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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
162/346

過去記録を求めて




 紅玉と蘇芳が次に向かった先は神域医務部総合病院と同じ卯の門広場にある神子管理部事務所だった。

 すると、そこで出会ったのは――。


「紅玉先輩、蘇芳先輩」

「ベニちゃん! スオーさん!」


 神域警備部総合詰所に捜査に向かっていたはずの天海と鞠だった。


「天海さん、鞠ちゃん、どうしてこちらに?」

「岩源の研修の記録を確認したら、岩源は新入職の研修で二十の御社に入って、そのまま二十の御社配属になったと判明したんです」

「そうなのですか!?」


 それが本当ならば新人からの大抜擢になる。しかし、天海の口振りからしてそうではないのだろうとすぐに察する。


「あの当時、神域警備部の……特に巽区は事件続きで酷い人手不足で……それで岩源の新人教育を神子管理部の職員に押し付けてしまったそうなんです。それで、その担当者が誰だったのかを調べる為に神子管理部事務所に来たんです」


 天海と鞠がいる理由については納得ができた。

 それにしても、何やら似たような話を先程聞いたばかりである――と、紅玉と蘇芳は思いながら、顔を見合わせ頷く。


「実はこちらも……まったく同じ話を冬麻さんから聞いたばかりなのです。当時、神子管理部の巽区配属も人手不足で忙殺状態にあり、神子の教育が行き届いていなかったのかもしれないと」

「そうなんですか……!」


 紅玉の説明に天海は驚くばかりだった。


 天海は岩源と実質同期になるが、天海は轟の事もあり、一足早く神域管理庁に入った。そして、初めての研修先は水晶が神子を務める十の御社である。

 研修を担当したのは蘇芳だったので、しっかりと教育を受けることができたし、蘇芳の補佐をしていた紅玉も紫もとても優しくしてくれた。教わったことが全て今に活きる良い研修だったと未だに思っている。


(蘇芳先輩も紅玉先輩も、あの当時すごく忙しそうだったのに……研修先一つでこんなにも変わるなんて……)


