調査と任務~その参~
貰ったばかりの日傘を差して意気揚々と歩いて辿り着いた先は、乾区の遊戯街だ。
色艶やかな町並みは日の高い内が一番静かである。この街が賑わい出すのは夜からだ。神子も神も使命から解放され、一夜の夢を視る遊戯場――それがここ遊戯街である。
そして、紅玉は日傘を閉じて、その店へ足を踏み入れる――「夢幻ノ夜」という店に――扉の鐘がカランと鳴った。
「「紅様、お待ち申し上げておりました」」
紅玉を笑顔で出迎えたのは瑠璃紺と江戸紫の瞳をそれぞれ持つ、瓜二つの双子の青年の右京と左京だった。
紅玉もまたふわりと微笑んで挨拶をする。
「御機嫌よう。右京君、左京君」
「紅様、お荷物をお持ちいたしましょう」
「それにしても本日の紅様は特別に美しいですね」
流れるように紅玉から鞄と傘を受け取り、流れるように紅玉を導くその様はまさに紳士そのものである。
思わず苦笑いをしながらも紅玉は双子の甲斐甲斐しい世話を受け続けた。
そうして導かれた先に、この双子の指導者であるその人物が立っていた。
毛先を黒く染めた一斤染の緩やかな長い髪と紫がかった妖しく煌めく瞳と花魁のような色香を纏った美しいその人物は、今は仕事中ではないので派手な着物ではなく、楽な着流しを着ていた。そうこの人物は立派な男性である。
しかし、例え着流しを着ていようが、男性だろうが、艶やかに見えてしまうのは最早その人物の美しさの賜物と言えよう。
「紅ちゃーーんっ!!」
しかし、そう甘えた声を発しながら、崩れた笑顔で紅玉に抱きつく様は最早美しさとは無縁であった。
美しさ、どこ行った?
「御機嫌よう、世流ちゃん。お仕事終わりでお疲れですのにお邪魔してごめんなさい」
「いいのよ! 紅ちゃんなら何時でも大歓迎よんっ!」
すると、世流は紅玉を腕から解放すると、紅玉の姿を上から下までまじまじと見つめる。そして、堪え切れなくなったかのように叫ぶ。
「いや~~んっ! 紅ちゃんが食べちゃいたいくらい可愛い~~っ! 勿論、いつも食べちゃいたいくらい可愛いけどぉ~~っ!」
くねくねと体をくねらせて、両手を頬に添えて興奮する姿は若干……いやかなり変態じみたものがある。
そして、美しさよ、どこへ消えた?
「あの、世流ちゃん、昨夜もお伝えしたのですが、聞きたい事が……」
少し苦笑いをしながら紅玉が話を切り出すと、「あ、そっか」と世流は一気に切り替えてくれた。紅玉はほんのちょっとだけ安心してしまった。
そうして、左京に導かれ、店の席に座り、世流がその向かい側へ座る。右京と左京は世流の後ろで立ったまま聞いてくれるようだ。
「それで、話ってなあに?」
世流がそう尋ねてくれたので、紅玉は話していく。
二十の御社の神子補佐役と自由奔放な神子について――何か情報を知らないか――と。
すると、世流は首を傾げて考える。
「二十の御社ね……遊戯街にはほとんどご縁は無いはずよ。あそこの御社は女神子で神様男神でしょ。その男神様達が神子様を溺愛しているってちょっと有名な話だし」
「そうなのですか」
御社によりけりだが、女神子で神が男神だとあまり遊戯街に縁がないというのは多いと紅玉も聞いた事があった。大概は女神子が嫉妬してしまうから、という理由なのだが、男神が神子を溺愛しているからという理由というのは初めてかもしれない。
ちなみに十の御社の神々は、時々遊戯街に出かけている。といっても大概がちょっと外に飲みに出かけたり、他の御社の神々との交流の為だったりなどが理由だ。元々水晶自身がそんなに煩くないので、十の御社の神々も自由に外出しているようだ。
「他に二十の御社に関して噂とか聞かないですか?」
