それぞれのその後
妖怪の先祖返り達の契約が破棄されて二日経った……。
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かつての二十の御社と言えば、大和皇国伝統の建築様式の屋敷に、大和皇国独自の文化が取り入れられた風流な庭園のある御社であった。
しかし、現在の二十の御社に立派な屋敷も風流な庭園もない。あるのは、辛うじて広さはあるものの屋敷と言うよりは荒屋と言った方が似合う建物と祈りの舞台しかない狭い庭。
御社に住む神々は大変見目麗しい十五名の男神達……ではなく、大変見目麗しい十五名の女神。
そして、神々からの愛を一身に受けていた二十の神子の百合は……。
「あ、あの……右京君、左京君……これ、今日中に仕上げないとダメ?」
「「駄目です」」
山のように積み上がった大量の書類と大量の白紙の御札を目の前に愕然としていた。
「こちらの仕事を午前中に仕上げて頂かなくては午後からの神域の歴史の授業に間に合いません」
「また他の御社の神子様達からの手紙も頂戴しております。こちらの御返事もお早めにお願いします」
「もうっ! 何でこんなに仕事があるの!? ちょっとくらい休ませてよっ!」
思わず泣き喚く百合を双子は目を見開いて見つめた。
「おやおや。その仕事を今まで他人に押し付けて遊び呆けていたのは何処のどなたでしたっけね~?」
「一度落魄れていながらまだそんな甘ちょろい事を言っているのは何処のどなたでしょうか~?」
「うっ……」
チクチクとしつこい双子の小言は止まらない。
「立派な神子になってみせると堂々と宣言していたにもかかわらず、あまりもちませんでしたね~」
「所詮覚悟はその程度と言う事でしょう。流石は『汚名挽回する』と堂々と言っただけはありますね~」
「わかっていますぅっ! 真面目に働きますっ! は~た~ら~き~まぁすっ!!」
百合はべそをかきながら筆を手に取った。
彼女の厳しく険しい立派な神子への道のりはまだまだ先が遠そうである……。
*****
「今日から美月さんが帰省休暇で不在です。各自運行表確認してフォローをお願いします」
「「「「「はい」」」」」
午の門広場にある乗合馬車課の朝礼で課長からそんな申し送りがあり、真鶴は己の運行表を見つめた。
今日から四日間、普段美月が担当している運行の一部を自分が行なう事になっていた。
美月がいない分、自分達が働かなければならないのは仕方のない話だが、乗合馬車課の誰もがそれを不快に思う事は無かった。
思う言葉は皆同じ――。
(良かったな、美月)
(久々の帰省、楽しんできてね)
(お土産、楽しみにしているぞ)
課長は申し送りを更に続ける。
「それと、今日から新しい職員が配置される事になりました」
この中途半端な時期に珍しい、と誰もが思ったが、その職員の顔を見た瞬間、誰もが納得する事になった。
何故ならその職員はつい先日話題となった御社配属の職員だったのだから。
「神子管理部から転属となりました冬麻と申します!」
かつて愛用していた着物と袴ではなく、乗合馬車課職員が愛用する背広と下衣と長靴を身に纏い、肩より長かった髪を肩より短く切った冬麻のしっかりとした声が響き渡る。
当初、冬麻にも処分が検討されていたが、那由多の罪が明らかになり、冬麻への処分は参道町への異動だけとなった。
しかし、他ならぬ冬麻自身が百合を正せなかった己を赦す事ができず、神子管理部から生活管理部の転属を申し出たのだ。
積み上げてきた経歴を捨ててでも、冬麻の決意は非常に固かった。
「神域の皆様のお役にたてるよう、心機一転頑張っていきます! よろしくお願いします!」
乗合馬車の職員達は冬麻を温かな拍手で迎え入れたのだった。
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ここは神域管理庁現世管理棟――大鳥居を潜る前の場所だ。
神域への出入りを管理、現世の情報を神域へ伝達、現世に住む人間との面会の申請や場所提供など請け負う中央本部管轄の部署である。
そして、神域管理庁職員の帰省などの申請の受付もここだ。
