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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
150/346

夜更け、翌朝




 身長百九十越えの酔っ払った蘇芳を運ぶのは非常に労力を要したものの、幸い足はまだしっかりと着いてくれていたので、紅玉はなんとか十の御社まで無事帰ってくる事ができた。

 蘇芳を肩で支えながら御社の門を叩く。


「ただいま戻りました……! 開けてくださいまし……!」


 やがて門が開かれ、ひょっこり顔を覗かせたのは男神のなずなであった。なずなは紅玉と蘇芳の姿を見て、ギョッとしてしまう。


「紅ねえ! 蘇芳はどうしたんだい!?」

「お酒を無理に飲んでしまって……お水を持ってきていただけないですか?」

「ああもう! 紅ねえの腕じゃ蘇芳を運ぶのは大変だったろうに! どうして神獣連絡網で連絡を寄越さなかったんだい!?」

「…………あ」


 なずなの言葉に紅玉はそこまで頭が回っていなかったと気づかされてしまった。


(わたくしの馬鹿!!)


 野薔薇の発言で動揺した事が一因だとわかったものの、失態の原因が情けなく紅玉はとてつもなく恥ずかしくなってしまった。

 一方のなずなは特に気にした様子も無く、てきぱきと指示を出していく。


「りん、台所に紫がいるだろうからお水を持ってきて。伊吹(いぶき)は蘇芳を運ぶのを手伝って。つるは先回りして扉を開けておくれ」


 なずなの指示で楽器組の神々が各々動き出す。

 りんという水晶と同年代に見える少女のような女神は「おいっす!」と軽快に返事をすると、銅色の髪に括られた鈴を「シャンシャン」鳴らして台所へと駆けていった。

 御社随一ののんびり屋の伊吹は「は~い」と間延びした返事をすると「よっこいせ~」と言って、なずなと反対側の位置から蘇芳を抱えた。


「ほら、紅ねえ! ぼさっとしてないで行きますわよっ!」


 どこぞのお嬢様のような少しきつめの口調で話すつるという女神が紅玉達を先導する。先回りして扉を開けたり、靴を脱がすのを手伝ったり、階段を上る時は足元に気を付けるよう誘導したり――。


 そうしてなんとか無事に蘇芳を部屋まで運ぶ事ができたのだった。


 なずなと伊吹が蘇芳を寝台に寝かせると同時に、りんが丁度水を持ってやってきた。


「はい、紅ねえ。お水だよ~」

「ありがとうございます」


 なずなと伊吹は一仕事を終え、「ふぅ」と息を吐くと紅玉を見て言った。


「それじゃあ紅ねえ、あとは任せたよ」

「じゃあな~。蘇芳、お大事に~」

「次からは飲み過ぎにはお気を付けあそばしっ!」

「じゃあね。おやすみ。紅ねえ、蘇芳さん」

「皆様、ありがとうございました」


 仕事を終え去っていく楽器組の神々に紅玉は深々と頭を下げた。

 そして、パタンと扉が閉まると、紅玉は寝台に横たわってぐったりしている蘇芳を睨みつける。


「もうっ! 今後しばらく飲酒はお控えくださいましっ!」

「す、すまん……」


 平謝り状態の蘇芳は未だ顔が赤く、太い眉は申し訳なさそうに下がっており、瞳が潤んでトロンとしている。

 どことなく、艶めかしい……。


(目の毒ですわっ!)


 変な思考回路に陥りそうな自分を律し、紅玉は蘇芳の頭に触れる。


「起きられますか?」

「ああ……」


 ゆっくりと起き上がる蘇芳を紅玉は支えてやる。そして、水の入った杯を蘇芳の口元に差し出した。


「はい、お水を飲んでくださいまし。ゆっくり……ゆっくりですよ」


 コクリ、コクリと蘇芳の唇から水が飲まれていくのを見守る。口の端から少し水が零れてしまい、なんとまあ艶めかしい……。


(ああもうっ!!)


 紅玉は熱くなる顔を必死に抑えながら、一度杯を置く。

 そして、再びゆっくり蘇芳を横にさせると、蘇芳の濡れた口元を手拭いで拭い、蘇芳色の短い髪を二、三度撫でて、額に手を当てる。まだ熱がある気がした。


「気持ち悪いとかありませんか? 吐き気とか」

「それは、だいじょうぶ……ぐるぐるする……」


 途切れ途切れではあるものの、言葉はまだしっかりしているようでほっとする。


「まったくもう……あんな無茶な飲み方をするからですわ」


 こうなった原因は酒の処理の為の飲み過ぎだが、そもそもの事の始まりは砕条との飲み競べだったと思い至る。


「あんな意味の分からない喧嘩を買うのはもうお止めください。喧嘩を売った砕条様も到底理解できませんが、そんな喧嘩を買った蘇芳様も蘇芳様です。わたくしを庇う為に喧嘩を買ったのでしたら、今後もわたくしの為にそんな無謀な勝負をお受けにならないでくださいまし」


