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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
144/346

調査と任務~その肆~




 遊戯街を出て、次に紅玉が目指したのは午の門広場にある生活管理部事務所敷地内にある乗合馬車課だ。

 流石に徒歩では遠かった為、乗合馬車に乗って移動をしてきた。

 昨夜、美月に連絡をしたところ、雛菊の研修で今日は馬車の御者はせず、事務所にいるということらしい。


 そうして見えてきたのは乗合馬車課が所有する厩舎だ。たくさんの馬車用の大きな馬達が草を食べたり、馬車を引いて出かけていったりしている。


 暑い日差しの中、日傘を差して厩舎を進んでいくと――。


「紅ちゃーん!」


 大きな馬の毛並みを整えていた美月が紅玉の存在に気付き、遠くから声をかけたくれた。

 紅玉がひらひらと手を振れば、美月も手を振り返して応えてくれる。


「ちょっと待ってな!」


 美月は再び馬の毛並みを梳かし始めたので、邪魔にならないよう待っていようと紅玉は端に寄った。


 すると――。


「お姉さん、そこにいると危ないよ」

「あっ、失礼しました」


 乗合馬車の男性職員にそう言われ、紅玉はどこへ行けばよいかとオロオロとしてしまう。


「こっちこっち。こっちおいでよ」

「はあ……」


 男性職員に手招かれるまま、紅玉は男性職員の傍までやってくる。男性職員の傍には馬がいたので、ぶつかってしまわないように日傘をしっかりと閉じた。


 紅玉は改めて自分を手招いた男性職員を見る。緑に染まった前髪を上げて額を出しているおかげでやや垂れ気味の緑色の瞳がよく見えた。

 男性職員は人の良さそうな笑顔を紅玉に向ける。


「お姉さん、美月の知り合い?」

「ええ。わたくしの方がずっと年上ですけど、お友達ですわ」

「へえ~。お姉さんいくつ?」

「今年で二十六になります」

「おっ、後輩か~。俺は今年で二十七なんだ」


 随分と気さくに話しかけてくれる方だなぁと紅玉は思う。今日は髪の毛を結いあげてしまっているので、もしかしたら〈能無し〉という事にも気づいていない可能性があった。普段であれば漆黒の髪を持つ自分に声をかけてくるツワモノはいないからだ。


「俺は乗合馬車課の紀康(のりやす)っていうんだ」

「十の御社神子補佐役の紅玉と申します」

「へえ、紅玉さんか。っていうか神子補佐役なの!? すげぇな~。あ、今日は休み?」

「はい、そうです」

「なあなあ、紅玉さんさえ良かったらなん――だあっ!?」


 それ以上、紀康の言葉が紡がれる事がなかった。代わりに響き渡ったのは潰れたような悲鳴と衝撃音だ。紅玉は驚きのあまり息を呑んでしまった。

 気付けば紀康の脳天に牧草を集める農具が直撃していた。そして、それを持っていたのは、毛先だけ黄銅色に染まった黒髪を持つ男性職員だった。


「いってえな! 真鶴! 何しやがる!?」

「そっちこそ仕事中に何やってるのかなぁ~?」


 真鶴という男性職員は紀康を叱りつけながら、さりげなく紅玉の腕を引き、後ろに待機していたその人物に引き渡した。


「はい、紅はこっちにいらっしゃい」

「あらまあ、雛ちゃん」


 雛菊に手を引かれ、驚いてしまう紅玉だったが、そう言えば雛菊の研修先はここ乗合馬車課だった事を思い出した。そして、先程の真鶴が雛菊の研修担当なのだろうと紅玉は思う。


 雛菊に連れられ、紅玉は人間用の休憩場所らしきところに案内された。ここであれば職員と馬達の邪魔にならないだろう。

 紅玉は雛菊に勧められるまま、置いてあった椅子に腰掛けた。


「ありがとうございます、雛ちゃん」

「ああ、いいわよ。別に」


 雛菊は手を振りながら紅玉を上から下まで観察した。

 美しく結い上げられた漆黒の髪から覗く項。清楚な淡い水色の洋服を身に纏いながら、強調されている豊満すぎる胸と引き締まった腰。頭の上から足の先まで粧し込んだ本日の紅玉は――。