「鬼島雷音さん、大原雅紀さん、間宮梨花さん――帰省申請確かに承りました。良い帰省を」
申請が無事通ったので、三人はほっと息を吐く。
「轟さん、天海さん、美月ちゃん」
仮名を呼ばれ振り返れば、紅玉が手を振って立っていた。隣には蘇芳もいる。
「紅ちゃん!」
「蘇芳先輩もお疲れ様です」
「何でおめぇら、ここに?」
「お見送りに来たのですよ」
紅玉はまじまじと三人を見つめた。
「それにしても……三人の現世の色は少々見慣れませんわね」
ここは神域管理庁管轄内ではあるものの現世側の土地である。神力に染まることがなく、生まれたままの色なのだ。
要は髪と瞳の色が漆黒というわけだ。轟だけ髪を脱色しているせいで明るい茶色だが。
「ま、すげぇ違和感だよな」
「天海なんて銀色に近い髪の毛やったから一番違和感やな」
「う、うん……」
「そうか? 俺様的に蘇芳が一番違和感あるぞ」
「ははは、よく言われる」
当然、ここにいる蘇芳も漆黒の髪と瞳になっているのだが――違和感よりも、漆黒も似合ってしまうのだから狡いなぁと紅玉は思ってしまっていた。
ふと、轟がじっと自分を見つめていることに気づき、紅玉は首を傾げた。
すると、轟は遠慮なく紅玉の髪を一房手に取った。
ギョッとする蘇芳と美月達に気にすることなく、轟は紅玉の髪をひたすら弄る。
「おめぇはほとんど変わってねぇ気が……」
「〈能無し〉ですから」
「あ、そっか。忘れて――」
「こンのあほんだらぁっ!!」
「ぐはぁっ!!」
美月の渾身の一撃が轟を遥か遠くに吹き飛ばした。
「このあらゆる意味でデリカシーゼロ!!」
「いてっ! いてぇっ! 踏みつけんな!」
「ごめんなさいごめんなさい紅玉先輩ごめんなさいごめんなさい蘇芳先輩!!」
轟への仕置きは美月に任せて、天海は珍しくすごく早口で紅玉と蘇芳に頭を下げまくった。
「いえいえ、いいのですのよ。轟さんのことですからわたくしが〈能無し〉ってことをうっかりお忘れだと思っておりましたので」
「いやそれも問題なんだが……」
しかし、どちらかと言えば、女性の髪に男性が無闇矢鱈に触れるということが大問題だ。特に紅玉に関しては。
その証拠に紅玉の隣で蘇芳が若干恐ろしい顔をしていることに天海は気づいていた。
「お見送り、わたくし達だけになってしまってすみません。全員が集まると少々賑やかになってしまいますので……」
「あの、幽吾先輩はあの後……」
「先日の件で謹慎処分となってしまったが、元気そうだったぞ」
蘇芳の言葉に天海はほっと息を吐いた。
那由多の悪事を暴く為に必要な事だったとはいえ、神域管理庁部外者を許可なく神域に招き入れた件で幽吾は謹慎処分が下った。それでも軽い処分で済んだ方だろう。
「三人の見送りに来られなくて残念だと、よろしく伝えてくれと言っていた」
「けっ、別に来なくていい。うっせーから」
いつの間にか復活を果たしていた轟に天海と美月はニヤニヤしながら言う。
「素直じゃない」
「素直やないなぁ」
「うっせうっせ!」
その一方で紅玉と蘇芳は気づいていた。三人のすぐ傍で烏がじっと見守っていることに――。
「あ、皆さん、忘れ物はございませんか? お財布、切符、着替えは持ちました? あ、あと、少し荷物になってしまって申し訳ありませんが、こちらはご家族へのお土産にどうぞ。朔月隊全員からです。文君のお店のお菓子で日保ちするものを選びましたがお早めにお召し上がりくださいね。あ、そうそう、お小遣いは足りていますか? 足りなければ少しお貸ししますよ。あと新幹線の乗り方とか電車の乗り方は――」
「どこのオカンだよ。大丈夫だよ」
呆れたように轟がキッパリと言った。それでも紅玉は少し心配そうに見つめていたが。
「あと、美月ちゃんにはこれ――天海さんにはこれを」
それはどちらも手紙だった。紫陽花の絵が描かれた綺麗な封筒の。
そして、紅玉はこっそり美月に耳打ちする。
「――轟さんのご両親に届けてくださいね」
「任せて」
それは轟が記憶を無くした事件以降の轟の日々を綴った手紙だ。それが轟の両親の悲しみを癒すとは思えないが、二人の知らなかった間の轟の事を伝えたくて書いたものだった。
