神の花嫁になりたかった女
冒頭一部修正しています。
流れに大幅な変更はございません。
あの就任式の翌日、紅玉は幽吾から連絡を貰った。
それは那由多が「謎の女」の可能性があるので、尋問に是非同席して欲しいというものだ。そして、その時に蘇芳も同席させてほしいということだった。
朔月隊とは無関係の蘇芳の同席を許可した事には驚くものの、幽吾がわざわざ指名するのだからきっと何か考えがあるのだろうと思い、そのまま蘇芳に伝える事にした。
これには蘇芳も驚きつつも、幽吾の厚意に感謝して尋問に同席することになった。
「ところで、その幽吾殿は?」
「先に地獄の入り口で那由多の尋問を進めているそうです。そういうわけですので、鬼神様が代わりにお迎えに来てくださったのです」
ようやっと目の前に突如現れた鬼神の理由が出てきたので蘇芳は納得する。
(しかし、登場の仕方をもう少し考えてほしかった……)
仕事中に突如背後に気配を感じたので思わず殴りかかってしまった――相手がよく見知った鬼神であるにもかかわらず。
鬼神には申し訳ないとは思いつつ、何故か幽吾の悪戯っぽい笑みが脳裏を掠めるので自分は悪くないのではという錯覚すら覚えてしまっていた。
そして、鬼神は地獄の門を召喚した。門の扉がいつものように開くと、紅玉と蘇芳は躊躇いなく中へ入っていく。
地獄の門が閉まる直前、隙間に滑り込むように入ってきた影に、誰も気づかなかった……。
鬼神に導かれ、地獄の入り口を進んでいくと、扉の前に辿り着く。
鬼神がその扉を開け、中に入るよう促してくれるので、紅玉と蘇芳はその中へ入っていった。
そして、その先には――。
「冗談じゃないわ! 誰が、神様が御創りたもうた紋章を汚すものですか! 冒涜です! そんなことするくらいなら舌を噛みきって死にます!!」
物凄い怒声ではっきりと言い切った那由多とそれを聞いていた幽吾がいた。
「…………」
「…………」
幽吾はがっくりと肩を落としながら紅玉に言う。
「……ごめん。また当て外れだったみたい」
「……そのようで」
「謎の女」捜査はまたやり直しのようである。
*****
粗方尋問を終えていた幽吾が紅玉と蘇芳に説明をしていく。
「そもそも、この女が神子反逆をした動機はただ一つ。『神の花嫁』になりたかったんだってさ」
「神の花嫁……!」
「神の花嫁」とは神と身も心も通わせた恋仲の人間の事だ。
神域では度々神子と神が結ばれる事がある。神と結ばれた者は神に愛される者として大変尊ばれ、一生幸せになれると言われていた。
故に憧れる人間も多く、神域管理庁就職希望者の中にはそういった野心を持って就職を望む者も多くいるらしい。
大体、そういう人間は人事課による超難関就職試験に落とされてしまうのだが。
「この女の場合、超マジでガチ。神の花嫁になるために生きてきたって言っても過言じゃないね。その為に勉強も運動も頑張って学校でも好成績を残し、超難関試験も突破して就職したし、実際神子反逆の件以外は仕事も完璧にこなして、あれやこれや努力していたみたいなんだよね~。ま、その努力の方向性が一部とんでもない方向にねじ曲がっていたっていうわけなんですけど」
「まあ……」
「で、神子を陥れて蹴落として、自分が神子になって神の花嫁になろうとしたってわけ」
(矢吹といい那由多といい……優秀な職員ですのに、なんて勿体無い)
しかし、幽吾の言葉を聞いて、那由多は怒ったように言う。
「蹴落としたんじゃないわ。私は神様に代わり天罰を下したのです」
「天罰?」
「あんな甘えたな神子が神子になるなど言語道断! 許せません! 神様への冒涜です!」
「あの、そもそも百合様がダメ神子ちゃんになったのは君のせいなんですけど?」
「神子が神の花嫁になるなど神様に対して失礼千万! 身の程知らずなこと!」
「いや、君、それになりたかったんだよね?」
