影の執行人
※残酷、出血表現があります※
苦手な方は要注意
時は少し遡る――。
紅玉と文と別れ、紅玉に奢ってもらった土産用のよもぎみたらし団子を持って幽吾が向かった先は己の職場ではなかった。
門を二、三度叩けば、すんなりと門が開かれ、幽吾は御社の敷地に足を踏み入れることができた。
「やあ、こんにちは。あ、これ、お土産のよもぎみたらし団子ね」
幽吾がにっこりと笑いながら、相手に渡す。
「お気遣い感謝する」
受け取った蘇芳が小さく頭を下げた。
そう、幽吾が訪れたのは十の御社だった。
紅玉が御社にいないこの絶好の機会に幽吾は蘇芳と話がしたかったので、急遽予定を捩じ込んだのだ。
「ごめんね~。紅ちゃんから呼び出し貰っていたから遅くなっちゃって」
「いや、構わない。紅殿が朔月隊として動く事は知っていたから」
「もうノリが悪いなぁ~。ここは紅ちゃんに何を告白されたんだ!? とか疑って嫉妬すべきだと思うんだけど~? 男としては」
「……何を疑えと?」
「うんうん。分かっていたけど、物の見事に冗談が通じない。流石真面目一辺倒の盾の一族」
「盾の一族とは先日縁を切りましたが?」
「あはは、蘇芳さんのそういうところ、僕嫌いじゃないよ」
「はあ……」
くだらない会話を繰り広げながら、二人が向かった先は庭園だった。
「それで幽吾殿、俺に用事とは?」
「……君の遠い親戚が知っている呪いの術式について尋問するんだけど、一緒に来る?」
幽吾のその一言に蘇芳は少し目を剥く。そんな幽吾の意図はわからないが、理由もなく話を持ちかけるような男ではない事は知っている。
蘇芳が「ああ、頼む」と頷くと、幽吾はニンマリと笑い、空中に手を翳す。
鈍色の神力が凝縮され、瞬時に現れたのは禍々しい気を纏った重厚感のある扉だ。扉が開くと、冷気が一気に蘇芳の肌を刺した。
「ようこそ。地獄の入口へ」
蘇芳はこの扉を潜るのは三回目――最早慣れた様子で足を踏み入れていく。
飲み込まれるような真っ黒い空間から現れたのは、洋灯の灯り。見えてきたのは西洋文化の卓と椅子。聞こえてくるのは蓄音機から流れるおどろおどろしい音色。そして、すっかり給仕係の服が板に付いた鬼神が今日も今日とて湯を沸かしていた。
しかしおかしいのは、鬼神の服装や調度品の雰囲気が西洋文化のものだというのに、湯を沸かしている道具がどう見ても大和皇国でよく使用されている茶釜であった。そして、その近くには茶碗、茶杓、棗、柄杓、茶筅といった茶道具。
「…………」
唖然としている蘇芳を余所に、鬼神は茶杓で棗から抹茶をすくい取ると、茶碗に入れ、茶釜から柄杓で湯をすくい、また茶碗に入れる。そして、手に取った茶筅で素早く抹茶と湯をかき混ぜていく。
シャカシャカシャカ――。軽快な音がしばらくの間響いていたものの、抹茶が泡立ったところでくるりと一混ぜし、ゆっくりと茶筅を上げた。
「…………」
若干呆然としている蘇芳の目の前で、鬼神は茶碗を一回、二回と時計回りに茶碗を回すと、蘇芳の目の前に出来上がったばかりのそれを置いた。
ぺこりと頭を下げた鬼神の言葉を幽吾が代弁する。
「今日はお茶受けが団子なので、お抹茶をご用意させてもらいましただって」
「作法が完璧すぎるのだが!?」
ついに蘇芳は堪え切れずツッコミを入れてしまった。一体何処で作法を習得したのだとか、そもそも茶道具は一体何処で仕入れたのかとかいろいろ気になりつつも、ふと目に止まった先に蘇芳は意識を奪われた。
今までここは「地獄の入口にあるちょっとしたカフェ」と呼ばれていたが、いつの間にか置いてあった立て看板にこう書いてあったのだ。
「喫茶地獄一丁目一番地」――と。
(店名がついただと!?)
蘇芳は驚きのあまり目を剥いてしまう。そして、店がどんどん立派になっていく事に思考が追いつかない。
「お~い、蘇芳さ~ん。早く座ってお茶でもしようよ~」
幽吾に手招かれ、蘇芳は混乱する思考をなんとか整理しながら席に着く。
卓の上にはよもぎみたらし団子と抹茶が置いてあり、完全に茶会である。
(俺は……何しにここへ?)
