二十の御社事件~猫又の涙~
漆黒の髪と瞳を持つ〈能無し〉が目の前に現われ、冬麻は驚きが隠せない。そして、その〈能無し〉が己の伝令役の優希を連れている事にも。
しかし――。
「今は説明している暇はありません。戦えますか?」
薙刀を差し出した紅玉の言葉に冬麻はハッとする。
周囲はまだまだ邪神が蔓延る危険な状況だ。悠長に会話をしている余裕などない。
冬麻は迷うことなく薙刀を受け取った。
「はい」
冬麻は難なく立ち上がった。
紅玉はひよりと優希に逃げるように命じると、幽吾に向かって叫ぶ。
「幽吾さん!」
幽吾は既に地獄の番犬に百合と那由多を乗せているところだった。
「二十の神子の事は任せて。鬼神君、紅ちゃん達をしっかり援護してよ。みんな、応援が来るまで頑張ってね」
「「「「「仰せのままに!」」」」」
朔月隊の全員がしっかりと返事をしたのを聞くと、幽吾は地獄の番犬に命じ、高く跳び上がる!
それを見た邪神達も跳び上がり、幽吾達へ襲い掛かる――。
「いやああああああああっ!!!!」
「させるかよっ!!」
同じく飛び上がった轟と鬼神が金棒を振り回し、次々邪神を撃ち落としていく。
「【切り裂け 氷の斧】!!」
「【貫け 闇の槍】!!」
地に落ちた邪神に右京と左京が神術で追い打ちをかける。
土煙が上がり、神術に身体を貫かれた邪神達は動けなくなっているものの――あくまで一時的なものだ。その証拠に身体を貫かれても尚、立ち上がる邪神がいた。
右京も左京も己の武器を握り締め、邪神を睨みつける。
また別の邪神が逃げる神子を追いかけようとするが、空が手裏剣で足を狙い隙が出たところで、紅玉は脇差で、美月は爪で、冬麻は薙刀で、邪神の身体を切り裂いた。
真っ二つになり、地へと沈められる。
しかし、すぐに邪神の身体は再生を始め、そして、何度でも立ち上がった。
二十の御社の神と同じ、十五名の邪神がゆらり、ゆらりと殺気と邪力を撒き散らせながら、朔月隊を睨む。
「キリがないやん……っ!」
「相手は邪でも神ですからね。しかも本来は二十の御社の神々ですし」
「残念ながら、色欲の神子の悲劇の二の舞です。実に最悪の事態です」
美月と双子の会話に、冬麻は思わず悲痛な面持ちで俯いてしまう。
「おい、神子補佐役。何でこんなことになっちまったんだよ?」
「…………そ、れは」
すると、突然邪神達がもがくように呻き出す。
【ああああ、ああ、ああああ、神子、神子、ミコ、みこ、神こ、み子】
【僕らに、は、キミが、全て、だったノニ、なのにナノニなのにいい、いい】
【悲しい、クルシイ、せつない、ツライ、かなしい】
【どうして、ドウシテどうしてドウシテどうしてドウシテ】
【俺タチは、おまえの、愛が、ホしい、愛が、アイが、愛してくれ、ミコ】
邪神達の悲痛な叫びに空は思い当たる節があった――。
それは初めて二十の御社に訪れた際、百合との会話で生じた違和感だ。
「……神子様にとって神様はどういう存在ですか?」
「み~んな、仲良しのお友達よ」
「…………本当に、それだけっすか?」
「ええ、そうよ――」
あまりにも軽かったのだ。百合の心が、二十の御社の神々と比べて。
空気が悪くなる事を避けて神子側仕え担当を順番で決めていることだって、裏を返せば一定の距離を保ち必要以上に親しい関係にならないようにしている事になる。
神子と神、双方の心の重さの均衡が崩れて起きてしまった悲劇と言えよう。
あの時感じた違和感や不安感を那由多に報告していれば結末は変わっただろうか……と、空は思いつつも、那由多に報告したところで状況は変わらなかったかもしれない。それでも、もっと何か行動できたかもしれないと思うと、後悔が渦巻く。
【アあアアあアあ、ミコ、神子ぉオオおおォぉオオおォ】
美月は思わず戸惑ったように叫ぶ。
「な、なあ、ここの神子様、何したん!?」
「要は小悪魔だったのでしょうね……それも魔性の」
「いや、小悪魔じゃないでしょう、最早これは……」
