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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
170/346

神子の鬼退治の歌




 時は遡る……。




 それは情報収集に神域を回っていた休みの日――乗合馬車課から十の御社へ帰っている時の事だった。


(帰ったら情報の整理をしてそれから……)


 一通り調査を終えた紅玉は今後の事を考えながら日傘を指して十の御社まで歩いていた。

 ふと、顔を上げると御社の前に人が立っている事に気づく。否、明確に言えば人ではなかった。その背中に人にはないはずの黒い翼が生えているのだから。


「あら? 天海さん?」

「紅玉先輩……!」


 紅玉に呼ばれ、振り返った天海は一瞬驚きつつも恥ずかしげに顔を俯かせた。天海の服装を見れば、いつもの仕事着ではなく、一般男性が好んで着るような私服だった。


「天海さんも今日はお休みだったのですね」

「は、はい」

「それで、十の御社に何かご用ですか?」

「……紅玉先輩に……聞きたいことが……」

「わたくし?」


 天海は小さく頷くと、また俯いてしまう。キョロキョロと視線が彷徨っており、落ち着かない様子だ。

 天海が極度の恥ずかしがり屋で口下手なのは紅玉もよく知っているので、天海が話してくれるのをふわふわ微笑んだり、首を傾げたりしながらひたすら待つ。


「…………あの、その…………右手の小指の紋章…………」

「え?」

「紅玉先輩、一体どこで皇族神子と契約を……契約術を?」

「っ!」


 天海から予想外の言葉が飛び出し、紅玉は驚きを隠せない。


「天海さん……この術をご存じなのですか?」

「……やっぱり、契約術の紋章なんですか? それ……」


 天海は愕然としてしまう。


「なんで……どうして……どうして紅玉先輩が契約術を……」

「天海さん……?」

「まさか……もしかして……お、俺達のせいですか?」

「……あ、まみさん?」

「俺達、妖怪の先祖返りに関わっていたせいで紅玉先輩まで皇族神子に危険視されてそれで契約を!?」

「天海さん……!?」


 切れ長の木賊色の瞳から大粒の涙が零れ落ち、紅玉は慌てて天海に駆け寄り、手拭いで天海の顔を拭ってやる。

 しかし、天海の涙は止まらない。真っ青な顔で震えながら言う。


「轟の事とか美月の事で、紅玉先輩にはすごく世話になっているのに、迷惑までかけてしまって、俺……俺……! 俺、なんてお詫びすれば……っ!」

「天海さん、落ち着いて。この契約の紋章は皇族神子様と交わした証ではありません。これはわたくしが望んで交わした契約です。貴方が心配するようなことは一つもありませんわ」

「ほ、ほんとに?」

「ええ、本当ですわ」


 紅玉の微笑みを見て、天海は力が抜けたようにその場に座り込んでしまう。涙は止まらず、ほろほろと零れ落ちたままだ。


「よ、かった……俺……ずっと心配で……紅玉先輩は俺達妖怪の先祖返りに対してもいつも親切にしてくれるから……でも、だから、いつか巻き込んでしまうんじゃないかって怖くて……!」