「うん。ヤバイ」

「はい?」

「よくここまで無事に辿りつけたわね」

「神域はほぼほぼ一本道ですし、午の門広場にも何度か足を運んだ事はありますし、迷う事はないと思うのですが」

「いや、うん、あのね、そういう意味じゃなくて」


 紅玉の性質の悪さが思う存分発揮され、雛菊は頭が痛くなってきた。


「紅ちゃーーんっ!!」


 すると、ようやっと美月がやってきたので、雛菊はほっと息を吐く。

 美月はすぐさま紅玉の前で両手を合わせて頭を下げた。


「ごめんなぁっ! 紅ちゃん! 怖かったやろ!? あのアホンダラ、後でしばきたおしとくから堪忍やで!」

「……はい?」


 紅玉は美月の謝罪の意味を一切分かっていなかった。


「雛ちゃん、真鶴先輩で呼んでたで。紅ちゃんの事おおきにな」

「あ、はい。じゃ、後はよろしくお願いします。それじゃ、紅、気をつけなさいよ、帰り道も」

「はい。雛ちゃんも研修頑張ってくださいね」


 と去りゆく雛菊に手を振るものの、紅玉は雛菊の言葉の意味を一切理解していなかった。


「――さてと」


 そう言って美月も紅玉の横に腰掛ける。


「待たせてごめんなぁ」

「こちらこそお忙しい時にすみません」

「それで話って何なん?」

「実は――……」


 紅玉は話していく。

 二十の御社の神子補佐役と自由奔放な神子について――何か情報を知らないか――と。


 話を全て聞いた美月は腕組みをして首を傾げた。


「二十の御社なぁ……今のとこ、ウチの方では変な噂も情報もあらへんなぁ~」

「そうですか……」

「ごめんな、力になれんくて。郵便課やったら内部事情とかちょこっと探れたかもしれへんのに……」

「いえいえ、ありがとうございます」


 郵便課は神獣連絡部が開設して必要なくなった部署だ。以前その郵便課の職員だった美月がこの乗合馬車課に異動したのはつい二ヶ月前の話である。


「でも、馬車課って意外と世間話を耳にすることも多いんやで。なんか情報つかんだら報告するわ~!」

「まあ、ありがとうございます。助かります」


 すると、紅玉と美月の目の前に影が差したので二人一緒に顔を上げると、そこには大きな馬が立っていた。


「まあ!」

「こらっ! 心乃(ここの)! 紅ちゃん驚かしたらアカンやろ!?」


 心乃とはどうやら目の前に立っている馬のようらしい。

 美月に叱られ、心乃がシュンとなったように見えたが、美月が頭を撫でてやると嬉しそうに大人しくしている。


「女の子ですか?」

「せやで。乗合馬車課の九番馬。担当はウチや」

「そうなのですね」


 嬉しそうに心乃を撫でている美月を見て――紅玉はふと美月の腰に巻かれている小形の鞄についている御守に気付く。

 鮮やかな紫色の布地で、少しふっくらと膨らんでおり、明らかに誰かの手作りだと思われるそれに紅玉は見覚えがあった。


「美月ちゃん、それ……!」

「ああ、これな。初心を忘れんようにって、仕事用のポーチにずっとつけてんねん」

「……大事にしてくださって嬉しいです」

「紅ちゃんがウチの為に作ってくれた大事なもんやもん。ボロボロになってもずっと大事にするわ」


 美月が動くと、御守に付けられた小さな鈴がチリンと鳴る。そして、美月は可愛く笑った。

 そんな美月の笑顔を見て、紅玉はほっとしてしまう。


 何故なら紅玉の中には未だに美月と初めて出会った時の記憶が鮮明に残っているから――憮然と絶望で暗く染まった顔と瞳が――。


「そういや、その補佐役さん、名前何ていうん? 教えてもらってもええ?」


 美月がそう声をかけてきたので、紅玉は意識をはっと戻す。

 そして、落ち着いた様子で答えた。


「えっと、冬麻様ですわ」

「――冬麻?」


 紅玉の答えに声を上げたのは美月ではなかった。


「冬麻さんって、あの……二十の御社の?」


 そう言ったのは、先程会った真鶴という男性職員であった。


「あっ、その……」


 紅玉は少し焦った。不可抗力とはいえ、朔月隊と無関係の人間に情報を聞かれてしまったのだ。言い訳を必死に頭の中で考えようとするが――。


「あの、冬麻さんはお元気ですか?」

「え?」


 予想外の質問が返ってきたので思わずキョトンとしてしまう。助け船を出してくれたのは美月だった。


「真鶴先輩、冬麻さんの事知っとんの?」

「ああ。郵便課の時に知り合ったんだ」

「まあ、真鶴様も元郵便課の職員だったのですか」

「そうです。ちなみにさっきの紀康もね」


 紅玉はそれを聞いてほっとする。真鶴は知り合いの冬麻の名前を聞いて反応しただけなのだと。


「えっと、冬麻様は……」


真鶴の質問に答えようとして――はたと、紅玉は気付く。


 かつての郵便課と言えば、神域中の郵便や書類を安全無事に届ける事を仕事としていた。神域中を駆け回り、郵便や書類を配り、はたまた回収をし、事務所に戻って仕分けをし――という大変忙しい業務内容だった。大事な郵便や書類に不手際がないように、郵便課の職員もそれなりの手連達が配属されていた。

 そして、この職員達の大きな特徴と言えば、外部の人間でありながら御社内の実情をそれなりに把握できる立場にあった事。届ける内容物によっては御社の関係者と直接会って渡す必要があったからだ。


