帰りたい
「わたくしの願いはただ一つ、皇族神子様と妖怪の先祖返りの三人が結んでいる契約術の破棄でございます」
「お前! 何故それを?!」
「鬼ぃ! まさかお前か!?」
中央本部の何人かが立ち上がって怒声を上げたのを見て――。
「あら、やはりそういう契約を妖怪の先祖返りの皆様と交わしていたのですか?」
紅玉は何食わぬ顔でさらっと言った。
怒声を上げていた中央本部は目を剥いてしまう。
そんな中央本部の男達を見て、紅玉はにっこりと微笑む。
「皇族神子様は真名と血で結ぶ強力な契約術をお持ちであることは知っておりましたので、あとは勘と推理です」
「貴様……! 謀ったな!?」
「滅相もございません。わたくしはただ考えた事を申し上げただけでございます」
思わずあんぐりと口を開けてしまっている中央本部を見て、幽吾が笑いを堪えようと若干プルプルと震えだしている。
「この者に契約術の存在を教えたのはお前か!? 鬼!」
「真っ先に轟さんを疑うのはお止めください。わたくしに契約術の存在を教えてくださったのは四大華族の関係者様でございます」
「っ! 幽吾か!? 蘇芳か!?」
「どちらでもありません。無闇矢鱈に人を疑うのはお止めください」
「では誰が教えたと言うのだ!?」
「わたくしにはこれ以上申し上げることはできません。その方の名誉にも関わりますので」
「貴様ぁっ!」
ぎゃあぎゃあと五月蝿い中央本部の声に耳を塞ぎながら金剛は思う。
(あれ絶対うちの親父だよな……うん、絶対黙ってよう)
金剛だって面倒くさいことに巻き込まれるのはごめん被りたいのだ。
「それよりもわたくしの願いを叶えてくださるのですか? くださらないのですか?」
「……っ……金や名誉は」
「いりません。わたくしが願うのは妖怪の先祖返りとの契約の破棄、それだけでございます」
「それは……っ……ならん!」
「何故ですか?」
「妖怪の先祖返りは遥か昔に皇族神子様と契約を交わし神域を守るために戦ってきた重要な戦力だ! 契約を破棄させるわけにはいかない」
「妖怪の先祖返りの皆様はそのような契約を交わさずとも、お願いすれば力を貸してくださいます。一方的に契約で縛り付ける必要はないかと」
「貴様! 契約で縛り付けるなどと無礼な! 皇族神子様が人権侵害をしているとでも言うのか!? 皇族神子様に対する侮辱だぞ!?」
「わたくしはそのようなこと一言も言っておりませんし、思ってもおりません。それとも中央本部は皇族神子様が妖怪の先祖返りの皆様に対して人権侵害をしていると思っていらっしゃるのですか?」
「ぬっ!?」
「よっぽど中央本部の皆様の方が皇族神子様に対して失礼で無礼かと存じます」
「ぐっ!」
幽吾はついに堪えきれず「ぶふっ!」と吹き出してしまっていた。
中央本部が幽吾を睨み付けた時――。
「ハ~イ! ワタシも紅ちゃんと同じ、妖怪の先祖返りさん達との契約破棄を要求しま~す!」
右手を挙げて宣言した世流の明るい声が響き、中央本部だけでなく轟達もまた驚いてしまった。
「きっ、貴様! 貴様も皇族神子様へ侮辱するのか!?」
「だ~か~らぁ、侮辱じゃなくて、お・ね・が・い。勿論聞いてくれるでしょ?」
「駄目に決まっているだろう!?」
「ま、待て……!」
「なんだ!?」
「あの男の神経を逆撫でするな! あやつは娯楽街の……!」
「っ!!」
小声で伝えられたその言葉に全て察した中央本部の男は何も言えなくなってしまう。
予想通りの反応に世流はニンマリと笑う。
「ふぅん……ワタシのお願い聞いてくれないのぉ~?」
「いっ、いや、待てっ!」
「こっちがそっちのお願いを聞いているって言うのに、駄目って言われるなんて……いいのよ? 出るとこ出ても」
「おっ、落ち着け……!頼むから自棄になるのだけはやめてくれ……!」
「やめてくれやめてくれって、アンタ達はいっつもそればっかり。結局は大事なのは皇族様でも神子様でもなくて自分達自身のくせに」
「そっ! なっ……!」
中央本部は言葉に詰まり何も言えなくなってしまう。
(嘘でもいいから否定すればいいのに……あ~あ、皇族神子様達から冷たく睨まれちゃってカワイソ~に)
勿論、幽吾は可哀想だなんてこれっぽっちも思っていないし、むしろ笑いを堪えるのに必死である。
「おい! 妖怪の先祖返り達! こいつらを止めろ!」
「「「っ!」」」
「自分は契約破棄などしたくない、そう言い聞かせろ! 皇族神子様と神域を守るためにこそ自分等の存在価値があると弁えているだろう!? 貴様らのような化け物など――!」
その瞬間、男の喉元に刃が突き付けられ、男は「ひっ!」と息を呑んだ。