 少し怒ったように紅玉はきっぱりと言った。

 そして、今後は砕条に会った時に変な喧嘩を売られないように気をつけなくてはと思ってしまう。


 ふと、蘇芳の首元が苦しそうに見えたので、第二釦まで外し、首元を寛げてやる。そして、蘇芳に布団をかけて皺を伸ばしていると、不意に左手を掴まれた。

 驚いて見れば、蘇芳が紅玉の左手を掴み、潤んだ瞳で紅玉をじっと見つめていたのだ。紅玉は思わずドキリとしてしまう。


「……おれは、じぶんのいしで……しょうぶをうけた……あなたのため…………おれの……」

「……え?」


 蘇芳がボソボソと何かを喋っているのだが、どうやら蘇芳は強い眠気に襲われて意識が半分程落ちているらしく、何かを喋っているのだがボソボソとした声で紅玉はうまく聞き取れない。

 それでも蘇芳は必死に何かを伝えようと、紅玉の手を握る。


「……あなたが……さいじょうの、ものに……いやで……だから……おれのいじ……」


 耳に意識を集中していたせいで紅玉は気付かなかった。するりと指と指の間に、蘇芳の指が入り込み絡め取られてしまい、紅玉は驚いてしまう。


「えっ! 蘇芳様……!?」

「あなたを、わたし……ない……だれ……も」

「あの、蘇芳様……何て?」


 蘇芳の言葉を聞きたいのに、もう蘇芳の声は言葉になっていない。


 それよりもこの手を離して欲しい。恥ずかしくて堪らない。その上、赤い頬と蕩けるような金色の瞳があまりにも目の毒だ。そして、ふわりと漂う酒と薔薇の香りが紅玉の思考回路を奪っている気がしてならない。


 紅玉は混乱していたのだ。そして、また気付く事ができなかった。己の左手が引き寄せられている事に。


 ちう――。


 そんな音がした。そして、同時に左手の甲に感じたのは、柔らかな唇の感触と温かい唾液で濡れる感触で――。


「っ!!??」


 紅玉は声も出せない程驚き、口をパクパクとさせるばかり。その顔は林檎より真っ赤で、首まで赤い。


 だが、蘇芳は止まらない。止められない。


 ちゅう――ぺろり――くちゅり――。


 口付けて、舐めて、甘噛みをして――その度に奏でられる音に紅玉は身体を震わせる。


「す、おうさまっ……! ま、って……!」


 紅玉の言葉を聞き届けたのか、満足したのかは分からないが、蘇芳はやっと紅玉の手の甲から唇を離した。しかし、今度は己の頬に引き寄せてしまう。


「おれが……おもうのは…………」


 そう呟くと、蘇芳は静かになる。


「…………蘇芳様?」


 紅玉が恐る恐る顔を覗き見ると、蘇芳は瞳を閉じて眠りについていた。すぅすぅと規則正しい寝息だけが聞こえている。


「……………………」


 頭が少しずつ冷静になってくる。だがそれでも高鳴ってしまった胸の鼓動が治まらない。


「まあ……なんて……」


 紅玉は怒っている。物凄く怒っているのだ。


 ああなんて――なんてまあ――……。


「……憎たらしくて可愛い寝顔……」


 すやすやと眠る蘇芳のその頬を捻りたくなる程憎たらしいのに、その頬を撫でてあげたくなる程愛おしい――。


 相反する思いを抱える紅玉のその頬は、酷く赤かった。


「狡いですわ……蘇芳様……」


 更に育ってしまう恋心に、紅玉は苦しむ胸をそっと押さえた。




**********




 時は深夜を目前にした頃――神子管理部事務所がある卯の門広場で那由多は跪き祈っていた。そして、顔を上げるとうっとりとした表情になる。


「ああ……私の愛する御主人様……っ」


 まるで愛を謳う少女のように熱の籠った甘えた声で呟いた。


 そんな那由多を包み込むように――ドロリと黒い何かが纏わりつく。


 那由多が見つめる先にいたのは、真っ黒い闇のような何かだ。辛うじて人の形を保っているものの、人か神か邪かもわからない。そんな不気味な雰囲気を漂わせているが、那由多はひたすら崇め、祈りを捧げる。


 ドロリとした黒い何かの中から白い顔がすっと浮かび上がる。それは背筋が凍る程美しい顔だった。

 切れ長の銀色の瞳が愛おしげに那由多を見つめると、那由多は顔を一際赤くさせ、感動のあまり涙を流す。


【我が愛おしき子よ。首尾はどうだ?】

「二十の神子の素行は非常に問題があります。ですが、彼女自身は神に愛されており、決定的な解任理由には至りません。私もう悔しくて……!」

【悲観することはない。愛する子よ。やがて時は満ちる】


 そして、真っ黒い闇は那由多を抱き寄せる。


【早く私をお前のものにしておくれ。待っているぞ】

「はいっ……! はいっ! 那由多は必ず御主人様の願いを叶えてみせます! どうかお待ちください」


 真っ黒い闇は銀色の瞳を弓なりにさせ微笑むと、那由多の顔にそっと覆い被さると、その唇に己のそれを押し付ける。

 冷たい唇の感触に那由多はうっとりとしながら瞳を閉じた。




**********




 遠くから笑い声が聞こえてくる――今日も宴会場で楽しく過ごしているのであろう神子と神々の声が。


 冬麻は自室でその笑い声を聞きながら、目の前に積み上がる書類を見つめた。

 手元にあるのは神子管理部の書類、右に置いてあるのは神域警備部の書類、床に乱雑に置いてあるのは、先程神々が投げ捨てていった書類だ。直すのも面倒なので、そのままにしてある。