思考回路が滅裂気味ではあるものの、しっかりと土産のよもぎみたらし団子は頬張る。甘さが混乱気味の脳に沁み渡った。
すると――ズシン、ズシン――と、何かの足音が聞こえてくる。
「あ、来た来た。お~い、こっちこっち」
幽吾が立ち上がって手を振ったので、蘇芳も視線をそちらへ向け――そして、驚き目を剥いた。
そこにいたのは恐ろしい容姿の真っ赤な鬼神だ。
右手には人の等身程ある巨大な鬼包丁。刃は血に濡れている。左手には無骨な鎖。そして、その鎖に繋がれた先にいたのは辰登であった。己の生家の分家の生まれであり、己の遠い親戚の……。
驚くべきはその容姿である。
身に付けているのは、鎖で繋がれた無骨な鉄の首輪と腰に巻かれたボロボロの布切れ一枚だけ。しかし何より驚くべきなのは、その身がズタズタに切り裂かれ、身体中の至る所から血を吹き出している上に胸や腹には無骨な刃が突き刺さったままだ。
そんな状態の辰登だが、何と息をしていた。いやむしろ生きている方がおかしいと言っても過言ではないだろう。肩で呼吸をするほど苦しげで、無理矢理立たされている為、足元はフラフラである。しかし、座ることを許されていないようで、鬼神が乱暴に鎖を引っ張り上げていた。
それはかつての己の姿だと蘇芳は思った。目の前にいる辰登からむごい仕打ちを受けた時の己だと――。
驚いている蘇芳を見て、幽吾はニンマリと笑う。
「これは蘇芳さんへの暴行罪の極一部の罰則だよ」
「……これで、極一部なのか……?」
「そうだよ。まだまだ彼には義弟虐めの罪と禁術使用の罪の罰則も残っている。全ての罪を贖うのに一体どれだけの時間を要するだろうね~。ああ、ちなみに地獄で罪人は死ねないから。生きながら罪を贖ってもらわなくてはいけないからね~」
恐ろしい事を然も楽しそうに笑いながら言う幽吾を見て、蘇芳は一瞬背筋が凍った。
(これが……四大華族が一つ……影の一族……影の執行人)
蘇芳の生家である「盾の一族」がその身を以って皇族を守り抜く「皇族の盾」として呼ばれるのならば、幽吾の生家である「影の一族」は「皇族の影」――すなわち皇族に仇なすものを影で抹殺する暗殺集団なのである。四大華族の間では「影の執行人」とも呼ばれていた。
特にこの幽吾は、「影の一族」に生まれた者が持つと言われる地獄に縁のある神力を持ち、「地獄門管理」という異能まで開花させたという、まさに「影の一族」の力に愛された男であった。
実は幽吾が隊長を務める「朔月隊」も「影の執行人」に関係する部隊ではあるものの、幽吾は紅玉達に直接手を汚させるような仕事はさせていない。多分きっと今後もさせないだろうとは思っている。
しかし、一方で幽吾は己の手を汚す事には一切の迷いがない。むしろ積極的に刑の執行を行なっている。
決して楽しんでいるわけではない……と、蘇芳は信じたい。
「さてと」
幽吾が鬼神に向かって人差し指を下へ振り下ろし合図を送ると、鬼神は辰登を無理矢理跪かせ、髪を引っ掴み、顔を幽吾の方へと向けさせた。その瞬間にも辰登は苦痛に顔を歪め、口からは声にならない悲鳴、身体からは血が噴き出している。
「そろそろ思い出せたかな? 矢吹の呪いの術式。紋章とその周りに書かれていた呪言も含めて全部だよ」
「そ、そ、なの……おぼ、ぇてな……っ」
ひゅうひゅうと息も絶え絶えに泣きながらそう答える辰登に幽吾は残酷に言う。
「思い出せないなら、身体に聞くまでだよ」
「ひっ! たっ、頼むっ! やめてくれええっ! 痛いのはもういやだあっ!! 何でも答える!! 答えるからああっ!! 身体を切り刻まないでくれええっ!! もういやだよおおっ!!」
辰登は八大準華族の矜持など捨て泣き叫んだ。その顔は顔中から溢れる体液と血液でドロドロのぐちゃぐちゃだった。
「なあ頼むよぉ……助けてくれよぉ……」
「あのさ、君、かつて自分が蘇芳さんにした事を、今身に受けているってこと分かっている? ちゃんと反省しているの? 助けてくれ。痛いのは嫌だ。そればっかり。君は蘇芳さんにそう乞われたら止める事ができた? 可哀相だから助けてあげようって気になった?」
「反省してる……っ! 反省してるからぁっ……! もう赦してくれよぉ……っ!」
「ああそうだった。君は蘇芳さんが反論できないように喉を潰していたっけね」
幽吾がそう言って鬼神に向かって手を挙げると、鬼神は己の鋭い爪で辰登の喉を容赦なく抉る。
瞬間、辰登の声にならない悲鳴と血が噴き出る音が響き渡った。
思わず目を背けたくなる程の惨状だが、蘇芳は冷静だった。辰登が己に行なった行為はそれほどまでに残虐であったと思っているし、何よりも蘇芳が辰登を赦せないのは、紅玉に行なおうとしていた下劣な行為だ。
未遂で済んだとはいえ、紅玉に対する無礼且つ非人道的な行為をしようと考えていた時点で、蘇芳の中で辰登への温情など一切無くなっている。