「そうねぇ……二十の神子様と仲良しの神子様達がたまに遊戯街に遊びに来るけど、別に悪い噂はないわね。みんな可愛いって言っているわ」
「そうですか」
空も二十の神子に関して「自由すぎる」とだけ評しており、神子自身の悪い話は言っていなかった。決して悪い神子ではないのだろうとは思う。他の神子からも可愛いと噂されるような女性なのだから。
しかし――。
「で・も――それも、表向きのお話」
「えっ?」
続いた世流の言葉に紅玉は目を剥いた。
「女の子は砂糖菓子みたいに甘くてお花みたいに可愛いわよ。でもね、その裏は胡椒よりも唐辛子よりも残酷に辛くて泥沼のようにドロッドロでグチャグチャなこともあるの」
「わかる?」と妖艶に微笑んだ世流に紅玉は静かに頷く事しかできない。
紅玉とて性別は女性だ。それなりに女の争いの世界を見た事がある。
(幸い、わたくしは巻き込まれた事はありませんけれど……千花ちゃんは随分と御苦労されていましたものね)
ふと思い出すのは、一際麗しい見目の持ち主で舞が得意であった己の幼馴染みだ。
見目が麗しい故に異性にもて囃され好意を寄せられ、それが故に同性から一方的に僻まれ恨まれ嫉妬され無視され続けて――。
傷付き涙を流していた彼女の姿を今でもよく覚えている……。
そして、気付けば紅玉はそんな彼女の手を握って引っ張っていた。
(皆は、そんな事気にしない子達でしたから……)
改めて己がいかに恵まれた友人達に囲まれていたことも痛感する。
自分が幼馴染と呼び親友だと思っている彼女達は、性格も容姿もこの身もバラバラではあったが、決して泥沼の喧嘩を繰り広げる事はなかった。
引っ張り込んだ彼女の事も快く迎え入れてくれた。
そうして各々それぞれが楽しみを持ち、たまに共有し合い、並んで歩く事がどんなに尊かった事なのか……失ってからより気付かされる……。
「――それで二十の神子様のお友達ちゃん達」
世流が話を切り出したので、紅玉はハッとして意識を世流の言葉に向けた。
「ワタシの前では『二十の神子様は可愛い子なんですよ~良い子なんですよ~』とは説明してくれるんだけど、ワタシが離れるとね、すぐにその二十の神子様の悪口合戦が始まるのよ。『イケメンの神様達にチヤホヤされまくりで調子に乗っている』だとか『甘やかされてばっかで神子としては全然ダメ』だとかね」
「あらぁ……」
それも聞き覚えがあった。
口を開けばその場にいない人間の悪口を言い合ったり、またある時は別のいない人間の悪口を言い合ったり……。
(思えばありさちゃんは悪口も文句も本人に堂々と言ってしまう清々しい子でしたわね。まあそれでよく人を泣かせてしまうから美登里ちゃんに叱られていましたっけ)
ギャンギャンと言い争いに発展してしまう二人をよく宥めた事を思い出し、紅玉は心の中で「ふふふ」と笑ってしまった。
「ところで、二十の神子様、何かしでかしたの?」
「あ、いえ……そういうわけではないのですが、空さんが少々気にされていて……」
「あ、空君、巽区の御社回る研修しているんだっけ?」
「はい。それで二十の神子補佐役から報告があったらしいので御社訪問したわけなのですが……」
「明確な問題があるわけでもない……ってことね」
「はい。ですが、神子補佐役自身は困っているようだから力になってあげたいと空さんは言っていて……」
「う~~んっ! なんって良い子に育ったのかしらぁっ!」
「ええ……! 本当に」
世流の言葉に紅玉だけでなく、右京と左京も激しく頷いていた。
「わかったわ! ちょっと二十の御社についての情報仕入れとくわねっ!」
「すみません。別件でもお忙しいのに……」
別件とは――朔月隊が今追っている「謎の女」の件だ。