 書類仕事を終えたら次は宴会の後片付けと翌朝の食事の準備もしておかなければならない。あの二十の神子様は、朝食は白米と味噌汁派だから。神子様が望む朝食を用意しなければ神々から叱責されてしまうのだから……。


 終わりの見えない山積みの仕事にうんざりとしてしまう。しかし、それでも仕事はしなくては。手を動かさなければ終わらないのだから。


 ふぅ……と溜め息が出てしまう。


 パタパタと羽音がして、ふと見れば、そこにいたのは己の伝令役の小鳥。何か紙を咥えている。

 そこに書かれている文字を見て思い出す。ああ、これはあの新入職員の少年がくれたものだと。


「…………」


 冬麻は紙を受け取ると、それを破ってしまう。そして、そばにあった屑籠に放り込んでしまった。


 ふぅ……と溜め息を吐くと、冬麻は再び手を動かす。仕事を終わらせるために……。




 伝令役の小鳥は無言で冬麻の姿を見つめていた。




**********




 翌朝、朝食の支度をしながら、紅玉は調査結果を空と鞠にこっそりと報告をしていた。


「事態は思ったよりも深刻です」


 そう言いながら、紅玉は茄子と湯が入った鍋に出汁と味噌を投入し、溶かしていく。


「朔月隊はこの後動こうと思います。鞠ちゃんは今回の任には参加できませんので後日報告しますね」

「Yeah」

「空さんは朔月隊としてではなく、一職員として対応してください」

「わかったっす」


 そうこうしている内に茄子の味噌汁が出来上がった。


「はい、茄子の御御御付完成です。後はお願いしますね」

「おっす!」

「クバりまーす!」


 すると食堂からひょっこりと紫が顔を覗かせた。


「紅ちゃん、神子ちゃんがお味噌汁は具なしでって言ってるよー」

「は~い、茄子てんこ盛りにしておきますわね~!」


 食堂から水晶の「お姉ちゃんの鬼ぃいいいいっ!!」という声が響いた。


 そこへバタバタと大きな足音が近づいてくる――。


「すまん! 寝坊した!」


 飛び込んできたのは蘇芳だった。

 その声を聞いた瞬間、紅玉の肩が僅かに揺れる。


「おはよう、蘇芳くん。紅ちゃんから、昨晩しこたま飲んだから起きてこないかもって聞いていたから大丈夫だよ。体調は大丈夫?」

「本当に申し訳ない……! 体調は問題なく……」


 平謝り状態の蘇芳に紅玉は平静を装いつつ水を差し出した。


「おはようございます、蘇芳様。とりあえずお水を飲んでくださいまし」

「紅殿、昨夜は迷惑をかけた! 申し訳ない!」

「……蘇芳様、昨夜の記憶はどこまでございますの?」


 蘇芳は一気に水を飲み干すと、恥ずかしそうに答える。


「えっとその……貴女に水を飲ませてもらったところまでは覚えているんだが……恥ずかしい話、酷く眠くなってしまって……」


 つまり……昨夜のあの行為の事は覚えていないということになる……。


(まあ……あれだけわたくしを翻弄しておきながら覚えていない……そう、覚えていないのですか……あんなに、わたくしが、夜眠れない程、悩んだというのに……っ!)


 むぅっと頬を膨らませ眉をつり上げてしまった紅玉に、蘇芳はギョッとしてしまった。


「もう結構です。今後このような事がないように反省してくださいましっ」


 紅玉はぷいっと顔を逸らせてしまう。


「べっ、紅殿……! や、やはり怒っているよな? 寝坊して本当にすまない!」

「別に寝坊に関しては怒っていませんわ。ええ、怒ってなどいません」

「べっ、紅殿!? 俺は何かしてしまったのか!?」


 あからさまに怒っている紅玉に蘇芳はオロオロしてしまう。


「ですから、もう結構ですっ!」

「すっ、すまん! 本当にすまんっ!」


 蘇芳の顔も見ようとせずスタスタと朝食を運ぶ紅玉を追いかける蘇芳というおかしな構図が目の前で繰り広げられていく――。


「朝からいちゃつくねぇ……」

「先輩と蘇芳さんは今日も仲良しさんっす!」

「ナカヨシコヨシ、イイことデース!」


 十の御社の神々も紅玉と蘇芳のやり取りを「ははは」と笑い声をあげながら、微笑ましく見つめていた。





<おまけ:一人冷静な神子の心の声>


(うみゅ……で、すーさんは一体何をしでかしたんだ?)


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