
これが燕にとって重要な事柄であった。
燕はこの神域に足を踏み入れて目覚めた異能がある。
それは「番の赤い糸」という非常に変わった異能であった。
運命の赤い糸で結ばれた男女は惹かれ合い恋に落ちるという言い伝えがこの大和皇国にある。
そして、その運命の赤い糸らしきものが燕には視えるのだ。はっきりと。
最初は身近に赤い糸で結ばれている存在がいなかった為、異能に気付く事がなかったが、ある時に知り合ったとある男女を見た時、その二人の小指と小指が赤い糸で結ばれているのを見つけた。その時初めて燕は己の異能の力に気付いたのだ。
そして、気付いてしまう――その二人は互いを想い惹かれ合っているにもかかわらず、まだ恋人同士ではないという事を。
ああなんともどかしいことか! この二人がしっかり結ばれる瞬間を見届けなければいけない! むしろ私が見守らねばどうする!?
燕は可笑しな使命感に駆られるようになった。
そうして観察を続けていく内に気付いた事があった。
どうやら「赤い糸」が視えるようになるには、ある条件を満たさないといけないらしい。
一つ、二人が出会っているという事。
一つ、二人が心も身も清いという事。
一つ、二人が結ばれる運命へ歩み出している事。
この条件を全て満たさなければ、燕の異能を以ってしてでも、赤い糸を視る事は出来ない。
そして、この「赤い糸」は想像以上に儚く脆いものでもあり、せっかく結ばれたと思った翌日には糸が切れていたという事もざらにあった。それも切れてしまった原因は二人にはなく、例えば逃れられない残酷な運命だったり、横恋慕する性質の悪い人間の手だったり……。
世は残酷である――と、何度泣いた事か――。
故に燕は決めたのだ。
守るべきは赤い糸で結ばれた二人である! 自分の嫁ぎ先など気にしている余裕などない!
以来、燕の最重要事項として心を占めるようになったのは、赤い糸で結ばれる男女を見守り、そして消滅を阻止する事なのである。
四十六の神子補佐役に就任する際も、結構無理矢理、いろんな手を尽くして、最終手段として実家の力すらも使って、何とかその座を死守した。
どちらかと言えば、幼馴染の少年を同じ御社の職員として就任させる方が困難ではあったが、これに失敗すれば二人の赤い糸は間違いなく切れていたに違いないのだから。
さてさて、そんな燕が見守っている「番」は現在三組いる。
一組は己の御社の神子と後輩――ここは燕自身が常に目を光らせて保護に当たっているので問題はない。
もう一組は別の御社の神子と神子管理部の主任――こちらは己の後輩が神子補佐役を務めており、またその後輩が神子と就任の仲について気にかけているようなので安心して任せている。
問題は最後の一組である。この「番」こそ、燕が使命に目覚めるきっかけとなった重要な二人であり、あれから三年も経つというのに未だに結ばれないという非常にじれったい関係性の「番」であった。
常に見守るという事は出来ないが、せめて二人の赤い糸がきちんと結ばれているか、危機に脅かされていないか確認する為に、燕は休日の日にそこへ向かう。
十の御社の最寄りにある茶屋よもぎへ――。
卯月の半ばを過ぎた昼下がり、チリンと軒先に吊るされた風鈴が鳴る。
春の麗らかな日差しが注ぐ店の外に設置された畳の長椅子に燕は座り、できたてのみたらし団子を一つ頬張った。
もぐもぐと咀嚼している燕の目の前を、微笑み合いながら並んで歩く男女の姿――その小指と小指は今日もしっかり結ばれている赤い糸が。
(あ~~~~~~尊いっ!!)
そして、燕は今日も感謝する。あの二人を魔の手から守る全ての神に。
(今日も番の二人が尊くて幸せですっ!!)
両手を合わせ感涙しながら拝む――心の中で。
実際は表情筋を一つも崩すことなく、至って冷静な顔でみたらし団子を食べていた。実に器用な表情筋である。
燕は表情筋を少しも動かすことなく、去りゆく二人――十の御社配属の神子補佐役と神子護衛役の背中と小指に繋がる「赤い糸」を見つめる。
これが燕の休日の日課だ。
二人の「赤い糸」を見守り、尚且つ二人の仲が進展していないか見守り、そして二人の「赤い糸」が危機に晒されていないか確認する事
それこそ己に課せられた重要な使命であると燕は思っている。
(あ~~~あの身長差が堪らないっ! あのくっつきそうでくっつかない絶妙な距離感が滾るっ! いやくっつかないのはダメだろう!? いい加減くっついてくれっ!!)