見れば己より巨大な体躯の鬼神が恐ろしい形相で背後に立っており、幽吾は不機嫌さを露にして男を睨み付けていた。
「口を慎めよ、バーカ」
命の危機に晒されれば、男は黙るしかなかった。
しかし――。
「……だが、中央本部の言う事も一理ありますかと思います。妖怪の先祖返りはこの神域に欠かせない戦力。みすみす手放すのは惜しいかと」
そう意見を述べたのは幽吾の兄、獄士だ。
幽吾は思わず眉を顰めてしまう。
「確かに……そもそもこの契約は凶悪な力を持った妖怪の力を管理する為の契約でもあります。万が一何か起きた時にすぐ対処できるよう」
二十八の神子までもそう言い放つと、皇族神子からも意見が次々と挙がる。
「殿下、私はこの契約、破棄の必要はないと思う」
五の神子がキッパリと言う。
「私も、妖怪の力は皇族で管理すべきだと……思います」
不安げにそう言ったのは六の神子。
「兄上、この願いはあまりにも我が皇族神子に不利益です。聞く必要などありません」
丁寧な言葉遣いでありながら、厳しい意見を述べたのは四の神子。
二の神子と三の神子は黙ったままだ。
「お兄様……」
震えた可憐な声が響く。七の神子の桜姫が立ち上がり、一の神子を真っ直ぐ見つめて言う。
「お兄様……っ、私のせいでこんな事になってしまって……っ、申し訳ありません。ですが、どうか、この願いだけは受け入れないで……っ! 妖怪の力はとても恐ろしいもの……もし、これで、国の民に何かあれば、私っ、悲しいです……っ!」
ホロリと涙がこぼれ落ち、誰もがその涙を拭ってやりたいと思う程心締め付けられていく。
(よし! この流れなら契約破棄の話は無くなる……!)
中央本部の男はほくそ笑んだ――。
「……畏れながら、発言のご許可を」
空気を読まない凛とした声が響いた瞬間、全員の視線が声の主――紅玉に降り注いだ。
「何だ! 〈能無し〉!」
「どうか発言のご許可を」
「さっさと申せ! せっかく七の神子様が感動的なお言葉を述べたというのに!」
「では遠慮なく……」
紅玉は息を吸い込んだ。
「妖怪の力は確かに強大なものかもしれません。ですが、現代の妖怪の先祖返り達を含めた歴代の妖怪の先祖返り達が一度だってその力を破壊の為に利用したことがありますか? 強大な力をもってして、全てを壊そうと反旗を翻したことがございますか? それ程の力をお持ちでありながらそれをしなかった――それが妖怪の先祖返り達の真意ではないのですか?」
その言葉に誰もが息を呑んでしまう。
「第一に妖怪の先祖返り達も国の民でございます。真に国の民を思うのであれば、古の時代に起きた妖怪と人間の争いに終止符を打った生きた証である妖怪の先祖返り達にどうかお慈悲を。心を病み、夢も壊され、家族すらも失ってしまう彼らにどうか自由を与えてください」
誰も何も言い返すことができない。驚きに目を見開くばかりだ。轟達――妖怪の先祖返り達もまた驚き過ぎて何も言えずにいる。
そして、幽吾と世流だけは微笑む一方で、桜姫は羞恥で震えていた。
「……帰りてぇ……」
沈黙を破り、ポツリとそう言ったのは轟だった。
「帰りてぇ……一度でいい。もう一度家族やダチに会いてぇ……天海と美月も一緒に……故郷に帰りてぇよぉ……記憶ちゃんと取り戻してぇよぉ……」
「轟……!」
「轟っ……!」
ホロリと零れた涙に天海と美月も堪えきれず涙が零れ落ちた。
「改めて申し上げます。わたくしの願いは妖怪の先祖返り達との契約の破棄です。それが叶わないのであれば、せめて帰省の許可を。どうか、どうかお願いします」
紅玉が頭を下げると同時に世流と美月も頭を下げる。
「ワタシからもお願いします! 皇太子殿下!」
「ウチからもお願いします! せめて一度だけ……! 一度だけ故郷に帰してください!」
すると、皇太子こと一の神子が徐に立ち上がった。
「……恐ろしき力を持つ妖怪の血族として、そなたらの存在を監視する意味で結んできた契約だったが……最早その必要はないようだな」
「兄上!」
「殿下!」
「お、お兄様……!」
皇族神子達も驚きが隠せない中、一番狼狽えたのは中央本部の男だった。
「で、殿下! お待ちください! 今ここで妖怪一族の力を手放すのはあまりにも危険です!」
「私はかねてよりこの契約には疑問を感じていたのだ。ならば契約破棄をするきっかけにちょうど良いではないか。どちらにせよ、あちらの願いを聞き入れなければならないのだから」
「し、しかし、せめてもっと別の条件を提示すべきであって……!」
「……確か、そなたの先祖だったな。妖怪一族の最初の契約者を連れてきた神子は」