卯月の初めに雛菊を禁術で操ろうとした萌に禁術を教え亡き者にし、術式研究所で禁術を開発していた矢吹と繋がっていた可能性があるとされる女性と思われる人物の事である。
女性という性別は、その矢吹と繋がりがあり、皐月の中旬に蘇芳を拷問した辰登の証言のみなので確証はないが、禁術の知識を持っている時点で危険人物である為、朔月隊は密かにその「謎の女性」を追っているのだ。
他に手掛かりがない以上、新しい情報を仕入れなければならない。不特定多数の神子や神や職員が訪れる遊戯街は絶好の情報収集の場でもあったので、現在遊戯管理部で働く世流と右京と左京が主で動いているのが現状なのだ。
その上、二十の御社の情報収集まで依頼するのは気が引けたのだが――。
「いいのよ! 気にしないで! 可愛い空君の為にお姉ちゃん一肌脱いじゃうわ!」
「ありがとうございます、世流ちゃん」
二つ返事で快諾してくれる友人に紅玉は感謝しかなかった。
「世流様、発言してもよろしいでしょうか?」
「紅様、お時間よろしいでしょうか?」
恭しくそう申し出た右京と左京を世流と紅玉は思わず見た。二人ともとても真剣な表情をしている。
「ええ、勿論よ。どうぞ」
「わたくしも時間はまだ問題ありませんわ」
「「ありがとうございます」」
世流と紅玉の許可がもらえたところで双子はようやっと口を開き始めた――先に語り出したのは右京だ。
「神の執着心は激しく強いです。あの方々は一度気に入った者を他者の目に触れさせる事すら厭い、独占したがる傾向にございます」
「例えそれが一方的な想いであったとしても身勝手に神隠しする恐れがございます。あと気に入った者が厭うモノは全て害虫と判断し、遠慮なく虐げます」
左京の言葉に紅玉は少し目を剥いた。
たったそれだけの事で、たがかそれだけの事で――そう思ったが――この双子が語ったとなると話は別であった。
何せこの双子はそれを経験しているのだから。
「「どうぞお気をつけくださいませ」」
双子が揃った声でそう言うと、その説得力がますます強まった気がして、紅玉は素直に頷く事しかできなかった。
**********
鞠からもらった軟膏を手に万遍なく塗りながら、神子の執務室の近くまで来た時の事だ。
きゃっきゃと楽しそうな声が聞こえてきた。それは神子の執務室の中から。そして、神子の執務室の入り口の襖は開放されていた。
「…………」
空は少し迷った。覗き見をする事は悪い事だと分かっていても、二十の御社の現状を把握する為、実状をこの目で見なければならない。
空は意を決し、足を忍ばせ、そして解放されている襖から神子の執務室内を確認した。
空は驚きのあまり声を失った。それはあまりにも空にとっては刺激の強過ぎる光景であったからだ。
二十の神子の百合と男神四人が戯れている。それならばよかったのだが、やはりどう見ても距離感が近いのだ。
一番身体の大きな男神が百合を背後から腹に手を回し抱き締め百合を逃げられないように拘束し、百合の右側に寄り添うキラキラと輝くばかりの美しい男神は百合の頬や髪を撫で挙句の果て頬に口付けまでしている。そして面倒見の良さそうな男神が百合の剥き出しの足を掴んで爪を切っており、極めつけはもう一人の男神が百合の両太腿に頭を乗せ、腹部に顔を埋めていた。
そして、当の神子本人はというと、ただ楽しそうに笑っている。くすぐったそうに笑っているのか時々「やめて~!」という声はあげるものの、完全な拒否ではない事が明らかだった。
(これじゃあ、補佐役さんが報告する意味もわかるっす……)
見ているこちらが恥ずかしくなる光景に空は思わず溜め息を吐いてしまう。
すると、神子の声が一際高く上がったところで、遠くからバタバタと足音が聞こえてきたので、空は咄嗟に飛び上がって天井に張り付き身を潜めた。