 この僅かな情報が意外と参考になると、参道町部署研修の時に瑠璃色の髪を持つさっぱりとした笑顔の上司から教わった事を思い出した紅玉は、咄嗟に真鶴に尋ねていた。


「あの、真鶴様」

「はい?」

「貴方が郵便課だった頃から、冬麻様は何かお困りの様子とかありませんでしたか?」

「…………」


 紅玉の質問に真鶴はゆっくりと口を開いた――。




**********




 卯の門広場の神子管理部事務所に戻ってきた空は、本日の研修についての反省会を那由多と共に行なっていた。


 そして、やはりというか、案の定、那由多から説教を受けることになった。原因は冬麻を庇った事だろう。


「今日の二十の御社での行動はあまりに余計なものです。あれは御社の関係者が解決すべきこと。部外者のあなたが関わるのは言語道断です」

「はい」


 素直にそう答えながらも「本当に?」という疑問が湧いてくる。あれは明らかに神子に非があり、冬麻は悪くなどないはず。


 何故、那由多は神子の行動を黙認しているのだろうかと思ってしまう程だ。


 そんな心情の空に気付いたかわからないが、那由多はますます鋭く空を睨みつけた。


「いいですか。今後、余計なことは一切しないでください」

「…………はい」


 空は那由多に頭を下げながら、やっぱりこの那由多とはわかりあえないと思ってしまった。




*****




 そんな説教からの帰り道、空の足取りはとても重たいものだった。

 夕焼けがとても美しいというのに、空の心は晴れない――。


「ソーラー!」

「鞠ちゃん……」


 鞠が空に向かって走ってくるのが見えた。夕日に反射して星屑のような金色の髪がよりキラキラ輝いている。

 その美しさを見ても空の顔色も晴れない――。


「ソラ? Are you all right? しょんぼりデース」

「うん……」


 鞠と一緒に歩きながら、空は今日あった事を素直に話した。


「……余計なことをするなって怒られたっす」

「What’s happen?」

「……冬麻さんに神様が怒鳴ったっす……無価値だ、存在する意義などないって……冬麻さんは全然悪くないっすのに……謝るっす」

「…………」

「我慢……できなかったっす……神力がないだけで〈能無し〉って後ろ指差される先輩を見ているみたいで……嫌だったっす……だから、つい、身体が動いちゃったっす……」

「ウン……」

「でも……那由多さんは余計な事するなって言って…………それで、俺……最低っす……」

「What’s do you mean?」

「自分と意見が合わないからって、わかりあえないからって……人を、嫌いになっちゃいそうで……そんなのダメってわかっているのに……」

「…………」


 鞠は空に腕にギュッと抱きついた。


「マリも……マリもゼッタイ、ソラとオナじコトしてたヨ」

「鞠ちゃん……」

「マリはソラにサンセーよ! ナユタさんのゆーコト、マリもNot understandデース! だから、キライデース!」

