表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
148/346

赤薔薇ノ華にて




 時は、日がとっくに落ち月が空にぽっかり浮かぶ夜。

 そんな夜に乾区にある遊戯街は最も賑わう。


 店や街のあちこちには華やかな明かりが灯り、職員だけでなく、神々や神子までもが夜の一時に夢を視る。


 そして、遊戯街にある「赤薔薇ノ華(あかばらのはな)」は赤色の薔薇や花々が店のあちこちに飾り付けられている非常に華やかな酒場である。また従業員達は店主含めて全員が女性。その上、見目麗しく、胸もたわわ。艶やかで妖艶な雰囲気に誘われ、一人、また一人と店に入っていく――。


 そんな「赤薔薇ノ華」の片隅で、紅玉と蘇芳はひっそりと食事を楽しんでいた。


「すみません、蘇芳様。お付き合い頂いてしまって」

「いや。一人でここに来させるくらいなら、いくらでも付き合う」


 蘇芳はそう言いながら、大和酒を呷った。


「ふふふっ、ありがとうございます。もし今後も来るような事があればお願いしても?」

「勿論だ」


 蘇芳は即答するものの、紅玉は少し恥ずかしげに視線をうろつかせた。


「その……今朝は失礼しました。まさか遊戯街に誘うという事にそんな意味が隠されていたなんて知らなかったので」

「あ、ああ……」


 紅玉の言葉に蘇芳もうろたえてしまう。


「けっ、決して変な意味で蘇芳様をお誘いしている訳ではありませんので! 大丈夫です! ご心配なさらずに! 何もございませんので! 大丈夫です!」

「う、うむ……そうだな」


 全然大丈夫じゃない……と、蘇芳は思う。紅玉の明後日な方向からの言葉の刃に心がチクチク……いやザクザクと刺される思いである。


 すると、そこへ――。


「はぁ~い、いらっしゃいませ~」


 そう声をかけてきたのは、下半分が艶やかな薔薇のような深紅に染まった茶色の髪と桃色の瞳を持ち、ぽってりとした赤い唇とたわわに揺れる大きな胸が印象的な妖艶な美女だった。


「まあ野薔薇(のばら)ちゃん、こんばんは」

「こんばんは~、紅ちゃんに蘇芳さん。いらっしゃいませ~」


 妖艶な美女こと野薔薇は、紅玉の友人の一人であり、そしてこの「赤薔薇ノ華」の店主でもある。

 そんな野薔薇は絶賛仕事中であるが、気にする様子もなく、紅玉の隣に腰掛けた。


 そんな野薔薇を見て紅玉が言う。


「野薔薇ちゃん、本日も大変麗しいですわ」

「んふふ、ありがと~。でも、紅ちゃんの方がと~っても可愛いわ~」


 野薔薇の言う通り、紅玉も少し着飾っていた。出掛ける直前に着付け狂いの女神の仙花に――杯を投げ捨てて水を無駄にしてしまった罰と称して――好き勝手されたのである。


 花柄模様のついた緑色の着物に花の刺繍があしらわれた臙脂の袴。襟と袖口から覗く透かし模様の白い布地が大変愛らしい。耳飾りは袴の色合いに合わせて紅色。そして、髪型は左肩から流れるように一つに括られている。括った位置にも紅色の髪飾りが付けられていた。


 可愛い友人が更に可愛くなっている事に、野薔薇は嬉しそうに微笑む。


「んふふ、よかったらお姉さんと一緒に飲みましょ~」

「あらあら。光栄な話ですわ」


 腰を引き寄せて頬まで撫でられているが、紅玉は狼狽える事無くニコニコと野薔薇に応えた。


 しかし――。


「……野薔薇殿」


 向かいに座っていた蘇芳は野薔薇を睨みつけていた。


「貴女は職務中の身。早く業務に戻られたらいかがだ?」

「あら~ん? 蘇芳さん、もしかして、焼きも――」

「あまりからかわないでもらおうか」

「んふふ~はいはい」


 蘇芳のピリピリと肌刺すような覇気に押し負け、野薔薇は呆れたように立ち上がる。しかし、その際に紅玉の左手を取り、口付けを落とす。

 チラリと蘇芳を見れば、蘇芳は驚きに目を見開いており、野薔薇は満足そうに笑った。


「んふふ~ごゆっくり~」


 そう言って立ち去る野薔薇を見送りながら、紅玉は思う。


(美人は何をしても様になりますわね~)