「…………」


 天海の言葉の意味を紅玉は薄々勘づき始めていた――。


「天海さん、よかったら御社でお話をしましょう、お茶を飲んでいってくださいな。ねっ?」

「…………」


 天海が小さく頷いたので、紅玉は天海の手を引いた。




「只今戻りましたー!」


 玄関広間でそう声を上げれば、バタバタと駆け足が聞こえてくる。


「紅ねえ、おかえりー!」

「おかえりなさ~い」

「おかえり」

「おねえちゃ~ん!」


 見目が愛くるしい子ども神三人組こと真昼、雲母、れなと水晶がニコニコと笑顔で出迎えた――と思いきや、四人はわずかに瞠目して立ち止まった。

 何故なら紅玉が未だ涙を流し続ける暗い表情の天海を連れていたから……。


「申し訳ありません。天海さんとお話ししますので、しばし応接室をお借りしますね」

「「「「はーい」」」」

「あとお茶の用意をお願いしても?」

「うん、いいよ~」


 水晶達はパタパタと駆け足ですぐに立ち去っていった。

 四人の気遣いに感謝しつつ、紅玉は応接室へ天海を案内した。




「はい、どうぞ」

「……ありがと……ござ、ます……」


 ぐずぐずと鼻を啜りながら天海は茶に口をつける。ほかほかと温かい茶が身に沁みて、ジワリとまた涙が溢れそうになってしまう。

 そんな天海の頭を優しく撫でると、紅玉は尋ねた。


「天海さんはこの契約術をご存知だったのですね」


 天海はコクリと頷く。


「先程も言いましたけど、これはわたくしが望んで結んだ契約です。そしてわたくしが契約を結んだ相手は蘇芳様ですわ」

「え、蘇芳、先輩?」

「ええ。蘇芳様はわたくしを守るために契約を結んでくださいました。勿論わたくしの同意の上で。しかも蘇芳様ったら一方的な契約はしたくないと言って、わたくしにご自分の真名を預けてくださったのですよ」

「そう、だったんですか……」

「はい。ですから、天海さんが心配するようなことはありませんわ」

「そっか……それならよかった」


 ほっとしたように微笑む天海の頭を優しく撫でながら、紅玉は天海を真っ直ぐ見つめた。


「天海さん、貴方はどこで契約術の事を知ったのですか?」


 その瞬間、天海はあからさまに動揺した。視線はあちこちへ彷徨い、天海の方が身体は大きいというのに、すっかり縮こまってしまい小さく見えてしまう。


「……言いたくないですか?」

「ご、ごめんなさい……」

「それは、貴方が妖怪の先祖返りであることと関係があるのですか?」


 天海は思わず息を呑んでしまった。視線は揺れ動き、口をはくはくとさせ言葉が出てこない。

 なんとまあ嘘が下手な青年だろうか――それだけで紅玉は察し、苦笑してしまう。


「……ごめんなさい。困らせるようなことを聞いてしまって」


 そう言いつつ、紅玉は天海の右手を取った。

 天海はビクリと震え、手を引っ込めようとするが、紅玉がそれを阻む。そうして少し強引に引けば、天海の右手の小指のそれが見えた――紅玉と同じ契約の紋章が。


 紅玉はこの契約術の紋章を見た時からずっと既視感を覚えていた――どこかで見たことがあると。

 そして、ようやっと思い出したのだ――妖怪の先祖返り三人組に揃いの紋章が刻まれていたことを。


「……天海さんは……いえ、天海さん達は皇族様と契約術を結んでいるのですね。だから、わたくしの契約の紋章を見て、それがどういうものかすぐに分かって、わたくしを心配してくださったのですね」


 天海の顔が青くなっていく。

 そんな天海を見ながら紅玉は契約術に関する蘇芳からの説明を思い出していた。




 主人である皇族に真名を捧げ、魂ごと忠誠を誓うという契約術――。


 あの時蘇芳は、皇族と四大華族の間で古くから交わされていたものだと言っていたが、それはあくまで双方合意の上のもの。四大華族は未来永劫皇族に忠誠を誓う一族だとも言っていた。




 しかし、妖怪の先祖返り達は――……?




「……天海さん、わたくしは貴方からは何も聞いていませんわ。ですからこれはわたくしの独り言です」

「……え?」

「わたくし達の住む大和皇国には遊び歌と呼ばれる歌がありますわ。子どもの頃よく口ずさんだ歌の事ですわ。誰から聞いたかも覚えていないけど、当たり前のように知っている歌……その中の一つにこんな歌がありましたね」


 そうして紅玉は歌う。先程会った真昼達が先日の園遊会でくるくると回りながら口ずさんでいたあの歌を――。


「山に住んでる鬼さんの~、退治に神子さんやってきて~、神子さんでっかい鬼さんの~、首に鎖を引っかけた~、鬼さんすたこら逃げ出して~、神子さん待てこら追いかけて~、ちょいと鎖を引っ張れば~、鬼さんすってんころりんだ~、ひょいと後ろを振り向けば~、そこに立ってる神子さんはだあれ?」


 鬼と神子に纏わる遊び歌――かつては幼かった自身も歌ったなぁと思いながら歌い切ると、天海が真っ青な顔をして僅かに震えていた。


「遊び歌には……諸説ございますけど、実際にあった話を元に作られたものが多いと聞きます。中には酷いお話もありますわ……それなのに、何故か子どもが遊びに使う歌なのは少々残酷ですよね」