燕は全力で畳の長椅子を拳で叩きまくる――心の中で。
実際は表情筋を一つも崩すことなく、超高速でみたらし団子を咀嚼していた。少し封じ込めていた気持ちが溢れ出てしまっているようだった。
燕はこれを使命だと思っているようだが、最早楽しみになってきているのかもしれない……本人は自覚していないが。
「お隣よろしいですか?」
「あ、はいどうぞ」
そう唐突に声を掛けられたが、燕は驚く事無く冷静に軽く微笑みながら対応した。
ふと、隣に座る人物を観察する。
それはあまりに美しい金色の髪であった。まるで日の出の如く輝く金色だ。一瞬〈神力持ち〉か、と思ったが、瞳が漆黒だったので違うと判断する。
髪や瞳に漆黒を持たない者こそが〈神力持ち〉と呼ばれる――この神域では常識である。
(それにしても随分と綺麗な男性だな)
燕の言う通り、その人は男性にしてはあまりに綺麗な造形の持ち主であった。
漆黒の瞳はぱっちりとしており、縁取る睫毛は女性が嫉妬する程長い。男性と呼んだが、青年と呼んだ方がふさわしい程、身体が細身である。一瞬、女性と見間違えてしまう程だ。敢えて残念というならば、着ている着物と袴がやたらと地味な柄でせっかくの美しい髪と不釣り合いな事と、その美しい顔を覆い隠す程の大きな眼鏡だろう。しかも昨今の時代には珍しい瓶底眼鏡である。
(なんとまあもったいない)
と思っても、服装は個人の自由なので燕がとやかく言う資格などないが。
ちなみに男性の小指には「赤い糸」は視えない。
「良い天気ですね」
「そうですね」
男性、いや青年がそう話しかけてきたので、ニコリと微笑んでそう返す。
麗らかな日差しが降り注ぐ中、燕はもう一口みたらし団子を頬張った。
「お待たせしました!」
茶屋の女性店員がどうやら青年の注文分を持ってきたらしい。チラリと横目で確認すると、青年が注文したのは同じみたらし団子だった。
ちなみに可愛い笑顔で去っていくその女性店員の小指にも「赤い糸」は視えない。
そうやってチラリ、チラリと前を過ぎ去る人や店にやってくる人の小指を確認していくが、赤い糸が結ばれている人間は極端に少ない上に、すでに赤い糸が切れている人の方が多い気がする。それを見つけてしまった日には激しく落ち込んでしまうので、速攻で記憶から消去しなければならない。
ふぅ――と思わず溜め息が出てしまった。
「何か悩みごとですか?」
そう声をかけられ、ハッとすれば隣に座る青年がみたらし団子を片手に瓶底眼鏡を通してこちらをじっと見つめていた。
思わず出てしまったとはいえ、自他共に認める冷静沈着の己に相応しくない溜め息だったと慌てて平静を取り繕う。
「いえ。溜め息が出る程、あまりに美味しいみたらし団子でしたので、つい」
「ああなるほど。確かにこのみたらし団子は美味しいですね。しかし、てっきり僕は恋煩いかと思ってしまいましたよ」
青年の言葉に燕は思う――ある種、恋煩いなのかもしれない……他人の恋だが。
すると、視界の端に件の二人が歩いていくのが見えて、燕は慌てて視線を前に戻す。
見れば、神子補佐役が神子護衛役に何やら不満を言いながら歩いていく。一方の神子護衛役は見るからに重そうな荷物を一人で持って運んでいる。よくよく見れば、神子補佐役は手ぶらであった。
(ああああああ尊いっ!!)
燕は咽び泣く――心の中で。
(二人で仲良く買い物に出かけたかと思いきや、護衛役は補佐役に決して負担をかけさせまいと購入したもの全て運んでしまうが、働き者の補佐役はそれが許せず不満を言いながら護衛役と並んで歩いているのだろう! だが見て欲しい! 護衛役のその顔を!)