 どうやら手の甲に口付けされた事は全く気にしていないようだ。

 逆に蘇芳は慌てて紅玉の左手を取ると、手の甲を優しく――しかし一心不乱に手拭いで拭っていた。やがて背もたれに寄りかかり溜め息を盛大に吐いた。


 そんな疲れ切った蘇芳を見て、紅玉は思ってしまう。


「……あの、蘇芳様、もしかしてこういうお店はあまり得意ではありませんか?」

「あ……ああ、そうだな。派手な店とかはあまり得意ではないな。俺はゆっくり飲むのが好きだから、自室とかで飲む事がほとんどだし、休暇でもこういうところには来ないから気疲れしてしまうな」


 まあ今回の疲労の原因は主に野薔薇のせいだろうが。


「そうなのですね」


 そう言いながら、紅玉は思う。

 苦手な遊戯街に付き合ってもらって申し訳ないとか、無理をさせてしまって申し訳ない――と思うよりも先に――。


(よかった……)


 そう思って、紅玉はギョッとした。


(え? 何故、よかったと思ってしまったの? わたくし。ちっともよくなんてありませんわよ!?)


 ぐるぐると紅玉は考えながら周りを見渡す。


 野薔薇を初めとするこの店の従業員は非常に見目麗しい艶やかな女性ばかりである。それこそ彼女達目当てに訪れる客も多いのだ。

 ここだけではない。遊戯街にはそれは見目麗しい女性達が多く勤めている。店によってその特徴や印象も様々で、ありとあらゆる顧客に対応できるように遊戯街全体でそうなっているのだ。

 しかし、蘇芳はあまり遊戯街のお店と縁がなかった。一緒に暮らしているから知っていたが、蘇芳が自ら率先して遊戯街に行く事は一度もない。


 その事に紅玉は何故か安心してしまったのだ。


(何故安心してしまうの? わたくし! 何故嬉しいって思ってしまうの? わたくし!)


 その意味を模索した時に紅玉の中で一つの可能性が思い浮かぶ。




 もしも先程野薔薇が抱き付いたのが蘇芳であったのなら?

 もしも先程口付けされていたのが蘇芳であったのなら?




 その疑問の答えを出した瞬間、紅玉は一気に顔を赤く染めてしまった。


「紅殿? 大丈夫か?」

「ひゃっ! ひゃいっ! 大丈夫です……っ!」

「……店の熱気に中てられたんじゃないか?」


 蘇芳は手を伸ばし、紅玉の額に触れた。

 紅玉は思わず固まった。


「……少し、熱いか? 水分を摂った方がいいぞ」


 蘇芳はそう言って、紅玉の飲み物を指差した。

 一方で紅玉はそれどころではなかった。


(ああああああもうっ! 何でこの方はさらりとそんな事をやってのけてしまうのでしょうか!? いい加減勘違いしてしまいそうになるので止めて頂きたくっ!!)


 しかし、本心は止めて欲しくない――と思っている己がいた。


(もうっもうっもうっ!! なんて狡い人っ!!)


 紅玉はぐいっと己の飲み物を呷って火照る身体を必死に冷まそうとしたが、心臓の鼓動は一向に落ち着かないのだった。




 すると、そこへ――。




「……貴様、蘇芳か?」


 聞き覚えのある声に紅玉と蘇芳はそちらを向いた。


 そこに立っていたのは、漆黒混じりの灰色の髪と瞳、そして良く鍛えられた筋肉を持つ男性だ。そして、その男は蘇芳の遠い親戚であり、先月起きた事件の関係者でついこの間までよく顔を合わせていた人物であった。


砕条(さいじょう)……!」


 予想外の人物との鉢合わせに蘇芳だけなく紅玉も驚いた。


「お疲れ様です。蘇芳さん、紅玉さん。まさかこのお店で会えるとは奇遇ですね」

星矢(せいや)も……!」


 蘇芳が星矢と呼んだ男性は、輝くような黄色の髪に黒混じりの紺色の瞳とまるで絵本に出てくる王子様のような容姿を持っている。砕条同様、星矢もまた蘇芳の遠い親戚であり、先月起きた事件の関係者でもあった。