 思わず天海はゾッとしてしまう。天海の研修先を裏で糸を引いて決めてくれた幽吾や八の神子の金剛には感謝しかない。


 紅玉は天海に説明を続ける。


「冬麻さんはその当時まだ神子補佐役ではなくて、その当時の神子補佐役は恐らく前任者らしいのですが……実はすでに退職されているらしく」

「前任の神子補佐役は退職しているのですか……!?」


 そうすれば証言を聞くのは難しい。


 しかし――。


「とりあえず、二十の御社の当時の記録を確認しましょう。何か分かるかもしれません」

「そうですね……わかりました」


 神子管理部の紅玉を先頭に、蘇芳、天海、鞠と、四人は神子管理部事務所へ入っていった。




 そして、そこで告げられた言葉を聞いた瞬間、紅玉は対応している神子管理部巽区配属の男性職員を睨み付けた。


「過去記録を閲覧できないとはどういうことですか?」


 紅玉の氷のような視線に臆せず男性職員は淡々と告げる。


「ですから過去の御社の記録をお見せすることはできません」

「過去記録の閲覧は担当区職員から許可を貰えれば、神子管理部職員なら誰でもできるはずです」

「ですから許可できません」


 男性職員が梃子でも許可しない理由について、紅玉は薄々察し始める。


「それは何故ですか? 理由を伺っても?」


 それでも敢えて問えば、男性職員は予想通りの答えを返した。


「〈能無し〉なんかに許可できるか」


 ああやっぱり――予想通りの答えに抱いたのはあっさりとした感情だった。


「〈能無し〉がどれだけの不幸をこの神域に招いたと思っている? お前のせいで俺達巽区職員は三年前散々だったんだ。お前の頼みを聞く存在なんて、この巽区にはいない」


 男性職員がキッパリそう伝えれば、周囲からも冷ややかな視線を感じる。


 きっと冷たい目で睨んでくるのは三年前忙殺された職員達なのだろう。

 心を亡くす程働き続けたあの日々の元凶となったのは「藤の神子乱心事件」だ。

 首謀者は生死不明の行方不明であり、紅玉には直接的な原因はない。


 しかし、そうだとしても彼らは誰かを責めずにいられないのだ。不幸を招くと言われる〈能無し〉の紅玉を。


 瞬間、ゾッとするような気配に辺りが包まれる。


 紅玉がハッとして振り返れば、赤黒い神力を纏わせて蘇芳が静かに激怒していた。

 巽区の職員達は一斉に青ざめて怯んでしまう。


「蘇芳様っ!」


 紅玉は正面から蘇芳を抱き止めて制止する。


「退け、紅殿」

「駄目! 駄目です、蘇芳様! 怒りを鎮めて!」


 紅玉だけでなく、鞠も蘇芳の背中を掴んで止めている。

 だが、蘇芳の怒りは収まらない。ジリジリと身体が押されていく。


 その時だった。

 怒れる蘇芳の横を颯爽と通り過ぎ、対応していた男性職員と向かい合うと、その右手を素早く振り下ろした存在がいた。


 パシン――と、乾いた音が鳴り響き、紅玉も蘇芳も鞠も、男性職員も驚いてしまう。


 何故なら、普段は非常に無口で大人しい天海が、誰をも魅了してしまうと言われる美しい顔を悲しげに歪ませて、木賊色の瞳から涙を零して、目の前にいる男性職員の頬を叩いていたのだから。


「紅玉先輩だって大変だったんだ……っ!」


 涙声で天海は語る。


「いっ、妹さんが神子になって、守らなくちゃっていつも必死で……っ! それなのに俺や轟の面倒は見てくれるし、前二十二の神子の葬式も率先して執り行って、空と鞠も引き取って……っ! 美月の面倒だって……っ! でも、泣き言も文句も、一つも、いっ、言わなかった……っ! いつも優しく笑って、だっ、大丈夫だって……っ、励ましてくれた……っ!」