「ええええっ!? そんなんでいいっすか!?」

「イイデース!」


 鞠は空の腕から離れくるりと回ると、空の前に立ち、空の鼻に人差し指を当てた。


「マリは――那由多さんなんかより、空の方がずっとずっと大切で大好きだもの」


 鞠の言葉に空は目を剥く。


 それは鞠が()()()使()()()()、心からの()()()()()()()()()使()()()()()()だったから。


「ダイジョーブデース。ソラにキラわれるようなヒトはスットコドッコイのアンポンタンデース」


 スットコドッコイもアンポンタンも、今の場に不釣り合いな言葉だったが、何故かモヤモヤが晴れていくような気がした。


「ははっ、そうっすね。スットコドッコイでアンポンタンな那由多さんなんて別に嫌いでもいいっすよね」

「ソーデース! スットコドッコイでアンポンタン、Bye byeデース!」


 空は鞠の手を握った。


「鞠ちゃん、ありがとうっす」

「You are welcome」


 そうして再び歩き出そうとした時だった。


「Oh」

「あ……」


 二人の行く先に立っていたのは海のような鮮やかな青い髪を持つ空の父である蒼石であった。


「お父さん!」


 空は思わず駆け寄ると、蒼石は優しく微笑み、空の頭を撫でた。


「おかえり、空」


 そして、空に向かって両手を広げた。

 父の行動の意図に気付いた空だったが、小さく頭を振った。


「俺は大丈夫っす。俺よりも、もっと辛くて苦しい人がいるのに、甘えちゃダメっす」


 空は笑ってそう言う。しかし、その笑顔はいつもの快晴のようではなく、今の夕焼けのように憂いを帯びたものだった。


「……そう思う優しき心もまた、痛みと苦しみを感じやすいものだ」


 そう言って蒼石は空を抱き上げた。

 突然の浮遊感に空は「わわっ」と声をあげてしまう。

 そうして蒼石は空を抱き上げたまま頭を撫でる。


「我の前では存分に甘えてくれ」


 父の大きな優しい手に、大きな身体のぬくもりに――空は我慢していたものが込み上げてきてしまう。それが零れる寸前、空は蒼石の首に抱き付いて、誤魔化した。


「うんっ……」


 己の肩口に顔を埋め、涙を隠そうとする空が愛おしくて、蒼石もまた抱きしめる腕に力を込めるのだった。




 そんな二人を鞠が優しく見守っていた。





<おまけ>


「鞠殿」

「!」


 蒼石が鞠を呼び、空を抱えていない方の左手を差し出していた。


 蒼石の意図を察し、鞠は顔を輝かせて蒼石の手に駆け寄った。

 そして、蒼石は鞠を軽々と持ち上げる。右肩には空、左肩には鞠が乗っている状態だが、蒼石は難なく二人を抱え上げていた。


「さあ、帰ろうか」

「おっす!」

「Yeah!」




 空と鞠を抱えて帰ってきた蒼石を出迎えたのは、「あらあら」と楽しそうに微笑む紅玉だった。



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