 天海は何も言わない。言えない。真っ青になって震えるばかりだ。


「……わたくし、ずっと疑問に思っていたのです。何故美月ちゃんは夢を引き裂かれなければならなかったのか……何故悲劇で記憶を失う程心に傷を負った轟さんが故郷へ帰る事が許されなかったのか……わたくし、それを考えた時にこの歌が疑問に思えてきたのです」

「……えっ?」


 天海はようやっと声を上げ、紅玉を見た。


「山に住んでいる鬼の退治にやってきた神子――これだけでは悪は鬼で、正義は神子……でも、これに隠された真実があったとしたら? 鬼は決して悪などではなくて、ただ平凡に生きていたとしたら? 退治しに来た神子は本当に正義なのでしょうか?」


 天海はいよいよ驚きを隠せなくなってしまっていた。




*****




 俺様達の祖先である妖怪一族は、神に匹敵する凄まじい力の持ち主だった。

 人と共存するようになり、人と血が混じり合い、その妖怪の力も徐々に薄まっていったが、妖怪の血を引く子孫達は人並み外れた力を持って生まれた。


 異質な力を持つ異質な存在は必ず恐れられる存在となる……だから俺達の祖先は山奥にひっそりと小さな集落を作って、慎ましやかに暮らしていた。


 しかし、大和皇国の政府はそれすらも許さなかった。ひっそりと慎ましやかに暮らしていた俺達の祖先の住処をありとあらゆる力を使って見つけ出し、そして集落に刺客を送り込んできた。


 なんとそれは神子と呼ばれる存在だった。


 神子と神子が率いる神々の膨大な力の前では妖怪の血を引く祖先達も敵わなかった。

 特に妖怪の血を全く引かない人間の住人は神子の前ではあまりに無力で、一方的に殺されていくだけ……。


 妻を、夫を、親を、子を――家族や仲間達を目の前で惨殺される惨い仕打ちに妖怪の先祖返りが問うた。


「何故このようなことをするのだ!?」


 神子は冷たく言い放つ。


「この国を守る為だ。妖怪などという神をも脅かしかねない危険な存在は根絶やしにすべきだ」


 神子の言葉に神も同意し、退治という名目を掲げて、人を殺していく。

 あまりにも惨い仕打ちに妖怪の先祖返りが涙ながらに問うた。


「何故妖怪の力を持つ我らを殺さない!? 何故弱き人を殺すのだ!?」

「妖怪に与する人など最早この国に必要などない異分子。排除するのが正しい」


 神子の言葉はどこまでも冷酷だった。そして神もまた神子の言葉が正しいと言う。

 妖怪の先祖返りは打ち拉がれた。


「ならば我ら妖怪はどうすればいい? 戦いの日々に疲れ、安寧の地を求め、人と共存する道を選んだ我らはどうすればいい?」


 神子は言った。


「安寧を求めるのならば皇族神子に永遠の忠誠を誓え。妖怪の凶悪な力、神域を守る為に使ってもらおう。妖怪の先祖返りよ」




 そうして、皇族神子と妖怪の先祖返りの間に永遠の忠誠を誓う魂の契約が交わされることになった。

 妖怪の先祖返りとして生まれた子は、十八歳になったら皇族神子の永遠の僕となり、神域で働き、神子と神のために命を捧げよ、と――。


 拒否なんてできるはずもなかった。この国では神子が絶対正義だったから。

 それから三百年以上もの長い間、妖怪の先祖返りは悪と謳われ続け、俺達一族は皇族神子に忠誠を誓い続けてきた――。




 だから、驚いてしまったんだ。

 まさか絶対正義の神子を疑う人が現われるだなんて――……。




*****




 天海は驚愕の顔のまま、固まってしまった。

 そんな天海を見て、紅玉は己の推理が正しいと確信した。


(本当、嘘が下手な方)