 久しぶりの再会に紅玉が尋ねる。


「お疲れ様です、砕条様、星矢様。お二人で仕事終わりにお食事ですか?」

「ああ。星矢が坤区第三部隊の隊長に就任したからな。その祝いだ」


 砕条の言葉に蘇芳と紅玉は思い出す。先月の下旬に砕条と星矢がその事を報告しに来た事を。


「そう言えばそうだったな。おめでとう、星矢」

「おめでとうございます、星矢様」

「ありがとうございます。不安はありますが、隊長として、しっかり務めを果たしたいと思います」


 星矢の懸命な姿に蘇芳は優しく微笑んでいた。そんな蘇芳を見て、紅玉もまた頬を綻ばせる。


 しかし、蘇芳と紅玉を見て、砕条が言い放つ。


「……そういう貴様らは逢引か?」

「「「…………」」」


 折角の和やかな雰囲気が台無しである。


 確かに遊戯街は恋仲の男女が逢瀬の為に利用する隠れ部屋が多くあり、この「赤薔薇ノ華」にもその為に使用する部屋があるのは事実ではあるが――。


「……砕条、誤解を招くような発言はやめてくれ」

「ふん、ここは遊戯街だ。そういう事を目的に来る者も多い。男女一緒にいるということはそういう事だと思われるぞ」


 蘇芳の抗議も虚しく砕条は一蹴する。

 確かに……確かに間違いではないのだが……決めつけるのは良くないと蘇芳が思っていると――。


「まあ……そこまで気づきませんでしたわ。申し訳ありません、蘇芳様」


 突然、紅玉がしゅんとなって謝ってきた。


「何故、紅殿が謝る?」

「だって、わたくしは〈能無し〉です。わたくしと一緒にいることで蘇芳様に変な噂が立つだなんて嫌ですわ……」

「…………」


 しゅんとする紅玉を見て、自分を心配してくれて嬉しいような……〈能無し〉と己を罵る紅玉に悲しいような……単純に異性として見られていないような発言にちょっと切ないような……蘇芳は非常に複雑な胸中になってしまう。


「……砕条、謝りなさい」

「なっ!?」


 優しく温和な星矢の酷く冷たい言葉に砕条は思わず目を剥いた。


「何故俺が!?」

「あまりこういう事は口出ししない方が懸命です。これは当人達同士の問題なのですから」

「……はっ?」


 どうやら砕条は星矢の言葉の意味を理解していないようだ。仕方なく星矢が補足を加えようとしたが――。


「砕条」


 低く恐ろしい声にそれは阻まれた。そして、星矢も砕条も肩をビクリと揺らす事になってしまった。

 唯一紅玉だけキョトンとその声の主を見ているだけである。


 声の主――蘇芳は言い放つ。


「勘違いしないでほしい。決して逢引などではないが、俺は自分の意思でここにいる。これ以上紅殿を惑わすのは止めてもらおうか」

「貴様……!」


 砕条は驚いてしまう。砕条はてっきり二人が男女の仲だと思っていたのだ。しかし、紅玉の言葉を思い返せば、二人はまだ恋仲になっていない事は明らかである。だが、蘇芳は自分の意思でここにいるといった。つまり少なくとも蘇芳は紅玉を想っているという証拠である。


