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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
147/346

蘇芳の祈り、紅玉のお願い




 カリカリカリ――万年筆が走る音だけが響く室内。その机の上にはいろんなものが載っていた。


 神子管理部の書類や知らせ、報告書、領収書などなどの日々の業務に関するもの。

 そして、大量の付箋が貼られ、何度も書き加えられた跡のある個人情報が書かれた書類が大量に……。


 しかしながら、この大量の書類達をきちんと揃えてまとめておいてあるというところは、流石几帳面な彼女らしい。


 部屋の主である紅玉は机に向かってひたすら得た二十の御社に関する情報をまとめているところだった。




 神子の素行に関して報告書をあげた神子補佐役と特に問題はないと報告した神子護衛役。

 自由奔放過ぎるという二十の神子は、神々に溺愛される一方で他の神子からは甘やかされ過ぎという評価。

 そして、昨日ひょんな事で得た情報と研修から帰ってきた空からの報告。




 嫌な予感が頭に過ぎり、思わず眉を顰めてしまう。

 目の疲れを感じ、目を閉じて思案する――今後の動きを――。


 そして、ゆっくりと目を開けた。


(…………行って、この目で確かめるしかありませんわね)


 そう決めたと同時に困った事が一つ思い浮かぶ……。


「う~~~~ん…………」


 少し思い悩んでから、紅玉は再び決める。


(蘇芳様にお願いしてみましょうか)


 結論が出たところでぐっと伸びをした。


「……あら?」


 そして、紅玉はようやっと気付く。

 自分が机に向かい始めた時間は確か深夜だったはずなのに、もう朝日が昇り始めている事に……。


「…………」




 徹夜してしまった事は絶対黙っていようと決めるのであった。




*****




「おはようございます」

「おはよう、紅ちゃん」


 紅玉が台所へ向かうと、すでに竈は稼働中で、紫もすでに朝食の準備をしているところだった。


「おはようございます、紅玉先輩」

「っ!?」


 その挨拶をした主を見た瞬間、紅玉は驚いてしまう。


 それは、人離れした美しさと尖った耳と黒い翼を持つ良く知った男性だったからだ。


「天海さん!? 何故台所に!?」

「昨日は……その、迷惑をかけてしまったから……お詫びに朝御飯の支度を手伝っていました……」


 木賊色の瞳を彷徨わせて、恥ずかしそうに頬を赤く染めて小さな声で天海はそう言った。

 銀色の長い髪が邪魔にならないようにしっかり括っている上に丁寧に前掛けもしており、もう随分朝早くから手伝っている事が一目瞭然である。


 昨日、訳あって紅玉を尋ねてきた天海に泊まっていくよう申し出たのは紅玉だ。しかしそれが天海に余計な気遣いをさせてしまったようだった。

 紅玉は申し訳なくなってしまい、首を横に振る。


「まあまあ、そんな事、気にしなくてもよろしいですのに……!」

「いっ、いえっ……! はっ、恥ずかしながら、泣いてしまった挙句、晩御飯までご馳走になって、しかも泊めてもらったから……いっ、一宿一飯の恩義が……ああ、二飯になってしまうから……」


 どうでもいい。そんなこと。

 そして、紫がさらっとどうでもいい事を言う。


「天海くん、朝食は実質手伝ってもらっているから二飯じゃなくて、一飯であっているよ」

「どっちでもいいですわ」


 絶対零度の如く紅玉の冷えた声に紫が思わず「ひぃっ! すみません!」と声をあげる。


「まっ、まあ、そういうわけで、ここは人が足りてるからっ!」


 紫は慌ててそれを紅玉に押し付けた。

 紅玉が渡されたものを見ると、それは水が入った杯であった。明確に言えば、水ではなく、紫特製の果実水である。


 これが渡された意味を紅玉は察する。


(朝から会えて嬉しいような……徹夜明けの後で会う事に罪悪感があるような……)