「私がなりたかったのは神の花嫁であって、神子ではありません! 神子など存在そのものが神様への冒涜!」
「うわあああん! 紅ちゃん! 僕、こいつやだぁ~~っ!」
あの幽吾が匙を投げる程だ。紅玉も苦笑いしかできない。
一方、那由多は興奮気味にまだ叫び続ける。
「神子など元はただの人間のくせに! 神の花嫁になって頭が高いところもいいところだわ! 二十一の神子も! 二十二の神子も!」
「…………今なんと?」
その言葉は決して聞き逃してはならないものだった。
紅玉は那由多を睨み付ける。
「今……なんとおっしゃいました?」
「あ……え……」
「貴女、今、二十一の神子と二十二の神子とおっしゃいましたよね? それはもしや、元二十一の神子の実愛様と前二十二の神子の晴様ことではありませんか?」
「あ……その……」
「貴女、何をしたのです? 貴女、晴さんに何をしたのです?」
紅玉の絶対零度の怒りに那由多は身体を思わず震わせたが、相手が〈能無し〉だと分かると、自尊心と意地で紅玉を睨み付け、叫んだ。
「神子のくせに、竜神様との間に子どもを儲けるなんてとんでもない! 冒涜にも程があり過ぎるわ! 二十一の神子もそう! 独占欲を強くするあまり神様を独り占めするなど! 許しがたい行為! だから言ってやったのよ! あの愚かな二十一の神子に! 隣の神子があなたの子どもを使って夫を狙っていると! 二十二の神子には二十一の神子が暴走のあまり子どもを手にかけるかもしれないと伝えてやったのよ! 私は天罰を与えたの! 神様に代わり!」
紅玉は唇を噛み締めた。
「藤の神子乱心事件」より数ヶ月後、空の母である晴こと二十二の神子と、右京と左京の母であった実愛こと二十一の神子が巻き起こした神子同士の戦い――「二十一と二十二の神子の争乱」と呼ばれる事件。
当時、事件現場となった二十一の御社には職員はいなかった。全員、「藤の神子乱心事件」で命を落としてしまっていたから。
騒動に気付いた神域管理庁の職員が駆け付けた時には、すでに二十一の御社には二十一の神子と神々の姿はなく、残っていたのは二十一の神子の子息である当時十六歳だった右京と左京、そして心臓を抉り取られ血塗れの遺体となっていた二十二の神子の晴だけだったという。
故に事件の概要は右京と左京の証言のみで明らかにされたものだった。
母親に神力と命を奪われそうになった右京と左京を救いに駆け付けたのが、二十二の神子の晴であり、激しい争いの末、神力を枯渇させた実愛が自滅して決着がついた。
しかし、実愛の夫である男神が実愛を蘇らせる為、晴から心臓を抉り取り、妻を連れて神界へ帰ろうとした。
その結果、男神に天罰が下り、妻の二十一の神子と共に地獄へ堕ちていったという。
実愛の凶行の原因は深すぎる嫉妬心からだったらしい。
御社に軟禁状態だった右京と左京を、実愛に隠れて晴はこっそり外に連れ出していた。
実愛はあろうことかそれを、晴が双子の子ども達を利用して実愛の夫を誘惑していると思い込んだのだ。
当時十六歳という年齢でありながら、三つも年下だった空より身体が小さく痩せ細り、長年の軟禁生活で酷い世間知らずの右京と左京の証言は信憑性に欠ける部分もあった。また晴は何故実愛の凶行に気付く事ができたのかなど、謎も多く残されていたが、他に目撃者も無く、事件は二十一と二十二の神子両名死亡という最悪の形で幕を閉じる事となった。
しかし、那由多の今の発言によってその事実がひっくり返る事になってしまう。
この「争乱」を起こすように仕向けた仕掛け人がおり、その人物こそ那由多という事になる。
挙句の果て、その動機がとんでもない嫉妬心から来るもの。その上、空が晴と蒼石の間に出来た子どもだと勘違いをした上の凶行だ。
その時思い出したのは、晴の亡骸と対面した空の顔だった――。
「おかあ、さん……?」