 涙は止まらないし、声も引き攣っているが、それでも天海は必死に思いを伝える。


「いっ、忙しさを、紅玉先輩のせいにする、あっ、あんた達にっ、紅玉先輩を悪く言う資格なんてないっ!」


 年下の青年に泣きながら説教されてしまい、男性職員は何も言えなくなってしまう。同時に他の巽区の職員も罰が悪そうに俯いてしまっている。


 するとそこへ――。


「こらこら。お前達、事務所内で騒ぎを起こすな」


 そう言いながら颯爽と現れたのは、前髪の一部を瑠璃色に染めた青い瞳の男性職員だ。


「大瑠璃主任……!」

「よっ、紅玉」


 神子管理部艮区の主任である大瑠璃は、同じ艮区に所属する紅玉にとって直属の上司である。新入職の時から大変世話になっている。

 紅玉は思わず姿勢を正してしまう。


 一方の大瑠璃はひょいと片手を上げて気楽に挨拶をする。

 そして周囲を見回りして、泣いている天海に近づき、ポンポンと頭を撫でる。


「一部始終見ていたけどな、人に手を上げちゃいけないぞ」

「ごっ、ごめんなさい……っ」

「素直に謝れるなんて良い子だな」


 頭を下げた天海の頭をよりいっそう大瑠璃は撫でてやる。


「お前達と違って」


 そして、大瑠璃は低い声でそう言うと巽区の職員達を睨み付けた。

 天海に叩かれた男性職員をはじめとする巽区の職員は一斉に硬直してしまう。

 しばらく職員達を牽制するように睨み付けていた大瑠璃だが、男性職員の前に立つと言った。


「説教は後回しにしておこう。先に二十の御社の過去記録の閲覧をさせてやれ」

「しゅ、主任……! それは……!」

「責任は俺が取る。何か問題があるのか?」

「……っ、いえ……ありません……お待ちください」


 大瑠璃の一睨みに男性職員はあっさりと引き下がり、書類を探しに引っ込んだ。


 紅玉はほっと息を吐くと、大瑠璃に頭を下げた。


「大瑠璃主任、助かりました。ありがとうございます」

「いいってことよ。必要なもんなんだろ?」


 大瑠璃はニカリと笑うと、紅玉の頭をやや雑に撫で回す。


「にしても紅玉は相変わらず仕事中毒だな。ちゃんと寝てんのか?」

「しゅっ、主任……!」


 紅玉が困ったような声を上げると同時に大瑠璃の手が叩かれる。

 見れば蘇芳が末恐ろしい顔で大瑠璃を睨んでいた。


 しかし大瑠璃は驚いた様子もなく、ニコニコと笑って手を振り、そして語り出す。


「上から那由多が神子になるというお達しをさっき貰ってな。那由多は巽区の副主任だろ? それで俺がしばらく艮区の主任と巽区の副主任代理を兼務することになって、で、その説明に来たらお前達がいたってわけさ」