神子補佐役を見つめる神子護衛役の顔は慈しみに満ちた優しい表情である。
(ああああ神よぉっ! ありがとうございますぅっ! 私に生きる糧を御恵み下さりありがとうございますぅっ! 尊い! 今日も番の二人がぁっ!)
「――尊いですね」
「えっ?」
「え?」
燕は一瞬、ほんの一瞬、己の本音が声に出てしまったのかと焦った。だがしかし、その声は間違いなく隣から聞こえたものであって――。
思わず燕は青年をまじまじと見つめてしまう。
そこにはキョトンとした顔の青年が座っていた。
意気投合は光の速さだったと思う。
「番の二人を見守る事が私の幸せで生きる糧で使命なんだと自負している。できれば最初から最後まで見守ってあげたいし、危機が訪れれば私は命をかけて戦うし、そのおかげで番の二人が結ばれるのであれば殉職だって本望だと思っている。しかし、やはり見たい、参列したい、赤い糸で結ばれた二人の結婚式!」
「ああわかります。できれば二人の可愛い愛の結晶の誕生も見守り、子育てにも全力で協力してあげたいですね。昨今は共働きも多いので、大変でしょうから何とか手助けしてあげたいですね。それでもって時々は二人きり仲良くどうぞ、二人目も楽しみにお待ちしておりますってやつですね」
「君、話がわかるではないか。全く以って同感だ!」
「当然です。昨今は少子高齢化ですからね。仲の良い素晴らしいご夫妻には是非とも励んで頂きたいですからね」
「素晴らしい考えだ!」
「ああ但し、きちんと先の事を考えられる二人でないと僕は応援できませんね。その場の雰囲気に呑まれ、致した挙句、結局破局やら育児放棄する輩などはご祝儀を倍にして返却頂きたいですね」
「全く以ってその通りだ!」
がっちりと燕は青年と手を握った。
「私は感動したよ。君のようなしっかりとした考えを持つ若者がいてくれていることに」
「僕も感動しました。まさか自分と同じ考えを持つ人が現われてくれるとは思ってもみなかったので」
「同感だ!」
ニコニコと笑う青年と語り合う事があまりにも楽しくて、燕はつい本音が出てしまっていた。
「実は……私の家族は冷静沈着な者達が多くて、私ももれなくその血を引いていて、なかなか表に感情を出せないというか、つい出さないようにしてしまうのが癖になっているんだ」
もう口にしてしまったので、訂正などできないが、燕は少し恥ずかしい事を言ってしまったなぁと反省する。
「そうなんですか……実は僕も。あまり自分の主張を強く言える立場ではなくて、自分の思いや考えを口に出さずに我慢して心に秘める事が多いんです」
青年の言葉に燕は驚くばかりだ。
「何やら私達は似た者同士らしいな」
「そのようで」
どちらからともなく静かに笑い合う。
「君さえよければ、またここで語り合おうではないか」
「よろしいんですか?」
「私は休日にここに来るのが日課だからな。何せ私の大事な使命がある。それに、私も君と話がしたい。好きな事を語り合うのが楽しいと知ってしまったからな」
「はい、では是非とも」
燕の言葉に青年は嬉しそうに笑った。
「私は四十六の神子補佐役の燕という。君は?」
「中央本部事務課の白搗です」
白搗の言葉に燕は少し驚く。
「中央本部の事務課に君のような若者がいたとは」
「こう見えて結構いい歳なんですよ」
「そうには見えないが」
どうやら白搗は冗談も上手いらしい。
「それでは、私は先に失礼するよ」
燕はそう言って、白搗の横に金を置き、立ち上がる。
「え? あの?」
「せっかく良い同士を見つけた記念だ。遠慮せず奢られてくれ。それに、私の方が先輩だからな」
燕はそう告げると、白搗が引き止める間もなく、店内にいた店員に声をかける。
「ご馳走様でした」
「ありがとうございました!」という可愛らしい声を聞き届けてから、颯爽はその場を立ち去っていく。ワクワクとした気持ちに足も軽やかになっているようだった。
(語り合えるって最ッ高!!)
燕は今日の出会いに感謝し、次回の再会を心待ちにするのであった。
20時に三章登場キャラクターまとめをアップします。
9月20日から四章投稿開始します。
今後ともよろしくお願いします。