「あっ、えと、それは、その……っ」
「それは本当に我が皇族のために考えての行動だったのか? それとも己の一族の繁栄の為の功績作りか? それとも妖怪一族の力を掌握し、何か企てでもしていたか?」
「めっ、滅相もございません……!」
「ならば黙れ。これは私が決めることだ。何せ契約者は私だ」
一の神子は術式を展開する。
「鬼島雷音、大原雅紀、間宮梨花」
真名を呼ばれた三人は一の神子を見上げた。
「三百年もの長きに渡り、我が皇族に使えてくれたこと感謝する……誇り高き妖怪の先祖返り達よ」
一の神子の展開していた紋章が月白の色に輝くと、轟と天海と美月の右手小指に刻まれていた紋章が弾けて消えた――。
「契約は破棄された。そなたらは只今をもって自由の身だ」
故郷を苦しめ続けてきた三百年という長きに渡る契約の破棄に――三人は溢れる涙を止めることができなかった。
「「「ありがたき幸せ……っ!」」」
身体を震わせながら頭を下げる三人に思わず貰い泣きしそうになるが、ぐっと堪えて紅玉も頭は下げる。
「皇太子殿下、心より感謝申し上げます」
「感謝される程のことはしていない。いつかは……と、考えていたことだ。それが少し早まっただけのこと」
そして、一の神子は紅玉と世流に微笑むと言った。
「よって、紅玉と世流、そなたらに再度命ずる。そなたら自身の願いを再度検討するように」
「「……え?」」
一の神子の言っている意味がわからず、紅玉は思わず言ってしまう。
「あの、もう頂きましたが……?」
「これは妖怪の先祖返りである美月の願いであろう。そなたら自身の願いではない。そなたらが心から願う希望を私は叶えてやりたいと思う。いつでもよい。よく考えなさい」
「「あ、ありがたき幸せ……?」」
あまりにも寛容すぎる命令に紅玉も世流も驚きを通り越して戸惑ってしまう。「いいのかしら?」「どうしましょう?」と、人前(しかも皇族神子の御前)であるにも関わらず、ヒソヒソ相談してしまう程だ。
「まあもらえるものはありがたくもらっておけば~? んじゃあ、そういうわけで、もう帰ってもいいですか~?」
幽吾がヘラヘラと笑いながらさらっと言うものだから、中央本部だけでなく、紅玉と世流、先程まで涙に濡れていた轟達までもがギョッとしてしまう。
一方で一の神子は全く気にする様子もない。
「そうだな。今日はもう帰りなさい。疲れたであろう。ご苦労であった」
「は~い、失礼しま~す」
「ええっ!? ちょっ、幽吾君!」
「えっと、し、失礼します」
あっさり部屋を出ていく幽吾を紅玉達も慌てて追っていく。
故に誰も気付く事が無かった。出ていく紅玉を鋭い視線で睨みつけている存在がいたことに――。
**********
「何故!? どうして!? どうしてお兄様は〈能無し〉のお姉様の願いなんて!」
自室に戻った桜姫は寝台の枕を叩きつけながら泣き叫んでいた。
「私はただこの神域のことを考えてやったことですのに! あんな神子など神子に相応しくないと判断しただけですのに! 妖怪の力が現世に悪影響を与えると思って発言しただけですのに! どうして桜色の姫である私ではなくて〈能無し〉のお姉様の言う事を聞いてしまうの!?」
「姫神子様、怒りを鎮めて……!」
暴れて泣き叫ぶ桜姫を真珠は宥める事しかできない。
「姫神子様、あなた様は完璧な神子様であらされますわ」
「いいえ! 完璧などではないわ!」
「そんな事ありません。優しいお心、愛くるしいお顔、強く純粋な桜色の神力、どれをとっても桜姫こそがこの世で最も尊き神子でございます」
「でも、お兄様は私ではなくお姉様の味方をしたわ! お兄様だけじゃない! あの方だってっ……!」
その事を思い出すと、涙が溢れて止まらない。
その人の非常に優しい表情が目に焼き付いている――。
「絶対にお姉様なんかに負けるものですか! 絶対に私は誰からも愛される完璧な神子になってみせるのです! なるのです!」
そうして桜姫は机へと向かい、堆く積まれた己の神子業務に没頭していった。
そんながむしゃらに働く桜姫を見て、真珠は頬を綻ばせ、小さな声で呟く。
「その通りです。姫神子様。どうか完璧な神子になってください。私はあなたを応援していますわ」
そうして真珠はにっこりと微笑んだ。
<おまけ:真名>
幽「ところで轟君の真名って」
轟「……黙ってろ」
幽「確か、『雷』の『音』って書いて~~」
轟「黙れ」
幽「ねえねえ何て名前? ねえねえ何て読むの?」
轟「うるせぇよっ!!」
轟は自分の真名があまり好きじゃない。からかわれるから。