「そうだったのですか……それにしても、巽区の副主任の代理までされるなんて……大瑠璃主任、働き過ぎでは?」


 大瑠璃も仕事中毒の代表者には言われたくないのだろう。乾いた笑いが出てしまっていた。

 そんな大瑠璃の心境を蘇芳は察し、何やら激しく頷いていた。


「まあ……あくまで代理だ。すぐに後任を見つけるさ」

「そうですか……」


 そんな話をしている内に男性職員が戻ってきた。


「お待たせしました。二十の御社の過去の資料は神域図書館の保管庫に移動されたみたいです」

「おう、わかった。行ってこい、紅玉」


 大瑠璃は許可を出したという証明の木札を紅玉に差し出した。紅玉はそれを迷わず受け取ると、頭を下げる。


「ありがとうございます、大瑠璃主任」


 すると大瑠璃は天海を見た。


「ああ悪いが、君は説教の時間だ。残ってもらうぞ」

「えっ!?」

「わかりました」


 天海は素直に頷くも、紅玉は納得がいかなかった。


「大瑠璃主任、天海さんはわたくしを庇っただけです……!」


 紅玉は縋るような目で大瑠璃を見つめたが、大瑠璃は冷酷にも首を横に振った。


「紅玉、気持ちはわからないでもないが、やはり手を上げたのは駄目だ。わかるな?」

「…………はい」


 大瑠璃だって、感情面では天海が決して悪くないと分かっているのだ。しかし、大瑠璃は主任という立場である。贔屓は決して許されない。


 紅玉は不承不承、大瑠璃に従うしかなかった。


「ごめんなさい、天海さん……わたくしのせいで……」

「いいんです、紅玉先輩。反省すべきなのは俺ですから」

「…………」


 そして、天海は鞠と蘇芳を見る。


「鞠、紅玉先輩達と行け」

「yeah……」

「蘇芳先輩、後はよろしくお願いします」

「天海殿……」


 恐らくあそこで天海が男性職員の頬を叩かなければ、蘇芳が間違いなく手を上げていたのだから――力加減をせずに。

 そうすれば待っていたのは今よりさらに悲惨で騒然な未来だっただろう。


 自分の怒りを引き受けてくれた天海に蘇芳は感謝しかなかった。


「……すまん」


 蘇芳が一言そう言うと、天海は小さく首を振り、そして微笑んだ。


 紅玉達は天海から背を向けると歩き出す。


「……参りましょう」


 そして、神域図書館を目指すのだった。




 乗合馬車に急ぎ乗り、坤区の神域図書館へやってきた紅玉と蘇芳と鞠は早速保管庫へ向かう。

そして、保管庫管理業務を行っている女性職員から驚くべき言葉を伝えられ、三人はまたもや目を剥いてしまった。


「只今保管庫は立ち入り禁止です」


 きっぱりとそう告げられた言葉に、鞠は大瑠璃から預かった木札を見せながら抗議の声を上げた。


「ナンで!? why!? マリたち、ちゃんとキョカもらいマシター!」

「いくら主任クラスの方からの許可があろうともダメなものはダメです」


 何故こんなにまで頑ななのか――その疑問は次の言葉ですぐに払拭されることになる。


「これは宮区職員の命令ですので」

「えっ……!?」

「っ!? 宮区職員だと!?」


 その言葉は納得すると同時に驚くべき言葉だった。


 宮区――皇族神子が住まう神域の中心部。

 そして宮区職員はその皇族神子に仕える神域管理庁の職員の中でも精鋭の者達が集められているのだ。

 皇族神子の直属の側近であるが故に、その権限は下手をすれば部署部長や中央本部をも上回るとも言われている――。


「あら、こんなところでお会いするなんて」


 聞き覚えのある涼やかな声が響き渡り、紅玉は思わず肩を揺らす。

 声の方を向けばそこにいたのは――。


「先程はどうも」


 綺麗な顔に輝くような微笑みを湛えた真珠であった。


「こんなところで皆様お揃いで、いかがなさったの?」


 朔月隊の動きを教えるわけにはいかないので、紅玉は咄嗟に言った。


「今回の件の反省点も踏まえて、二十の御社の過去の記録を閲覧しようと思いまして」

「まあそれはご苦労様」


 無事誤魔化せたとほっとするのも束の間だった。


「……ですが、それはできませんわ。その記録は私達宮区が預かりますので」


 その言葉に紅玉は動揺が隠せない。

 蘇芳もまた訝しげに眉をひそめながら言う。


「宮区の職員が何故そこまで関与する? もう終わったことだろう?」

「姫神子様のご命令です。何せ二十の御社の後任は姫神子様直々の推薦。二十の御社の過去を調べることは当然の義務でしょう」


 姫神子――すなわち七の神子が関与しているなら紅玉にこれ以上関わる権利などなかった。

 しかし――。


「いくら皇族神子でも、権利を乱用し過ぎだ」

「皇族神子を侮辱したと受け取っても?」


 一触即発のような蘇芳と真珠の睨み合いに、紅玉は慌てて蘇芳の腕を引いた。


「蘇芳様、落ち着いて……!」

「……っ……」


 先程の神子管理部事務所での一件で何か思うところがあったのだろう。蘇芳は渋々ながらも怒りの感情を抑え、一歩下がった。


 その様子を見ていた真珠はくすくすと笑う。


「まるで忠犬とその飼い主ね」

「……真珠様、蘇芳様をそのような表現でおっしゃらないでください」


 紅玉は思わず真珠を睨んでしまうが、真珠は気にする様子もなく微笑みを浮かべる。


「あらあら、これは大変失礼しました」


 人の神経を逆撫でするような真珠の言動に紅玉は苛立ちを覚えつつも、冷静さを取り戻す。


 とにかく今は二十の御社の過去を調べなければならない。その為にも今真珠達が所持している二十の御社の過去の記録を見る必要があるのだ。


 朔月隊の事を隠しつつ、紅玉は言葉を選びながら発言をする。


「百合様がこのような事になってしまったのも神子教育の不行き届きが原因だった可能性があります。神子管理部として今回の事件に関わってしまった以上、わたくしにはそれを調べる義務がございます。ですので、どうかわたくし達にもその記録を閲覧させていただけないでしょうか?」

「まあ! 紅玉さん、あなたは当時の神子教育をした神子管理部職員を疑うと言うのですか? 神子管理部は秀でた能力を持つ言わば選ばれた職員です。そのような立派な方々が神子への教育を疎かにするだなんてとんでもない! あなたは同僚を信じられないのですか?」