真っ白な顔で血塗れになって横たわる晴の傍らに空は膝を着いた。
恐る恐る手を伸ばして晴に触れると――氷のように冷たかった。
息をしていない。動かない。血に染まった胸は抉られ原形が見えない。己の母の変わり果てた姿に、空は涙が止まらない。
「お母さん……お母さん……っ!」
悲痛な空の声に、晴の姿に、一緒に来ていた鞠も泣き崩れた。
「目ぇ、開けて……! ねえ、お母さん!」
晴の命令で水晶と契約をし、晴が亡くなっても尚、神域に残る事ができた竜神四人衆も悲痛な面持ちで前の主を見つめた。
「俺ぇ……俺ぇぇええっ! まだ全然親孝行していないっす!! お母さんっ!!」
空の悲痛な叫びを思い出した瞬間、紅玉は那由多の胸座を掴んでいた。
「貴女のせいで! 貴女のせいで空さんはお母様を!!」
「私は悪くない! 神様に代わり天罰を下したまで! あの愚かで卑しい素行の悪い不良のあの女に!」
涙が零れると同時に頭の中で何かが切れる音がして、紅玉は右手を思い切り振り上げた。
しかし、次の瞬間には右手を掴まれ、那由多から引き剥がされ、後ろから抱き止められていた。右手首を掴む掌の大きさと背中から伝わるぬくもりと己の身体を抱きしめる太い腕で、それが誰かをすぐに察した。
「離して蘇芳様!! 離してぇっ!!」
「駄目だ。あんな女、貴女が殴る価値も無い」
「あの女を赦すわけにはいきません! お願い離してっ!」
「晴殿も空殿もそんな事望んでなどいない!」
必死にもがく紅玉だが、蘇芳の腕はびくともしない。
那由多は相変わらず己の非を認めず、己こそ正しいのだというように紅玉を睨みつけてくる。
その表情に苛立ちと悔しさで胸が掻き毟られていく。涙が溢れて止まらない。
その時だった――身の毛が弥立つような気配に蘇芳はハッと振り返った。
暗闇で影が蠢く――否、それは影ではない。水だ。
水が一気に膨れ上がり、そこに現れたのは海のような鮮やかな青い髪と水面から深海へと移り変わる青と蒼が混じる瞳を持つ竜神の蒼石だった。
その表情は明らかに激怒していた。
「蒼石殿!?」
「……すまん。貴殿らが出掛けるのをつけさせてもらった。我はこの女に聞きたいことがあったからのう…………だが、ようやく真実が聞き出せた」
青と蒼の神力を激しく暴れさせながら、蒼石は那由多の方へ大股で近付いていく。
「お待ちくだされ! 蒼石殿! どうか! 怒りを鎮めてくだされ!」
「この女は我が息子の母……前主の仇……我がこの手で屠らねば気が済まん」
「いけません! 蒼石殿!」
「……赦せ、蘇芳」
蒼石の歩みが止まる事が無い。焦った幽吾が咄嗟に蒼石の前へ出た――その時。
「そうせきさまあっ!」
涙で震えた情けない声が響き渡り、蒼石は思わず足を止めた。振り返れば、涙でぐちゃぐちゃの顔で己を見つめる紅玉がいて、蒼石は更に驚いてしまう。
「ごめんなさっ、ごめんなさっそうせきさまぁっ! わたくぃっ、わたくしっ、はるさっ……そらさっのっ、おかあさまっ……まもれなかっああ……っ! ごめんなさっ、ごめんなさぁ、ごめんなさ……っ!」
「…………」
鼻声の上にしゃっくりで途切れ途切れの謝罪を繰り返しながら、人目も憚らず情けなく子どものように泣き続ける紅玉は、大和撫子と名高い姿とは程遠いものだ。
だがしかし、そんな紅玉の姿を見ている内に蒼石の怒りは鎮まっていった。
もしかしたら、蒼石もあの時、大声を上げて泣きたかっただけなのかもしれない――。
蒼石は紅玉の方へ歩み寄ると、未だ泣きじゃくっている紅玉の頭をポンと撫でた。
「紅玉殿……ありがとう……そんなに自分を責めるのでない」
蒼石は手拭いを紅玉に差し出した。それは蒼石が使うものにしては随分可愛らしいもので――その手拭いが誰の物だったか紅玉はすぐに察した。
紅玉は手拭いを受け取ると、縋りつくようにまた泣いてしまった。そんな紅玉を蘇芳が背中を擦って慰め続ける。