案の定、走ってやって来たのは神子補佐役の冬麻だった。
「神子様っ!!」
冬麻は執務室内の現状を見て怒鳴り声をあげた。
「慎みを持って神々と接するようにとあれほど申し上げているでしょう!?」
空が透かし彫りの欄間から執務室の中を見ると、怒鳴られているはずの神子は悪びれた様子は一切無く、不機嫌な顔をしているだけであった。
すると、冬麻が怒鳴っている後ろへ那由多が遅れてやってきた。那由多もまた執務室内の現状を見て眉を顰めている。
明らかに神子の素行に問題があるのは一目瞭然であった。
しかし――。
「たかが補佐役風情が神子に意見とは随分な態度だな」
怒気を隠さない低い声で冬麻を威嚇したのは、百合の背後に抱き付いていた身体の大きな男神だった。強い神力の圧で威嚇された冬麻は先程の威勢はどこへやら、一気に身を縮めてしまう。
「わ、私は、神子様を思って……!」
「黙れっ! 俺達神にとって神子を不愉快にさせる存在など無価値も同じだっ!!」
「っ……申し訳ありません……!」
「消え失せろ!! 貴様など存在する意義などない!!」
それはあまりに酷い言葉だった。
どう見ても、神子を叱りつけた冬麻に非はないはずだ。
それなのに何故神は一方的に冬麻を責めるのか。冬麻の存在そのものを否定するのか。何故、那由多は黙ったまま見ているだけなのか。
我慢の限界だった。
天井から身を翻し着地した空に誰もが目を剥いた。
「すみません! 補佐役さん! 俺、お手洗いお借りしたいっす!」
誰かに引き止められる前に、空は冬麻の手を掴むと――。
「案内して欲しいっす!」
冬麻を引き摺るようにしてその場から逃げ去っていった。
そんな空を百合と神々ぽかんと口を開けて見つめ、那由多は冷たい視線で睨んでいた。
やがて神子も神も那由多も見えなくなった場所まで立ってくると、空は冬麻から手を離し、頭を下げた。
「余計な事をしたのならごめんなさいっす。他の御社の事に口を挟むのは失礼かと思ったっすけど……でも、どうしてもほっておけなかったっす」
「…………いえ、大丈夫です」
「冬麻さん、あなたは全然悪くないっす。いくら神様でも神子様でも、やっていい事と悪い事があるっす。それを指摘し正すのが神子管理部っす」
「…………無駄です。あの方達は、私の言う事など聞き入れないでしょう。そもそも神子様があのご様子じゃ……結局、何も変わらない」
それは諦めの言葉だった。
きっとこの人はこれまでたくさん苦労してきたのだろうと思った。たくさん注意して、たくさん叱って、神子の為にと嫌われ役を買って出て――本当に嫌われ者になってしまったのだと。
だとしたらなんて悲しい事だろう。せっかくより良い御社を築く為に努力した結果が踏み躙られてしまったなんて。
もうこの憐れな神子補佐役に、神子の抑止力としての力はないだろう。それがこの御社の現状だと、空は思った。
だが――。
「諦めないでくださいっす」
「っ!」
「俺はまだ新人っすけど、俺の先輩ならきっと、あなたの力になれる」
空はそう言うと、紙切れに走り書きをし、それを冬麻に押し付けた。
「だから、連絡してくださいっす」
そうして、空は颯爽と立ち去っていった。
去りゆく空の背中を見つめながら、冬麻は渡された紙切れを読み、そして目を剥いた。
「十の御社 神子補佐役 紅玉」
そこに書かれてあった字を読んで、冬麻は溜め息を吐くだけだった……。
<おまけ>
空と那由多が二十の御社から帰った後、冬麻は廊下掃除と食器洗いをするために動く。
しかし、廊下はツルツルのピカピカ。食器類もツルツルのピカピカになっていた。
冬麻は首を傾げてしまう。
「え? 妖精?」