「「諸悪の根源」」
そう吐き捨てた容赦のない双子の言葉に、冬麻はますます表情を暗くしていく。
「冬麻様、前を向きなさい。まだ終わっていませんわ」
紅玉が厳しい口調でそう言えば、轟も言う。
「喋っている暇はねぇぞ、おめぇら! 来るぞ!」
邪神が再び一斉に襲い掛かる。
轟は鬼神と共に叩き潰し、右京と左京は神術で追い打ちをかけ、空が邪神の動きを止め、紅玉達が切り裂いていく。
ひたすらその繰り返しだ。
【ああ、ああああ……ミコ……神子】
【僕ラは、君ニ、アイしてホしかった……】
美月は己が切り裂いた邪神の言葉に思わずたじろいでしまう。
「な、なあ、神様達を元に戻すことはできんの!?」
「邪力さえ綺麗に祓えればですが……その力を持つのは神子のみです」
しかし、まだ応援の神子が来る気配はない。
「たとえ、神子が祓えたとしても、その身ごと浄化される事がほとんどです」
「実際、色欲の神子が邪神に変えてしまった神々も一人残らず消滅したと聞きます」
双子の説明に美月は愕然としてしまう。
「そんなっ! そんなんひどないっ!?」
美月は神々を憐れに思ってしまい、完全に油断してしまった。
「っ! 美月ちゃんっ!!」
空が叫ぶのと、邪神の刀のような腕が美月の腕を切り裂いたのは同時だった。
「――ぁっ――!!」
「美月!!」
「美月ちゃん!!」
轟と紅玉が叫ぶ声も、美月の耳にもう届いていなかった。
ドロリと目の前が真っ黒に染まっていく。汗が溢れ出す。血が零れ落ちる。身体の震えが止まらない。湧き出す力が止まらない。頭の中に呪いの言葉が響き渡る――。
「あ、ああ、いやあ、な、にこれぇ……!」
封印したはずの負の感情が蘇り、止められない――。
小さい頃からの夢やったのに。
夢を追いかけていたかったのに。
なんで?
なんでなん?
なんでウチが夢を捨てなあかんの――!?
ドクリ――心臓が嫌な鼓動を立て、身体中に邪力が纏わりつく。
じわり――悔しさと怒りで涙が溢れだす。
「ああっ! うぅっ! なんでぇ!? なんでウチばっかこんな目にぃっ!!」
美月が踠けば踠く程、邪力がより一層強くなっていく。
「美月ぃっ!!」
「美月ちゃん!! 邪力に身を委ねてはだめっ!!」
焦った紅玉と轟が手を伸ばす――しかし。
「ウチやてぇっ! こんなところ来たくなかったわぁっ!!」
美月が叫び、涙が零れ落ちた瞬間、溢れる邪力に美月は飲み込まれた。
美月の身体から黒い渦を巻いて邪力が溢れだす。そして、黒い渦が消えた瞬間、紅玉達の目の前に現れたのは紫がかった黒い毛を持つ巨大な猫又だった。
神域にはある常識があった。
邪力に触れるべからず。邪力に触れれば邪力が体を蝕み、心も邪力に支配され、やがて邪力に喰い殺されるだろう。
*****
地獄の番犬に百合と那由多を乗せ、二十の御社を無事脱出した幽吾は突然現れた巨大な猫又を見て、驚きが隠せなかった。
「……美月ちゃん……?」
***
また巽区で見回りをしていた天海と鞠も、二十の御社に出現した猫又を見て驚いてしまう。
「what's happen!?」
「……まさか、美月……!?」
***
遠くから感じる邪悪な気配に、水晶は突如立ち上がった。
蘇芳もまたその気配を察知した。そして、これから水晶が取る行動もわかっていた。
「すーさん、出るよ」
「はっ!」
「日番の契約組も準備して」
「「「「御意」」」」
執務室を出ると、蒼石が近付き、迷う事無く水晶の前で跪く。
「神子、我も連れていってはもらえぬか?」
空が心配なのだろう。その顔は真剣である。
「元よりそのつもり」
「ありがたき幸せ」
水晶はやってきた槐と紫を見て言った。
「えっちゃん、留守は任せた」
「気を付けるんじゃぞ」
「ゆかりん、怪我に出た時に備えて準備よろしく」
「承ったよ」
そして、水晶は屋敷を出て祈りの舞台へと向かう。
舞台の上でパンと両手を合わせ集中すると、ふわりと白縹の神力が水晶の身体や舞台を淡く照らす。