 少し複雑なようだ。


「それじゃ、蘇芳君にもうすぐ朝御飯出来上がるからって伝えておいて!」


 紫がそう伝える横で、天海が丼を持ってコクコクと頷いていた。


「……はい、わかりました」


 そう足掻いても彼の人――蘇芳に会いに行かねばならなくなったので、紅玉は仕方なく――しかし、心は弾むように――勝手口から庭園を目指す。


 いつも蘇芳が鍛練している場所へと――。




*****




 紅玉が庭園を見渡すと、蘇芳はすぐに見つかった。蘇芳は今日も庭園の同じ場所で鍛練をしていたようだ。

 もうすでに鍛練を終えたところだったのか、汗を拭っている。そして、その右手には大剣が握られていた。


 「あら、珍しい」と紅玉は思った。


 というのも蘇芳は武器を使用しない。明確に言えば、籠手でしっかり覆った腕と拳が彼の武器であった。

 以前武器を使用しないのかと尋ねた事があるのだが、その時蘇芳は恥ずかしそうにこう言ったのだ。


「自分が刀などを使うと……その、軽過ぎて力の加減ができずにすぐ刃毀れをさせてしまうので……」


 紅玉の愛用する脇差だってなかなかの重さだというのに、刀を軽いと言ってのける蘇芳は、流石神域最強戦士だなぁと思った記憶だ。


 しかし、一応蘇芳用に作ってもらった武器がある事も聞いていた。ただその武器は、攻撃力が非常に高く一撃で大量の邪神を退ける威力はあるが、あまりに巨大で普段使うには非常に扱いにくい代物で滅多に使わないと言っていた事を思い出す。


 紅玉は再度大剣を見た。


 全長は紅玉の身長よりも大きく、刃は幅広く厚みもあり見るからに頑丈そうだが、同時に非常に重そうな剣というのは一目瞭然である。


(あれを初めて見たのはいつでしたっけ……)


 ふと考えて紅玉は思い出す――。


(そう、あれは三年前の――……)


 そこまで考えて、紅玉はハッとし、蘇芳の顔を見た。

 汗を拭いながら、切なげに遠くを見つめている蘇芳を――。




 思い出すのは仲良さげに向かい合う二人の姿。

 頬を微かに赤く染めて俯く蘇芳と、そんな蘇芳を見つめて楽しそうに微笑んでいる己の幼馴染――藤紫色の長い髪と青紫の瞳を持つ、線の細い儚げな印象を持つ元二十七の神子の藤紫。


 かつて神域を大混乱の渦に陥れた「藤の神子乱心事件」の首謀者とされ、未だに行方不明となっている――……。




 紅玉は思わず杯を投げ出し駆け出していた。


「蘇芳様っ!」

「っ! 紅殿、おはよう」


 紅玉の少し大きめな声に蘇芳は驚いてしまっていた。


「紅殿、どうした? そんなに慌てて」

「おっ――おはようございます! あっ、あの! えっと、その……っ!」


 紅玉は言葉に詰まってしまう。そして、己の行動に後悔をしていた。


(わっ、わたくしのお馬鹿! 蘇芳様は藤紫ちゃんの事を想っていらっしゃったのに違いありませんのに! 何故思わず声をかけて駆け寄る真似など! そこはそっとしておくべきでしょうわたくしぃいいいいっ!!)


 紅玉は朝から盛大に明後日の方向に勘違いをしていた。


 紅玉は、蘇芳と藤紫が相思相愛で、蘇芳はずっと藤紫を想い、藤紫の幼馴染である自分に協力してくれたり、親切にしてくれたり、心配をしてくれたりしているだけ――と、思っている。


 まあ、紅玉の甚だしい勘違いなのだが。


(でも、放っておけなくて! まるで蘇芳様が泣きそうな子犬みたいに見えて放っておけなくて、ついっ!)


 仁王だの軍神だの呼ばれる蘇芳を、子犬と評する事ができるのは紅玉だけだろう。


 そして、紅玉の思考回路は混乱の極みへ。


「蘇芳様っ!」

「あ、ああ……」

「なっ――泣きたい時は胸くらいいくらでもお貸ししますわっ!」


 紅玉は固まった。両手を広げたままで。

 蘇芳も固まった。思わず握っていた大剣をガランと落としてしまう程、動揺はしていたが。


 やがて、思考回路が動き出す。


「しっ! 失礼しました! 大変失礼しましたっ! わたくしったら朝からおかしな事を!」


 真っ赤な顔で平謝りする紅玉だったが、頭上から聞こえてきた笑い声に、恐る恐る顔を上げた。


「ふふっ、はははっ! それは思う存分、貴女を抱き締めても良いということだろうか? 紅殿」


 心底楽しそうに笑っている蘇芳の顔をしっかりと見てしまい、紅玉は更に顔に熱が集まっていくのが分かった。

 何度も言うが、蘇芳の顔はなかなか整っているのだ。


(心臓に悪いですっ!!)