 思わず苦笑してしまう。


 しかし、天海は決して真実を話してくれないだろうとも思う。

 恐らくそれが契約の力なのだろうから――。


 だから紅玉は気づかないふりをする。


「まあ、わたくしの推測ではここまでしかわかりませんわ。考察を聞いてくださってありがとうございます。考えって口にして言葉にしないとまとまらないですよね」

「え、あ、あの……?」


 唐突に話をまとめだした紅玉に戸惑ってしまう天海だったが、紅玉が有無を言わせない微笑みを浮かべるものだから「はい」と同意する他なかった。


「天海さんも自分のお気持ちはきちんと言葉にしないとダメですよ」

「……え?」

「天海さんはただでさえ無口なのですから、たまには不満とか吐き出してしまわないと苦しいだけですわ。そうです! いい機会ですから言いたいこととか溜めているものとか全部吐き出してしまいましょう! さあ遠慮せずどうぞ」

「えっ、ええ……と、突然、そんな……」

「何でもいいのですよ。不満とか愚痴とか……いっそ世間話でも構いませんわ。最近何があったとか、こんなことがあったとか、他愛のないことで結構です。どうぞお話ししてみてくださいな」

「え、ええっと……」


 天海は少し考え込むと、おずおずと話し出した。


「……と、轟と美月から……園遊会の話を聞きました……楽しそうで羨ましかった……」

「今度は是非天海さんも。もう少し早めに予定を合わせましょう」

「い、行って、いいんですか?」

「勿論です」

「……ほ、んとは……俺も、行きたかった……」

「はい」

「美月が……御社でたくさん歌えて楽しかったって、喜んでた……から……」

「美月ちゃんの歌が聞けて、わたくしも嬉しかったですわ」

「……美月、歌うの大好きだから……紅玉先輩、本当にありがとうございます」

「……本当はもっと広い世界で歌う実力がある子なのでしょうけれど……」


 紅玉の言葉に天海は首を横に振った。


「夢を奪われて、歌わなくなったあの頃に比べたら……」


 絶望に満ちた美月の顔が思い浮かび、天海は思わず拳を握りしめる。


「轟のことでも、いろいろ世話になってしまって……本当に……」

「……まだ手放しで全て喜ぶわけにはいきませんけれどね……」


 一時期は心を壊し生きる屍のようになった轟。深い悲しみをようやっと乗り越えたものの、未だに失くした記憶の全ては戻っていないのだ。


「あれから、どうですか? 轟さんの記憶は……」

「……やっぱりまだ完全に戻らない……特に三年前の事件の日よりの事とか、故郷の事とか曖昧で……轟の両親の顔も、友達の顔も、婚約者の事も全然思い出せなくて……轟が自然に思い出せるようにそれとなく故郷の写真とか見せたんだけど、ダメで……っ!」


 塞き止めていた何かが外れたように天海はボロボロと泣き出した。

 紅玉は天海の涙を手拭いで拭ってやりながら背中を擦ってやる。

 だがしかし、天海の涙はますます溢れるばかりだ。


「約束……っ……したのに……! 轟の記憶を取り戻してみせるって……約束したのに……っ!」

「約束?」

「おっ、 俺達、妖怪の先祖返りは神域に足を踏み入れたら……っ、未来永劫神域から出られない……! 故郷にすら帰れない……! 家族にも会えない……! でも配偶者なら会えるから……!」


 配偶者と聞いて思い浮かぶ人物はただ一人――。


「轟さんの婚約者さんですね」

「でっ、でも、その人が誰かを轟は思い出せない……! このままじゃずっと会えないままなのに……! いつまでも轟を待つって……言ってて……!」


 天海が泣く程必死に思う轟の婚約者――紅玉は自然とその言葉が出てきていた。


「轟さんの婚約者さんは、天海さんにとっても大切な方なのですね」

「……姉……です……俺の姉……轟の婚約者……」


 そして、天海は吐き出すように言う。


「じ、時間があまりないんです……っ! 姉は……っ、もうっ……寿命が長くないから……っ! 俺っ、俺ぇっ、どうしたらいいのかっ、わからない……っ!」


 打ち拉がれる天海の背中を紅玉は擦って慰めることしかできなかった――。





※遊び歌に関する意見は諸説ございます。また「神子の鬼退治の歌」は作者が創作したものです。


<おまけ:天海の姉 紅玉二年目の卯月一日>


(今日は……疲れた……)


