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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
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呪言




「……ごめんね。余計なお誘いだったかな?」


 幽吾としては、辰登が持っている重要な情報を蘇芳にも教える為と辰登への対応を蘇芳にも見せる為に連れて来たのだが、予想と反し蘇芳が暗い顔をしているので、思わず申し訳なくなってしまった。


「いや。これしきの事耐えられないで、神域警備部は務まらない」

「…………」


 蘇芳の言う事は正しい。

 神域警備部は神域と神子の平穏と秩序を守る戦闘部署。それこそ邪神との戦いでは神子を守る為に先陣を切るのだ。僅かな動揺や油断や迷いが命取りになる。

 今は縁を切ったとはいえ、蘇芳は盾の一族の生まれ。慈悲の心を捨てるように育てられてきたはずだ。実際、三年以上前の蘇芳は、強靭な肉体と常に険しい表情をした仁王か軍神か。まさに戦う為に生きていたようなものだった。


 三年以上前は――。


 約三年前、ある出会いを機に蘇芳は大きく変わった。それはまるで芽吹いた種が育ち花を咲かせるが如くあっという間だったと幽吾は記憶している。

 幽吾自身、驚かされたのだ――あの蘇芳が笑う事ができたのだと――本来は心優しい男性だったのだと。

 そして、そのきっかけを作ったのがたった一人の女性であった事に――。


 幽吾はニンマリと笑って言った。


「今、無性に紅ちゃんに会いたいでしょ?」

「っ!?」


 瞬間、蘇芳の顔が真っ赤に染まった。あまりにも分かりやす過ぎる反応に幽吾は思わず笑ってしまう。


「そう言えば、今日の紅ちゃん、ものすっごく可愛かったもんね~。抱き締めた? 思わず抱き締めちゃった?」

「そ、そんなことはしない。何度も言うようだが、俺と紅殿はそういう関係ではない」

「契約術を結ぶ仲のくせによく言うよ」


 幽吾の言葉に驚いてしまい蘇芳は物凄い速さで幽吾を見る。

 幽吾は楽しそうに右の小指を振って見せていた。


「見る人が見れば何かはわかるよ」


 幽吾はそう言うが、蘇芳の右小指に刻まれる契約術の紋章はよく見ないと気付かない程うっすらとしたものだ。


(この方……目を開けないというのに、こういう事には本当に目敏い)

「いや~それほどでも~」


 心の中で悪態を吐いたというのに、それに返事(しかも褒め言葉として受け取って)をした幽吾に、蘇芳は大きなため息を吐いてしまった。


(この方に常識は通じない……)


 これ以上幽吾に翻弄されまいと自身に言い聞かせるように、蘇芳は目の前の抹茶を、作法を無視して煽った。


 すると――ズシン、ズシン――と、また足音が聞こえてきて、先程の真っ赤な鬼神が幽吾に紙切れを差し出した。


「ああ、ありがとう。ご苦労様。辰登はまた拷問部屋に戻して刑の執行再開させておいて」


 鬼神は静かに頷くと、くるりと向きを変え、大きな足音を響かせて去って行った。


「さてと」


 幽吾は渡された紙切れを開き――顔を歪めた。


「辰登の証言はあっていたようだね……これはあの呪いの紋章だ」


 そう言うと、その紙切れを蘇芳にも見えるように卓の上に置く。そして、蘇芳も思わず嫌悪感に眉を顰めた。


 それは神域史上最悪と呼ばれる呪いの紋章だ。

 神々が作った美しい象りのはず紋章は見る影もなく、醜く歪められ、神々の存在を全否定するが如く、あまりに冒涜的なもので、見る者に不快感と嫌悪感しか与えない。


 この呪いの紋章が公になったきっかけは、三年前に起きた「藤の神子乱心事件」でのことだ。

 藤の神子と呼ばれる当時の二十七の神子こと藤紫(ふじむらさき)が、現在聖女と呼ばれている真珠(しんじゅ)との死闘の末に放った呪い――その呪いこそ、史上最悪の呪いの紋章である。

 そのせいで真珠は現在進行形で命をじわじわと削られているという。


「確かに。そして、萌にかけられていた呪いと同じ紋章だな」


 蘇芳はそう言いながら二ヶ月までの出来事を思い出す。


 二ヶ月前、新人で〈神力持ち〉の雛菊を禁術で操ろうとし、裏で糸を引いていた何者かによって殺されそうになった女性職員の萌。一命は取り留めたものの、未だに意識は戻らない。そして、今はこの地獄の入口で身柄を拘束されている。

 その萌にもこの呪いの紋章が刻まれていた事を蘇芳は鑑定の異能で明らかにした。


「聖女の呪いの紋章、萌の呪いの紋章……そして、矢吹の呪いの紋章はやっぱり同じだったね」


 矢吹――禁術を密かに作っていた集団、術式研究所の所長だった神子管理部の男性職員だ。禁術を作成及び使用の罪で捕らえられたものの、その後獄中で自殺をしていた。他の研究員達を全員他殺してから。