「紅殿、いいか?」


 小首を傾げて尋ねてくる蘇芳が可愛すぎて――紅玉は観念するように両手を広げた。


「ど、どうぞ」


 そう言えば、するりと蘇芳の腕が伸びてきて、ぎゅっと抱き締められていた。密着する身体の熱が熱い程で、ドクドクと心臓の鼓動が煩くなっていくのが分かる。

 しかし、蘇芳は決して離そうとしてくれず、紅玉の首筋に顔を埋めて呼吸をしていた。当たる息が少しくすぐったいが――蘇芳の身体が少し震えているのも分かって――紅玉はじっと黙ったまま蘇芳の好きなようにさせた。

 視界にふと蘇芳の鮮やかな色の髪が目に入り、思わずそこをゆるゆると撫でる。


(蘇芳様……大丈夫ですよ……藤紫ちゃんの事は、わたくしが絶対に見つけてみせますから……だからどうか……一人で苦しまないで)


 そう思いながら撫でると、蘇芳の腕の力が少し強くなった気がした。




*****




 紅玉からの許しが出たので、思う存分その身体を己の腕に閉じ込めた。


 柔らかい、温かい、心臓の鼓動が伝わる、花のような甘い香りがする。




 ――生きている。







 思い出すのは三年前のあの夜――大切な幼馴染を目の前で失い、守る事ができず、七の神子から浴びせかけられた残酷な一言をきっかけに、心も身体も酷く病んで倒れてしまった紅玉は間違いなく死を願っていた――死へと向かっていた。


 目は虚ろで、喋る事も起き上がる事もままならず、呼吸は浅く、挙句原因は不明だった。


「紅殿……少しでいい……水を飲んでくれ」


 蘇芳は衰弱した紅玉を抱き起し、水差しを口に含ませた。しかし、口をわずかに潤した程度で、紅玉の口の端から水が零れ落ちてしまう。

 零れた水を拭いながら、蘇芳は胸が締め付けられていた。一番苦しいのは紅玉だろうに、同じくらい蘇芳も苦しく悲しかった。


 すると、紅玉の口が僅かに開き、また閉じた――何か言いたいのだろうか。蘇芳は紅玉の口元に耳を寄せた。


「…………わ、たく……が………しね、ば……よか…………」


 それ以上、聞きたくなくて、蘇芳は紅玉を抱き締めていた。紅玉の身体は少し冷えていて、己の温もりを分け与えるように強く、だけど優しく抱き締める。


「紅殿、諦めないでくれ……っ!」


 声が震えそうになるのを必死に堪える。


「貴女が信じている大事な幼馴染を、俺も信じている! だから、諦めないでほしい!」


 本心だ。慰めなどではない。本気でそう思っている。


「そして、貴女のせいなんかではない。俺は貴女がどんなに努力家で真面目で仕事熱心で誰よりも心優しい人だという事を知っている。貴女のせいなんかではない。誰が何と言おうとも、俺は貴女を信じている! だから、紅殿……生きてくれっ! 生きる事を諦めないでくれ……っ!」


 それは最早懇願だった。そうでもしないと、本当に紅玉はこのまま死へ向かってしまうと思ったから。


 そして、自分も死を願ってしまいたくなるから――。


「生きてくれっ……紅殿……!」


 いつの間にか涙が零れ落ちていた……。







 苦しかった過去のあの日を思い出し、思わず抱き締める腕に力を込めていた。


(もう、あんな思いはしたくない……っ! この人を失いたくない……っ!)


 そんな蘇芳の思いを察するかのように紅玉は優しく蘇芳の頭を撫で始める。その優しい掌の感触に、蘇芳は思わず強請るように抱き締める腕に力を込めていた。




*****




 どれほど抱き締められていたかは分からないが、蘇芳がようやっと腕から解放してくれた。その顔を見れば、少しすっきりしたような表情をしていたので、紅玉はほっとする。


 しかし、蘇芳は訝しげな表情をして紅玉を見ると、するりと頬を撫で始めたのだ。

 何事かと思い驚いて蘇芳を見れば、蘇芳は驚くべき事を口にした。


「紅殿、また徹夜をしただろう」

「…………」


 何故分かった?