 天海は職員寮の自分の部屋の寝台に倒れ込んだ。


 今日は「新入職お披露目の儀」だったのだ。今年度の新入職に限っては早めに入職をしていた者もいたが、お披露目は全員同じ卯月一日に行なわれることになっていた。


(あんなに人が集まるだなんて……聞いてない)


 寝台に突っ伏しながら怨み言を思う。


 元来人前に立つ事を苦手とし、非常に恥ずかしがり屋の天海にとって、今日の「儀」は苦痛以上の何物でもなかった。挙句、その見目に惹き寄せられた女性達が何人も言い寄ってくるものだから、若干涙目になってしまっていた。


(轟めっ……! 幼馴染のピンチに気付かないなんて!)


 女性に囲まれた天海は轟に助けを求めたつもりだったが、その轟は全く天海に気付いていなかったという。

 結局、天海の異変に気付いた紅玉と蘇芳が女性達をあしらってくれたので難を逃れたが、あのまま放置されていたら、と思うとゾッとしてしまう。


(……轟……俺が女性に囲まれやすくてあまり得意じゃないってことも忘れていたようだったな……)


 涙目で珍しく怒った口調でそう伝えた天海に、轟は「あ? ああ、そうだったっけ? そうだったな。わりぃわりぃ」と戸惑ったように謝罪をしたから、天海はそれ以上怒れなくなってしまった。


(思った以上に……轟の心の損傷が激しいってことか……)


 今は辛うじて異能で封じ込めた仲間達の「鬼火」のおかげで自我を保っているが、轟の精神はあまりにも不安定だった。


(おじさんの事もおばさんの事も……全然覚えていなかったし……姉さんの事だって……)


 天海の姉は轟の婚約者だ。幼い頃、轟が一方的に求婚し、天海の姉がそれをあっさり受け入れたものだから、天海をはじめ互いの両親も腰を抜かした事は良く覚えている。


 しかし、その事すら轟は覚えていなかった。何故か天海の事は辛うじて覚えていたというのに……。


 天海は溜め息を吐きながら、起き上がると、郵便受けに何か入っている事に気付く。それを取りに行けば手紙だった――故郷からの。


 特定の誰かからの手紙ではない。言うなれば故郷の代表者から送られてくる故郷や天海たち家族に関する報告書のようなものだ。

 妖怪の先祖返り達には家族との直接的なやり取りは禁じられているからだ。万が一にでも故郷への未練をぶり返さないための措置であった。

 封筒から便箋を取り出す――封はすでに切られていた。何故なら妖怪の先祖返りへの手紙類は全て中央本部が検閲してから渡されるからだ。


 案の定というか何というか、便箋のいくつかの分には黒い線が引かれている状態だ。故郷への未練を断ち切らせようとしか思えない黒い線に天海は大きな溜め息を吐く。

 挙句、感情の込められた文章は全て黒い線が引っ張られてしまうので、淡々とした報告書のような文章が続く。これは事前に故郷の長から聞いていたので気にはしなかったが――。


 しかし、その一文に天海は目を剥く事になってしまった。




「天狗の先祖返りの姉、余命五年の宣告を受けた。覚悟せよ」




 その一文に天海は涙を堪える事ができない。同時に脳裏に蘇るのは、故郷を発つ己を優しい笑顔で見送る姉の姿だった。


(姉さんっ……!)


 天海の家は代々妖怪の血が濃い子どもが生まれやすかった。現に天海も妖怪の先祖返りならば、天海の大叔父も妖怪の先祖返りだったらしい。近い代で妖怪の先祖返りが生まれるのは天海の家くらいだった。

 しかし、その濃い妖怪の血のせいで天海の姉は病弱に生まれた。小さい頃から何度も命の危機に脅かされ、それでも何とか生き永らえてきたが、ついにそれが余命宣告されるまでに身体を弱らせてしまったらしい。


(姉さんっ……!)


 小さい頃から恥ずかしがり屋で引っ込み思案な自分を鼓舞してくれた姉の命が長くないと知り、天海は決意する。


(姉さんっ……! 俺っ、俺ぇっ、約束するっ! 絶対、轟の記憶を取り戻して、姉さんと轟をもう一度に会わせるから!)


 天海は手紙を握り締めて涙を拭った。


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