「場所は……巽区、二十の御社」
それを聞いた蘇芳がすぐさま術式を書いていく。普段は使用を許されないが、緊急時の時だけ使用が許可されている「転移の神術」の術式だ。
「準備完了しました!」
蘇芳がそう叫べば、水晶と契約組の神々が蘇芳へと近づく。
「邪神との戦闘になるわ。全員、十分に気を付けて」
「「「「「はっ!」」」」」
そして、水晶は深く息を吸うと、真剣な表情で叫んだ。
「十の神子、参ります!」
その宣言と共に蘇芳は転移の術式を展開した。
<おまけ:紅玉就職二年目の秋>
それは約二年前の秋の終わり頃だった。
十の御社に轟と天海が揃ってやってきたのだ。そして、二人は紅玉にある事を告げた。
「まあ、お二人の幼馴染さんが神域管理庁に就職ですか」
こんな時期だから中途採用だろうか。しかし、神域管理庁には就職試験というものがあり実施時期も決められているはずだから、中途採用という事はほとんどない。あるとすれば特例の事例だ。となると、二人の幼馴染も特例という事になる。
紅玉は一瞬で様々な考察をしながら二人の顔を窺う。そして、一瞬出かけた「おめでとうございます」という言葉を飲み込む。二人の顔が晴れやかなものではなかったからだ。
「……女でまだ十八歳だ。教育頼むなら俺らの知り合いがいいと思って……紅、おめぇに頼みたい」
「十八歳の女の子……」
紅玉が十の御社で面倒を見ている空や鞠や、それこそ妹の水晶よりは年上だが、まだ花盛りではないか。
何故そのような少女が急に就職など……。
「教育係を務めるのは構いません。ですが、就職に至る経緯やその事情についてはお話し頂けないのでしょうか?」
「…………」
「…………」
轟も天海も黙ってしまう。
(よっぽど言えない事情があるのでしょうね……)
一抹の寂しさはあるものの――。
「わかりました。お話ししなくても構いませんわ。教育係、お引き受けいたします」
「い、いいのかよ?」
「あら、頼んできたのはそちらですのに……よろしいのですか? 断ってしまっても」
「い、いや……」
「それに、轟さんが頭を下げてお願いをするのですから、断る理由がありませんわ」
「……あ、りが……とう」
もごもごと物凄く小さな声ではあったが、轟の感謝の言葉をしっかりと紅玉は受け止めた。
「紅玉先輩」
こちらは轟と打って変わって、普段とは違うはっきりとした声だった。天海の真剣な声に紅玉は思わず姿勢が伸びてしまう。
そして、天海は深々と頭を下げた。
「ご迷惑おかけしてばかりですみません。でも、どうか、どうか……よろしくお願いします」
頭を下げた天海の目から涙が零れ落ちたのを紅玉は見逃さなかった。
(ああ、天海さん……貴方という方は……)
天海の隣に立つ轟だって、昨年の「藤の神子乱心事件」で心神喪失に陥って、その傷が癒えぬまま全てを忘れ去り、立ち直ったと見せかけて、未だ漂う鬼火を生きている自分の同僚だと思い込んでおり、その心神は常に危ういもの。天海の心配の種の一つだ。
轟が心神喪失になったと聞いて、入職日を前押しして神域管理庁にやってきた事を紅玉はよく覚えていた。
それに加えて今回の突然の就職となった幼馴染の少女の事を心配し、深々と頭を下げて涙を流してまで懇願している。
(なんて幼馴染想いの優しい人……)
それに紅玉には痛いほど分かるのだ。天海の気持ちが。
幼き頃より自分の傍にいた親しい者達が、どんなに大切な存在なのか。
「はい。お任せください」
紅玉は柔らかく微笑んでそう言った。
そうして、やってきた少女が美月だった。
頭に生える猫の耳や二股に割れている尻尾や、十八歳とは思えない程大人っぽく美しい容姿を持つ事に驚いてしまったが、それ以上に驚いてしまったのはその表情はまるで魂が抜けたが如く無だった事だ。
「わたくしは紅玉と申します。よろしくお願いしますね、美月さん」
「…………」
絶望の色に染まる美月の暗い瞳を、紅玉は悲しげに見つめる事しかできなかった。