辰登は「げほげほ」と激しく噎せ込みながら血を吐きながら、泣いていた。
「仕方ない。最終手段だ。君の脳の記憶と網膜の残像から呪言を確かめよう」
「脳の記憶と網膜の残像?」
蘇芳が首を傾げると、幽吾はニンマリと嗤って解説を始める。
「大体、地獄に堕ちる人間って、己の罪に関してやっていませんとか覚えていませんってしらばっくれる事がほとんどなんだよね~。罪を犯しているから地獄に堕ちているっていうのに往生際が悪いよね~。そんな聞き分けの悪い子達の為に地獄にはその証拠を認めさせる術があるんだ~」
脳と網膜――この言葉に蘇芳はある予感しか浮かばなかった。
「まず、その罪人の頭を鉈で掻っ捌いて――」
「幽吾殿! 十分に分かった! 解説はもういい」
思わず叫んで言葉を遮った。
「……そう? あっ、ちなみに網膜の方は罪人の眼球をえぐ――」
「もういいからっ!!」
半ば怒鳴ってしまっていた。
しかし、たったそれだけで辰登も何をどうされるのか察したのだろう。大量に血を失っているだろうが、それとは別の意味で全身が真っ青である。
「そういうわけでよろしく」
「いやだああああっ!!」
幽吾がそう告げれば、鬼神が鎖を乱暴に引き、辰登を引き摺って連れていく。己がこれから何をされるのかを察し、辰登は必死にもがいて泣き叫ぶ。
「助けてええっ助けてくれぇっ蘇芳っ頼むっ助けて助けて謝るからごめんなさい赦してえっ頼む頼む頼む頼む頼むぅっ! すおおっ! 助けてくれええええええっ!!!!」
悲痛な叫びを蘇芳はひたすら無視した。
良心が痛もうが、冷酷で残酷な化け物と言われようが、蘇芳は決して辰登を赦してはいけない。
彼を赦せば、紅玉にしようとしていた罪も赦されてしまうのだから。それだけは絶対に赦してはいけない。
紅玉に害為す存在を蘇芳は絶対に赦せるはずがない。赦してはいけない。
そう自分に言い聞かせ続ける。
暗闇を劈くような叫び声に――蘇芳はほんの少しだけ胸の痛みを覚えていた。
<おまけ:大貴と梅五郎>
それは盾の一族とその分家である岩の一族と山の一族の集まりでの事だ。
大人達が一様に噂をしている本家の次男坊の「初代盾の再来」が珍しく今日来ているらしい。今までは己を鍛える為に厳しい修行に臨んでいるからと、姿を見せた事がなかったのだが……。
山の一族三男坊の大貴はそれを聞いて思う。
(いじめてやろう)
大貴には腹違いの弟がおり、その弟を虐める事が大好きだった。故に弟の他にも虐める存在を欲していた。
だから、大人達が噂している「初代盾の再来」に興味を持った。そして、思う存分そいつを虐めて自分の方が強い事が示されれば――。
(きっとみんなおれをほめてくれる)
大貴は意気揚々と「初代盾の再来」を探した。
噂だと名前は「梅五郎」というらしい。花の名前が付けられているなんてださいと思った。
身体がとても大きいらしい。自分の方がずっとずっと大きいと自信があった。
そして、大貴はその人物を見つけた。何故か弟の光輝と一緒にいる青年を。
初めて見る顔だった。身体の大きさから見るに十代半ば――七歳の自分よりずっと年上だと思う。兄達よりも年上だと思った。
それにしても立派な体躯の持ち主だと思った。腕は己の足より太いのではないかと思う程、一族の血に恵まれた体格だ。しかも顔が整っていてかっこいいと思った。
羨ましいという気持ちと憧憬の心が芽生えた。
(なんでこうきといっしょにいるんだ?)
それが気に食わないと思った瞬間、大貴は光輝に突っ込んでいく。そして、拳を振り下ろそうとした――が。
「なっ!?」
「…………」
その青年に難なく拳を止められてしまう。挙句ビクともしない。
「はなせよっ!!」
「…………」
青年は何も言わずじっと大貴を見つめるだけだ。
「はなせってっ!!」
大貴がそう叫べば、青年の後ろに隠れていた光輝がビクリと肩を震わせた。
青年は光輝をチラリと見ると、大貴の腕をそのまま上に引っ張り上げる。
「うわっ!?」
難なく身体ごと浮かせられ、大貴は光輝から離された位置でようやっと下ろされる。
「……され」
「なんだよっ!? やんのかっ!?」
「され」
「っ!!」
たった一言なのに威圧を感じる重さと身体を貫くような恐ろしい眼光に――大貴は身体が震えていた。
そして、大貴は情けなくもその場から逃げるように走り去っていたのだ。
後ほど分かった事だが、その青年こそが「初代盾の再来」と呼ばれる本家の次男坊であり、なんと年齢は自分と同い年だという。
その事実に愕然としながら、大貴は「初代盾の再来」の鋭い視線に射抜かれた事に未だ震えが止まらなかった。
(あんなバケモノにかてねぇ……! かてるわけがねぇっ……!)
布団に潜り込んで恐怖に涙した。