轟に直接渡しても良かったのだが、元郵便課で夏希の思いを長年大事にしてくれた美月に紅玉はその思いを託す事にした。
「天海さんには……天海さんのお姉様宛の手紙です。先日提案させて頂いたお姉様の治療に関しての」
「!」
天海の姉の身体が弱い原因がその身体に流れる妖怪の血ならば、神力で満たされている神域で暮らした方が天海の姉の身体にも良い影響を与えるのではないかと思った事がきっかけだった。
実際、同じく身体が弱い水晶も神域に来てから酷い高熱を出したのは数えるくらいだ。
物は試しに金剛に相談したところ、やらないよりはまずは何かをやってみようという事であっさりその考えが採用となったのだった。
「すでに幽吾さん、大瑠璃主任、あと詩先生にもご協力頂けるようお願いをしていますので、是非ご検討ください」
そこまで話が進んでいる事に天海は思わず涙ぐんでしまった。
「ありがとう……本当に何から何まで、ありがとう……っ!」
「わたくしは何も。そもそもは皇太子殿下のご温情ですから」
「……んなわけねぇだろ」
そう真っ先に言ったのは轟だった。
「どう考えても、おめぇの……紅のおかげだろ。皇族神子に喧嘩売る無謀しやがって」
「あらあら、わたくし、怒られています?」
「ありがとう……感謝、してる……」
轟の言葉に紅玉は目を丸くした。
珍しく素直な気持ちを口にしたせいか、轟の頬と耳が赤く染まっている。
紅玉はふわりと柔らかく微笑んだ。
「どういたしまして」
紅玉の言葉に轟もくすぐったそうに笑った。
「んじゃ、行ってくる」
「行ってきます」
「ほなまたな! 行ってきまーす!」
「「いってらっしゃい」」
三人が見えなくなるまで、紅玉と蘇芳は手を振って見送った。
やがて三人が現世へと旅立っていくと、二人は手を下ろした。
「……行ったな」
「はい……無事に……本当に良かったです」
感慨に浸る紅玉だったが、蘇芳がジトリと自分を見つめていたので目をぱちくりとさせた。
「……で、皇族神子に喧嘩を売ったという無謀話は初耳なのだが?」
「ああ、ええっと……」
おのれ轟め、余計なことを――と紅玉は心の中で毒づく。
「また無茶をしたんだな!」
「あれは……その、思い付きの成り行きでしたから……それに幽吾さんと世流ちゃんという強い助っ人もおりまして勝機はございましたので」
確かに、幽吾と世流が一緒ならば問題なく勝利を勝ち取れたのだろう。実際勝ち取ったわけであるし。
しかし、蘇芳はどうしても納得できなかった。
いつだって、どんな時だって、真っ先に紅玉の力になりたいのは自分で、紅玉が真っ先に頼って欲しいのも自分であって欲しいと思ってしまう。
(こんなの……醜い嫉妬じゃないか)
燻る思い必死に堪えながら、蘇芳は紅玉の右手を握った。そして、努めて冷静に――だけど握る手に力を込めて告げる。
「……次、またこのような無茶をするのなら……必ず先に俺を呼べ。呼んでくれ。頼むから」
真剣な漆黒の瞳に真っ直ぐ見つめられそう乞われては、紅玉に拒む術などなかった。
「わ、わかりました」
「約束だぞ?」
ずいと右小指を差し出されれば、紅玉はそれに己の右小指を絡めるしかない。ふわりと右小指の紋章が温かくなるのを感じて、紅玉は何故か恥ずかしいと思ってしまう反面――。
(な、何故? 何故、嬉しいと思ってしまうの?)
それはまるで蘇芳を独占している行為だというのに――。
「あの~、お取り込み中のところすみませ~ん」
にゅっと現れた影に二人はビクリと身体を震わせ、慌てて距離を取る。
「幽吾さん!」
「幽吾殿!」
二人同時に叫べばいつの間にかそこにいた幽吾はニヤリと笑って言った。
「あはは~、少し声を控えてね~。一応僕、謹慎中~」
そのわりには随分と堂々としているが。
「それはそうと……紅ちゃん、例のお客さん、いらしてるよ」
「あ、そうでした。すぐに参りますわ」
「……客?」
「百合様が無事に神子に戻れたから結局その話は無くなったけど、百合様が現世に戻った時の再就職先の関係者さんだよ」
幽吾の説明を聞いて、そう言えば紅玉がそれを斡旋していたことを思い出す。そして、紅玉の知り合いでそれを請け負ってくれる人物を考えて、蘇芳の中である人物達が思い浮かんでいた。