それを見た蒼石は再び向きを変えると那由多へ歩みを進める。
「蒼石殿!」
「安心せよ、蘇芳。我はもう怒りに身を任せてはおらぬ」
すると、すぐに幽吾が蒼石の前に立ちはだかった。
「我に話す時間を貰えぬだろうか?」
「……空君を泣かせる真似したら、地獄の鬼神総動員させてでもあなたを止めますからね」
「……何故、そこまで?」
「空君は僕らの朔月隊の仲間であり、みんなの可愛い弟ですから」
「ありがとう」
蒼石が微笑んだので、幽吾も微笑んで蒼石に道を譲った。
そうしてようやっと蒼石は那由多と対峙する。
「ああ、竜神様……お会いできて光栄です……!」
祈るように両手を組んで蒼石を恍惚と見つめる那由多とは裏腹に、蒼石はゾッとするような冷たい目で那由多を見下ろして言った。
「貴様に言い渡す。貴様には未来永劫神の祝福が与えられぬだろう。今世も、来世も、永久に」
「……え?」
「その魂に刻み付けよう。最上級の神罰を与えられた罪人と」
「えっ……えっ?」
蒼石の言葉にあの幽吾もゾッとして震え上がった。そう思いつつも那由多に同情なんてこれっぽっちも無かったが。
「うわ……これは随分重い罰だね」
「これくらいは許してくれぬだろうか?」
「道理に外れていなければどうぞ~」
那由多は未だ訳が分からず戸惑ったままだ。
「え……わ、たし……神罰って?」
「神からの祝福が与えられない……それは同時に全ての神から見捨てられたも同じだね。神様を崇拝している君にとっては死よりも残酷な罰だね」
幽吾の説明に那由多は愕然とする。
「そ、んな……私は、神様を思って、今までずっと頑張ってきたのに……!」
「それは我ら神のためではない。貴様自らの為だろう。その為ならば他者の命も心も何とでも思わぬ貴様など決して愛すものか」
「あ、ああ……ああああ……!」
「未来永劫、苦しむがよい」
「ああああぁぁああああぁぁっ!! 赦して! 赦してくださいぃぃっ! 反省します! ちゃんと反省しますからぁっ!!」
蒼石に縋りつこうとする那由多を鬼神が押さえ込み、幽吾が蒼石の前に入り那由多から遠ざけた。
しかし、それでも那由多は必死にもがいて蒼石に腕を伸ばして、泣きながら懇願する。
「全部話します! 私がしてきたこと全部話しますからぁっ! だからどうか赦してください! 二十の神子に神子教育を怠ったのは私です! 二十一の神子と二十二の神子が対立し争うように仕向けたのも私です!」
あっさり自白していくその姿は最早無様としか言いようが無い。先程までは自分は悪くないと言い切っていたのに。
それほどまでに神からの絶縁宣言が耐えられなかったようだ。
神に向かって泣き叫ぶその姿は、まさに神に狂った女である。
少しゾッとしながら那由多を見た。
「十の神子を見捨てたのも私です!」
「……え?」
その言葉を聞いた瞬間、凍り付いてしまった。
「私があの男が御社侵入できるように手引きしました! 護衛役に使いを命じて外出させて、生活管理部に門の前で掃除するように命じて罪を生活管理部に擦り付けました! 赦してぇっ! 私、神様に見捨てられたら、生きていけない!」
「十の、神子……? 海、ちゃん……? ありさ、ちゃん……?」
心臓がドクリと嫌な音を立てた気がした――。
<おまけ:晴と蒼石>
床に並ぶは空けられた一升瓶。そして情けなく倒れ伏している竜神達と御社職員達の姿。
晴は潰れて眠っている面々を見下ろしながら呆れたように溜め息を吐いた。
「なっさけないね~。天下の竜神が一升瓶一本でギブだなんて」
(笊の神子と比べるのが間違いなのだが……)
竜神で唯一まだ起きている蒼石がぼんやりとそんな事を思う。その蒼石も大分酔いが回っており、これ以上飲めば間違いなく潰れてしまうのが目に見えていた。