 この矢吹の謎の行動を幽吾は未だに疑問に思っていたのだが、辰登の証言もあり、呪いが関係している可能性が出てきた。


 故に幽吾は矢吹の身体に刻まれていたという呪いの紋章を確認したかったのだが、矢吹は三年前に死んでおり、遺体もとっくに火葬されている。


 そこで辰登の記憶を強制的に引き出す事にしたのだった。


 聖女の呪いの紋章と萌の呪いの紋章に関しては鑑定付きの歴とした証拠があったが、矢吹の呪いの紋章に関してはあくまで辰登の証言のみで証拠がなかったからだ。


 幽吾の意図をようやっと理解したところで蘇芳は言った。


「とんでもないことが明らかになったな。呪いの術者は『藤の神子乱心事件』より前に起きた『術式研究所による誘拐事件』の時にはすでに呪いの術を行使する事ができたという訳か」

「まあ要は、その術式研究所の関係者の可能性が濃厚ってことだよね。やっぱり術者は『謎の女』なのか?」


 「謎の女」――朔月隊が現在進行形で追っている危険人物だ。


「まあ矢吹の呪いも同じだろうって事は大体予想ついていたけど……どうしてもわからないなぁ」

「……聖女に呪いをかけた術者のことか?」


 蘇芳がすぐにそう答えられたのは、蘇芳もまた幽吾と同じ疑問を抱いていたからだ。


「そう。聖女に呪いをかけた人物は藤の神子……すなわち藤紫さん。紅ちゃんの幼馴染のね」


 蘇芳の脳裏に過ぎったのは、藤紫色の長い髪を二つに結い、猫のように大きな青紫色の瞳を持つ細身で儚げな雰囲気を纏った人物だ。


「……術者が違っていた可能性は――」

「ないね」


 蘇芳の意見を幽吾はきっぱりと否定する。


「聖女の呪いの鑑定を行なったのは皇族神子様だからね。二の神子の露姫(つゆひめ)様さ。間違いなんてあり得ないよ」


 二の神子と聞いて、蘇芳も納得するしかなかった。

 現皇族神子の最年長であり、あの皇太子が実の姉のように信頼を寄せる姫君である。麗しい見た目ながらその心はしっかりしている人物で、職員だけでなく国民からの人望も厚い。

 そんな人物の鑑定であるならば、間違いはないのだろう。


 心では全力で否定したくなるが……藤紫が呪いをかけたなどと……。


「まあ聖女の呪いはとりあえず置いておいて、矢吹の呪いの術式の呪言を解読しようか」


 呪言とはその名の通り呪いの言葉だ。神術の術式には紋章の周囲に祝詞が奉げられているが、呪いの術式には祈りではなく呪いの文章がひたすら書かれているのだ。


 そして、蘇芳と幽吾は先程の紙切れをもう一度見る。紋章の周りに小さく書かれている旧大和文字を読んでいく。


「……蘇芳さん」

「ああ、俺も思った」


 そこに書かれていた呪言はこうだ。


『死に逝きなさい、恋に破れし愚かな男、禁忌と秘密を全て葬り己も屠るだろう』


 それを読みながら、幽吾は紙切れを取り出した。それは以前蘇芳が鑑定し書き写した萌にかけられた呪いの術式が書かれたものである。

 そして、そこに書かれていた呪言はこうだ。


『死に逝きなさい、身の程知らずの愚かな女、女神の名を声にする前に胸を貫かれ息絶えるだろう』


「似ているな」

「似ているね」


 二人が思わずそう呟いてしまう程、二つの呪言の文言は非常に良く似ていた。それはまるで――。


「十中八九、呪いの術者は同一人物だと考えてもいいくらいだね」


 蘇芳の幽吾の意見に同意だった。しかし――。


「だけど、やっぱり術者に関する情報はないか……」


 そう呟いた幽吾の言葉にも蘇芳は同意見だった。


 蘇芳の異能で鑑定しようにも、矢吹の遺体はもうない。萌の呪いの方も以前術者を鑑定しようとしたのだが、術者の神力が綺麗に無くなっており、唯一見えたのは呪いの術式だけだったのだ。