 まるでこちらが悪だと言われているような言い回しに、紅玉は思わず一周回って感心してしまった。


「まあ、あなたが他人を信じられないのは仕方ないでしょうね……あなたは嫌われ者の〈能無し〉ですから」


 微笑みながらそう言い切る真珠に蘇芳の怒りが頂点に立たしようとした時だった。


「ベニちゃん、イジメナイで!」


 そう言って、紅玉と真珠の間に割って入ったのは鞠だった。


「アナタ、イジワル! マリ、アナタキライ! ベニちゃん、ワルくない!」


 鞠の言葉に真珠の後ろに控えていた男性職員が鞠を睨む。


「お前! 真珠様に無礼だぞ! こちらの方をどなたと心得る!? かつての悪女、藤の神子の暴走をその身を挺して止めた神域の聖女様だぞ!」


 怒鳴る男性職員に対し、鞠も臆せず対峙するが――。


「……狛秋(はくしゅう)、お下がりなさい」


 狛秋と呼ばれた男性職員と鞠の間に、真珠が入ったのだ。


「しかし、真珠様……!」

「いいのです」


 狛秋に諭すようにそう告げると、真珠は微笑んだ――不気味に。

 そして、撫子色の瞳が妖しくギラギラと光る。


 それを見た瞬間、紅玉は身体が震えた。ドクドクと心臓が嫌な音をたてていく。


「純真で清らかなお姫様……あなたとは一度お話ししてみたかったのよね……」


 真珠は鞠に触れようと、細い指をゆっくりと伸ばす――。


 瞬間、鞠が急に後退し、真珠は目を剥く。同時に鞠も驚いていた。


 見れば、紅玉が鞠の腕を引っ張っていたのだ。


 紅玉の突然の行動に、誰もが驚いてしまう。

 一方の紅玉はそんな事も気にせずに慌てて頭を下げる。


「申し訳ありません! わたくし達はこれで!」


 早口でそう告げると、紅玉は鞠の腕を掴んで足早に立ち去っていく。

 紅玉の行動が理解できない鞠は引っ張られるまま「え? えっ?」と、戸惑いの声を上げているが、紅玉は止まる様子が無い。


 そんな紅玉を見て、蘇芳も少し頭を下げると、紅玉の後を追って立ち去って行った。


 残された真珠と狛秋はしばし三人を見送っていたが、やがて狛秋が紅玉達を睨みながら吐き捨てる。


「フン、無礼者の〈能無し〉め」


 一方で真珠は微笑みを湛えて黙ったままだ。




 しかし、その撫子色の瞳は酷く冷たいものであった――。





<おまけ:お説教>


 残った天海と神子管理部巽区の職員は大瑠璃から説教を受けていた。


「人を傷つけるような悪口を言うな」

「はい」

「人の顔を殴ったり叩いたりも駄目だ」

「はい」

「喧嘩両成敗だ」

「「はい」」

「じゃ、お互いにごめんなさい、だ」

「「すみませんでした」」


 そう言いながらも天海は、自分ではなく紅玉の方に謝罪してほしいと思ってしまう。


「よーし、二人とも良い子だな!」


 大瑠璃はそう言いながら天海と男性職員の頭をまるで犬を可愛がる飼い主の如くわしゃわしゃと撫でまくる。二人の髪の毛はあっという間にくしゃくしゃだ。


「でも、互いがどれほど痛い思いをしたのか知らねばならない。まずは……天海、お前の頬を築城に叩かせてやれ」

「えっ!」


 大瑠璃の言葉に天海はギョッとして、大瑠璃を見る。しかし、大瑠璃は有無を言わせない真っ直ぐな目で天海を見つめるだけだ。

 完全に断れない空気である。


「わ、わかりました……」


 天海は黙って目を閉じた。そして、叩きやすいように少し屈んだ。

 一方、天海に頬を叩かれた男性職員こと築城は内心笑っていた。


(さっきの仕返しだ。思いっきり殴ってやる)