「昨日より明らかに隈が濃い。徹夜をした証拠だ。あと顔色も少し悪い」

「…………」


 まだ何も言っていないのに……。


 紅玉は蘇芳から視線を逸らそうとして――阻まれた。頬を押さえられているからだ。


「紅殿」

「…………」


 苦肉の策で視線を彷徨わせてみるが、それも阻まれる事に――。


「紅殿!」

「近い! 近いですっ!」


 額と額がくっつく程の近い距離に、紅玉は悲鳴を上げた。


「ならば俺を見ろ。視線を逸らすな」

「わっ、わかりました! わかりましたからっ!」


 無事、心臓に安全な距離が得られ、ほっと息を吐く。

 そして、言った。


「け、決して徹夜をしようとしていたわけではありませんのよ……本当です。本当ですわ。ですが、あれやこれや調査した内容をまとめたり、別件を調べたり、考えをまとめたりしている内に、いつの間にか朝になってしまっただけですわ」

「……集中力が強過ぎるのも、いささか問題だな」


 蘇芳は思わず天を仰ぎたくなった。


「……わかった。貴女が徹夜をしないように今夜から寝かしつけに行くからな」

「あらいやですわ、蘇芳様。わたくし、子どもじゃありませんわよ」

「何度注意しても治らなければ、それは最早子どもだ」


 ぐうの音も出ない。


「……わかりました。ですが、今夜は夜更かしをどうかお許しください。行かねばならない場所があるのです」

「行かねばならない場所?」


 紅玉の言葉に蘇芳は過剰に反応してしまう。

 夜更かしをするほど夜分遅くに行く場所と言えば、神域の中ではあそこしかない――乾区にある神域一の華やかさを誇る参道町――遊戯街。


 「駄目だ!」と叫ぼうとした蘇芳だったが、その言葉は紅玉によって阻まれた。


「あっ、そうでした。蘇芳様にお願いしようと思っていたのです」

「――はっ?」


 「何を?」――という言葉は出て来なかったが、紅玉はあっさりと告げた。


「今夜、わたくしと遊戯街に一緒に行ってくれませんか?」

「っ!!??」


 紅玉の言葉に蘇芳はいよいよ慌てだしてしまった。




 紅玉は知らなかったのだ。異性を夜の遊戯街に誘うという事は、男女の交わりの誘いを意味しているという事を……。


 真っ赤になって必死に説明する蘇芳に首を傾げていた紅玉だったが、意味を理解した瞬間、蘇芳に負けず劣らず真っ赤になってしまい、二人揃って真っ赤になってうろたえる羽目になってしまったのだった。





<おまけ:紅玉が投げ捨てた杯のその後>


 杯を投げ捨てた事を反省し懺悔する事にした紅玉は、植物に関する神々の中から仙花(水仙の花の神)にお願いをして懺悔を聞いてもらっていた。


「慌てていたとはいえ、杯を投げ捨ててしまって申し訳ありません。挙句、中のお水(紫特製果実水)を無駄にしてしまって申し訳ありません。反省しております」

「はい。今後は気を付けるようにね」

「誠に申し訳ありません」


 幸い杯は芝生に守られ、割れていなかったが、入っていた果実水はどうにもならない。紅玉は心の底から反省をした。


「でも、ぶっちゃけ庭園の芝生くん達は喜んでいるわね。美味しいお水をありがとうだって」

(美味しいお水……)


 今度紫に頼んで、果実水を大量に作って芝生に撒こうか……と考えてしまう。


「でも、せっかくだから罰は受けてもらいましょうか」

「はい。何なりと」


 その一言にキラリと仙花の目が光った。


「じゃあお着替えさせて! あとお化粧も! 髪も整えるわよ!」

「それは罰ではなくて、仙花様がしたい事では?」

「さあっ! れっつ! お着替え!」

「ああああ……」


 仙花に引き摺られていく紅玉に抵抗の術などありはしなかった。


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