「立つ鳥跡を濁さずとは言ったものだけど、ここまで用意周到過ぎると流石にちょっと憎たらしい」


 幽吾は「ちっ!」と思わず舌打ちをしていた。


「絶対逃がすもんか……この罪人は絶対に捕らえて僕が刑を執行する」


 恐ろしい声でそう告げる幽吾を見て――蘇芳はついに決意をした。


「……幽吾殿……貴方にも……紅殿にも話していない大事な事がある」

「……紅ちゃんにも?」


 幽吾は訝しげに蘇芳を見た。


「紅殿には黙っていた方がいいと思って……打ち明けないでいる。水晶殿にもそのようにお願いをしている」

「……晶ちゃん?」


 蘇芳は思い出す。二ヶ月前に起きたあの日の事を――。


「雛菊殿が生活管理部の親睦会に行く前に、水晶殿が雛菊殿に結界術を張っていたのだが……萌が札を使って破壊したらしい」

「札で神子の結界術を破壊!?」


 驚く幽吾に頷きながら蘇芳は話を進める。


「その際、結界を破壊された反動で水晶殿は倒れて高熱を出してしまったのだが……倒れる寸前に見えたらしい。萌が投げた札に宿されていた者の神力を――桜色の神力を」

「桜色……っ!」


 幽吾は驚くしかなかった。


 この神域で桜色の神力を有する人物はあまりにも有名な人物だったからだ。


 桜色の柔らかそうな長い髪をふわりと揺らし、桜色のまつ毛で縁取られた愛らしく大きな苺色の瞳を潤ませて、頬をほんのりと赤く染め、桜の花弁のように艶やかな唇を美しく弓なりにさせてにっこりと微笑む可憐な少女。


 この世の美しさと愛らしさを詰め込んだ大和皇国皇族神子の至高の姫君こと――桜姫(さくらひめ)――この姫こそが桜色の神力を有する人であるからだ。


「……蘇芳さん、僕が四大華族だとわかった上で話したの?」

「……貴方が四大華族だから……今まで黙っていた……だが、貴方は、例え四大華族でも罪を犯した人間を決して赦さない冷酷さを持ち合わせている。幽吾殿だから打ち明けようと思った」

「…………」


 真っ直ぐ己を見つめる蘇芳の金色の瞳を見た。その瞳に嘘や偽りはない。どこまでも真っ直ぐで真面目な瞳だった。


「蘇芳さんのそういうところ、僕好きだよ」


 幽吾はニッと笑う。


「桜姫の件は絶対誰にも話さないと約束するよ。その代わり、桜姫の動向には気を付けるように見ておくよ」

「信じてくれて感謝する」


 頭を下げる蘇芳に幽吾はひらひらと手を振った。


「それにしても、桜姫の神力が宿った札なんて萌はどこで手に入れたんだろうね~?」

「……それは……流石に……」

「う~~ん……その辺から調べてみようかな……」


 ぶつぶつと考え出した幽吾に蘇芳は少し罪悪感を覚える。


 蘇芳は萌がどうやって札を手にしたのか心当たりがあった。だがそれを、幽吾にも、水晶にも、紅玉にも言えない理由があった――。


(言えない……絶対に言えない……言えば最後……例え幽吾殿でも……)


 かつて起きた最悪の結末を思い出し、蘇芳は身体が冷えていく思いだった。


(もしも幽吾殿や水晶殿に何かあれば……悲しむのは紅殿だ)




 そして、蘇芳は思い出す――ある人物からの伝言を――。


「蘇芳さん……どうか気を付けて。侮らないで。見縊らないで。どこまでも利己的で野心が強くて、自分の為なら平気で嘘を吐くような人間です。そして、自分の力となるならば強奪だって平気でします。人の皮を被った化け物だから……だから、どうか、どうか、気を付けて……」


 蘇芳の脳裏に過ぎるのは、肩より短く綺麗に切り揃えた大地のような茶色の髪と眼鏡の奥に覗く萌黄色の瞳の女性。




「どうか紅を助けて……っ!」




 紅玉の幼馴染の葉月(はづき)の悲痛な叫びが頭の中で響き渡っていた。





<おまけ:紅子と美登里>


 その子はいつも一人で本を読んでいるなぁと紅子は思った。

 いつも一緒に遊んでくれるありさも灯も外で遊ぶ事が好きな子だから、一緒に外で駆け回る事の方が多い紅子だったが、身体に見合わぬ大きめの眼鏡をかけてひたすら本を読んでいるその子に興味を持ってしまったのだ。


 その日は雨だったので外では遊べない。ありさがつまらなさそうに足をジタバタとさせ、灯は紅子と一緒に絵本を読んでいた。

 可愛い挿絵を目で追いながら、紅子はチラリと部屋の隅で本を読んでいるその子を見た。


 今日も一人のようだ。


「…………」


 紅子は迷った。本を読んでいる邪魔をしちゃいけないような、でも一人でいるその子の事がどうしても気になってしまう。

 母が、世の中には一人でいる事が好きな子もいる、と言っていた気はするけれど、紅子はその子とどうしても話がしてみたくなった。


 紅子は勇気を出して立ち上がる。

 ありさと灯は少し驚くものの、黙って紅子の行動を見守った。


 紅子はその子の前に立つ。

 その子が紅子の存在に気付き、顔を上げた。

 その子の眼鏡の奥の瞳をじっと見つめながら、紅子は勇気を出して言う。


「みどりちゃん! なんのほんをよんでいるのですか!?」


 少し大きな声になってしまったものの、ちゃんと言えた事に紅玉はほっとする。そして――。


「……しょくぶつずかん。いっしょによむ?」


 その子がちゃんと返事をしてくれた事に、紅子は嬉しさでいっぱいになる。


「はいっ!」


 紅子が嬉しそうに笑うのを見て、美登里もまた笑ってくれたのだった。


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