一方で晴は一升瓶を一人で飲み干したというのに、まだまだ余裕が見られる。琥珀が飲み切れなかった酒まで飲み干すくらいにはまだ余裕だ。挙句、新しく酒を注ごうとまた一升瓶に手を伸ばしている。
しかし、いくらなんでも飲み過ぎだと蒼石は思いながら、晴の手を掴む。
「神子、それ以上は身体に障る。止めておけ」
「なんだい、蒼石君。私から酒を取りあげるんだったら、私より飲めるようになってから言ってくれよ」
その勝負、勝てる気が全くしない。蒼石は思わず黙って唸ってしまう。
「あははっ! 冗談だよ。そうだね。今日はこの辺でお開きにするか」
晴は一升瓶を置き立ち上がると、潰れて眠っている竜神や御社職員達に毛布をかけていく。
そして、蒼石の元まで戻ってくると、蒼石の膝に頭を乗せて眠っている空の頭を撫でてやる。
本日の宴会の主役であり十三歳になったばかりの空を見つめるその顔は慈愛に満ちた母の顔だった。
「蒼石君、改めてありがとう……あの時、空の命を救ってくれて」
「いや……我は……我のしたいようにしたまで」
「それほど空が大切だったという事だろう? 空も蒼石君の事が大好きだしね」
無邪気な可愛らしい笑顔で「お父さん!」と呼び慕う空を蒼石は愛おしく思っている。故にその命をなんとしてでも救いたかった。
しかし、同時に湧き上がってくるのは罪悪感――。
「我は……空を一生我の下に縛り付けてしまった……」
「……蒼石君?」
普段は豪快で豪快過ぎて細かい事を気にしないような男神の弱々しい声に晴は目を剥いた。
「我のした事は……本当に正しかったのだろうか……」
空は一生人間としてまともな人生を歩んではいけないだろう。蒼石の支配下で眷属として生き続けなければならない。蒼石もそれを分かっている上で空を眷属にしたというのに――酒の力もあるせいか、隠していた本音がポロポロと零れ落ちていく。
その時――「バシンッ!」と大きな音を立てて背中が叩かれた。
「まったく! 情けない声を出すんじゃないよ!」
「はる、殿……」
「いいかい? 君は自分を責める事は一つも無い。これは私が望んで君に頼んだことだ。蒼石君に非はない。あるとすれば全て私の普段の行ないが悪かったせいだ」
「晴殿は悪くなど――」
「いいや! 悪いなら私だね! 何せ現世では『女王番長』と呼ばれた女だよ? 喧嘩は数えきれないくらいしたし、血が噴き出す程人を殴ったし、恨みを買って何度も殴られた。そんな悪逆非道の私に下った天罰だったんだよ」
その話は晴が神子になった直後、何度か聞いた事のある話だった。今やそんな面影は見られないが、時折恐ろしい言葉を使う事があるので、その片鱗は未だ健在ではあるが……。
「だからね、君は自分を責めないで、空を私の分まで一生大事にしてくれよ」
晴はそう言って、蒼石の頭を撫でた。空と同じように。
まさか竜神を己の子どもと同じ扱いをするとは思わず、蒼石は笑ってしまう。
「我は子どもではないのだが? むしろ晴殿の方が子どもだろう」
「落ち込んでいる子にはこうするのが一番なんだよ」
「ああそうだな。効果覿面だのう」
それもあって蒼石は全く気に留めなかった――晴が「私の分」までと言っていた言葉を――……。
その僅か数ヶ月後、晴は帰らぬ人となった。その時になってようやっと蒼石は晴の言葉の意味を理解した。
彼女は分かっていたのだ――己の死を。だから、蒼石に空を託したのだと――だから、竜神四人衆を新たな十の神子である水晶と契約させたのだと。
晴の遺体に縋りついて泣きじゃくる空を抱き締めながら、蒼石も晴の亡骸に目を向けた。
(神子……神子……晴殿……っ!)
眉間に皺を寄せて必死に涙を堪えて、蒼石は晴の頭に手を伸ばし、天色の神力が失われた少し茶色の髪を撫でた――脱色し過ぎたせいで大分痛んだ髪質は、晴の歩んできた歴史を物語っていた。
(また来世で会おう、我が主よ)
そう思いながら瞳を閉じれば、夏空のような晴の笑顔が浮かび――そして消えた。