 そして、築城は右手を振り上げて思いっきり振り下ろした。


 バチン!――という衝撃音が辺りに鳴り響く。


「――――ぃっっ!!??」


 築城は想像以上の右手の痛みに悶えてしまう。ジンジンと痛みが脈打っているのが分かる程だ。


 そんな築城に気付いた様子も無く、大瑠璃は天海を見て言う。


「なっ? 人に顔を叩かれるのはものすっごく痛いんだ。だから、人の頬を叩くのは駄目だぞ」

「は、はい……」


 一方の天海――正直、痛くも痒くもなかった。普通の人間であれば、頬を叩かれるのは物凄く痛いのだろう。

 だが忘れないでほしい。天海は天狗の妖怪の先祖返りである。人間より遥かに身体は丈夫にできており、人間に叩かれたくらいではちっとも痛くない。むしろ叩いた人間の方が痛いはずだと分かっていた。


(や、やっぱり止めるべきだったか……)


 未だに痛みで悶えている築城を見ながら天海は思う。

 だがしかし、上司命令だったのだから仕方ない。


 それにしても大瑠璃も変な命令をするものだと天海は思った。


(俺が妖怪の先祖返りだってこと知っているはずなのに……)

「じゃあ、次。築城、天海がこれからお前の悪口を言うからな」

「は、はい……」

「天海、築城の悪口を言ってやれ」


 そして、続いた大瑠璃の命令に天海はもっと困ってしまった。


(わ、悪口……悪口って何だ? 悪口って何を言えばいいんだ?)


 天海は非常に優しい性格をしていたので、悪口と言われてもパッと思い付かない。

 考えれば考える程、頭がぐるぐると混乱するばかりである。


 天海は思わず築城の顔を見てしまう。

 築城は困り果てている天海を見て、笑いを堪えているのか馬鹿にしているのか、口元が歪んでいた。


 ちょっとカチンとした。

 自分が世話になっている紅玉の悪口を散々言っておきながら、紅玉への謝罪も無い上に、自分は頬を叩かれている(痛くなどなかったが)。


 この性悪男に渾身の悪口を叩きつけてやらないと天海は気が済まない。


 そして、天海は自然とその言葉を叫んでいた。


「この不細工っ!!」


 天海の声が事務所中に響き渡り、誰もがその言葉に呆然とした。

 そして、天海はハッとして自分の言い間違いに気付く。


(「性格」って言い忘れた!)


 どうやら天海は「性格不細工」と言いたかったらしいのだが、切羽詰まり言い間違えてしまったようだった。


 しかし、築城はわなわなと震え始めていた。


「おっ、お前みたいなイケメンに言われたらそりゃ誰だって不細工だよっ!!」

(ええええっ!?)


 まさかの天海の言い間違えの悪口が築城の心を見事抉っていたようだった。


 それもそうだ。

 天海は天狗の先祖返りのせいか人離れした神秘的な美しさと持っている。

 一方の築城はどこにでもいる平凡な一般男性。


 月と鼈くらいの差がある。


 そんな見目麗しい天海に「不細工」なんて言われた日には心抉られること間違いなしだろう。


 若干涙目になっている築城に大瑠璃は言う。


「な? 人に悪口を言われると心が痛いんだ。だから、もう人の悪口を言っては駄目だぞ」

「は、はい……」

(本当は言いたかった事が違ったんだが……まあいいか)


 不完全燃焼ではあるものの、築城を少しぎゃふんと言わせる事ができたことには違いないのだから。




 余談だが、この後しばらく築城は「美し過ぎる天狗の先祖返りに不細工過ぎると言われた職員」として少し神子管理部内で密かな話題になったという。

 とんでもない汚名が一人歩きしてしまっている上に余計な尾鰭がついてしまい、築城は非常に解せない思いでしばらく過ごしたらしい。


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