 その事実に気付いた砕条はニヤリとほくそ笑んだ。


「なるほど。面白い」


 そして、砕条は何を思ったのか、紅玉の手首を掴み言い放った。


「神子補佐役、俺と付き合え」

「は? はっ? えと、どちらまで」

「馬鹿か。付き合うとはそう言う意味ではない。男女の仲となれ、そう言っている」

「……はい?」


 紅玉はいよいよ頭の中が大混乱である。紅玉だけでなく、蘇芳と星矢も目を白黒させていた。

 すると砕条が声高らかに言う。


「蘇芳に勝つための活路はどうやら貴様にあるらしい。だから、俺と付き合ってもらおう!」

「あの、全く以って意味不明なのですが?」


 この男、蘇芳に勝ちたいが一心で思考回路がおかしくなっているのではないだろうかと、紅玉は思考が一周回って心配になってしまう。


「砕条! その手を離せ!!」


 ようやっと思考が追いついた蘇芳が砕条の手を掴み、睨んでいた。

 蘇芳に睨まれ、砕条は渋々紅玉の手首から手を離す。

 その隙に蘇芳は紅玉と砕条の間に入り、壁となりながら砕条を睨みつける。


 そんな蘇芳の様子に砕条は笑う。


「今までで一番良い顔をしているな、蘇芳。だが、貴様らは恋仲という訳ではないのだろう? ならばその補佐役を俺のものにしても良い事だ!」

「あの、わたくしの気持ちは無視ですか?」

「紅殿は物ではない。不躾だぞ」

「砕条、あなたのしている事、最低ですからね」


 三人からの指摘にも臆せず、砕条は叫ぶ。


「煩い! 俺は蘇芳に勝つ! その為には手段も選ばない!」

「呆れて言葉も出ませんわ」

「恥を知れ!」

「馬に蹴られてしまいなさい、砕条」

「なんだと!?」


 その時、「パンパン!」と手を叩く音が響き渡り、全員そちらを振り返った。そこには野薔薇が呆れた顔をして立っていた。


「お客様達~、お店で揉め事はご法度よ~。女の子を巡って争いをするなら酒場らしく飲み(くら)べで勝負をしてちょうだ~い」


 野薔薇はそう言って、大和酒の一升瓶を突き出した。


「野薔薇ちゃん、煽らないでくださ――」

「いいだろう! その勝負乗った!」


 野薔薇の提案にあっさり乗ってしまった砕条が紅玉の向かい側に座ってしまった。


「さあ蘇芳! 酒を持て!」

「勝ちたければ最早内容はどうでもよいのですね、貴方……」


 勝利への執念が恐ろしいような、最早子どもっぽいような……。


「蘇芳さん、こんな下らない勝負受けなくていいですからね」


 星矢はそう言うものの、それで引き下がる砕条ではない。


「ならば、神子補佐役、貴様が飲め!」

「ええっ!? 何故わたくし……! そもそもわたくしお酒はあまり……」

「誰も受けないとは言っていないだろう」


 蘇芳はそう言って紅玉の腕を引き、代わりにそこに座ると、杯を持った。

 事が上手く運び、砕条はニヤリと笑う。


「くくくっ、それでこそ神域最強の男!」

「それとこれとは関係ないですよ……」


 今や義兄となった砕条のとんでもない行動に星矢は呆れを通り越して無の境地であった。


「星矢! 審判を務めろ!」

「……はいはい」


 ここで義兄(あに)を放っておけば紅玉と蘇芳に更なる迷惑をかけてしまうと思った星矢は、大人しく砕条の隣に座った。

 紅玉も仕方なく、蘇芳の隣に座る。


「は~い! じゃんじゃん飲んでね~!」


 野薔薇が楽しそうに蘇芳と砕条の杯に並々と酒を注いでいく。ドンと目の前に置かれた巨大な一升瓶に、紅玉は乾いた笑いしか出て来なかった。


「野薔薇ちゃん……流石にじゃんじゃんは無謀なのでは……?」

「うん~? 世流ちゃんならこれくらい一人で飲んじゃうわよ~?」

(蟒と一緒にしないでくださいましっ!)


 紅玉が心配するのも無理はない。何故ならば蘇芳は普段ほとんど酒を飲まないのだ。心配になって思わず蘇芳を見上げると、蘇芳は柔らかく微笑んで紅玉の頭をぽんぽんと優しく撫でた。


 思わず胸が高鳴ってしまったのは不可抗力だろう。


「お代は負けた方に請求させてもらうわね~」

「わかった」

「構わない!」


 野薔薇の説明に蘇芳と砕条は同意した。


「ああ、そうそう~。残りのお二人様は何か追加で注文する~?」

「では僕は野菜スティックとフライドチキンと緑茶のアイスで」

「えと、わたくしは……」


 あっさり星矢は注文を決めるが、紅玉は注文をあぐねていた。今は蘇芳が心配で一杯一杯なのだ。

 そんな紅玉に野薔薇は微笑みながら言った。


「じゃあ~、紅ちゃんには普段のお礼に私から飲み物を奢らせてね~。『()()』って名前だけど、ノンアルコールだから安心して~」

「あ……」


 にっこりと微笑んで頷く野薔薇に、紅玉もまた頷いた。


「では、それで」

「は~い、少々お待ちくださ~い」


 野薔薇が一旦去ったところで、蘇芳と砕条は睨み合った。


「今日こそは貴様に勝つ!」

「俺は負けるわけにはいかないからな」

「……では、両者いいですか?」


 そして、星矢が宣言する。


「勝負開始」


 そして、二人は同時に大和酒を呷り出した。





<おまけ:星矢の呟き>


星「安心してください。ものの数分で決着がつきますから」

紅「……はい?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